権力を持たなかったから続いた?堀のない御所の謎
天皇編の第2回は、樋口さんが「天皇の特徴をもう少し詳しく聞きたい」と切り出すところから始まります。深井さんは前回話した歴史の長さに加えて、天皇が政治的な権力を持っていた時代は実はほとんどない、という点を挙げます。
まあ、歴史が長いっていう、さっきの話と、あとやっぱり、その政治的な権力を持ってた時代が実はほとんどないんです。
深井さんによると、天皇が権力を持っていたのは平安時代の初期ぐらいまでです。平安時代の中期には藤原道長 ── 平安時代中期の貴族。娘たちを天皇の后にして外戚として権勢をふるい、藤原氏の摂関政治の全盛期を築いた人物ですらが権力を握り、その後の武家政権の時代には将軍が実権を持っていました。
深井さんは、天皇が権力を持たなかったことこそが、天皇が長く続いた理由にも大きく影響していると考えています。権力を持っていれば邪魔になり、おそらく誰かに倒されていたからです。
(天皇は)ずっとあんまり権力ないんですよ。で、これもやっぱり本当はこれが長く続いたことにもすごくやっぱり影響してる。
持ってたら多分誰かに倒されてる。
この特殊さを示す例として、深井さんは武家政権時代に天皇が住んでいた京都の御所を挙げます。御所には堀もなく、倒そうと思えばいつでも倒せるような場所に、天皇は普通に住んでいたといいます。
え?なんで守らないんですか?
深井さんの答えは、誰も天皇を倒そうという発想を持っていなかったから、というものです。むしろ下手に堀を造れば、権力的には上に立っていた幕府からにらまれる、という事情もあったのではないかと言われているそうです。
なんで急にパトリオットミサイル装備し始めたんだよみたいな。
樋口さんが中国と比べてどうかを尋ねると、深井さんは中国どころか他のどの国と比べても、王が住む場所に防備がないのはありえないと答えます。中国出身の楊さんも、中国の城の守り方を例に違いを説明しました。
中国は普通に城があったら、城の周りにもう進撃の巨人じゃないですけど、もう壁を巡らせますよね。
楊さんによれば、中国では異民族や他国に攻められると、城の門を閉じて王族から一般市民までを虐殺する「屠城」が起こることもありました。こうした世界と比べると、堀すらない御所に住む天皇のあり方はまったく違うことがわかります。
武家政権時代の京都の御所には堀もなく、倒そうと思えばいつでも倒せる場所に住んでいた。倒す発想がそもそも薄く、堀を造ればむしろ幕府ににらまれた
城の周りに壁を巡らせて守る。攻め落とされると門を閉じて王族から市民までを虐殺する屠城が起こることもあった
祭祀をする王、天照大御神の子孫という特殊さ
深井さんが挙げる天皇のもう一つの特徴は、天皇が祭祀を担う存在だという点です。樋口さんが「お祭りというか…」と言葉を探すと、楊さんが「お祈り」と補いました。
神道のお祈りをしてるっていう役割があるのも、やっぱり特殊ですよね。
さらに楊さんは、天皇が神様である天照大御神 ── 日本神話で太陽を神格化した女神。高天原を治める最高神とされ、伊勢神宮の内宮にまつられていますの子孫とされていることを付け加えます。深井さんも、今の時代に「神の子孫だ」と言っている人は他の国にはいないのではないか、と天皇の特殊さを強調しました。
神の子孫だって今言ってる人はいないんじゃない?いるのかな。
天皇はどうやって生まれた?豪族の連合から「大君」へ
ここから話題は、この回の中心テーマである「天皇っていつ生まれたのか」に移ります。樋口さんは、大統領や首相とはまったく違い、代々伝わるものだとはわかるが、その成り立ちはもともと何なのか、と問いかけます。
楊さんはまず、昔は日本という国も存在せず、天皇も最初からあったわけではないと説明します。かつての日本は1つの国ではなく、各地の豪族がそれぞれの土地を治め、豪族どうしで連合を作っていました。
ちょっとお宅のところと一緒に仲良くしようねというふうに連合を作ってて。
