最終回は「資本論を書いた人」の人生に戻る
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前々回と前回で資本論の中身を扱った流れを受け、この最終回では書き手であるマルクス自身の人生に話を戻します。楊さんは「難しかった」と振り返る深井さんに、内容から人物へと視点を切り替えていきます。
マルクスたちの話、人生の話に戻ります。
直前までの話題は、第一インターナショナルでした。マルクスは組織を設立したわけではないものの、重要なポジションに選ばれ、第5回大会で組織が分裂して終わったと説明されています。
この第一インターナショナルの失敗のあと、まだ50代という当時としても早い時期に、マルクスの体と頭が急速に衰えていきます。エンゲルスは工場を弟に譲ってまとまったお金を得てロンドンに移り、マルクスを支え続けていました。
妻と長女を相次いで失い、病に沈むマルクス
1881年、マルクスが63歳ごろに、最愛の妻イェニーが肝臓がんで亡くなります。長く貧しい生活を共にし、マルクスを支えてきた存在の死は、彼にとって決定的だったと語られます。
妻イェニーの葬儀ではエンゲルスが言葉を述べました。他人を幸福にすることの中に自分の最大の幸福を見出した女性がいたとすれば、それはこの人だった、という追悼です。
(イェニーは)人を喜ばせるのが好きだったってことですよね。
さらに妻の死のあと、長女ジェニーも38歳で、母と同じくがんで亡くなります。自分より先に子を亡くすという不幸が重なりました。
マルクスはこの時、まだ資本論の第1巻しか出しておらず、第2巻と第3巻に向けてボロボロの体で執筆を続けていました。しかし2つの巻を仕上げる前に亡くなります。
最晩年のマルクスは、肝臓病、不眠症、気管支炎、肺炎、口内炎、肺腫瘍など、あらゆる重病を重ねていたと説明されます。妻と長女の死、インターナショナルの失敗も重なり、うつ状態でもあったといいます。
資本論の最後の数ページを書くときは、痛みで座っていられず、立ったまま執筆したと語られます。マルクスが亡くなったのは65歳でした。
亡くなる20年ほど前から、こぶし大の腫瘍が全身に広がる重い病気にかかっていたとも紹介されます。今の時代でも根治が難しい病だったのではないかと考えられています。
当時はまともな治療も鎮痛剤もなく、痛み止めの代わりにアルコールを飲まされ、常に酔ったような状態だったといいます。ヒ素なども飲んでおり、当然ながら病気は悪化しました。
エンゲルスが引き継いだ資本論と、その生涯
マルクスの葬儀に参列したのはエンゲルス、末娘のエリナ、リープクネヒトなど、ごく少人数でした。エンゲルスはアメリカの友人宛の手紙で、マルクスの死を強い言葉で表現しています。
マルクスの死後、エンゲルスは勉強を続けます。彼はメアリー・バーンズと大恋愛し、その妹リジーとも暮らしていましたが、姉メアリーは先に亡くなっていました。
1870年代末には、一緒に暮らしていた妹リジー・バーンズの体調も悪化します。リジーが死の淵にあったとき、エンゲルスは大急ぎで教会に行き牧師を呼んで、婚姻します。マルクスが亡くなる前の出来事です。
エンゲルスは身分の違いなどから関係を公表できないジレンマの中で、愛情はありながら結婚しないという選択をずっと取ってきました。無神論者で結婚式を重視していなかった彼が、リジーが亡くなる直前に式を挙げ、結婚した状態でリジーを看取ります。
なんそれ映画やん。マジ。
マルクスが亡くなってから2年後、エンゲルスによって資本論の第2部が発行されます。マルクスは大量のメモを残す「メモ魔」で、本から抜粋しコメントをつける癖があり、書き上げていない構想もそこから研究できるほどでした。
エンゲルスはその膨大なメモを読み解いて第2巻を刊行しますが、目を酷使しすぎて慢性の眼炎になります。それでもまとめられるのは自分しかいないと続け、1894年には第3部も出版しました。
その後エンゲルスは第二インターナショナルの結成に関わり、8時間労働制やメーデーの制定につながる動きの一因となります。ロンドンで初めて開かれたメーデーにも参加し、労働者運動に関わり続けました。エンゲルスは1895年、75歳でがんにより亡くなります。
