ゼロか100かその間か、中国の思想家は性欲をどう見た?
前回まではヨーロッパの性の歴史を扱ってきたコテンラジオは、この回から中国に舞台を移します。語り手は、中国出身の楊睿之さんです。
楊さんはまず、中国の性の歴史を1話にまとめるのは無謀だと前置きしたうえで、大まかな特徴を示します。
まずはやっぱキリスト教全盛期のヨーロッパに比べては、全体としてやっぱ性っていうのは尊重されてたんですよね。
楊さんによれば、中国では道徳や倫理の規範はありつつも、性はおおむねポジティブに捉えられていました。そのうえで、古代の思想家たちの性欲へのスタンスは大きく3つに分かれるといいます。
1つ目は老子 ── 古代中国の思想家で、道家の祖とされる人物。自然のままに生きる「無為自然」を説いたことで知られますや道家が唱えた無欲論です。欲望は心を乱し社会不安を招くので、そもそも欲望が湧くものに近づかないという、最も厳しい立場です。
2つ目は節欲論で、意外にも儒家が唱えていました。儒家は性欲を否定せず、節度と道徳を持って向き合えばよいと考えたそうです。
3つ目は縦欲論で、これも道家から出てきた流れです。欲を社会的に規制するのは自然に反しており、徳を積んでもどうせ死ぬのだから生きているうちに楽しもう、という考え方です。
なるほど。もうきれいになんかゼロと100とその間みたいな感じですね。
楊さんは、中国の性の考え方はこの3つが絡み合いながらグラデーションを作って展開したと説明します。そのなかで最も基盤として機能したのは、儒家のバランス型である節欲論だったといいます。
セックスは健康法だった?不老不死をめざす房中術
中国の性を特徴づけるもう1つの要素として、楊さんは房中術を挙げます。樋口さんが言葉の意味を補足しました。
房っていうのは寝床という意味ですね。
楊さんによれば、中国でのセックスは性欲の発散や生殖だけでなく、健康のための役割を持たされていました。
房中術は道家思想から生まれた養生術、つまり健康に生きるための思想体系の一部です。楊さんは、陰陽五行思想 ── 万物を陰と陽、木・火・土・金・水の5要素の組み合わせで説明する古代中国の世界観。医学や暦にも広く応用されましたや中国の伝統医学もこの流れを汲み、それが日本に伝わって漢方になったと話します。
房中術の究極の目的は、仙人になって不老不死を得ることでした。男は陽、女は陰で、陰陽が1つになって万物が生まれるという考えのもと、いつ、どんなセックスが健康によいかが細かく議論されたそうです。
房中術で最も重視されたのは、男性が射精しないことでした。快感を味わうことは健康によいものの、精液を出すと気が失われると考えられていたため、射精を我慢しながらセックスすることが大切にされたといいます。
射精をすると失われるという感覚は、東西を問わずある概念になってきますよね。
楊さんは、射精しないためのテクニックがマニュアルのように書かれた本もあったと紹介します。射精しそうなときに陰茎を握り、精液を脳に逆流させるという方法で、脳髄液と精液が似たものだと思われていたことが背景にあったようです。
なるほどな。でもなんかその射精した後のボーっとしたあの賢者タイムの感覚って、確かになんか出てった感覚って思ってもおかしくないなと思ってます。
なぜ宮刑は斬首に次ぐ重罰だったのか
楊さんは次に、儒教のなかでの房中術の位置づけを説明します。儒教でも性はポジティブに扱われ、その大前提には子作りの重視がありました。
儒教にはいろんな価値観があるんですけど、超大前提として子作りがめちゃくちゃ大事なんですよ。それはなぜかというと、それが親孝行になるからですよね。
儒教の論理では、子孫を絶やすと祖先を祀れなくなり、両親への親不孝にもなります。そのため子沢山が正義とされ、性欲も否定されませんでした。
生命の根源として男性器が重視された裏返しとして、中国では男性器を切る宮刑が長くメジャーな刑罰だったと楊さんは話します。宮刑は古代では斬首の次に重い刑でした。
