深井さん不在、空いたキャプテンの椅子
今回の収録には、コテンラジオのメインパーソナリティである深井龍之介さんがいません。体調を優先してお休みしており、詳しい事情はこの回の前に配信された番外編で話されているそうです。
番組冒頭では、株式会社コテンの楊睿之さんが自己紹介で「株式会社コテンの深井」と言いかけて言い直し、樋口聖典さんも「お二人と一緒に」といういつもの口上に調子を狂わされます。
別に何かがぶっ壊れたわけではないので。ちょっとね、体調を優先するということでお休みをいただいてるということなんですけども。
YouTubeで映像を見ていただいてる方、ぽっかりとほら、キャプテンの椅子が空いてるんですよ。
楊さんは今回のショート編を自分がメインで話すとしたうえで、深井さんがいるつもりで喋るので、リスナーには深井さんのツッコミを脳内で補って聴いてほしいと呼びかけます。
樋口さんは、直前のシリーズの後編で心を揺さぶられすぎて、最後のほうに何を喋ったか覚えていないと打ち明けます。楊さんはそれを見越して、樋口さんにとって「いいシリーズ」を用意してきたと話し、老子・荘子編が始まります。
人が死なないシリーズ、老子と荘子とは誰か?
楊さんはまず、最近のシリーズを振り返ります。ジャンヌ・ダルク、秀吉と家康、ヌルハチ、ゴッホと、火あぶり、関ヶ原の戦い、敵の包囲殲滅、耳を切る事件など、激しい話が続いていました。
あのね、俺今羅列されて思ったわ。これ大変なやつやってますよ、俺。
楊さんは、樋口さんのメンタルを心配して違うテイストを出したかったと語ります。そして今回の老子・荘子編では、人は死なず、戦いも出てこないと宣言します。
老子と荘子は、番組で何度も登場してきた諸子百家 ── 中国の春秋戦国時代に現れた多くの思想家・学派の総称。儒家・墨家・法家・兵家・道家などがあり、政治や倫理のあり方をめぐって論じ合いましたに含まれる古代中国の思想家です。番組ではこれまで孔子、韓非子、墨子を取り上げており、孫子の兵法で知られる孫武や孫臏も兵家として同じ時代の人物です。
老子と荘子は、道の家と書いて「道家」と呼ばれる一派の中心人物です。2人の思想を合わせて「老荘思想」と呼ぶこともあります。
老荘思想は後の時代に民間信仰に取り込まれ、道教 ── 老荘思想や民間信仰、神仙思想などが融合して成立した中国の宗教。不老長寿や仙人になることを目指す修行などが知られていますが生まれました。楊さんによれば、仙人や道士、気功、太極拳、不老長寿を目指すといったものが道教の系統にあたります。
僕が初めて触れたのはやっぱ霊幻道士ですね。
樋口さんが挙げた映画『霊幻道士』に登場するキョンシーの世界観も、楊さんは道教のイメージとして通じると応じています。
諸子百家は「失業したインテリ」だった
楊さんによると、諸子百家の「諸子」は多くの学者、「百家」は多くの学派という意味です。儒家の孔子、性善説の孟子、性悪説の荀子、非攻・兼愛を唱えた墨家の墨子、法家の商鞅や韓非子、兵家の孫武などがよく知られています。
楊さんは、諸子百家の正体を「失業したインテリ」だと説明します。古代中国では、知識人とは王族・貴族・政治家・官僚のことで、知識のある人の仕事は政治であり、民間の知識人はほぼ存在しなかったとされています。
ところが春秋戦国時代は天下大乱で、列国の抗争によって国が滅んだり生まれたりしました。楊さんは会社がたくさん潰れる状況にたとえ、高学歴の失業者が大量に出たイメージだと話します。
失業した知識人たちは、理想や主張、そして生計のための出世願望を持って各国の君主を遊説しました。政治顧問になる人も、宰相や将軍として中枢を担う人もいました。一方で乱世を生き抜きたい国々も人材を求めており、楊さんは当時を「売り手市場」と表現します。
儒家や法家は、国家や君主のあり方、民の統治、戦争との向き合い方、人の学び方や生き方を懸命に考え、世界にコミットしようとしました。孔子は殺されかけながら弟子と流浪の旅をし、墨子は最強の防御術で弱い国を強い国の侵略から守ろうとしました。
こうした活発な諸子百家とは対照的に、道家の人たちは現実から距離を取り、空を見上げて「永遠とは何か」を考え続けていたと楊さんは語ります。楊さんは道家を「マッチョの反対側にいる人たち」と呼びます。
逆マッチョやん。
国家や統治、戦争、徳のあり方を考え、遊説や就職、教育を通じて世界に積極的にコミットした
