ハーバードから楽天最年少役員、そして量子コンピュータの社長へ
番外編のゲストは、QuEra Computingのプレジデント兼取締役の北川拓也さんです。プロフィールにはハーバード大学での数学物理学専攻や、トポロジカル物質 ── 原子の並び方や電子の状態によって、表面などに特別な性質が現れる物質。量子コンピュータなどへの応用が研究されているを産業化するトポロジックの共同創業などが並びます。
あまりに専門的なプロフィールに、コテンラジオの3人は言葉を失います。理系の大学を出ている樋口さんも「全くわかんない」と正直に反応しました。
深井さんは北川さんと同い年で、27歳のころに北川さんが楽天で最年少役員に就任したニュースを見て強く印象に残っていたと振り返ります。当時はまだ友人ではなかったといいます。
僕二十七ぐらいの時だったかな。最年少役員に二十七歳が楽天で就任したってニュースになったんですよ。その時のニュースを見て、自分が二十七の時に、同い年じゃんってなったのすげえ覚えてる。
北川さんはその後、楽天で執行役員としてチーフデータオフィサーやグローバルの所長を務め、数年前に渡米。現在は量子コンピュータの会社QuEra Computingの社長を務めています。
深井さんが今回のゲストに北川さんを選んだ理由は、直前に収録した技術の歴史シリーズの延長線上にありました。生成AIは情報を集めやすい一方、量子コンピュータは本が多く出ていても実態がつかみにくいと感じていたといいます。
量子コンピューターという言葉自体は多分もうこれ聞いてるほぼ全員が知ってると思うんですけど、実態を説明できる人はほぼいない。
量子コンピュータとは何か?「この世界を再現するパソコン」
樋口さんの「高校生でもわかるぐらいに教えてほしい」というリクエストから、北川さんの解説が始まります。まず「量子」という名前は量子力学 ── 原子や電子など、非常に小さな世界の振る舞いを扱う物理学の理論。私たちの日常的な感覚とは違う原理で成り立っているとされるから来ていると説明されました。
物事をどんどん小さくしていくと、まったく違う原理で成り立っているらしいと気づいた科学者たちがいました。アインシュタインやニールス・ボーアといった有名な科学者たちです。その結果わかったのが、今のパソコンではこの世界を再現できないということでした。
人間はこの世界の仕組みを理解したり、構造を良くしたりするためにシミュレーションをしたいと考えます。たとえば建物を建てる前にシミュレーションできれば、トライアンドエラーを繰り返さずに一発で建てられるようになります。
ところが、今のパソコン、つまり古典コンピュータ ── 量子力学を使わない、現在私たちが使っている一般的なコンピュータのこと。量子コンピュータと対比してこう呼ばれるで量子力学を計算しようとすると、何兆年もかかることに物理学者たちは気づきます。この問題を指摘したのが、物理学者のファインマンでした。
ファインマンの発想はシンプルでした。量子力学のせいで再現できないのなら、量子力学を使ったパソコンを作ればいいというものです。これが量子コンピュータというコンセプトの出発点になりました。
ノーベル賞級の発見が「5分に1回」?科学が一万倍加速する未来
量子コンピュータがなぜ重要なのか。北川さんは、これまでの科学の発見の多くが実験によって見つかってきた点に注目します。化合物の発見も、新しい物理法則の発見も、実験科学の積み重ねでした。
もしシミュレーションでこの世界を再現できれば、この実験科学が計算科学へと置き換わっていきます。これまで科学者が10年かけて発見していた新しい化合物のようなものが、計算上で見つけられるようになるといいます。
例えば五分に一回のノーベル賞級の発見ができるみたいな、そんな世の中がやってくるという。
これは試行錯誤のコストが圧倒的に下がることを意味します。人体実験のように実際にはできない実験も、シミュレーション上なら扱えるようになります。
北川さんは、周期表の中の遷移金属 ── 鉄や銅などを含む金属の一群。他の物質とくっつく反応性が高く、人体にとって毒性が強いものも多いを例に挙げます。反応性が強く毒性が高いために実験しづらかった物質も、シミュレーションなら発見を加速できるといいます。
結果として、これまでの科学の歴史が一万倍、十万倍のスピードで進む可能性が出てきます。産業革命や技術の発展が科学の発見スピードで決まってきたとすれば、時代が良くも悪くも一気に加速しうるという話です。
「50年かかる」が一気に短縮された2つの理由
この加速はいつ起こるのか。楊さんの問いに、北川さんは技術が大きくなるほどインパクトも大きくなるため、急にではなく徐々に、5年から10年のスパンで社会にインパクトが出てくると答えます。