驚くのはその遺産の行方です。子のいないエンゲルスの遺産を、生き残ったマルクスの子供たちと孫たちが分け合いました。血縁のないマルクス家に、次の世代まで貢献して死んでいったのです。
最後の最後までマルクス家に貢献して死んでいった。
エンゲルスは死の直前まで、会いに来る若いコミュニストたちと会い、労働者の未来は明るいと語り、若い世代を勇気づけながら亡くなったと紹介されます。楊さんはエンゲルスなしにはマルクスはなかったと強調します。
少なくともエンゲルスがいなかったら『資本論』は完成しなかったでしょうね。
マルクスの死
大量の下書きとメモが残される
死後2年
膨大なメモを読み解き第2部を刊行
1894年
慢性眼炎を押して第3部を出版
MEGAプロジェクトが掘り起こすマルクスの新しい姿
マルクスは資本論の第2巻を出せずに亡くなりましたが、生きている間に考え方はかなり先へ進んでいたといいます。それを書き表す前に亡くなったため、残された膨大な下書き・メモ・書簡を集めて研究するプロジェクトが進んでいます。
そのプロジェクトがMEGA ── マルクス・エンゲルス・ゲザムトアウスガーベの略。マルクスとエンゲルスの全集を意味し、まだ本になっていない下書きやメモも含めて世界中の研究者が編集・研究していますです。全集は出版社によっては130冊以上に及ぶといい、世界中の研究者が彼らの思考をたどっています。
その研究から見えてきたのが、マルクスがある一つのテーマに強く注目していたという事実です。それが環境問題、今でいう持続可能性でした。
マルクスは農芸化学、植物学、鉱物学、地質学など多くの分野を研究した形跡があるといいます。資本主義が動くことで、人間と自然が物質をやりとりする関係にどんな影響や矛盾が生まれるのかを、科学的に研究しようとしていたのです。
資本主義が壊す、人間と自然の関係
マルクスの理論構築に参照された2人の研究者が紹介されます。1人はユストゥス・フォン・リービヒで、有機化学の父と呼ばれ、農業によって土地が疲弊することを研究した人物です。
資本主義のロジックで農産物をどんどん作り、都市へ供給し続けると、土壌を休ませずに養分が奪われて疲弊していく。リービヒはこれを研究し、だからこそ化学肥料で土壌を補う必要があると説きました。
もう1人はカール・フラスで、人間の活動が気候に与える影響を研究した、気候変動研究の最初期の人物です。ただしこれは二酸化炭素による今の気候変動ではなく、森林伐採を原因とするものでした。
農地や住宅地の開拓、燃料や建材の確保のために森林を伐採し続けると、植物が戻らず乾燥し、極端な温度変化を経て砂漠化につながる。フラスは、文明の発展は森林伐採と両輪であり、文明は自らを滅ぼす因子を刺激し続ける構造的欠陥を抱えていると論じました。
マルクスはこの2人を中心に大量の文献を読み、メモを残します。そこから、まず労働とは人間と自然の間の物質のやりとりを媒介するものだと定義づけました。自然科学の側面から労働をとらえ直したのです。
そのうえで、環境破壊の原因はやはり資本主義にあると考えます。土地が痩せるのも森林が伐採されるのも、資本主義のロジックが駆動しているからだ、という見方です。
労働が価値を増殖させる資本主義のフォーマットにはめ込まれることで、人間と自然の物質のやりとりが資本主義的に最適化され、自然の持続可能性を無視して奪っていく。楊さんはこの構造をこう説明します。
自然のところから自然のサステナビリティを無視して、どんどん資本主義のロジックに従って奪っていく(構造だ)。
一方で、マルクスは絶望していたわけではありませんでした。彼はここで希望を捨てていなかったと語られます。
人間と自然との持続可能な関係性を構築すべきだというふうに彼は言ってるんですよ。
マルクスが最終的に提示しようとしたのは、人間が自然を支配しコントロールするのではなく、人間と自然の物質の交換の関係を意識的・合理的にコントロールすることでした。あるべき労働とは、その関係を合理的に調整しながら人間が自然に適応していくプロセスだ、という学説が近年出されています。
ただし、これらは体系的に整理された結論ではなく、膨大なメモから推測される内容だと補足されます。それでもこれだけ自然科学を研究した形跡があること自体が、我々が思っている以上にマルクスはすごいという評価につながっています。
資本主義の駆動