政治の現実から距離を取り、世俗を離れて永遠や世界・宇宙の根源について考えた
楊さんは、世俗から離れた生活への憧れを心の奥で抱く現代人は多いのではないかと話します。道家の人々はその憧れを抱いただけでなく徹底的に実践し、哲学のレベルまで昇華させたのだといいます。
道家は東洋人のOSの一つ
道家の人々は具体的にどんな人たちだったのでしょうか。楊さんは、政界に入れなかった、あるいは入らなかった知識人、引退した政治家、政治闘争に呆れた知識人などを挙げます。世俗を捨て、文明の中心から距離を置いて周辺に身を置いた人々だったと考えられているそうです。
道家の人々が共有していた価値観や世界観を言語化し、理論化・体系化して、現代まで伝わる哲学に仕上げたとされるのが老子と荘子です。楊さんは、ふわっとした考え方ではなく、力を持った言葉として残ってきたと強調します。
楊さんがこのシリーズで道家を取り上げた理由は、道家的な価値観が、儒教や仏教と並んで東洋人のOSの一つになっているからです。共感するかどうかは別として、道家的な生き方を学んだり実践したりしたくなったとき、その価値観がすでに社会に選択肢として用意されているといいます。
いや、僕だから道家的な価値観が今の僕に入ってるのかどうかすらもよくわかってない。
楊さんは、樋口さんが直前の番外編で話した「今のささやかな生活の幸せに満足している」という話も、道家の思想から抽出できると指摘します。樋口さん自身もそれを「足るを知る」だと振り返ります。
さらに楊さんは、柔道や合気道で語られる「柔をもって剛を制す」も、諸説あるものの老子の中から抽出された概念だと紹介します。
へー。だから普通に僕らが使ってる言葉の中にあるんですね。道家的な価値観っていうのが。
楊さんは、老子と荘子は官僚にもならず、おそらく田舎で寝そべって空を眺め、世界と宇宙について徹底的に考えていたのに、歴史に思想を残してしまったと話します。樋口さんはそれを、古代ギリシャで樽の中で暮らしたとされるディオゲネス ── 古代ギリシャの哲学者。世俗的な富や慣習を軽蔑し、樽の中で暮らしたという逸話で知られる犬儒派の人物ですに重ねます。
人間は無限の時間に浮かぶ一点にすぎない
楊さんは、道家の人々の思想には、憧れるけれど絶対に実践できない、それでもいつかそうなれたらと思わせる強烈な磁力があると語ります。そのうえで、好き嫌いが分かれることを承知で、最初に老荘思想がよく表れた文章を紹介します。
紹介されたのは、諸子百家よりも後の漢王朝で成立した淮南子 ── 前漢の淮南王・劉安のもとで編まれた書物。道家思想を中心に、諸子百家の思想を幅広く取り込んだ百科全書的な内容を持ちますの一節です。
その一節では、自分が生まれる前にも死んだ後にも天地には無限の時間が流れ、自分は無限の天地と時間に浮かぶ一点にすぎないと述べられます。わずか数十年の命しかない人間が天下の乱れを憂えるのは、黄河の水が減ったのを悲しんで涙で水を増やそうとするようなものではないか、という内容です。
楊さんはこの一節を、人類や世界の運命は一瞬の存在である個人の力をはるかに超えた問題であり、それに心を煩わせるより、心を安らかにして動じずに生きる方法を考えたほうがよい、という意味だと解説します。
え?これ俺がさっき言ったやつやん。
楊さんは、樋口さんの中でも自覚していないOSが回っていると応じます。
楊さん自身は、この考え方には反感を抱く人も多いだろうし、自分も絶対に実践できないと認めます。それでも、生まれる前後に何億年もの時間があるのに、今この一瞬の価値観や感情に思い悩み執着することにどれほどの意味があるのか、と憧れてしまうといいます。
これは僕は古典ラジオをずっと通じて思ってきてることです。
今の一瞬の価値観によって人間が動き、悲しみ、怒り、時に狂い、何をやってるんだろうと思うことがよくあるんで、その感覚になってます、今。
楊さんは、悩み苦しんでいるときの人間の苦しみは本物だと認めつつ、いずれ自分も塵となって宇宙の粒子の一つになるだけだと考えれば執着する意味もないかもしれず、それはにわかに否定できないと話します。
でもとはいえ、目の前のお菓子食べたいし、勉強したくないしとかで、なんかぎゅっと現実に戻されて今に至ってるんですけど。
樋口さんは、宇宙の広さや何億年という時間を知ったとき、誰もが小学生の頃に一度はこうした感覚を持つのではないかと振り返っています。
老子と荘子の人物像はなぜ謎なのか?
