護送に失敗した劉邦が「逃げるわ」と言い出す
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劉邦が挙兵に至る発端は、沛県から労役奉仕の人たちを目的地へ送り届ける役目でした。警察署長の立場として、犯罪者を含む人々を護送しようとしたのです。
ところが、労役を嫌がった人たちが次々と逃亡してしまいます。逃げた人たちは、アウトローとして沢のような場所へ向かったと考えられています。
目的地は骊山という場所でした。深井さんが軽く測ってみたところ、沛県から800〜900キロほどあったといいます。
お前1000キロ歩いて来てって言われるのやばくない?スケールが違って。
ほとんどの人が逃げていなくなり、劉邦は「これはもう死ぬ」と観念したそうです。そして酒を飲みながら、残った人たちに「もういいよ、どこにでも行け。俺も逃げる」と告げました。
すると逆に、護送していた犯罪者の中から10人ほどが「俺らは劉兄貴についていく」と言い出します。逃げても行き場がない者たちが、劉邦についていくという成り行きでした。
逃亡先で仲間が増える「ゆるさ」と、呂后が作ったオーラ
劉邦の集団には、悲壮感がありませんでした。深井さんは、同じ挙兵でも陳勝・呉広のような重々しさがない点を指摘します。
逃げよう逃げようって、みんなで。酒飲んで逃げよう。
劉邦には執着のなさがありました。ついてこいとも言わず、来たいなら来ればいい、どちらでもいいという態度だったと考えられています。
劉邦は沢に逃亡しますが、居場所は妻の呂后にすぐ見つかっていたそうです。移動してもそのたびに場所が知られていました。
劉邦が理由を尋ねると、「あなたの居場所の上には常にオーラのようなものが出ている」と言われ、劉邦はとても喜んだという逸話が残っています。楊さんは、これを呂后によるブランディングだと解説します。
呂后がどこで落ち合うかっていう場所を事前に劉邦と決めて、これをわざと何回も繰り返す。これによって劉邦っていうのがオーラがある人だっていうブランドを作っていったのではないか。
ブランドがあれば、それを信じて劉邦に集まる人が増えます。逃亡犯だった劉邦に「オーラがある人」という物語が付与されていったというわけです。
蕭何と曹参が県知事を説得し、劉邦を呼び戻す
劉邦が隠れている間に、陳勝・呉広の乱が起こります。各地で暴動が起き、秦の役人が殺されていきました。
沛県の県令も身の危険を感じ、陳勝集団に従うことを考え始めます。ここで登場するのが、県の役人だった蕭何と曹参でした。二人はもともと沛県の子役人にすぎませんが、後に漢帝国を支える重要人物になっていきます。
反乱を考える県令に対し、蕭何と曹参は次のように説得しました。
あなたは秦の役人でありながら秦に背こうとしていますが、それで沛の民衆を率いても、彼らはおそらく命令を聞かないでしょう。
蕭何と曹参は土地の人間ですが、県令は中央から送り込まれた人物です。だから反乱しても人はついてこない、それよりも今逃げている沛の人々を呼び戻して数百人を集め、その力で威圧すれば従うはずだ、と提案したのです。
そこで呼び戻すべき人物の名前として、劉邦が挙がりました。呼びに行かせたのは、犬の肉の解体業者だった樊噲でした。この時点では、まだ何者でもない人物です。
チンピラ集団の下に、優秀な役人がつく謎の構造
樊噲が向かうと、劉邦の集団は隠れている間に100人ほどにまで増えていました。生きていくために協力していたら、いつのまにか武装勢力のようになっていたのです。楊さんは、この時点では国を復興させるといったビジョンはなかったと補足します。
劉邦を連れてくると、県令は後悔します。連れてこられた劉邦を見て、頼りない人物だと感じたようです。
県令は城門を閉ざして防御を固め、提案した蕭何と曹参を処刑しようとします。しかし二人は城壁を乗り越えて脱出し、劉邦のもとへ身を寄せました。
