性的同意年齢が7歳だった時代とは?
「性の歴史編」は前回まで18世紀ヨーロッパを扱い、今回でヨーロッパ編がひと区切りとなります。深井さんによると、19世紀には新しい性倫理が確立され、立場の強い男性が弱い女性を搾取することへの注意喚起が強くなっていきます。
楊さんは、これまでキリスト教が性倫理を規定してきたのに対し、人権の概念を踏まえた倫理が問われるようになったと説明します。そこで最初に問題になったのが、性行為に同意できる年齢、つまり性的同意年齢 ── 性行為への同意を有効とみなす最低年齢。参考書籍では「承諾年齢」と表記されています。なお番組説明では、本編で日本を18歳と述べた部分は誤りで、刑法上は13歳(収録当時)と訂正されていますでした。
19世紀のアメリカでは承諾年齢が10歳で、デラウェア州では7歳だったといいます。大人の男性が7歳の女の子と性行為をしても、合意とみなされてしまう状態でした。
もうセックスをした時に、もう同意したじゃないかっていう論議になっちゃうわけですよね。
楊さんは当時のレイプ裁判の例も挙げます。14歳の女性が白人男性にレイプされた事件で、判事は「よほどの強い意志の持ち主でない限り、10代の女性の誘惑から逃れることは不可能だ」として男性を有罪にしなかったそうです。
全然男側だけのロジックですね。
こうした状況を変えようと、ジョゼフィン・バトラー ── 19世紀イギリスの社会運動家。売春婦への強制検診を定めた法律の廃止運動などで知られ、初期のフェミニズムを代表する人物の一人ですらごく初期のフェミニストが、承諾年齢の引き上げを求める運動を始めます。ただし本国で議論が進む一方、インドなどの植民地での児童婚は見逃され続けたと楊さんは指摘します。
それでも承諾年齢はその後、段階的に引き上げられていきます。深井さんは、人権の概念が生まれてようやく問題として扱われるようになり、法律上も少しずつ許されなくなっていった流れだとまとめています。
ヴィクトリア朝の禁欲、なぜ揺り戻しが起きたのか
深井さんによると、性関連の本では19世紀を共通してヴィクトリア朝 ── イギリスのヴィクトリア女王の治世(1837〜1901年)を指す時代区分。産業革命を経た繁栄と、厳格な道徳観で知られますと呼んでいます。この時代はイギリスやフランスで、市民革命後に実権を握ったブルジョワジー層が新しい性倫理や概念を生み出していきました。
19世紀の性の特徴は、人権の概念が出て性が開放的になった18世紀への反動が起き、再び性規制に向かったことです。深井さんは、人類の歴史は性の解放と規制をずっと繰り返していると話します。
なんか自堕落だと思ったみたいなんですよ、前時代の。
深井さんが最も説得力があると感じた説は、啓蒙思想がもたらした「理性への信仰」です。理性は本能を抑制でき、そうする使命があると考えられ、その影響を受けた中産階級が台頭した結果、禁欲的な風潮が広がったといいます。
啓蒙思想
宗教から決別し、科学と理性への信仰が始まる
理性の重視
理性は本能を抑制できる、そうする使命があると考えられる
ブルジョワジーの台頭
その考えに影響を受けた中産階級が時代を主導する
禁欲の風潮
理性で性を抑える形ができあがる
この時代、まともな妻は子作りのためにセックスに応じるが欲情はしない、とされていました。女性の性の喜びは認められていなかったことになります。
当時の男性は女性の体に関する知識も乏しかったようです。美術批評家のジョン・ラスキン ── 19世紀イギリスを代表する美術批評家・社会思想家。ターナーやラファエル前派を擁護したことで知られますは、古典の彫像を数多く見てきたのに、妻の陰毛を初めて見てショックで痙攣を起こしたと書籍にあるそうです。ただし深井さんは、この人に限った話かもしれないとも添えています。
反セックスブームの中でスカートの丈は長くなり、女性に鶏のもも肉を出すのも下品とされました。オルガズムに達することも、今の英語の「カム」ではなく「スペンド」と呼ばれ、無駄にするという否定的な意味合いを帯びていたといいます。
楊さんは、性は文化的なものなのに、この時代に「本能側」とみなされたことが面白いと指摘します。