楊さんによると、その連合の中で力を持つ人や、調整がうまく話し合いで抑えが利く人が、だんだんとリーダーになっていきました。昔は「大王」と書いて「おおきみ」と呼ばれた人たちの中から、リーダー的な人が天皇になっていった、という流れです。
一時期は大和政権 ── 古墳時代に現在の奈良県を中心とする近畿地方で成立した豪族の連合政権。のちの朝廷と天皇につながっていきますの大君たちの間で、天皇のような役割が持ち回りされていたとも言われるそうです。楊さんはこれを、今の日本の組織のリーダー選びに似ていると表現します。
今みたいにこう、次の課長はあんたねみたいな、次の社長はあんたねみたいな、まさに今の日本の組織のリーダーとちょっと似たような感じになってたと言われてるんですよね。
その中で、力を持ち、なおかつ中国大陸とのルートを持っていた先進的な人たちが力をつけ、今の天皇につながったのではないか、と楊さんは話します。ただし深井さんと楊さんは、これはあくまで一つの説で、記録が残っていないため誰にもわからないと念を押しています。
各地の豪族
1つの国はなく、各地の豪族がそれぞれの土地を治めていた
豪族の連合
豪族どうしが「仲良くしよう」と連合を作る
大君の中のリーダー
力や調整力のある人が大君の中でリーダー的存在になる。役割が持ち回りされた時期もあったとされる
天皇へ
大陸とのルートを持つ先進的な人たちが力をつけ、今の天皇につながったと考えられている
神話は現実だった?八百万の神と「マジ神」の感覚
楊さんは、天皇家は天照大御神という太陽の女神から連なる子孫だとされていると説明します。それに対して樋口さんは、リーダーシップのある人から天皇が生まれたという話と、神様の子孫という話がどうつながるのか、と疑問を投げかけます。
楊さんの答えは、昔の人は自分たちが認識していた現実を「神話」だとは思っていなかった、というものです。「神話」という呼び方は後世の人がつけたもので、そもそも日本では神と人をそれほど区別しないのだといいます。
だって普通、例えばキリスト教とかの世界だったら、神って一人しかいないんですよ。世の中のすべてのものを人間も含めて作った創造主よね。
でも日本って八百万の神じゃないですか。人も神になったりするし、ものも神になったりするし。
楊さんは、言葉にも魂が宿るという言霊 ── 言葉に宿るとされる霊的な力。口にした言葉が現実に影響を及ぼすと考える、古くからの日本の観念ですの考え方にも触れています。深井さんも、ギリシャの神々と同様に、日本では神と人の隔たりが一神教ほど大きくないと補足しました。
キリスト教などでは神は一人だけで、人間も含めて世界のすべてを作った創造主とされる
人も神になり、ものも神になり、言葉にも魂が宿るとされる。神と人の隔たりが小さい
この神と人の近さについて、樋口さんと楊さんは今の日常語を例に挙げます。スポーツの「プレー神」、「経営の神様」、「この技神ってる」、「神動画」など、日本人はすぐに「神」とつけてしまいます。
すぐ神とかつけちゃうんですよ。だからそれは昔の日本人も一緒だったと思いますよ。うわぁすげえ人がいる。マジ神やね。
深井さんは、古代の海外の王にも先祖が神様だという例は普通にあったと指摘します。しかし、そうした王の多くは途中で交代し、ローマ帝国のルーツを持ち出すような別の権威付けに置き換わっていきました。最初の神様のルーツがずっと残っているのは、天皇が交代していないからだ、と深井さんは説明します。
「本気で神とは思っていない」でも違和感がある象徴の不思議
楊さんは、今の日本人も本気で天皇陛下を神様だとは思っていないが、それでも「まあいっか」と受け入れている、と指摘します。こうした感覚は一神教の世界ではありえないといいます。
今の日本人も別に本気で天皇陛下って神様って思ってないじゃないですか。でも別にそれでもいい、まあいっかって思ってるじゃないですか。