宮刑の重さは肉体的な痛みや恥だけではありませんでした。楊さんは、跡継ぎができなくなることで、その人の存在自体が不道徳になり、先祖とのつながりも断たれてしまう点を挙げます。
子孫を残す
親孝行であり、祖先を祀るために必要
男性器を失う
跡継ぎを残せなくなる
存在が不道徳に
先祖とのつながりも断たれる
宮刑によって宦官 ── 去勢された男性の官吏。中国では宮廷の後宮などに仕え、皇帝の側近として権力を握ることもありましたが生まれたことも話題に上り、『史記』を書いた司馬遷 ── 前漢の歴史家。『史記』を著したことで知られ、武帝の怒りを買って宮刑を受けましたも宮刑を受けた有名な人物として紹介されます。室越さんは去勢されると40%ほどが亡くなったと話し、楊さんも出血多量で死ぬこともあったと補足しました。
正妻・妾・妓女・奴、女性に付けられた序列
続いて楊さんは、中国の結婚制度を説明します。もともと王族や貴族は一夫多妻でしたが、始皇帝は戸籍を整えて富国強兵につなげるという政治目的から、一夫一妻制を推進しようとしたといいます。
唐の時代には一夫一妻制が法律として整備されました。ただ、楊さんによればこれは建前で、実際には妾を囲うことが容認され、人数制限も特になく、お金のある一般の人も妾を囲っていたそうです。
楊さんは、女性が男性の束縛の対象であり所有物とされた点は西洋と同じだったと指摘します。そのうえで中国の特徴として、女性のなかにも細かな身分の違いがあったことを挙げます。
最下層の侍妾や女奴は、捕虜、貧しさから売られた女性、犯罪者の家の娘などで、家事労働と主人の性の相手を務めたといいます。人身の自由がなく、殺されても咎められない存在だったと楊さんは説明します。
国営の売春施設は、なぜ紀元前に生まれたのか
楊さんは、中国の売春の登場は非常に早いと話します。春秋時代の紀元前7世紀、斉の宰相管仲 ── 春秋時代の斉の宰相。主君の桓公を支えて斉を強国にした名宰相として知られますが、国営の売春施設を作ったといいます。
国営の売春施設を作った理由は政治的なものでした。楊さんは、男性の性欲を発散させて社会を安定させ治安をよくすることと、他国と競う時代に人材を呼び寄せ接待することの2つを挙げます。
この国営施設は他の国も競って真似たといわれます。また、妓女は贈り物として贈られることもあり、そのなかには女性だけでなく美少年が含まれることもあったそうです。
楊さんによれば、売春婦の種類も細かく分けられていました。
| 呼び名 | 所有・所属 | 主な相手や特徴 |
|---|---|---|
| 宮妓 | 宮廷 | 皇帝に歌・踊り・性を提供。生活水準は貴族並み |
| 官妓 | 国(公有) | 役人に性的サービスを提供し、贈り物にもされた |
| 営妓 | 軍隊 | 軍人に性的サービスを提供 |
| 家妓 | 貴族・官僚の家 | 私的に抱え、数百〜数千人を抱える家もあった |
| 私妓 | 民間の売春宿 | 庶民を相手にする |
家妓の人数は本来、位の高さによって決められていましたが、ほとんど守られなかったといいます。室越さんは、こうした序列や場合分けの明確さが非常に中国らしいと話し、楊さんも儒教で序列が大事な要素であることと結びつけました。
妓女に教養を仕込んだ上流階級
楊さんは、中国では名妓文学、つまり売春婦の文学というジャンルが誕生したと紹介します。上流階級にとって妓女を抱えることは、性欲を満たすだけでなくステータスであり、社交に必要な存在でもあったからです。
なので、これちょっと皮肉かもしれないですけど、彼女ら(妓女)は教育を受けられたんですよ。
上流階級の人々は、妓女を幼いころから抱え、手間とお金をつぎ込んで琴や歌、踊り、詩、囲碁、書などの教養を徹底的に仕込みました。それが最終的に、抱える側の格を上げることにつながったといいます。
室越さんは、18〜19世紀の西洋にも教養ある売春婦はいたものの、目的を持って教育していた点が全く違うと指摘します。楊さんは、こうした傾向が最も顕著だったのは文学や文化が栄えた唐の時代だったと話し、室越さんは江戸時代の花魁との共通点も挙げました。
同性愛はどこまで許されていた?