深井さんは、性が社会的なものだという見方は20世紀にミシェル・フーコー ── 20世紀フランスの哲学者。『性の歴史』などで、性や狂気といった概念が社会や権力によって形づくられてきたことを論じましたが始めたもので、それまでは性は本能、それを制御する理性が大切だと考えられていたと補足します。
「同性愛」の誕生と、アメリカの純潔運動
楊さんによると、現代的な意味での「ホモセクシャル」という言葉は19世紀に生まれました。それまでの同性間の関係は、友人同士や社会的な上下関係の中で行われるもので、ニュアンスが違っていたといいます。
楊さんは、この時に男女間の性愛の同性版としてホモセクシャルを規定し直し、そのうえで「おかしい」と言い始めたと考えています。深井さんは、それが科学的に病気とみなされるようになったと続けます。
同性愛を切り出して、何かフォルダとしてまとめたっていう感じですかね。
一方アメリカでは、1840年代のニューヨークは売春婦やポルノ写真、きわどい新聞であふれる自由な状態でした。そこへ遅れて反動が来ます。プロテスタントの一派だったアンソニー・カムストックが、性規制のカムストック法を制定していきました。
支持者たちは純潔運動を展開し、ニューヨーク罪悪撲滅委員会のような組織もできます。避妊を教えることや避妊そのものまで迫害の対象になり、深井さんは、宗教的な観念は弱まっても消えたわけではなく盛り返したのだと話します。
ロンドンでは、禁欲的な規制がかえって娼婦を増やしました。女性には性欲がないとされたため中産階級の夫婦がセックスレスになり、欲求不満の男性が娼婦で満たすようになったのです。
これも実態の話やな。
フロイトの登場で、性はどう「病気」にされたか
この時代に登場するのが、精神分析のフロイト ── オーストリアの精神科医で精神分析の創始者。著書『夢判断』で知られ、無意識や性的欲望が人の心に与える影響を論じましたです。深井さんによると、フロイトの大きな功績は無意識を発見したことにあります。
フロイトは、神経症的な症状の背景に無意識の欲望や性欲があるかもしれないと考えました。夢にウサギが出てくれば、ウサギは多産の象徴だから性が関係しているかもしれない、といった具合です。
あらゆることをちなみにセックスと結びつけるんですよね、フロイトは。
同時代の学者ユング ── スイスの精神科医・心理学者。フロイトと協力した後に決別し、集合的無意識などの独自の理論を築きましたは、何でも性に結びつけすぎだとフロイトと対立したといいます。深井さんは、科学の立場から性を語る動きが19世紀に本格化した象徴として、二人を挙げています。
性規制の中では「やっていい性」の範囲が狭く決められ、そこから外れた人は神経症や病気として扱われました。サディズム、マゾヒズム、フェティシズムといった言葉も、もとは一般的でない性を指す精神病理の用語として生まれたものだと深井さんは説明します。
国民軍の性病が、売春婦の人権を奪った
売春の扱いも時代とともに変わってきました。深井さんは、これまでの回を振り返りながら、19世紀には売春婦の立場がさらに弱くなったと話します。
きっかけは国民軍の誕生です。貴族同士と傭兵の戦争から、民主主義のもとで国民全員が戦う戦争へ変わり、兵士が大量に生まれました。その軍隊で性病が大流行し、責任が売春婦に押しつけられていきます。
クリミア戦争の時には兵士の3分の1が性病にかかっていたという記録もあるそうです。売春の撲滅は難しいと考えられたため、売春は合法のまま、娼婦に性病検査を徹底して義務づける政策が始まりました。
国民軍の誕生
国民全員が兵士になる可能性が生まれる
性病の大流行
クリミア戦争では兵士の3分の1が感染したという記録も
娼婦への責任転嫁
売春は合法のまま、娼婦に性病検査を義務づける
規制の骨抜き
器具の使い回しで感染が広がり、賄賂で検査を見逃される
ところが当時の医学は未熟で、同じ器具の使い回しによって検査で性病がうつることもありました。医者に賄賂を払えば見逃され、金払いのいい売春宿は守られ、規制はフリーの売春婦に向かっていきます。
誰がフリーの売春婦かは本来わからないはずですが、街の人々は気に入らない隣人を娼婦として密告することもありました。一度登録されると、本人が売春をしていなくても、毎週不衛生な検査を受けなければなりませんでした。
