マフムト2世はイェニチェリをどう崩したのか
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前回の回では、セリム3世が新しい軍としてニザム・ジェディードを作り、それがイェニチェリに潰された話が語られました。今回の回は、その次の次ぐらいに即位したマフムト2世の改革から始まります。
深井さんによれば、マフムト2世は先代の失敗から、イェニチェリにも地方の有力者にも頼ってはいけないと学んでいました。君主に権力を集中させなければ、国家を存続させるための改革は断行できないという考えです。
オスマン帝国の地方有力者はアーヤーン ── 18世紀ごろから力を持ったオスマン帝国の地方名士層。徴税請負などを通じて地域の実権を握り、中央の統制を弱める存在になりましたと呼ばれます。深井さんは「覚えなくていい」と前置きしつつ、この層がマフムト2世の最初の標的だったと説明します。
マフムト2世はまずイェニチェリを煽ってアーヤーンを攻撃させ、殺害や財産没収で勢力を潰していきます。深井さんは、没収した財産をイェニチェリに分けていたのではないかと推測しています。
アーヤーンがいなくなると、マフムト2世は次にイェニチェリそのものの解体に乗り出します。そのやり方を、深井さんは「すごく優秀」と評価しています。
イェニチェリの中からマフムト二世を支持する者を中心に引き抜いて、新しい軍を作って、これ(新しい軍)にイェニチェリを潰させるんですよ。
いや、ちょっとえぐ。
深井さんは、この方法ならイェニチェリ全体がまとまれなくなると解説します。内部を分断し、味方を自分の側に入れ、その味方に残りを潰させるという狡猾なやり方でした。
アーヤーンを潰す
イェニチェリを煽り、殺害や財産没収で地方有力者を排除する
イェニチェリを分断
イェニチェリの中から皇帝支持者を引き抜く
新軍に旧軍を潰させる
引き抜いた兵で新軍を作り、イェニチェリを解体させる
こうして作られた近代的な軍団が、ムハンマド常勝軍です。この時、イェニチェリは6000人ぐらい亡くなったといわれ、深井さんは元の人数はわからないとしながらも「めちゃくちゃ多い」と話します。
ニザム・ジェディード、新セクバン軍、ムハンマド常勝軍と、軍の名前が次々に変わったことについて、深井さんは右往左往ぶりの表れだと見ています。
IT化って言ったりDXって言ったりね、同じだろみたいな。
ターバンを捨ててトルコ帽へ、なぜ服装から変えるのか
マフムト2世は軍だけでなく、オーストリア、ドイツ、イギリス、フランスなどの列強に留学生を積極的に送り込みます。さらにウラマー ── イスラーム法や神学を修めた学者層。法の解釈や教育、裁判などを担い、オスマン帝国の社会で大きな権威を持っていましたを除く全官僚の服装を、スーツなどの洋装に切り替えました。
それまで官僚が使っていたターバンもやめ、トルコ帽を採用します。赤い円柱形で上から房が出ている帽子で、フェズと呼ばれます。
なんか赤い円柱形で、えっと、ピノみたいな形してますね。
深井さんによると、フェズは礼拝もしやすく、ターバンより簡単な帽子でした。そのうえで深井さんは、軍の近代化がなぜ服装から始まるのかを問いかけます。
軍の近代化は本来、銃や大砲を使うことだったはずです。それでも服装を変えたのは、文化全体を変えなければ近代化が進まないからだと、深井さんは説明します。
なぜ明治維新で鹿鳴館で踊らないといけなかったかってわかるよね。なんでスタートアップがシャツでみんな同じロゴ入れないといけないのかって、これでわかりますよね。
楊さんも、目に見えるところから変えるインパクトがあったのだろうと補足します。参考文献では、明治維新の断髪令がこの帽子の話に近い例として挙げられていたそうです。
徴税の近代化を阻んだのは技術ではなく既得権益だった
この時代のオスマン帝国では、人口調査も行われます。深井さんは、それまで中央政府が人口を把握していなかったこと自体が、地方分権的で封建的な社会だった証拠だと指摘します。
近代国家は、徴兵や徴税のために人口を中央でまとめる必要があります。マフムト2世は、イェニチェリやアーヤーンが担っていた徴税・徴兵の中間の仕事を抜き、政府がすべて担う状態を目指しました。
ところが、徴税システムの近代化はマフムト2世の時代でも実現できませんでした。深井さんは、既得権益が複雑に絡み合い、あらゆる人がそこから利益を得ている状態でバランスしていたからだと説明します。