楊さんによると、老子と荘子がどんな人物だったのかはよくわかっていません。2人は名前を知られたかったわけでもインフルエンサーになるつもりもなく、文明社会の中心から離れて暮らしていたため、人となりが記録される機会がなかったのです。
書物の『老子』や『荘子』には2人に関する逸話もありますが、史実として見るには怪しいといいます。楊さんは、わかる範囲で人間としての老子と荘子を紹介します。
老子という名前は本名ではないとされ、名は李耳だったともいわれますが確かではありません。「老」は尊称、「子」は先生を意味し、老子は「尊敬すべき年長の先生」ほどの意味だったそうです。
老子は架空の人物とも、複数の人物を統合した存在ともいわれます。周王朝の王宮の書庫で記録係として働いていたとされ、役職が世襲だったことから、記録係を代々継いだ一族の総称が老子だったという説もあります。
だから(老子が)何人いるかもわかってないんじゃない?
荘子は老子の約100年後の人物とされ、実在したと考えられていますが、生い立ちはよくわかっていません。漆畑の管理役人として働いていたという記述があり、才能を見込んだ王や諸侯からのスカウトをすべて断って隠遁し、在野の自由人として生涯を終えたと伝えられます。
なんか漆畑の管理人なのにめっちゃスカウト来るってちょっとかっこいい。
楊さんは、荘子は貧しかったとも伝わるものの、これらはあくまで逸話ベースで史実かどうかはわからないと念を押します。
荘子は老子の弟子の系譜ではありません。老子が明確に弟子を取った記述はなく、荘子は老子から影響を受けつつ独自の思想を練り上げ、後世の人から結果的に老子と並ぶ道家の一員とされたと見られています。
2人の思想を伝える書物は、『老子』と、読みが濁る『荘子(そうじ)』として残っています。ただし中国古代の書物にありがちなように、本人の言葉がどれほど含まれるかは諸説あり、後世の加筆や編集によって同じ書物の中でも矛盾する記述があるそうです。
解釈の分かれる哲学と「道」の一般的な意味
老子と荘子の思想は抽象的な哲学であるため解釈の自由度が高く、学説も多岐にわたります。楊さんは中国の学者の本も読んだうえで、今回は中国思想研究の重鎮である日本の学者、森三樹三郎先生の研究をメインに話すと説明します。戦前から活躍し、すでに故人となっている研究者だそうです。
そしていよいよ、道家の中心概念である「道」とは何かという問いに入ります。樋口さんは、歩く道のほかに、生きる道のような方向性の意味もあると答えます。
楊さんによると、「道」は中国語で「道(ダオ)」、英語では「Tao」と呼ばれます。老子と荘子が道家と呼ばれるのは、仁・義・信など古代中国のさまざまな概念のうち、「道」を中心に据えて世界の真実を語ろうとしたからです。
「道」の一般的な意味には、道路、人が正しい目標に到達するために通るべき道、人の行動を律する法や規範などがあります。茶道や剣道のように、倫理的な価値をもって進む方向や、行いが則るべき道理も含まれます。
人道に反する時の人道の道ですね。
楊さんは、「道」という言葉はすでに孔子も使っており、老子と荘子が開発した概念ではないと説明します。老子は、この既存の「道」の概念を変えて解釈したのだといいます。
殷の「帝」から周の「天」へ、徳と道が生まれるまで
楊さんは、「道」が中国の価値観の中でどう生まれたのかを王朝の変化からたどります。周王朝の前には、学術的に実在が確認されている中国最初の王朝、殷王朝がありました。
殷王朝では、天にいる最高神を「帝」あるいは「上帝」と呼びました。帝は感情や知性、意思を持つ人格神で、雨を降らせたり干ばつを起こしたりして天候を支配し、戦いの勝敗まで左右する絶対的な存在でした。
人々は帝の意思を知るために亀の甲羅を使った占いを行い、その意向を読み取って政治を進めていました。樋口さんはこれを全知全能の神のイメージだと受け止めます。