楊さんによれば、中国では同性愛にも比較的寛容でした。宮廷での男性同士の同性愛は紀元前6世紀まで遡る記録があり、皇帝の後宮では女性同士の同性愛も盛んだったといいます。
最も古い記述は、皇帝などの支配者と美少年との関係についてのものでした。春秋戦国時代には美少年と付き合うことがブームになった時期もあり、楊さんは斉の王をめぐるエピソードを紹介します。
斉の王は、身分の低い役人から色っぽい目で見つめられて怒り、役人を殺そうとしました。しかし宰相の晏嬰 ── 春秋時代の斉の宰相。簡素な暮らしと率直な諫言で知られる名臣ですが、他人の欲望を拒むのはよくないと諫めたため、王は殺す代わりに風呂で背中を流させることにしたそうです。
知識階級や貴族階級の同性愛も少なくとも3世紀まで遡り、楊さんは李白や白居易といった有名な詩人にも同性愛関係の証拠があったと話します。
宋の時代には都市の男性にも男娼による売春が広まりました。楊さんによれば、街には1万人もの男娼があふれ、男色が原因で多くの夫婦が離婚し、ついに史上初の男性売春禁止令が出されたといいます。
ただし、この禁止令の背景はキリスト教圏とは大きく異なっていました。室越さんは、西洋のような悪魔との結びつきや強迫観念ではなく、離婚が増えて秩序が乱れるのはよくない、という程度の理由だったと説明します。
一神教の強い倫理規範。悪魔と結びつけられ、共同体全体が罰せられるという強迫観念があった
夫婦の離婚が増え、社会秩序が乱れることへの対処
楊さんは、男色が好まれた理由として、法律に触れなかったことや、お金のない庶民が高価な売春婦と遊べなかったことを挙げます。また妻の立場が低く、夫が男性に走っても妻には原則として口出しする権利がなかったそうです。
纏足はなぜ「最も尊ばれたフェティシズム」になったのか
房中術と並ぶ中国独自の性にまつわる言葉として、楊さんは纏足 ── 女性の足を幼いころから布で固く縛り、小さく変形させる中国の風習。20世紀前半に廃止に向かいましたを挙げます。
纏足は、女性の両足を小さいころから木綿できつく縛り、成長を制限して無理やり小さくする人体改造です。起源は10世紀ごろで、皇帝の宮女が足を布で縛って小さくして踊ったのを皇帝が好んだことが始まりだといわれます。
楊さんは、纏足は膿が出るなど本当に痛いもので、今の中国人はほぼ皆が中国の悪癖だったと考えていると話します。そのうえで、纏足は中国独自の足フェチ文化だったと説明します。
纏足の価値観では、女性の足は小さいほど美しく、高貴で教養のある象徴とされました。小さな足の女性は床上手だと見られ、逆に足の大きな女性は身分が低いと笑われたといいます。
纏足をした女性はゆっくりしか歩けず、まともに仕事もできませんでした。楊さんは、家の外に出られず駆け落ちもできないという、行動範囲を制限する効果もあったと指摘します。
この纏足が何百年にもわたって中国で最も尊ばれたフェチズムだというふうに言われてて。
纏足された小さな足は、乳房や性器と同じくらい性欲の対象でした。男性がナンパの最後の一押しとして女性の足をつねったり、前戯として足を揉んだり匂いを嗅いだりすることが大切にされたそうです。
室越さんは、纏足をめぐる性欲を、社会的な規定によって生まれた新しい性欲だと表現しました。
朱子学の登場で、中国の性はどう変わった?