かつては量子コンピュータの実現に20年、あるいは50年かかると言われていました。北川さんは、それが短くなった理由は2つあると説明します。
1つ目の理由は、計算の間違いをめぐる問題です。量子コンピュータは計算を1回回すたびに間違いを起こし、現在はおよそ千回に1回間違えてしまいます。つまり千回程度しか計算できないということです。
一方で、産業革命や科学界がひっくり返るレベルの計算には、10の12乗や10の15乗といった計算量が必要とされます。ゼロが12個以上並ぶ桁です。現在はゼロが3つしかなく、その差を埋めるのに長い年月がかかると考えられていました。
この計算量を10倍にするのに3年から5年かかり、9桁上げるには27年から45年かかる。これが「30年、50年かかる」と言われていた理屈でした。
ところが2023年、QuEra Computingを含む複数の企業が量子誤り訂正 ── 量子コンピュータの計算で起こる間違いを、仕組みによって訂正し、正しい計算を続けられるようにする技術を実現し、間違える率を劇的に改善しました。技術自体は何十年も前から知られていましたが、実験での実現が難しかったのです。
AIと量子コンピュータの「悪魔合体」
短縮のもう1つの理由が、AIと量子コンピュータのコラボレーションです。北川さんは、量子コンピュータの技術的転換点を、AIにおけるトランスフォーマー ── 文章などのデータを効率よく学習するためのAIの仕組み。ChatGPTなど近年の大規模言語モデルの基盤になっているの発明に近いものだと位置づけます。
量子コンピュータは自然界のシミュレーションができる装置です。そしてAIには、質のいいシミュレーターがあれば、そこから学ぶことでそのプロセスを一気にマスターできるという特徴があります。
北川さんはその例として囲碁のAI・アルファゴを挙げます。最初期は過去の棋士の棋譜を学ばせていましたが、その時点では世界のトップ棋士を倒すほどの強さはありませんでした。
あくまで想定内。昔の棋士さんから学んだことだよねみたいな感じだった。
転機は、AIが自分自身でプレイし、そのシミュレーションから学ぶセルフプレイを始めたことでした。ここからアルファゴは劇的に強くなります。
学ぶべき教師データが無限に自分で生成できるようになっちゃったってことですね。
自動運転やドローン、ロボットの進化も、物理世界のシミュレーションから学ぶことで実現しています。北川さんは、量子コンピュータが自然界のシミュレーションであること、そしてAIに何百兆という投資がされていることを重ねます。
自然界を理解し科学の発見を進める営みが、量子コンピュータとAIのダブル進化で進んでいく。だからこそ、いつ大きなインパクトが出てくるか読みにくい雰囲気があると北川さんは話します。
諦めた科学の問題が、また科学の問題に戻る
深井さんは、いろいろなことができるようになっても、ボトルネックは人間の認知になるのではないかと問いかけます。江戸時代の人にスマホを渡しても使えないのと同じことが、私たちにも起こりそうだという見立てです。
これに対して北川さんは、今の人類が諦めている科学の問題が結構あると指摘します。あまりに解けないために、科学の問題が政治の問題に移り変わってしまっているものもあるといいます。
最も有名な例がカーボンニュートラリティ ── 二酸化炭素の排出量と吸収量を差し引きゼロにすること。地球温暖化対策として国際的に目標とされているです。空気中のCO2を液体や固体に固定する「カーボンフィクセーション」は本来は科学の問題ですが、解けないために国と国との排出量取引のような政治問題になっていると北川さんは説明します。
つまり結局CO2を固定化して空気中からなくせばいいんでしょって話になるかもしれない。
もう1つの例が電気自動車です。今は充電の心配がつきまといますが、リチウムバッテリーの容量が倍、さらに倍になり、1週間運転してもなくならない世界になれば、利用価値が一気に大きくなります。
量子コンピュータとAIの組み合わせで物質の発見が早まれば、なぜ容量を倍にできなかったのかという問いにも答えが出て、電気自動車が当たり前になる世界に近づくという話です。
量子コンピュータの正体はレーザーと真空に浮かぶ原子
ここで話題は、量子コンピュータがハードウェアとしてどんなものかに移ります。樋口さんは、普通のコンピュータのように電気基板に回路があるものとは何が違うのかと尋ねます。
北川さんによれば、量子コンピュータの作り方には複数の方式があります。Googleが作っているものは超伝導 ── ある種の物質を極低温まで冷やすと電気抵抗がゼロになる現象。量子コンピュータの実現方式の1つに使われるを使い、チップのような見た目をしています。
