公教育を形づくる3つの条件とは?
「教育の歴史」シリーズの最終回は、近代の公教育制度がどう始まったかという話です。前回のペスタロッチに続き、今回はその理念が国家の制度になっていく過程がたどられます。
番組の説明では、欧米各国は市民革命を経て、キリスト教会から独立した立憲君主制や議会制の政権をつくっていきます。ところが公教育が出てくるまで、初等教育的なものはおもに教会が担っていました。
教会が教育を担っていたのは、ほかに教育のコストを払える担い手がいなかったからです。しかし政府の利害と宗教的な教育の利害は必ずしも一致せず、政府にとっては不都合な状態でした。
そこで、ペスタロッチまでの人権や子どもへの理念的な教育論とあわせて、国家の必要性からも宗教から独立した教育が求められるようになります。番組では、公教育の特徴が3つに整理されます。
義務であることの理由として番組が挙げるのは、ルソー ── 18世紀フランスの思想家。『社会契約論』や教育論『エミール』で知られ、このシリーズでは近代教育の理念的な源流の一人として紹介されてきましたたちが構想した社会です。良き社会を構成する一員として、全員がそうした能力を持っていなければならないという考え方です。
ただし公教育には相当なコストがかかります。構想自体はフランス革命直後には提案されていましたが、戦争や政治的混乱、宗教対立が重なり、実現までに何十年、国によっては100年以上かかったと説明されます。
民主主義の土台か、従順な国民づくりか
近代の公教育制度の誕生によって、階級や身分に関係なく、国民全体から有能な人をリーダーとして選べる状態に近づいていきます。完璧ではないものの、門戸はかなり開かれたと番組では語られます。
この点で、公教育制度と民主主義は密接に結びついています。一方で公教育には、もう一つの論理もありました。
もう一つの論理とは、国民国家のための教育です。世界大戦のシリーズで語られたように、国民が国を運営する主体者になった結果、国民がみな兵士になっていきました。公教育は、国に従順に貢献する国民を育てる役割も担っていきます。
番組では、これはルソーたちの理念とは逆の発想だと指摘されます。もともとの発想では国は国民のためにあり、国のために国民がいるわけではありません。
良き社会の一員を育てる。身分に関係なく有能な人を選べるようにし、民主主義を支える
国に従順に貢献する国民を育てる。国民国家の兵士にもつながっていく
公教育が広がった背景としては、産業革命で社会が豊かになったことと、国家が王様や上層階級のためのものから国民のためのものへ変わったことが挙げられます。全員が国家の構成員として数えられるようになったことで、公教育へ進んでいきました。
憲法に書いたのに実現しないフランスの90年
フランスでは、フランス革命直後の1791年の憲法に、すべての市民に共通で不可欠な教育部分については無償の公教育制度を創設し組織すべきだ、という文言が入ります。全国民を対象にした無償の共通教育を政府が提供することが、いわば義務づけられたわけです。
しかしフランスの公教育は、憲法に書かれても実現しませんでした。政治的混乱のたびにさまざまな人が公教育法案を出しますが、政治状況の変化で毎回廃案になっていきます。
フランスの公教育論で大切にされたのは、まず教育の機会均等です。国家による経済的弱者への配慮がなければ教育の平等は実質化しない、という考え方で、番組ではペスタロッチ的な主張だと説明されます。
もう一つは、宗教的・政治的なイデオロギーを教育から追放し、科学的・実証的な内容に限ることです。ただ、ナポレオンたちにとって政治イデオロギーを教育から外すメリットはさほどなく、帝政や王政の復活を経て、理念は達成されないまま時間が過ぎていきます。
転機は普仏戦争 ── フランスとプロイセンの戦争。フランスが敗れ、この戦争を通じてドイツ帝国が成立しましたでの敗北でした。番組では年を1875年としています普仏戦争の年。敗戦後に第三共和制が始まり、ようやく理念に沿った教育法の整備に取りかかります。
番組では、今から140年ほど前にやっと実現したと語られ、聞き手からも「ここでやっとか」という声が上がります。
1944年まで遅れたイギリスと児童労働
イギリスの公教育はスタートが遅く、結論から言えば1944年、第二次世界大戦の終わりかけの時期です。フランスのようなダイナミックな社会変革が起きなかったことが理由として挙げられます。
イギリスの公教育は、産業革命期の児童労働の問題から始まります。工場では自動化と分業が進み、単純作業なら子どもでもできるようになりました。給料も安く済むため、子どもが使い放題の状態だったと説明されます。
最初期には、5〜6歳の子どもが1日10時間以上働かされていました。学校にも行けず、亡くなる子どももいたといいます。
こうした状況を改めるために定められたのが工場法です。工場の清潔と換気、衣服の支給、労働時間を12時間以下にすること、夜間労働の禁止、日曜日のキリスト教教育、月1回の教会通いなどが決められました。
さらに最初の4年間は、工場内の教育で、労働時間内に読書や算数の授業を受けさせることも定められます。少しだけ教育の要素が入ってきたものの、この時点ではまだキリスト教の教えも含まれていました。
5〜6歳から1日10時間以上働き、学校に行けない
9歳未満の就労禁止、13歳未満は1日9時間、1日最低2時間は学校へ出席
工場法は何度も改正され、労働時間の制限や年齢による区分が段階的に整えられていきました。児童労働を段階的に禁止し、代わりに学校へ行かせる流れが、そのままイギリスの公教育になっていったと番組では説明されます。
ランカスターのクラス分けは悪者なのか?