チンピラである劉邦の下に、優秀な役人だった蕭何と曹参がつくという謎の構造が、ここで生まれます。呂后との結婚の頃には「大ぼら吹き」と言っていた蕭何が、この頃には劉邦を信頼するようになっていました。
矢文で県令殺しをけしかけ、県知事に擁立される
沛県は、指導者層である「不老」と呼ばれる人たちの言うことを聞く構図で統治されていました。劉邦は城壁の上の指導者層に向けて、矢文を射かけさせます。深井さんは、この文面を考えたのは蕭何だろうと見ています。
矢文の内容は、県令のために城を守り続ければ危険だ、というものでした。
諸侯が並び立って、そのうち沛を抱うるであろう。
秦の県令を立てて反乱を起こしても、独立した他の勢力から見れば県令は元来の敵であり、真っ先に殺される、という理屈です。だから今のうちに県令を殺し、子弟の中からふさわしい者を立てれば家族は守れる、と沛の人々をあおったのです。
この説得が効き、指導者層は若者たちを率いて共に県令を殺し、城門を開いて劉邦を迎え入れます。
迎え入れたのは、もともとチンピラで、労役の護送から逃げた犯罪者でした。それでも役人も民衆もこちらに呼応し、劉邦は正式に沛の県令、つまり県知事になってしまいます。
護送失敗
労役者に次々逃げられ、自分も逃亡する
仲間集め
逃亡先の沢で集団が100人規模に膨らむ
呼び戻し
蕭何と曹参の説得で、樊噲が劉邦を呼び戻す
県令殺し
矢文で沛の人々をあおり、県令を討たせる
擁立
城門を開かれ、沛の県知事に擁立される
弱小勢力の生存戦略として、項梁の傘下に入る
劉邦は何度も県令になるのを断りましたが、地域の指導者たちに強く頼み込まれ、強引に沛公に擁立されたといいます。これによってアウトローではない若者たちも劉邦の下に加わりました。
深井さんは、これを劉邦のスタートアップと表現します。非合法のチンピラ集団だったものが、沛の民に擁立されたことでオフィシャルな立場を獲得したのです。
沛県が独立しても、周囲には秦の役人が管轄する県がまだ多く残っていました。全てが反乱を起こしたわけではなく、劉邦はまだ弱小勢力です。
身の安全を図るには、これらの県と一緒に蜂起するか、制圧するしかありません。劉邦は制圧を目指しますが、兵数が足りないため、より大きな勢力と合流して兵力を得ようと考えます。
そこで劉邦は、蕭何、曹参、樊噲らとともに項梁の軍に合流します。楊さんによれば、項梁の集団は楚から起こった反乱軍の中で最も規模が大きいことを、劉邦は知っていたといいます。
もちろん対等な協力関係じゃないですよ。従属してるっていう形です。傘下に入るっていう意味です。
蕭何・曹参・樊噲・張良、劉邦を支える初期メンバー
劉邦の初期メンバーには、後の漢を支える重要人物が揃っていました。深井さんが一人ずつ紹介します。
まず蕭何です。同郷の人物で、法律に詳しく読み書きもよくできる教養人でした。名家の出ではありませんが優秀で、劉邦にたびたび便宜を図っていたといいます。
劉邦が労役者を引率する際、他の役人が300銭を渡す中、蕭何だけは500銭を贈っていたそうです。すでに特別扱いしていたことがわかります。
蕭何は実務能力が抜群で、都の咸陽への異動の話が出ても固辞しました。楊さんは、蕭何を劉邦集団のバックオフィスのトップにあたる役割だと表現します。
次に曹参です。同じく沛県の有力役人で、裁判を担当する仕事に就いていました。後に漢王朝で宰相にまで上り詰める人物です。
樊噲は、沛県で犬の肉を売る生業をしていた無骨な巨漢でした。後に劉邦を救うナイスプレーをする人物として登場します。
法律に詳しい教養人。実務でバックオフィスのトップを担う
裁判担当だった有力役人。後に漢王朝の宰相に上り詰める
犬の肉を売っていた巨漢。後に劉邦を救う場面で活躍する
名家出身の名軍師。謀略を担うブレーンとなる
始皇帝暗殺を試みた張良の執念