一方でQuEra Computingが採用しているのは冷却原子と呼ばれる方式です。計算の最小単位であるキュービット ── 量子コンピュータの情報の基本単位。古典コンピュータのビットにあたるが、0と1の重ね合わせの状態も取れるが、原子1つそのものだといいます。
真空の中にルビジウムの原子を浮かべ、レーザーで捉えてその状態を変えることで計算します。原子の中の電子のエネルギーの場所が0と1を表現しているという仕組みです。
深井さんが驚いたのは、量子コンピュータも0と1で計算している点でした。ただし古典コンピュータが0か1のどちらかしか取れないのに対し、量子コンピュータは0と1の重ね合わせという「どちらでもある」状態を取れるのが違いです。
0か1のどちらか。二進法しか取れない
0と1の重ね合わせという「どちらでもある」状態を取れる
なぜ速くなる?「指数関数的に計算量が減る」仕組み
深井さんは、重ね合わせがあるとなぜ速くなるのかと質問します。北川さんは、はしょった説明と断りつつ、2つのキュービットの例で説明します。
00、01、10、11という4通りをすべて計算したい場合、普通のパソコンでは4回計算しなければなりません。しかし「どちらでもある」状態を保持できると、並行して一発で計算できるといいます。
どっちもっていう状態を保持できると、簡単に言えば一発でこうガンって並行して計算できるんですよ。
これがN個になると、古典コンピュータは2のN乗回の計算が必要なのに対し、量子コンピュータはN個並べてN計算すればよくなります。つまり計算量が指数関数的に減るということです。
北川さんは指数関数の凄まじさを、紙を折る話で例えます。薄い紙を40回ほど折ると、2の40乗×1ミリという距離になり、月に届いてしまうという話です。それだけ劇的に速くなるイメージだといいます。
ノーベル賞から「馬力」へ。量子コンピュータが変わった転換点
北川さんによると、QuEra Computingの量子コンピュータは見た目がかなり大きく、ダイニングテーブル4つ分ほど、部屋1つ分ほどの大きさがあります。今年には日本の産総研に1台納入されるといいます。
原子自体は非常に小さく場所を取らないのに装置が大きくなるのは、そのほぼ全部がレーザーを制御する装置だからです。レーザーの種類は多くないものの、強いパワーを精密に制御して計算します。
つまりレーザーの制御技術こそが、量子コンピュータの技術の核心の1つになります。逆に言えば、それさえできれば今の量子コンピュータは何万倍もパワフルになりうるといいます。
北川さんは、かつては大きな科学的ブレイクスルーがなければ実現できないと思われていた量子コンピュータが、エンジニアリングの問題に落ちてきたと語ります。実現にノーベル賞がいくつも必要とは言えないところまで来たのです。
いや、これってもうエンジニアの問題に落ちたよねと。
だからこそGoogleをはじめ大企業が莫大な資本を投下しています。資本さえ注ぎ込めばいけるのではないかというフェーズに入ったからです。深井さんは、これはAIと同じ構図だと受け止めます。
クラウドで使う量子コンピュータと、すでに出ている科学論文
深井さんは、産総研に納入される量子コンピュータが現時点でどう使われるのかを尋ねます。北川さんは、得意なのはやはり科学実験のシミュレーションだと答えます。
QuEra Computingの1世代目にあたるアナログ式の量子コンピュータは、すでにクラウド上で動いており、誰でも使える状況になっています。この量子コンピュータを使って、毎年のようにサイエンスやネイチャーの論文が出ているといいます。
物理学者が自分のラボで実験する代わりに、クラウド上の量子コンピュータで実験して論文を書く。それがすでに実現しているという話です。
クラウドで使うイメージについて、樋口さんはChatGPTを例に整理します。iPhoneで結果は見られてもiPhone上で計算しているわけではなく、サーバーで処理された結果が返ってくるのと同じだという理解です。
自然界を記述する数式を量子回路に移し替えて計算させる方法は、この3年ほど研究されており、割と知られたやり方があると北川さんは補足します。
卵かけご飯は数式化できる?文系領域への浸食
樋口さんは、朝起きて卵かけご飯にするかパンにするか迷うような判断も数式化できるのかと問いかけます。北川さんは、今の段階ではもっと基礎的な、原子と原子がどうくっついて化合物になるかといったプロセスが対象だと答えます。
樋口さんは、今は理系の分野で再現性があると思われている領域が、やがて人間の動きや生物の動きへと浸食していく可能性を指摘します。感情が腸内細菌に左右されるという話や、思考が脳の電気信号で決まるという脳科学の話を例に挙げました。