イギリスの教育者として紹介されるのがランカスターです。ランカスターは、大量の貧しい子どもを教えるために学級、つまりクラス分けの仕組みを考え出しました。
それまでの教室では、能力の違う子どもたちが同じ場所に集まり、先生が個別に教えていました。ランカスターが父親の家を借りて始めた学校には貧民街の子どもたちが大勢集まり、1対1の教え方では対応できなくなります。
先生を増やせば授業料の負担が上がってしまいます。そこでランカスターは、出来のいい子どもを先に教え、その子どもがほかの子どもに教える仕組みを作りました。番組では助教制度 ── 優秀な生徒を助手役として、ほかの生徒を教えさせる方式。少ない教員で多くの子どもを教えられるため、19世紀のイギリスで広まりましたと呼ばれています。
ランカスターのもう一つの工夫がクラス分けです。大きな教室に長机を並べ、1〜2本の机を1クラスにして、出来のいい生徒に見てもらう形にしました。これが今のクラスにつながっていきます。
現在では、机を並べて機械的に教える詰め込み教育は批判されることもあります。それでも当時のランカスターの方法は、貧民街の子どもたちを効率的に教育できるやり方でした。
番組では、公教育は社会に大きな負担をかけるものだと語られます。先生の給料を税金から払える社会は多くなく、ランカスターのような効率化があったからこそ、多くの子どもに教育が届きました。そのルーツにはリスペクトが必要だ、という話でまとまります。
工場経営者オーウェンが目指した国家の福祉
児童労働をさせていた工場経営者の側からも、改革者が現れます。オーウェン ── ロバート・オーウェン。19世紀イギリスの工場経営者で社会改革者。労働条件の改善や協同組合運動に取り組みましたは利己的な個人主義や資本主義を批判し、相互扶助に基づく共同社会を理想に掲げて、工場法の制定に力を尽くしました。
番組では、フランス革命期に貴族を倒そうとした貴族がいたように、自分の属する勢力を自ら壊そうとする人物が歴史にはときどき現れると語られます。
オーウェンが見た工場周辺の生活は、飲酒、借金、怠惰、貧困、不健康、犯罪にまみれたものでした。オーウェンは就労年齢の引き上げ、住宅の改良、労働時間の短縮、医療施設の整備など、労働者の福利厚生に取り組みます。
さらに工場内に「性格形成学院」を開き、昼間は労働者の子どもを受け入れました。5歳未満の託児所も併設し、親が安心して働けるようにしつつ、子どもが教育を受けられるようにしたのです。
番組が強調するのは、オーウェンが福祉の転換点にいたという点です。それまで福祉の担い手は宗教団体でしたが、オーウェンは国家の責任として国民の福祉を求めました。そのために、工場法という法律の形をとったと説明されます。
こうした流れを経て、イギリスでは無償化や宗教的中立が段階的に達成され、1944年の義務教育法のような制度にたどり着きます。
最速はプロイセン?啓蒙君主のトップダウン改革
ドイツはまた異なる形で公教育を整えました。番組では、1763年にプロイセンで世界初の本格的な初等教育令が出たと紹介されます。
プロイセンの初等教育令を出したのは、絶対王政の王でありながら新しい考えを持つ啓蒙君主でした。番組内では「ヴィルヘルム一世」と呼ばれ、第一次世界大戦期の同名の皇帝とは別人だと説明されています1763年の初等教育令を出した君主名。王がトップダウンで中央集権的に教育制度を整えていきました。
しかしプロイセンはナポレオン軍に敗れ、フランス革命以降の自由主義思想が入ってきます。占領中にはペスタロッチ主義の学校をつくる話も出ましたが、解放されると法案は廃案になり、キリスト教の暗記教材を中心とした教育課程に戻されました。
その後、プロイセンは普仏戦争でフランスに勝ち、ドイツを統一していきます。近代化の過程でビスマルク ── プロイセン、のちにドイツ帝国の首相。ドイツ統一を主導した政治家で、世界大戦シリーズにも登場しましたが学校監督法を定め、学校からカトリック関係者を追放し、教員を養成する王立師範学校もつくりました。
番組では、ドイツの公教育はトップダウン型で、ビスマルクの改革もフランスより早かったと整理されます。
王のいないアメリカで無償の学校はなぜ難航した?