樋口さんは、仏教の天国や地獄も本気で信じているわけではないのに、なんとなく地獄に落ちたくないから悪いことをしない、という日本人の感覚を重ねます。信じていないけれど、あるものとして従う感覚は、日本人特有なのかもしれないと話しました。
楊さんは明治憲法を例に挙げます。明治憲法 ── 1889年に発布された大日本帝国憲法の通称。天皇を国の元首とし、統治権を持つ存在と定めていましたには「天皇は神聖にして侵すべからず」という条項がありますが、楊さんによれば、これは天皇を神と言っているのではなく、尊いもの、神聖なものと表現しているにすぎません。
みんな別に天皇って神だと思ってない。でもすごく今おっしゃったように、すごい神聖なもの、すごいリスペクトすべきものって、なんとなくふわっと思ってるじゃないですか。
さらに楊さんは、中国人として日本人の感覚に接して面白いと感じる点を語ります。象徴にはあまり意味がないと言いながら、もし自分のような中国人が皇居に立って挨拶したら、多くの日本人は違和感を覚えるだろう、というのです。
象徴ってあんまり意味のないものだねってみんな言いながら、それがまた違うものに取り替えられるっていう風に想像した時に、やっぱ違和感あるよねと。これ面白いですよね。
樋口さんはここに、象徴とは何かの答えがあるのではないかと受け止めます。象徴は普段は自然にそこにあるものですが、変わると違和感がある存在だ、という理解です。深井さんは、今の天皇陛下ご自身も「象徴天皇とは何か」を深く考えておられ、一定の答えが出ている感じがする、と添えました。
天皇という言葉はいつ現れた?限られた証拠から探る起源
天皇がいつ生まれたのかについて、深井さんの結論は「わからない」というものです。そのうえで楊さんは、手がかりになる証拠を紹介します。
楊さんによると、天皇という言葉が考古学的に初めて確認できるのは、天武天皇の時代の木簡です。ただし文字として出てきたということは、それ以前から天皇という言葉が使われていたことを意味します。楊さんは、大宝律令の前に出された法令の名前をミハラ令と挙げつつも記憶があいまいで、それは日本という国名が初めて登場した時のことかもしれない、とも話しています。
深井さんは、天皇という言葉の使用時期で最も古い説は、聖徳太子のいた推古天皇の時代だと補足します。
樋口さんは、口伝は伝言ゲームのように変わるうえ、政治的に都合よく過去を塗り替えられたという説もあるので、本当にわかっていることは何一つないのではないか、と率直に問いかけます。
何一つまでいかないけど、やっぱり相当ぼやっとしてるところを限られた証拠をもとに想像していく世界ですね。
深井さんは、1500年前の時点では天皇が確実に存在し、きちんと権力を持っていたことはわかっている、と付け加えました。
武力より「まとめる人」がリーダーになる日本の根っこ
楊さんは、他の国の王と違って、天皇には武力で征服したという性格が薄いように感じると話します。みんなをなんとなくまとめられる人が天皇になっていった、というイメージを楊さんは持っています。
樋口さんはこれを会社のトップにたとえます。ガンッとまとめるタイプのリーダーもいれば、周りから「あの人を助けたいよね」と思われるタイプのリーダーもいて、天皇は後者に近いのではないか、というのです。深井さんも「おっしゃる通り」と同意しました。
力で引っ張って組織をまとめる。他国の王の武力による征服に近い
周りが「あの人を助けたい」と思って集まる。なんとなくみんなをまとめられる天皇のイメージに近い
だからそこが日本人の根底にある、あの、なんだろう、価値観だと思いますよ。
律令はなぜ根づかなかった?法より空気で動く村社会
楊さんは、このリーダー観が法律との付き合い方にも表れていると話します。日本は中国から律令を輸入し、法とルールで組織を運営しようとしましたが、大宝律令 ── 701年に制定された日本の基本法典。唐の律令を手本に、刑罰の「律」と行政の「令」で国のしくみを定めましたは後に衰退し、各地で武士などが権力を持って統治するようになりました。