そこ(徴税改革)の問題なんや。技術的問題っていうより、その既得権益の問題なんや。
楊さんは、税金のシステムは利害関係の塊であり、今の政府もその上に乗っているようなものだと話します。有力者がいなくなった後も、有力者がゼロになるわけではなく、残った人の既得権益は崩せなかったと深井さんは見ています。
それでも深井さんは、イェニチェリとアーヤーンという既得権益層を消したことは、マフムト2世の非常に大きな成果だったと評価しています。
ギュルハネ勅令は「イスラームに立ち返る」と言って西洋化した
マフムト2世の改革を引き継いだのが、アブデュルメジト1世です。深井さんは「皇帝の名前は覚えなくていい」と言いつつ、彼が出したギュルハネ勅令と、それに基づく改革タンズィマート ── 19世紀のオスマン帝国で進められた西洋化・近代化の諸改革の総称。1839年のギュルハネ勅令から始まり、行政・法・税制・軍などに及びましたは「すげえ重要だから覚えてていい」と強調します。
オスマン帝国は、クルアーンやイスラーム法であるシャリーアに基づいて法律や制度が作られた国でした。深井さんは、この国を「紛うことなきOSがイスラームの国」と表現します。
イスラームは思想だけでなく、社会システムのパッケージでもあります。そのため、キリスト教を土台に持つヨーロッパ風の制度を入れようとすると、激しくぶつかる部分が出てきます。
だからイスラームやめてキリスト教のシステム入れますなんか絶対言えないんですよ。
そこでギュルハネ勅令は、オスマン帝国はかつてクルアーンとシャリーアに従っていたから繁栄したが、100年ぐらい前からイスラーム法が守られなくなってダメになった、という論理を取ります。
勅令は、その改善のために新しい法が必要だとし、生命・名誉・財産の保障、徴税請負制の廃止、課税や徴兵の方法の見直しを掲げました。西洋化をイスラーム法への回帰として語った点が、この勅令の巧みさだと深井さんは説明します。
ちゃんとイスラム法の重要性が強調されて、伝統的なイスラム思想の文言をたくさん使ってるんですよね。
ギュルハネ勅令には、裁判の公開や裁判なしの処刑の禁止、財産没収の廃止も盛り込まれました。深井さんは、財産保障の考え方にはジョン・ロック ── 17世紀イギリスの哲学者。生命・自由・財産を守ることを政府の役割とする社会契約論を唱え、近代の立憲主義に大きな影響を与えましたなどの影響があると見ています。
ヨーロッパでは君主と争って勝ち取られた財産保障を、オスマン帝国では君主自身が言い出している点が「エモい」と深井さんは話します。その理由は、向こうの方が軍事的に強かったからだといいます。
スルタンは勅令に反する行為をしないことをウラマーと高官の前で神に誓い、刑法の制定、官吏への給与支給、賄賂の禁止なども文章にして諸外国の大使に告知しました。
楊さんは、この改革の背景に西洋列強からの強い圧力があったと補足します。領土を守るには列強同士の対立を利用するしかなく、西洋化を示して列強を味方につける必要がありました。
税制改革はなぜ税収減で巻き戻ったのか
ギュルハネ勅令の目玉の1つが、徴税制度の刷新でした。当時の徴税請負制では、中央政府が徴税権を他人に渡しており、請負人が勝手に徴税している状態だったと深井さんは説明します。
徴税権は非常に強い権力です。政府は新税制を施行するため、主要都市に徴税官を派遣し、ムスリムと非ムスリムの両方を対象に人口と資産の調査を始めました。
しかし、この急速な改革には従来の特権層が強く反発します。しかも税を払う側にとっても、新制度で負担が減るとは限らず、増えた地域もあったそうです。
その結果、特権を奪われたムスリム有力者が主導する反乱や、期待を裏切られた納税者の反乱が各地で起こります。税収は予想を大きく下回って減り、徴税制度は元に戻されてしまいました。
徴税請負制で、中央が徴税権を統制できていない
新税制を導入したが反乱と税収減が起こり、徴税制度が元に戻る
この徴税権にメスを入れようとすると、直近では弱くなる。この直近で弱くなるということに全員が耐えられないっていうことが起こるんですよ。
深井さんは、目の前で税金が増えたことに文句を言う権利は当然あり、それを我慢させるのは全体主義だと話します。財産の保障を掲げたこと自体が、文句を言う根拠にもなっていました。