周王朝になると、最高神は帝から「天」に変わり、天と人間の関係も変化します。天はいつも人間に都合のよいことをしてくれるわけではなく、干ばつや洪水で人を苦しめることもある、という認識が出てきたのです。
そこで生まれたのが、道徳の「徳」という概念です。天の助けが欲しければ人間が徳を実践しなければならない、というように、天に人間が実践すべき徳という属性が付け加えられました。楊さんは、お天道様が見ているから拾ったお金を懐に入れると罰が当たる、という感覚だとたとえます。
お天道様って漢字で書いたら天に道や。
ポイント制度や。
楊さんによると、徳の次に出てきたのが道です。徳を総論とすれば道は各論にあたり、天に基づく倫理に対応して、地上の人間が生き方の原理として大切にすべきものが道とされました。
殷王朝
人格神である帝が天を支配し、人は亀甲占いで帝の意思を読み取って政治を行った
周王朝
最高神が天になり、天の助けを得るには人間が徳を実践すべきだという考えが生まれた
諸子百家
徳を総論として、人が従うべき各論としての道が語られ、学派ごとに解釈が多様化した
老子
道を分割する考え方を退け、根源としての道にそのまま立ち返るべきだと唱えた
道を分けるなと言った老子
諸子百家は、それぞれが「これこそが道だ」と考えるものを打ち出しました。孔子は仁や礼を、法家は法を、さらに孝を重んじる考えも語られ、これらを総称したものが道だと楊さんは説明します。
あっ、仁義礼智信みたいなものは道の中に内包されている各ジャンルなんや。
楊さんは会社経営にもたとえます。社会善という大きな目標は共通でも、人文知や飢えのない社会など、会社ごとに掲げるミッションは異なります。また道を池にたとえるなら、諸子百家がそこから水を汲み出して「これが仁」「これが礼」「これが法」と名付けている状態だといいます。
これに対して「しょうもねえ」と言ったのが老子でした。老子は、道は言葉や名前で表現できるものではなく、もともと1つの根源であって分けられないはずなのに、なぜ儒家は分けているのかと問いかけます。
老子によれば、仁義は大いなる道が廃れたから出てきたものです。家族仲が悪いから親孝行が言われるように、道徳は現実の反映にすぎない表面上の現象で本質ではなく、道の根源に立ち返るべきだというのが老子の主張です。
道から仁・礼・法・孝などを抽出し、名前を与えてカテゴライズした
道は言葉で分けられない1つの根源であり、分割せずにトータルで捉えるべきだとした
楊さんは、諸子百家はみな世界全体を見直し、その根源的で究極的な原理を探すという点では同じ思考パターンを持っていたと補足します。そのうえで老子と荘子は、道が分割されていること自体がよくないと考えました。
はいはい、統一理論みたいなのがあるみたいなね。物理、数学の話でいうと。
では、その根源としての道とは結局何なのか。楊さんはその答えを次回以降に回し、この話は左脳より右脳で聴いたほうがよいかもしれないと話します。
多分何かしながら聞いてる人、途中で道失ってますわ。道だけに。
樋口さんは、構造や仕組みはわかったものの、道とは何ぞやという中身はまだ語られていないと整理し、次回に続きます。
まとめ
老子・荘子編の第1回では、深井さん不在のなか、楊さんが道家の立ち位置と「道」という概念の成り立ちを解説しました。戦乱の時代に積極的に世界へ関わった諸子百家に対し、老子と荘子は世俗から離れ、分割できない根源としての道を問い直しました。
- 諸子百家は、春秋戦国時代の戦乱で職を失った知識人たちが、仕官や遊説を通じて活躍した集団だった
- 道家は政治の現実から距離を置き、世界や宇宙の根源を考えた人々で、その価値観は東洋人のOSの一つになっている
- 老子と荘子の人物像は謎が多く、逸話も史実かどうかははっきりしない
- 殷の「帝」から周の「天」への変化の中で徳が生まれ、その各論として道が語られるようになった
- 老子は、仁や礼などに道を分ける諸子百家を退け、根源としての道に立ち返るべきだと唱えた