アメリカは多民族国家で、ヨーロッパの旧制度を捨ててきた進歩的な人々が集まっていました。そのため公立学校の成立は早く、番組では本格的な公教育を始めたのはアメリカが最速で、その次がドイツだと説明されます。
植民地時代のアメリカには、聖書を読む必要があるピューリタンやプロテスタントが多くいました。1642年にはマサチューセッツで教育法がつくられ、親や徒弟を使う親方に子どもを教育する義務が課されます。
マサチューセッツの教育法では、50家族以上の町には小学校、100家族以上の町にはグラマースクールの設置も求められました。ただし無償ではなく、教会の管理下にある宗教色の濃い教育でした。
1700年代に入ると宗教色が薄れ、産業の発展とともに商工業者や行政官、法律家を育てる必要が高まります。ベンジャミン・フランクリンは中等教育学校の設立を提案しましたが、なかなか実現しませんでした。
教育の必要性が伝わりにくかった理由について、番組では、コストがかかるのに見返りがよくわからないからだと語られます。
(教育は)先行投資だもんね。
独立宣言の起草者トマス・ジェファソンも、民主主義を運営するにはすべての人に初等教育が必要だと主張しました。こうして無償の「コモンスクール」が構想されますが、強い反対にあいます。
- 貧民と一緒に学ばせたくないお金持ちの反対
- 子どもがいない家庭の税金を子どもに使うことへの反対
- 宗教的中立よりプロテスタント寄りを望む反対
それでも、マサチューセッツ州教育長のホレース・マンやコネチカット州のヘンリー・バーナードが粘り強く説得を続けました。
ただしアメリカの例は国家ではなく州による制度だったため、どこが最初かは見方が分かれると番組では語られます。
国語と歴史教育は誰のために生まれたのか
こうして当時の先進国で公教育が実現し、国民国家が形成されていきます。番組では、公教育が戦争に加担したと言うつもりはないとしたうえで、結果的に戦争のための兵士を育てる機関にもなったと語られます。
いろいろな地方の人を集めて戦うには、共通の言葉が必要でした。そのため標準語教育が行われ、この時代の公教育で初めて「国語」という教科が生まれたと説明されます。
さらに「私たちは何々民族だ」という定義も、歴史教育などを通じて広められました。国家の立場からすれば、国家の根幹を揺るがす人材を育てるために税金を使う理由はありません。
番組では、愛国心を育てる教育を進めすぎて世界大戦に至ったため、その後は少し緩めることになったと語られます。お金を出しているのが国である以上、国の不利益になる教育は自然とできなかった、という整理です。
日本は明治以降に先進国から近代教育を取り入れ、アジアの国々も西洋の制度を手本にしていきました。
ネアンデルタール人と「外れ値」の話
エンディングでは「人は何のために学ぶのか」という問いが投げかけられます。答えは「結局わからない」としつつ、時代によって学ぶ目的がまったく違っていた、という点で出演者の意見は一致しました。
出演者の一人は、学ぶ理由を「生き続けるため」だと考えます。人類は学び続けたからこそ、生物として今日まで生き残ってきたのではないか、という見方です。
その根拠として紹介されたのが、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の比較研究です。ネアンデルタール人は共同体で受け継いだ道具の作り方をそのまま学んでいましたが、ホモ・サピエンスには集団の中に「外れ値」の人が現れていました。
共同体で受け継いだ道具の作り方を、そのまま学ぶ
受け継ぎながらも、外れ値の人が環境に合わせて道具を工夫する
外れ値の人は、受け継ぐだけでなく自分で考え、環境や使う場面に合わせて道具を加工していたといいます。番組では、外れ値の存在が人類の生存能力に深く関わっているのではないかと語られます。
孔子もペスタロッチも、社会の正しい人間像から外れていたルソーも、外れ値でした。そうした人たちが今の当たり前をつくったと考えると、バグが生まれる種族であることこそがホモ・サピエンスの強みなのかもしれません。
別の出演者は、人類全体がどこかへ向かって進んでいて、今と遠くにあるビジョンの差を埋めるものが学びなのではないか、という感覚を語りました。各国の経緯は違っても、最後には無償の義務教育という同じ地点にたどり着いていたからです。
「全員虫けら」と社会は思いどおりに変わらない
深井さんは、人類に役割やミッションがあるという見方とは少し違う考えを示します。
僕はまあなんか全員虫けらだと思ってますけどね。