正直、ここら辺の問題って、自分が生きてる間にメリットを享受できるかどうかが怪しい。
深井さんは、人間は仲間が割を食っているのを見ると助けようとする生き物だと続けます。楊さんはこれを部分最適と全体最適の問題とまとめ、深井さんは「手術が痛いのが嫌でやらない人」にたとえました。
何度目かの軍改革と、有力者を集める会議
税制改革が失敗する一方で、軍制改革は続きます。新しく作られたのがニザミーエ軍で、ムスリム男子に抽選式の徴兵制を敷いて兵を集める仕組みでした。
深井さんは、職業軍人ではなく国民が兵士になる方向へ進んでいる点で、ニザミーエ軍は近代的だったと説明します。樋口さんが数えるとおり、これで4つ目か5つ目の新しい軍になります。
楊さんは、少しずつでも変えられていること自体がすごいと話します。ただし、それがヨーロッパの台頭というゲームチェンジのスピードに間に合うかは別問題で、中国は間に合わなかったと付け加えています。
アブデュルメジト1世は改革の停滞を率直に認め、ムスリムと非ムスリムの代表者を各2名ずつ首都に招いて会議を開きます。深井さんは、これを幕末に阿部正弘 ── 江戸幕府の老中。ペリー来航時に諸大名や幕臣に広く意見を求め、それまで政治から外れていた層の発言力を高めるきっかけを作りましたが大名に意見を求めた動きと同じフェーズだと見ています。
外圧がやばくて、なんか改革したいけどできねえみたいになった時に、内部の有力者呼んでみんなでコンセンサス取ろうとするとかって、やっぱそれまでやんなかったのにするみたいなこと、会社とかでも多分やってると思うよ。
楊さんは、呼ばれた人たちがその場に出ることで発言力を増していく点も共通していると指摘します。深井さんは、幕末の日本とこの後のトルコは、なんとかなったパターンだと話しています。
クリミア戦争の後、帝国はケーキのように切り分けられる
ここから話は、オスマン帝国の外で何が起きていたかに移ります。楊さんによれば、改革期のオスマン帝国を取り巻く国際環境は非常に厳しいものでした。
まず、支配下にあったギリシャが独立し、そこに列強が介入して混乱します。さらにエジプトでは、楊さんが織田信長的と表現するムハンマド・アリーが現れ、エジプト・トルコ戦争を経て実質的な独立を獲得しました。
その中で起こったのがクリミア戦争です。発端はエルサレムでした。当時オスマン帝国の支配下にあったエルサレムの聖墳墓教会やベツレヘムの教会などの管理権を、カトリックに任せるようフランスが求め、オスマン帝国がこれを認めます。
当時のフランス皇帝はナポレオン3世で、この時期のオスマン帝国とつながりがありました。しかし聖地の管理権がカトリックに渡ったことに、ギリシャ正教の庇護者を自認するロシアが反発します。
深井さんは、宗教的な動機もあったとしながら、当時の列強は難癖をつけて戦争を起こすのが常だったと話します。日本も含め、帝国主義の国はみなマフィアのように振る舞っていたといいます。
オスマン政府は玉虫色 ── 見る角度で色が変わる玉虫の羽のように、どちらとも解釈できるあいまいな表現や決着のことの解決を図りますが、ロシアは納得しません。英仏の支持を得て要求を拒否したものの戦争に突入し、オスマン帝国・イギリス・フランス・サルデーニャ対ロシアのクリミア戦争になりました。
戦争はロシアの敗北に終わり、パリ条約でロシアの脅威は弱まります。しかし深井さんは、ここからが「本物の地獄の始まり」だったと語ります。
オスマン帝国がまるでケーキかのように扱われ、それを切り取ってみんなで食っていくっていう、そういう状態になっていくのがこの後の世界ですね。
それまでオスマン帝国に積極的に迫っていたのはロシアでしたが、戦争を機にイギリスとフランスも本格的に進出してきます。列強同士が競争関係にあり、ロシアの一人勝ちを嫌ったためでした。
ムスリムと非ムスリムの平等化が生んだ逆転の不公平
ロシアは、ギリシャ正教徒を保護するという名目で戦争を起こしました。オスマン帝国はその戦争動機を消すため、ムスリムと非ムスリムの平等を打ち出します。
伝統的に非ムスリムはジンミー ── イスラーム国家で庇護を受ける非ムスリムの民。信仰の自由を認められる代わりに、人頭税の支払いなどムスリムより下の立場に置かれましたと呼ばれ、ジズヤという人頭税を払いながら権利を認められていました。信教の自由があり寛容ではあったものの、ムスリムの方が上という前提がありました。
