良妻賢母ではない女学校で、野枝は何に目覚めたのか
前回、伊藤野枝は飛び級で上野高等女学校への入学を決めました。楊さんはこれを「文章の力で切り開いた人生の第一歩」と表現しています。
楊さんによると、当時の女子教育は学校制度こそ整ってきたものの、中身はまだ「良妻賢母を育てる」という古い考え方が多かったそうです。そのなかで上野高等女学校は、世の中の役に立つ学問を重視する実学精神の学校でした。
よき妻・よき母を美徳とし、そうした女性を育てる教育
世の中に役立つ学問を学ぶ実学精神を重視
上野高等女学校で野枝に強い影響を与えたのが、倫理を教えていた佐藤教頭です。佐藤教頭は授業中に気持ちが高ぶり、社会の腐敗や道徳を罵倒するような熱い人物だったといいます。
野枝は後に、佐藤教頭から自由や個人といった概念を教わり、社会の古い習わしへの反抗心が目覚めたと語っています。幼いころから感じていた目に見えない規範への違和感を、はっきり「嫌だ」と自覚できるようになったそうです。
いいね。思想強めの方に出会った。
ただし大人になった野枝は、佐藤教頭を冷静に批判してもいます。既存の道徳を批判するわりに、実際に問題が起きた場面では古い価値観にこだわっていた、つまり言葉は吐くが実践できていない、という指摘です。
同級生の証言では、野枝は目がきれいで粗野なところもある一方、文才は抜群で「足元にも及ばない」ほどだったそうです。放課後は図書館で本をむさぼり読み、学園新聞の原稿を書き、ガリ版 ── 謄写版の通称。ロウを引いた原紙を鉄筆で削って版をつくり、インクを刷り込んで印刷する簡易な方法で、学校の文書づくりなどで広く使われましたを切って配って回っていました。
英語教師・辻潤との「漫画みたいな」恋
上野高等女学校に、新しい英語教師の辻潤がやってきます。当時27歳ほどの辻潤は、裕福な家が父の病気で没落したあと、英語を独学して教師になった苦労人でした。
辻潤は流れるような英語を話し、授業では文学や思想にも話題を広げ、ピアノや尺八もプロ級だったといいます。生徒たちの間でたちまち人気者になりました。
分かりやすくモテる先生ですね。
辻潤は野枝が携わる学級新聞の担当教員になり、二人で会う機会が増えます。編集の助言をしたり、自分の原稿を渡したり、苦手な英語を教えたりする関係になっていきました。
辻潤は野枝について、成績は中くらいで学校の教えを頭から軽蔑する反抗的な学生で、生徒の間でも人気はなかったと振り返っています。それでも文章の才能には感服していたそうです。
やがて野枝は辻潤に惹かれ、登下校を共にし、放課後は音楽室でピアノを弾いて歌うようになります。友人たちの噂を、野枝はまったく気にしなかったといいます。
辻潤が野枝に与えた影響の一つが、ドイツの哲学者マックス・シュティルナー ── 19世紀ドイツの哲学者。主著『唯一者とその所有』で、個人の自我を何よりも優先する立場を示し、後のアナキズムや個人主義に影響を与えましたの思想です。自我だけが行動の規律で、外部の法律や道徳に従う必要はないという考えが、野枝の気質とぴったり合ったと楊さんは説明します。
縁談はなぜ「玉の輿」であり「束縛」だったのか
辻潤といい雰囲気になっていたころ、野枝に縁談が持ち上がります。進めていたのは、野枝を東京で預かっていた叔父の大潤助と、父の亀吉でした。
相手は隣村の須千寺の豪農の息子、末松福太郎です。アメリカに住んでいて、嫁探しのために帰国していました。末松家は野枝の卒業までの学費を負担するという話もしていたそうです。
貧しい伊藤家にとって、この縁談は客観的には玉の輿でした。しかし野枝の側から見ると、父も叔父も経済的な問題を解決する手段としてしか結婚を捉えておらず、野枝自身の意思は考慮されていませんでした。
夏休みに今宿へ帰省した野枝は、この話を唐突に聞かされてブチギレます。ここで樋口さんは、当時の感覚を確認しています。
そこでブチギレない方がもしかしたらデフォルトだった。