(娼婦として登録されると)学校とか劇場みたいなパブリックな場所に足を踏み入れられることも登録されると禁止されるんですよ。だからこの人たちに限っては人権がない状態になりますよね。
警察がいつ自宅に押し入っても文句を言えなくなったともいい、人権の時代にあって、登録された女性だけが人権の外に置かれたことになります。
科学が「正論」の顔をして差別を支えるとき
深井さんは、ナチスの優生学でユダヤ人が遺伝的に劣るとされたのと同じように、ウィーンなどでは女性について「理性がなく、肉体的欲望に弱い」ことが科学的見地から語られたと紹介します。
はいはい。また科学が使われる。
深井さんは、女性のヒステリーや感情に弱いといった言説が科学的事実のように扱われる構図は、今もほとんど変わらないのではないかと話します。楊さんは最近の例として「男脳・女脳」を挙げました。
あれどんどん研究進んでるみたいなんですけど、進めば進むほど、脳のレベルの男女差っていうのはあんまり分からなくなっていくみたいで。
楊さんは、研究途中のデータを使ってキャッチーな言説を流布する構造があったのだろうと見ています。問題は科学そのものより、それをどう使い、どう表現するかにあるという指摘です。
深井さんは、庶民は何が確からしい科学かを理解しないまま言説を信奉し、言いたいことを言う道具にしてしまう点で、科学は宗教と変わらないと述べます。宗教の時代に「女性は信仰心が薄い」と言われたことが、理性重視の時代には「女性は理性が薄い」に置き換わったというのです。
信仰心が重視され、女性は信仰心が薄いとされた
理性が重視され、女性は理性が少なく欲望に弱いと科学的に語られた
さらにアメリカでは1850年頃から約100年間、医師が合法的かつ強制的に1万3000人に避妊手術を行ったといいます。対象は犯罪者や精神疾患のある人など、社会で異端視された人たちでした。
優生学だね。
楊さんは、何を精神病とするか自体がその時代に「科学的」に決められていたと付け加えます。深井さんは、19世紀は性規制が強まり、新しい科学や医学が問題に対処しようとしたものの、今から見ればお粗末で対応できていなかった時代だとまとめています。
ヨーロッパの性は、結局何が変わらなかったのか?
ヨーロッパ編の締めくくりとして、出演者の一人は、ずっと変化を見てきたのに根底はあまり変わっていない印象だと振り返ります。深井さんは、キリスト教の登場以降は基本的に一緒なのだと応じます。
深井さんによると、キリスト教的観念が浸透すると性は罪悪とされ、タブーを犯したい欲望と規制が強弱を繰り返してきました。啓蒙思想と人権の概念で宗教が弱まり、一度は解放されたように見えたものの、実はそうではなかったといいます。
深井さんは、私たちはこの延長線上に生きていると話します。一方で、これはユダヤ教的・キリスト教的な観念であり、世界のごく一部の人が考えていたにすぎず、日本も明治以降に西洋に倣うまでは全く違う概念で生きていたと強調します。
では今の常識をどう考えればいいのか。深井さんは、だからといって完全に解放するのも危ないとも述べ、今の社会は規制の中で動いていると問いを残します。次回は中国と日本の性の歴史に移り、ヨーロッパとの違いを見ていく予定です。
まとめ
19世紀ヨーロッパでは、人権の概念が性的搾取への問題意識を生む一方、理性を重んじるブルジョワジーのもとで禁欲的な性規制が強まりました。その中で性は本能とされ、同性愛や一般的でない性が病気として切り出され、性病の責任を負わされた売春婦は人権の外に置かれます。抑圧の根拠は宗教から科学へ移っただけで、構図は今も続いていると語られています。
- 性的同意年齢はアメリカで10歳、デラウェア州で7歳とされ、初期のフェミニストが引き上げ運動を始めた
- 18世紀の性の解放への反動として、理性を重視するヴィクトリア朝の禁欲が広がり、性は本能とみなされた
- 同性愛やサディズム・マゾヒズムなどが概念として切り出され、病気として扱われるようになった
- 国民軍での性病流行を背景に娼婦への検査が義務化され、密告で登録された女性まで人権を失った
- 女性の劣位や優生学的な避妊手術が科学の名で正当化され、抑圧の根拠が宗教から科学へ置き換わった