この平等化は、国内のムスリムの不満を高めます。樋口さんは、外の要因を見て全体最適を取ろうとすると内部で今幸せな人が反発するという点で、税制改革と同じ構造だと指摘しました。
さらに、制度上の平等化で非ムスリム官僚が増えていきます。深井さんが「面白いって言っちゃダメなんですけど」と前置きして紹介するのが、地域による出世のしやすさの逆転です。
ムスリムが多い。これまで優位だったが、西洋化の中で不公平感を持つ
非ムスリムが多い。ヨーロッパに近く、西洋とのハブとして出世しやすくなる
はぁ、自分が持ってると思ってたアドバンテージが逆転するからイラつくわな、それは。
深井さんは、同じ現象が今の男性と女性の関係でも起きており、男性の一部がそうした不満を口にしていると話します。
産業革命、借金、賄賂がつながる悪循環
深井さんは状況を整理します。内政では徴税とイスラームの問題が残り、外ではロシアに削られ、クリミア戦争後は英仏も迫ってくる状態でした。そこに経済的な打撃が加わります。
産業革命で生産性が上がったヨーロッパから、安価で高品質な品がオスマン帝国に流れ込みます。列強は関税をかけるなと求め、ブロック経済のような防衛策も許されませんでした。
手作業の国内産業は工場製品に太刀打ちできず、一時的に焼け野原になります。それでも戦争には金が要り、オスマン帝国は外債を発行して列強から借金をし、やがて返せなくなっていきました。
マフィアに約付けにされてずっと搾取されてる奴隷みたいになってるんですよ。
楊さんは、輸出の側でも問題が起きていたと補足します。軍事改革への巨額の予算が負担になる中、ヨーロッパ商人が原材料を買いあさり、原材料を買い負けたギルドが崩壊して製造業が衰えました。
原材料の輸出を禁止しても密貿易が広がり、役人への賄賂が横行します。賄賂を防ごうと官僚の給料を上げたものの財源がなく、貨幣を刷った結果インフレが起き、官僚は目減りした資産を補うためにまた賄賂を求めるようになりました。
原材料の買い負け
ヨーロッパ商人の買いあさりでギルドと製造業が崩壊する
密貿易と賄賂
輸出禁止をかいくぐる密貿易で役人が腐敗する
給料の引き上げ
財源がないため貨幣を刷る
インフレ
資産価値が下がった官僚が、さらに賄賂を求める
楊さんはこれを「地獄のようなエコシステム」と呼び、賄賂で太った官僚層が贅沢品に金を使うようになったと話します。深井さんは、各工程は頑張っていたものの、外部環境の変化が待ってくれなかったと振り返ります。
失敗続きの改革は、ケマルへのバトンになる
樋口さんは、人間一人ひとりが利益を求めたりリスクを避けたりすると全体がこうなるのかと問います。深井さんは、常にそうなるわけではないとしたうえで、こうした時にはそうなりやすいと答えます。
深井さんは、自由主義を否定しているわけではないと念を押します。今回見た現象は、外的環境を無視し続けた結果として再現性のあるものだという話です。
良くしようと思って頑張ったら逆効果になるとか。
それでも深井さんは、オスマン帝国は滅びてもトルコはなんとかなると強調します。失敗した改革の繰り返しで何かが積み重なり、その中からケマルが出てくるという見立てです。
このなんか一見無駄だと思われる、後世から見ると。この段階的改革みたいなのを全部すっ飛ばして(ケマルが)出てこれるかって言ったら出てこれないんですよね。
深井さんは、腐敗して終わりだと思ってからが長いこともあると話し、次回は皇帝が別の方向で政治を展開していく様子を見ていくと予告して、この回は締めくくられます。
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まとめ
今回の回では、マフムト2世による既得権益層の排除からタンズィマート、クリミア戦争、経済の悪循環までを通して、オスマン帝国が改革を重ねても外部環境の変化に追いつけなかった構造が語られました。
- マフムト2世はイェニチェリを分断して解体し、服装の西洋化など文化から近代化を進めた
- ギュルハネ勅令は、西洋化をイスラーム法への回帰として語ることで反発を抑えようとした
- 徴税改革は既得権益と短期的な痛みに耐えられず、税収減で元に戻った
- クリミア戦争後は英仏も進出し、産業革命・借金・賄賂の悪循環が帝国を追い詰めた
- 失敗に見える段階的改革の積み重ねが、のちのケマル・アタテュルクにつながるとされる