楊さんも、父や叔父は時代のフォーマットに沿って「いいと思って」動いていただけだと応じます。そのうえで、女学校で自由や西洋の人権思想に触れた女性たちが明治以降に現れ、世の中の古い価値観とぶつかり始めていたという構造を指摘します。
楊さんはこれを、時代で走っているソフトウェアとは違うバージョンをインストールされた女性が出てきた、と例えています。野枝は「金のために売られた」と感じ、女性記者になる夢も、農家に嫁げば叶わないと考えました。
それでも学費を出してくれている叔父への恩があり、野枝は断り切れません。当初は結婚すればアメリカに行けるという話だったため、「とりあえず結婚してアメリカで逃げ出そう」と考え、すでに家出を決心していたそうです。
仮祝言の夜の一言と、辻潤が手渡した『青鞜』
身内だけで行う仮祝言の夜、末松福太郎は「もうアメリカには帰らず、日本で農業を継ぐ」と野枝に告げます。アメリカ行きを逃げ道にしていた野枝にとって、話がまったく違う展開でした。
問題を抱えたまま東京に戻った野枝は、学校でも憂鬱な顔をしていました。心配した辻潤にすべてを打ち明けると、辻潤は一冊の雑誌を渡します。それが平塚らいてうの作った『青鞜』でした。
女性たちが自分の手で作った雑誌に、野枝は感激すると同時に惨めさも覚えます。自由な文学の世界で才能を発揮する女性たちと、愛のない結婚を強いられている自分を比べ、悔し涙を流したといいます。
その後、野枝は勝手に籍を入れられてしまいます。卒業式のあとに失踪する計画も、叔父の父の死で帰郷せざるを得なくなり崩れました。楊さんは、社会構造にハメ殺される恐怖が野枝の一生を貫くテーマだと語ります。
上野のキスと、1週間での家出
今宿へ出発する当日、野枝は辻潤と上野の美術館でデートをします。木立の中で、涙をためて震える野枝を辻潤が抱きすくめ、口づけをしたと伝えられています。
楊さんがこの場面をあえて紹介するのは、辻潤とのわずかな思い出が、野枝にとって束縛から脱出する足がかりになったからです。
今宿に帰った野枝は、一度は末松家に入ります。しかし1週間ほど福太郎とろくに口もきかずに過ごし、家出します。実家も末松家も大騒動となり、捜索願まで出されました。
縁談
父と叔父が末松家との結婚を進める
仮祝言
福太郎がアメリカに戻らず農業を継ぐと告げる
入籍
野枝の意思に関係なく籍が入れられる
家出
末松家に入って1週間ほどで家を出る
辻潤の手紙と辞表、駆け落ちの始まり
末松家は野枝の不倫を疑い、その相手として辻潤を疑っていました。それを知った辻潤は、いざとなれば自分の立場を放棄してもかまわない、あなたの味方として古いしきたりを打ち破る仕事を続ける、という手紙を野枝に送ります。
うわぁ、すごいね、結構覚悟が。
手紙を受け取った野枝は上京し、辻潤の実家に転がり込みます。辻潤の母も当初は野枝を受け入れてくれました。
しかし勤務先の校長は、卒業直後の女学生を元教師がかくまうのは許されないとして、「引き受けるなら学校を辞めてくれ」と迫ります。辻潤は辞表を出しました。楊さんによれば、辻潤はもともと教師の仕事が嫌になっていたようで、以降は生涯定職に就かなかったそうです。
自分のために職をなげうった辻潤を見て、野枝は腹をくくります。親や社会規範が決めた結婚ではなく、自由意志に基づく結婚を二人は実践しました。ただしそれは世間的にはNGで、法的に訴えられてもおかしくない駆け落ちでした。
辻潤は当時を「生まれて初めての熱烈な恋愛生活」と文章に残しており、やがて二人の間には子どもが生まれます。
働かない夫と貧困、平塚らいてうへの手紙
熱い恋愛の一方で、野枝と辻潤の生活はすぐに行き詰まります。原因は貧困で、辻潤は働こうとしませんでした。昼間から寝そべって本を読み、いつ出版されるかもわからない翻訳を続けていたといいます。