自然科学の再現性がある範囲っていうのが、徐々に今の文系と思ってるところに浸食していくっていう流れがあるような気がする。
北川さんは、この見立てはあると応じつつ、還元主義 ── 大きなものを理解するには、それを構成する小さな要素を理解すれば再構成できるという考え方という言葉で説明を加えます。ミクロを理解すればマクロを再構成できるという考え方です。
還元主義は長く真実だと思われ、今も一定の真実である部分があります。しかし北川さんは、量子コンピュータが必要とされる理由の1つは、この考え方だけでは説明できない現象にあると話します。
「More is different」量子が数を集めると質が変わる
北川さんは、原子の振る舞いを理解しただけでは、それをたくさん集めたものが理解できないと指摘します。ここで登場するのが「More is different」という有名な論文の考え方です。
わかりやすい例が水と氷です。H2Oが気体として浮いているときは分子が浮いているだけですが、10個でも100個でも分子のままなのに、10の23乗個ほど集めると突然「水」になります。
十の二三乗個集めたら突然水になるって話があるんですよ。
量的な違いはしばしば軽く見られます。10倍になっただけ、100個になっただけでは質は変わらないと思われがちです。しかしMore is differentは、量的な違いが質的な違いを生むことを深く理解した考え方だと北川さんは語ります。
これは物性物理という分野が面白く、多くの技術を生んだ理由でもあります。半導体も、原子を1個や100個、1000個持ってきても半導体として機能せず、10の23乗個集めた瞬間に機能し始めます。
この「量的な違いが質的な違いを生む」という理解が、この100年の技術を支えてきたコンセプトでした。しかし理解が難しかったからこそ、量子コンピュータのような計算力が必要になったのです。
相転移とLLM。なぜ突然賢くなるのかは、まだ理解されていない
段階的にではなく、ある閾値を超えると一気に性質が変わる。この変わり方は相転移 ── 水が氷になるように、条件が閾値を超えたときに物質などの性質が一気に変化する現象と呼ばれます。深井さんは、AIの大規模言語モデルも同じだと受け止めます。
北川さんは、ChatGPTの一番の驚きは誰も想像していなかった点だと語ります。機械学習の常識では、10倍のデータで10倍の計算をしても、モデルの質が変わらなければ劇的には良くならないと考えられていました。
ところがデータと計算を何倍にも繰り返すうちに、あるポイントで劇的に賢くなった。北川さんは、この相転移がなぜ起こるのかは、いまだに理解されていないと明かします。
北川さんは、量子コンピュータもAIも「現象を生むマシン」になったと整理します。これまで科学は、実験で見つかった面白い現象を構造的に理解しようとする営みでした。それが今、計算によって現象そのものが生まれるようになったのです。
この計算が生んだ現象を、なぜそうなるのか構造的に理解しようとする試みが今進んでいます。これは計算で解ける問題というより、フレームワークを作って読み解く解析科学の領域だと北川さんは話します。
現象を作り出すとはどういうことか。アルファゴの例で言えば、人間が想像しなかった一手を打つことです。トップ棋士を破ったその一手が何なのか、多くの棋士が分析してようやく構造的に理解された、その一手こそが現象だといいます。
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まとめ
量子コンピュータは「この世界を再現するパソコン」であり、実験科学を計算科学に置き換えることで科学の発見を一気に加速させる可能性を秘めています。AIとのダブル進化、量子誤り訂正のブレイクスルー、そしてMore is differentという物理の視点まで、量子コンピュータの正体と射程が語られた回でした。後編に続きます。
- 量子コンピュータは、古典コンピュータでは何兆年もかかる量子力学の計算を可能にし、この世界を再現することを目指す装置
- シミュレーションで実験科学を計算科学に置き換えられれば、科学の発見が一万倍、十万倍のスピードで進みうる
- 2023年の量子誤り訂正の実現とAIとのコラボにより、実現時期は50年から5〜10年へと一気に短縮された
- QuEra Computingの方式は、真空に浮かぶルビジウム原子をレーザーで制御して計算する冷却原子方式
- 量子コンピュータもAIも「現象を生むマシン」となり、なぜ相転移が起こるかはいまだ理解されていない