価値を増やすロジックが労働を最適化する
自然からの収奪
土壌の疲弊・森林伐採が進み、持続可能性が無視される
提示された希望
人間と自然の物質交換を意識的・合理的にコントロールする
久々の人間ドラマ。善意で動いた二人
ここからは、楊さんと樋口さん、収録メンバーによるシリーズの振り返りに入ります。樋口さんはまず、久々に人間ドラマが来たと語り、激動の時代を仲間と手を取り合って進む姿を「スポ根もの」にたとえます。
楊さんは、彼らの目指した社会に賛同するかどうかに関わらず、二人はものすごい善意で動いていたと指摘します。エンゲルスは一人で金持ちになれたのに労働者に寄り添い、マルクスも私利私欲では動いていなかった、という見立てです。
マルクスもやっぱり私利私欲では動いてないですよね。(当時)搾取されていた労働者を見て、そのために動いている側面はあった。
樋口さんは、なぜマルクスが資本論を書きたかったのかがまだ腑に落ちないと漏らします。これに対し楊さんは、あくまで推測としながら自分なりの理解を示します。
楊さんの見立てはこうです。ヘーゲル哲学を学びライン新聞で現実問題に直面する中で、マルクスは、他の人たちのやり方ではこの世は良くならないと分かってしまった。だから、周りのインテリに「そうじゃない」と教えないといけないというエネルギーがずっとあったのではないか、という説明です。
他の人たちが変えようとしている社会の変え方では、この世の中は良くならないということが分かってしまったと思うんですよ。彼の中でね。
マルクス自身が進化を止めず、以前の自分の考えも乗り越えていったため、途中まで一致していた人たちの考えが足りなく見えてしまう。そんな孤独の中で、唯一理解を示したエンゲルスと深い親友になったのも分かる、と二人はうなずき合います。
自分が言ってること誰もわかってくれない状態ってめちゃめちゃ寂しいですからね。
歴史上の人物を本当に理解することの難しさ
楊さんは今回の学びとして、マルクスそのものよりも「歴史上の人物を学ぶことの難しさ」を挙げます。マルクスは時代によって激しく曲解され、その衣を一枚ずつ取り払う作業が必要だったと振り返ります。
(マルクスは)本当に時代によってめちゃくちゃ曲解されてるんですよね。
樋口さんは、マルクスの考えたことをちゃんと伝えるのが大事だと感じたといいます。これほど頑張った人が勘違いされ、賞賛する人すら政治イデオロギーの中で曲解して使ってしまう。それはマルクスが最もやってほしくなかったことだろう、という思いです。
資料の読解の困難さも語られます。マルクスは英・仏・独に加え、晩年にはロシア語も学び、メモをさまざまな言語で残していました。研究者はそれらを原文で読み解く必要があるといいます。
室伏先生の視点として、マルクスの学位論文「エピクロスとデモクリトスにおける自然哲学の差異」が紹介されます。原子論をめぐる二人のわずかな違いから、マルクスは人間の自由について考え始めたといいます。
自由と人間と世界の関係を突き詰めると、社会、資本主義、商品、価値、労働へと問いが連なっていく。最初に考えたかった「自由」からどこまで遠くへ来ているのか、という点に驚きが示されます。
初めに考えたかったところからどこまで遠くに来てるんだろう、その人。
一方で、キューバで研究する立場からの視点も語られます。社会主義国家キューバにはマルクスの影響が色濃く残り、その暮らしには想像を絶する厳しさもある。善意で動いた二人の思想が、必ずしも愛のおすそ分けのようには社会に伝わらなかったという、人間の儚さが語られました。
自由
学位論文で人間の自由を考え始める
社会
自由と世界の関係から社会へ
資本主義と商品
社会を考えるため資本主義・商品へ
価値と労働
最後に価値、そして労働へたどり着く
「わかる」とは何か。評価は時代で変わる
評価の難しさも話題になります。マルクスの主張が間違っていたとされたのは結果を見ての評価にすぎず、実務でやった国が成功していれば正しいとされたかもしれない、と樋口さんは述べます。成功か失敗かは正しさだけでなく、当時の無数の要素で決まる、という見方です。
楊さんは、近年マルクスが見直されていること自体が、評価がどう転ぶか分からないことを示していると応じます。どの時点で、どこから見るかによって評価は変わるのです。