忘れてはいけないのが、名軍師として名高い張良です。蕭何が実務のブレーンなら、張良は謀略を作るブレーンでした。
張良の家は、5代にわたって王に仕えた名家でした。仕えていたのは韓で、祖父の代は王に、父も宰相を務めていました。ここでの韓は、漢王朝の漢ではなく、戦国七雄の韓です。
張良がまだ子供の頃、韓は秦に滅ぼされます。張良は秦への復讐を誓いました。
当時、張良の家には召使いが300人もいましたが、彼は弟が死んでも葬儀を出さないほど節約し、召使いも減らし、全財産を売り払います。その金を、始皇帝を暗殺する暗殺者を雇うために使いました。
張良は怪力の男を見つけ、重さ30キロを超える鉄槌を作ります。そして客労作という場所で、3度目の巡幸中の始皇帝を襲撃させました。鉄槌は車に命中しましたが、始皇帝は生きており、暗殺は失敗します。
始皇帝は犯人を追及しますが、張良は身分を隠して逃走し、任侠社会に身を寄せました。名前を変え、おそらくこの時に韓良から張良になったのだろうといわれています。
楊さんは、この暗殺は張良の単独犯ではないだろうと補足します。経路の把握、暗殺地点の選定、潜伏、逃走経路など、長期的な準備が必要だからです。
張良と力士の2人だけで参加するのはおそらく不可能だったんじゃないか。やっぱり背後には任侠ネットワークが機能していたんじゃないか。
容姿についての言及も残っています。歴史家の司馬遷が張良の絵姿を見た感想です。
秦王の暗殺を企てるくらいだから、大柄でゴツい人物かと思っていたら、美しい夫人のような人だった。
兵法を聞いてくれた劉邦と、立ち上がる六国
その張良が劉邦と出会ったのは、秦末の反乱が起きたときでした。任侠の徒として立ち上がった張良は、ひょんなことから劉邦と出会います。
張良は兵法を習得しており、その話をあちこちでしていたようですが、劉邦だけが真剣に耳を傾けてくれたといいます。張良はこれを天が与えた出会いだと感じ、劉邦に従うことを決めました。
劉邦自身は兵法を理解していなかったと考えられていますが、深井さんは劉邦の人を見る目を指摘します。
こいつは結構すごい奴だみたいなことが結構わかるみたいで。
こうして張良、韓信、蕭何といった顔ぶれが揃い、劉邦は項梁の傘下に入りました。一方、項羽と項梁も挙兵し、勢力は10万規模にまで大きくなっていました。
この頃、楚だけでなく、かつての国々も次々と復興していました。魏では魏国の公子だった魏咎と魏豹の兄弟が王として立ちます。
斉では、田氏の一族である田単や、従兄弟の田栄・田おらが、それぞれ王になろうとして分裂的に独立していきました。韓でも公子だった人物が王族を立てて立ち上がります。
楚も含め、魏・斉・韓、そして燕も立ち上がったことになり、六国がすべて立ち上がった形になりました。天下統一が、一旦解除されたかのような状態になったわけです。
もうガバナンスが全然効いてない状態。
一方、中央ではまだこの状況が理解されていない可能性が高いと話されます。秦の2代目皇帝は胡亥でした。次回は、李斯や胡亥、長子がどうなるかも語られる予定です。
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まとめ
この回は、労役の護送に失敗して逃亡した劉邦が、仲間を増やし、蕭何や曹参の策で県知事に擁立され、優秀な人材を従えて項梁の傘下に入るまでを追いました。国が崩れていく過程と、そこに人が集まっていく力学が語られています。
- 劉邦は労役者に逃げられ「俺も逃げる」と言うが、逆に10人ほどの仲間がついてきた
- 呂后が「オーラがある人」という物語を作り、劉邦に人が集まる下地を作った
- 蕭何と曹参の策で矢文が放たれ、沛の人々が県令を殺して劉邦を県知事に擁立した
- 弱小勢力ゆえ、劉邦は最大勢力である項梁の傘下に従属して兵力を得ようとした
- 張良は韓の名家出身で、全財産を投じて始皇帝暗殺を試みた後、劉邦と出会い従った