宋の時代、儒教のなかに朱子学 ── 南宋の朱熹が大成した儒教の新しい学派。宇宙の原理である「理」を重んじ、日本の江戸幕府でも重視されましたという新しい流れが生まれます。楊さんは、天の理に従って人の欲をなくすことが大きなポイントの1つだったと説明します。
朱子学という保守的な思想が国家権力と結びつき、性の抑圧が始まりました。房中術の本は不道徳だとみなされて焼かれ、女性の貞操へのプレッシャーも高まったといいます。
楊さんは、30歳前に夫を亡くした未亡人は喪に服すことを求められ、50歳まで再婚しなかった女性の一族は表彰されたと紹介します。貞節を破った女性には、一族からの追放や、川に沈める、火で焼くといった罰もあったそうです。
ただし楊さんによれば、こうした統制は完璧ではありませんでした。民間は統制しきれず、皇帝自身が淫欲にふけっていた記録も多く残っており、楊さんは「グダグダ」だったと話します。
楊さんは、近代に国民国家となって西洋文明が入り、統制色の強い共産党が政権を握って性も統制されて今に至る、というのが中国の大きな流れだとまとめました。
獣姦・スカトロ・春画まで、記録に残る多様な性
中国の性の大きな流れを語り終えたあと、出演者は記録に残る多様な性行為にも触れます。獣姦については、多くはないものの、犬や羊、ロバ、猿、馬などとの記録が各時代にあったと楊さんは話します。
室越さんは、食糞や飲尿といったスカトロの記録もあったと付け加えます。楊さんも、尿で頭を洗う人や、僧侶が排泄物とゴマや雑穀米を混ぜて食べた例、経血を飲む、かさぶたを食べるといった記録を紹介しました。
こういった変態行為でも、彼らの中にはやっぱちゃんと健康のロジックがあったっていう可能性もあります。
楊さんは、房中術のように性を健康と結びつける見方が中国では重かったため、こうした行為の背景にも健康法の文脈があった可能性を指摘します。
後宮では張形を使ったマスターベーションや、宦官による性奉仕、宦官と宮女の性行為もあったと話されています。性交の絵も多く残され、嫁入りする娘の性教育の教材として使われたといいます。
楊さんは、性交の絵には魔除けや厄除けの役割もあったと話し、日本の江戸時代の春画が火事を避けるとされたことにも触れます。
最後に室越さんは、朱子学が江戸時代の日本でも主要な学問になったにもかかわらず、日本では性の規制につながらなかったと指摘します。その違いは次回の日本編で詳しく語られることになりました。
まとめ
この回では、キリスト教圏のヨーロッパと比べて、中国では性が長くポジティブに捉えられてきたことが語られました。健康法としての房中術や子孫を重んじる儒教、儒教的な序列、教養の重視、纏足のような独自のフェティシズムと結びつきながら、性は社会のなかに組み込まれていました。宋代の朱子学によって抑圧が始まったものの、その統制は完璧ではなかったようです。
- 中国古代の性欲論は無欲・節欲・縦欲の3つに分かれ、儒家の節欲論が基盤になった
- 房中術ではセックスが不老不死をめざす健康法とされ、射精しないことが重視された
- 妾や妓女には細かな序列があり、上流階級は妓女に教養を仕込んで自らの格を上げた
- 同性愛には比較的寛容で、宋代の男性売春禁止令も秩序維持が主な動機だった
- 纏足は何百年も尊ばれたフェティシズムで、宋代の朱子学から性の抑圧が始まった