律令について深井さんは、中国が作った国を治めるためのシステムだと説明します。そのうえで、日本がそれを真似したことを、身近なたとえで言い換えました。
隣の大企業がやってるその社内の制度を俺らも導入しようって導入したってことですよ。
楊さんによれば、律令は天皇に権力を集中させるために作られたルールでしたが、結局は実務に優れた藤原氏が権力を握るようになりました。ここから楊さんは、日本人は法律とは違うところの秩序に従って動いているのではないか、と考えます。
それなんかざっくり本当に簡単に例えると、もしかしてもう日本って結局村社会かもしれない。
律令の輸入
中国の律令を真似し、法とルールで国を運営しようとする
天皇への権力集中を狙う
律令は天皇に権力を集める仕組みとして作られた
藤原氏の台頭
実務に優れた藤原氏が権力を握る
律令の衰退
各地で武士などが権力を持ち、統治するようになる
なぜ日本はルールを明文化しなかったのか
樋口さんは、雰囲気で動く組織は複雑で概念的な分、難易度が高い作り方ではないかと感じます。明文化されたルールがあり、守るか守らないかで罰がある仕組みのほうが簡単に思える、というのです。楊さんも、日本は明文化しないし誰が悪いかも決めない、と応じました。
これに対して深井さんは、むしろルールにするほうが難しいと答えます。超古代の中国もおそらく明文化されたルールはなく、なんとなくやっていたはずで、中国は途中で明文化しなければ超えられない課題に直面するステージに入った、と説明しました。
明文化して全員に周知して、めっちゃ厳密に決めないと進まないみたいなことがなかなか起こらなかったんだと思うんですよ。ふわっとしとっても大丈夫だったんですよ、多分。
深井さんは、これは蔑んでいる意味ではないと断ったうえで、ふわっとしていても大丈夫だった社会だったのではないかと考えています。楊さんも、日本には明文化のニーズがなかったのかもしれない、攻められもしないし、と同意しました。
深井さんによれば、外的要因が多ければ明文化が必要になる時期はもっと早く来ていたはずです。コミュニティの中に文化の違う多民族がいれば、ルール化はより大切になります。
外から攻められる、多民族が混在して文化が違うなど課題が深刻で、厳密に決めて周知しないとまとまらない。例として、マクドナルドの接客システムのようにルールで動くアメリカ
攻められることが少なく、多民族国家的な性格も薄く文化が統一されているため、ふわっとしていても阿吽の呼吸で伝わる
アメリカとかめちゃくちゃルールで動いてるじゃないですか。マクドナルドの何、あの接客のシステムとかもそうだけど、ルールでガチガチでしょ。
文化が統一されているから阿吽の呼吸で伝わる、という深井さんの言葉で議論はまとまります。最後に樋口さんが中国出身の楊さんの詳しさに感心すると、深井さんが「もうほんと中国に帰れないです」と冗談を返し、次回へと続きました。
まとめ
天皇は最初から存在していたわけではなく、豪族の連合の中からまとめ役として立ち現れた存在だと考えられています。その起源ははっきりしませんが、権力を持たなかったことや、神と人をあいまいに扱う日本の感覚、法より空気で動く秩序観が、天皇という存在を長く支えてきたことが見えてくる回でした。
- 天皇が政治権力を持った時代は短く、権力を持たなかったことが長く続いた一因と考えられている
- 天皇は祭祀を担い、天照大御神の子孫とされる。交代しなかったため最初の神のルーツが残った
- 天皇の起源は記録が乏しく、豪族の連合から大君の中のリーダーが天皇になったという説が語られた
- 日本では神と人の境界があいまいで、「本気で神とは思わないが神聖なもの」として受け入れる感覚がある
- 律令は根づかず、日本は法より空気で動く社会だった。外的な課題が少なく明文化のニーズがなかったと考えられる