深井さんの言う「虫けら」とは、自己愛を失っているという意味ではありません。一人ひとりの影響は微々たるもので、自分を重要人物だとは思わない、という意味です。啓蒙思想以降の「社会は変えていける」という考え方に、今は違和感を持っているといいます。
やっぱり歴史勉強してつくづく思うのは、僕たちが変えたいようには変わらないんですよ、社会って。
一方で深井さんは、ルソーのような思想家がビジョンを示したとき、そこへ突き進んでいく力をホモ・サピエンス全体が持っていることには信頼を置いています。その性質が、さらに外れ値の人間を生んでいくと考えています。
ただしビジョンの評価は時代によって大きく変わります。ルソーも数年後には微妙だと言われるかもしれませんし、中国でも近代以降に「儒教に縛られすぎた」という言説が出てきたことが例として挙げられました。
理想とニーズ、どちらが教育を動かしたのか
深井さんが歴史の中に再現性を感じたのは、教育を動かしてきた2つの力です。教育はお金を払う人のニーズがなければ成り立ちません。それでも、教育はどうあるべきかという理想は、ニーズとは関係なく打ち出されてきました。
お金を払う人がいて初めて成り立つ実践。工場や国家の要請に応える教育
ニーズとは関係なく打ち出される理念。ルソーやペスタロッチのような思想
歴史を見てわかったのは、理想もニーズもどちらも必要だったということです。今の教育を形づくる因子として、どちらかが無駄だったわけではありません。
理念的なことを語る人にも、理想とは遠い実践的な教育をしている人にも意味がある。時間軸で社会を見れば、すべてが影響の因子になりうるという発見が語られました。
教育の主体は国家から離れていく
深井さんは、教育の担い手がこれほど移り変わってきたことから、そろそろ主体が国家ではなくなると考えています。国家は人々の学びのニーズを満たせなくなり、私塾のような別の担い手が増えていくという見立てです。
その背景として、インターネットによって教育コストが下がっていることが挙げられます。例として紹介されたのがKhan Academy ── サルマン・カーンが創設した非営利の教育サイト。数学などの解説動画を無料で公開し、世界中で利用されていますで、インターネットさえあれば貧困国でも質の高い教育を無償で受けられる仕組みです。
学校では生徒が先生を選べず、合わない先生に当たることもあります。説明のうまい人の動画を全員が無料で見られるなら、教えてもらうことに限ってはそちらのほうがよいかもしれない、と深井さんは語ります。
深井さんは私見だと断ったうえで、同じ年齢の子どもだけを集める必要はなく、ギルドの時代のように仕事の様子を見せる生活教育のほうがよいとも話しました。ルソーはそうしたものを遮断すべきだと言っていた、という補足も添えられています。
落ちているバトンを拾う人たち
最後に、教育の歴史は「バトンリレー」のようだという感想が出ます。それに対して深井さんは、少し違う見方を返しました。
渡すつもりないんですけどね。落ちてるバトン拾ってんだよね、みんな。
誰も拾わず落ちてんだよ。それ拾ってんだよね。
アリストテレスから始まり、宗教改革やグーテンベルク、産業革命、国民国家と世界大戦まで、多くの要素が重なって今の教育ができたと振り返られます。シリーズ全体を聴かないと理解しにくい回だったかもしれない、という声もありました。
今回の調査ではチーム全体で100冊ほどの本を読んだといいます。本を書いた人や出版した人、配信サービスやスマートフォン、イヤホンをつくった人がいなければ、この番組も届きません。出演者は、Podcastを聴くことも国家ではない教育の一つだと語り、「世界は人でできている」という言葉で締めくくりました。
まとめ
近代公教育は、無償・宗教的中立・義務という同じ条件にたどり着きながら、フランスは革命の理念、イギリスは児童労働の改善、プロイセンは君主のトップダウン、アメリカは州の教育者の説得と、国ごとに異なる道筋で成立しました。最終回は、その歴史を手がかりに、学ぶことの意味と教育のこれからを考える回でした。
- 公教育は、良き社会の一員を育てる理念と、従順な国民を育てる国家の論理の両方を背負って生まれた
- フランスは1791年に憲法へ明記しても、実現は1880年代まで待つことになった
- イギリスでは児童労働の段階的な禁止と工場法の改正が、そのまま公教育への道になった
- 理想とニーズはどちらも教育を形づくる因子であり、外れ値の人が次の流れを生んできた
- 深井さんは、教育の担い手が国家から私塾やオンラインへ移っていくと見ている





