厳格な父と過保護な母、ヒトラーはどう育った?
ヒトラーの子ども時代について、深井さんはまず「子供の頃から落ちこぼれだった」と紹介します。父親は税務を担当する役人で、小学校しか出ていないにもかかわらず、小卒で就ける役職としてはほぼ最高位まで出世した人物でした。
ヒトラーの父は非常に厳格で、体罰も多く、幼いヒトラーはずっと叩かれていたといいます。父は3人の女性と結婚しており、その3人目の妻がヒトラーの母です。
ヒトラーの母は、父とは正反対の、極端に過保護な人だったと深井さんは話します。その背景には、ヒトラーの前に生まれた3人の子どもが、1年のうちに病気で相次いで亡くなったという事情がありました。
(子どもが)死んでから初めて生まれた子供がヒトラーなんですよ。
いうたら4人分の愛情を一人で。
ヒトラー自身も母を深く愛していました。晩年まで母の肖像画をシカゴや別荘に飾り、著書『我が闘争 ── ヒトラーが1920年代に著した自伝的著作。ドイツ語原題は『Mein Kampf(マイン・カンプ)』で、自身の生い立ちや政治思想が書かれています』でも「父は尊敬し、母には愛を感じている」と書いています。
小卒から出世した役人。厳格で体罰が多く、愛情を注がず、公務員になるよう強いた
3人の子を亡くした後に生まれたヒトラーを溺愛する、極端に過保護な人
この両極端な両親の間で育ったことが、ヒトラーの幼少期の大きな特徴だと深井さんは整理しています。
落ちこぼれの少年は、なぜニートになったのか
ヒトラーは幼い頃から芸術に興味を持っていましたが、父は「公務員になれ」と言って、実務系の学校に無理やり入れます。興味のない分野で、しかも家から遠い学校だったため、ヒトラーは友達を作れませんでした。
深井さんによれば、ヒトラーが人間関係をうまく築けなくなっていくのは、この小学校の頃からです。成績も悪く落ちこぼれでしたが、ヒトラーはそれを全部先生のせいにし、大人になっても「教師はクソだ」と言い続けていたといいます。
なんかだからもうそこから怒りの源みたいなものが。
深井さんは、ヒトラーが父を嫌っていたにもかかわらず、成長後は父にそっくりになった点も指摘します。厳格で人に厳しく、女性差別が激しく、権威主義的という父の性質を、ヒトラーはすべて受け継いでいたといいます。
16歳ごろに父が亡くなると、ヒトラーは学校に行く理由を失い、退学します。その後は母と叔母のすねをかじり、家事も母・叔母・妹に任せて自分は何もしない、本当の意味でのニート生活に入りました。
マジ、マジニート。
芸術好きの息子のために母はグランドピアノを買い与えますが、ヒトラーはたまに触る程度で練習はしません。絵も気の向くままに描いてはやめる調子で、訓練しないため大きくは上達しなかったといいます。
(ヒトラーは)人物画が描けないんですよ。なんか人間を描けない。ずっと建物しか描けない。
深井さんは、ヒトラーの人生の特徴として、愛情を注がれる経験がとても少ないことを挙げます。母が最後で、のちの恋人ゲリーやエヴァとの関係も、どこかいびつなものだったといいます。
夜になるとヒトラーは人のお金でオペラに通い、自分はできもしないのに作品をボロクソに論評していました。この「評論家気取り」の姿に、楊さんと深井さんは「昔の自分もそうだった」と笑い合います。
でも俺もそんなそんな昔そんな感じだった気がする。
ウィーン芸術アカデミーに落ち、親友と縁を切る
ヒトラーが「落ちるところまで落ちる」きっかけは、ウィーン芸術アカデミー ── オーストリアの首都ウィーンにある美術学校。18世紀に起源を持つ、ヨーロッパでも歴史ある芸術教育機関ですの受験でした。叔母から今でいう1000万円ほど、2年間は自由に過ごせるお金を借り、事前にウィーンへ移り住んで受験に備えます。
ヒトラーは「こんなに才能のある自分が落ちるわけがない」と合格を確信していました。当時のヒトラーには、人生でほぼ唯一の親友クビツェクがいて、ヒトラーの論評に素直に感心してくれるため、2人は一緒に住むほど仲良くなります。
ところが2人でウィーン芸術アカデミーを目指した結果、ヒトラーは落ち、クビツェクは合格します。
もう言うね、答え。言っちゃうね。クビツェクと縁切るよ。
プライドの高いヒトラーは、ある日急に部屋からいなくなってしまいます。翌年も受験しましたが2回とも不合格で、最終的には「ウィーン芸術アカデミーはクソ」と言い放ったといいます。
その後ヒトラーはホームレスにまで落ちます。叔母からお金はもらっていたため、貧困が理由ではなく、オーストリアでの兵役を逃れるためだったという説もあると深井さんは紹介します。
ヒトラーはオーストリア国籍でしたが、ドイツ人としての自覚が強く、オーストリアで従軍したくないと考えていたようです。ただし意図的だったかどうかは諸説あり、今ではわからないとされています。
18〜20歳ごろのヒトラーは、絵を売って日銭を稼ぎ、家も家具もなく、服は1着だけという生活でした。雪かきのバイトをしても、コートがないため長く続けられなかったといいます。
今んとこだって友達いない、学校落ちて仕事もできない、家ないでしょ。やばいですね。