資本論を聞いて、樋口さんは「わかる」と「わからない」の境目が分からなくなったと語ります。日本語の意味は追えても、腑に落ちて理解できているかは自分でも判断できない、という戸惑いです。
これわかるとかわからないとこがわからなくなったんですよ。
資本論を完全に理解したと言う人がいても、読んでいなければ理解には届かず、たとえ三巻すべてを理解したと言っても、マルクス本人ほどは分かっていないはずだ、という論が展開されます。そこから「わかるとは何か」という問いにたどり着きます。
なんかもう簡単にわかるってもう今後一生言えなくなったっす。
この難しさを示す逸話も紹介されます。マルクスを訪ねてきた支持者が「私はマルクス主義者です」と名乗ると、マルクスは「僕は違う」と答えたといいます。世間で理解されるマルクス主義は、マルクス本人からすれば別物だった、というわけです。
バカにしない。伝え手としての誠意
楊さんは、フラットに見るとは言い換えれば「バカにしない」ことだと述べます。マルクスは賞賛されるかバカにされるかの両極に振れがちですが、バカにせず思想を見ていく姿勢こそ大事だ、という主張です。
バカにせずにその人の思想を見ていくっていう姿勢は本当にね、大事だと思う。
今回はヘーゲルにもさかのぼり、歴史チームで何度もミーティングを重ね、佐々木先生に何度も質問しては理解を確かめ直したといいます。分かったと思っても翌日に説明してみると分かっていない、という繰り返しで、最後に質問したのは収録前日でした。
間違った解説で資本論が世に流れている現状を知り、分かりやすさのために間違って伝えることはマルクスに失礼だ、と伝え手としての誠意が語られます。属人的な問題ではなく構造の問題だという核心を、崩さずに伝えようとしたのです。
番組はマルクスの思想そのものへの賛同ではなく、彼が自分の著作に注ぎ込んだ労働へのリスペクトを払っていると整理されます。自分の抽象的人間労働を使い尽くして死んだ人物への敬意です。
楊さんは、この人生を知っているからこそ資本論を無下にできないと語ります。生き様というストーリーを知ることが、研究者が止まらずに研究を続ける理由でもあり、歴史を学ぶ一つの意味なのかもしれない、とまとめられました。
次回はフリードリヒ大王。難解さを一度落とす
楊さんは、生の歴史や教育の歴史あたりからシリーズが難解さを増し、マルクス・エンゲルス編でコンテンツとしての臨界点に来たと語ります。そこで次回以降は難しさを少し落としていく方針を示します。
その補足として、広告を入れない価値にも触れられます。広告を入れていたら今回の資本論の説明はできなかった、聞いてもらえないからだ、という指摘です。正確に伝える価値は、資本主義の原理の中では実現が難しい行動だといいます。
広告を入れていたら、今回の資本論の説明は僕はできなかったと。
次回のテーマはフリードリヒ大王です。今回のプロイセンの2世代ほど前の啓蒙君主で、時代もエリアも近い珍しい人選になります。選んだ理由は、人生がエモいからだと語られました。
番組を支える人たちの呼び方も、あれこれ考えた末に「クルー」に落ち着いたと紹介されます。同じ船に乗る仲間という意味で、個人クルーも法人クルーも募集していると案内されました。
これを聞いてる皆さんもね、エンゲルスになっていただきたいと。
最初から読むにはこちら
まとめ
マルクスは妻と長女を相次いで失い、あらゆる病に沈みながら資本論を書き続けて65歳で亡くなりました。その後をエンゲルスが引き継ぎ、次の世代まで支え続けたこと、そして近年の研究が環境問題という新しいマルクス像を掘り起こしていることが語られ、シリーズは「バカにせず正確に理解する」という誠意で締めくくられます。
- マルクスは妻・長女の死とうつ、重病を重ねながら立ったまま資本論を執筆し、65歳で亡くなった
- エンゲルスは膨大なメモから資本論第2部・第3部を刊行し、血縁のないマルクス家に最後まで貢献した
- MEGAプロジェクトの研究から、マルクスが環境問題・持続可能性を科学的に研究していた形跡が見えてきた
- マルクスは人間と自然の物質交換を意識的・合理的にコントロールすべきだと考えていたと推測される
- 番組は、思想への賛否ではなくマルクスの労働へのリスペクトから、構造の問題として正確に伝えることを重視した