野枝は、自分のせいで辻潤が職を失ったため、強く働いてほしいとは言えませんでした。娘のようにかわいがってくれた辻潤の母も、次第に野枝へきつく当たるようになります。
さらに、まだ離婚は成立していないため、叔父夫婦が上京して末松家へ戻るよう説得し、末松家は辻潤を姦通罪 ── 妻が夫以外の男性と関係を持った場合に、妻と相手の男性を罰した旧刑法の罪。夫の告訴が必要で、1947年に廃止されましたで訴えると脅してきました。
追い詰められた野枝は、『青鞜』の平塚らいてうに、自分の生い立ちや強制されている結婚の苦痛を書き綴った手紙を送ります。らいてうは「一度遊びにおいで」と返事をしました。
実際に会ったらいてうは、激しい手紙の書き手が小柄な少女だったことに驚き、野性味と生命力にあふれた田舎の少女という印象を持ったそうです。時代の最先端にいるらいてうから「戦え」と励まされ、野枝は実家を真正面から説得しに帰る決意をします。
自殺寸前の抵抗と、叔父の土下座
実家に戻った野枝を待っていたのは、徹底した束縛でした。両親からは面子を汚すなと泣きつかれ、叔父からは学費の恩を忘れたのかと責められ、日々の行動も監視されます。野枝は絶望のあまり自殺まで考えました。
野枝は後に、古いしきたりの中で生きる人たちから見れば、自分は危険な道を平気で行く狂った人に見えただろうと振り返っています。それでも一度開いた目を閉じるような生き方はしたくない、と語っています。
粘り続けた末、ついに両親と叔父が折れ、末松家からの離縁を承諾します。叔父は結納金などを倍返しにし、紋付き袴で末松家に出向いて徹底的に土下座したそうです。
両親と叔父が面子と恩を盾に、末松家へ戻るよう迫る
両親と叔父が折れ、叔父が土下座して離縁が成立する
樋口さんは、叔父も良かれと思ってしたことなので苦しかっただろうと、叔父側の心情にも触れています。楊さんは、野枝がここでも自分の根性で突破したとまとめます。
青鞜社で書く仕事へ。当時の「上京」と「家」の重さ
再び上京した野枝は、平塚らいてうの青鞜社に出入りし、働くようになります。夫の辻潤は相変わらず本を読んで寝ていましたが、野枝は文章を書く仕事を得て、毎月のように『青鞜』に作品を載せました。
楊さんは、意に沿わぬ結婚から一気に人生が大逆転し、作家になる夢を実現させていったと語ります。
樋口さんは、当時の閉塞感の強さを想像しながら聞くと、野枝の突破のすごさが伝わると話します。特に上京のハードルは今とまったく違ったはずだと指摘しました。
今みたいにポーンって大学で東京行ってしばらく働いてポーンって帰ってきてみたいな時代ではなくて、木綿のハンカチーフみたいな、あれのもっと昔の世界だから。
楊さんは、当時の上京は今でいえばアメリカに行くくらいの感覚かもしれないと応じます。アメリカ帰りの福太郎でさえ実家に戻って家を継いだように、「家」の力も強烈でした。
野枝にとって実家や故郷、古い価値観の上で動く結婚制度は、自分の意思を殺すものでした。だからこそ全力で逃げようとした、と楊さんは説明します。
次回は、平塚らいてうと『青鞜』の話です。『青鞜』に集った女性たちは野枝と共通する人生経験を多かれ少なかれ持っており、その背景を知ることで野枝の価値観がより立体的に見えると楊さんは予告しています。
まとめ
上野高等女学校で自由や自我の思想に目覚めた伊藤野枝は、望まない縁談という時代の「当たり前」に直面し、辻潤との駆け落ちや実家との対決を経て、青鞜社で書く場所を手に入れました。その背景には、新しい価値観を持った女性と古い社会との衝突という大きな構造がありました。
- 佐藤教頭と辻潤から、自由や自我を重んじる考え方を吸収した
- 父と叔父が進めた縁談は、客観的には玉の輿でも野枝にとっては束縛だった
- 辻潤は教職を辞して野枝と駆け落ちしたが、働かず生活は困窮した
- 自殺寸前まで抵抗した末に離縁が成立し、叔父は末松家に土下座した
- 平塚らいてうの支えで青鞜社に入り、作家になる夢を実現していった