だけど俺はできるって思ってるわけ。
第一次世界大戦は、なぜあれほど悲惨になったのか
何も起こらなければ、ヒトラーはそのまま終わっていたかもしれないと深井さんは言います。そこで訪れた転機が、第一次世界大戦の勃発でした。
深井さんによれば、第一次世界大戦を始めた時点では、これほど長く大量に人が死ぬ戦争になるとは誰も思っていませんでした。それまでの戦争は騎馬隊がぶつかり、1〜2割が死んだら解散するようなもので、全滅するまで戦う発想はなかったといいます。
第一次世界大戦を変えたのは、大量殺戮兵器の技術でした。とくに機関銃は、1個師団を数分で壊滅させられるほどの威力があり、それまでありえなかったことだったと深井さんは説明します。
当時のヨーロッパは100年ほど大きな戦争がなく、戦争を知る世代がいませんでした。イギリス人なども数週間から数か月で終わると考え、踊りながら戦地に向かう映像が残っているといいます。
お祭り。
しかし実際の第一次世界大戦は、驚くほど悲惨でした。機関銃で人が死にすぎるため兵士は塹壕 ── 敵の攻撃から身を守るために地面に掘る溝。第一次世界大戦の西部戦線では、長大な塹壕が両軍の間に築かれましたを掘って隠れながら少しずつ進むようになり、戦争は長期化します。
湿った泥の中で寝泊まりするため足が腐ることもあり、やめ時もわからないまま死者が増え続けました。塹壕戦を終わらせるために、戦車、飛行機による爆撃、毒ガスといった新兵器が次々に登場します。
機関銃の登場
1個師団を数分で壊滅させられる兵器が戦場に出る
塹壕戦
死者が多すぎるため穴を掘って隠れ、少しずつ進む戦い方になる
長期化
泥の中の過酷な生活が続き、やめ時もわからなくなる
新兵器
塹壕戦を終わらせるため戦車・爆撃・毒ガスが登場する
伝令兵ヒトラーが、軍隊で見つけたもの
この泥沼の戦場で、ヒトラーは戦地と司令本部の間を行き来する伝令兵として従軍します。そして軍隊で初めて、友達を得て、チームで働き、何かに帰属する経験をしました。
共通の目的があるから。
祖国のために頑張ることへの意欲が強かったヒトラーは、命がけで任務に励みます。昇進はなく「あまり頭がよくない」という評価だったものの、それまでの人生と比べれば、周囲から初めて認められたといいます。
深井さんは、ヒトラーが軍隊の中に自分の居場所を見出したと表現します。樋口さんは「戦争で頑張れば自分が自分であれると思ってしまった」と受け止め、深井さんも一面ではそうだったのだろうと応じています。
友達がほぼおらず、受験に失敗し、家もない。認められないのは世の中のせいだと思っている
軍隊で仲間とチームを得て、祖国のために働くことで初めて認められ、居場所を見出す
敗戦の怒りから生まれたナチス、作ったのはヒトラーか?
第一次世界大戦はドイツの敗北で終わります。その後に結ばれたヴェルサイユ条約 ── 1919年に締結された第一次世界大戦の講和条約。ドイツに領土の割譲、軍備制限、巨額の賠償金などを課しましたで、ドイツは戦勝国から徹底的に追い詰められました。
深井さんによれば、とくにフランスはドイツを二度と戦争のできない国にしようと、国力を削げるだけ削ぐ考えでした。ドイツは皇帝ヴィルヘルム2世のいる帝国から、共和制・民主主義のワイマール共和国に変わり、凄まじい賠償金を課されます。
当然ドイツ人は怒ります。この敗戦の怒りのエネルギーから生まれたのがナチスだと深井さんは話します。
ナチスってヒトラーが作ったんですか?
ではないです。作ったのはヒトラーじゃないです。
よく誤解されますが、ヒトラーはナチスの創設者ではなく、7番目ぐらいのメンバーだったと深井さんは説明します。途中からトップになったものの、当初は別の人物が率いていました。
楊さんは、ヒトラー個人だけでなく時代背景が必ずセットになっていると指摘します。ナチスは世論に強く支えられ、民主主義の中で独裁政権になっていったと深井さんも補足しています。
やっぱその時代背景があるから、ヒトラーがやっぱり存在感というか、歴史の中で役割を持たされたっていう考え方もやっぱありますよね。
ニートだったヒトラーが居場所を見つけるところまでで今回は終わり、次回は独裁者の地位にのぼりつめるまでの話が予告されています。
まとめ
ヒトラーの若き日は、厳格な父と過保護な母のもとでの生い立ち、学校での挫折、ニートとホームレスの生活と、認められない経験の連続でした。そのヒトラーが初めて居場所を得たのが第一次世界大戦の軍隊であり、敗戦後のドイツの怒りからナチスが生まれていきます。
- 父は小卒から出世した厳格な役人、母は3人の子を亡くした後のヒトラーを溺愛した
- 学校で落ちこぼれ、退学後はニートとなり、失敗を先生や学校のせいにし続けた
- ウィーン芸術アカデミーに2回落ち、合格した親友クビツェクと縁を切り、ホームレスにまで落ちた
- 第一次世界大戦の伝令兵として、初めて仲間と居場所を得て認められる成功体験をした
- ナチスはヴェルサイユ条約後のドイツの怒りから生まれ、ヒトラーは創設者ではなかった





