うつや自殺は「骨折した状態」?
このテーマを提案したのは樋口さんです。最近、芸能人や有名人の自殺のニュースが目立つように感じ、考えることがあったといいます。
樋口さんは、3人がそれぞれ精神的につらかった時期をどう乗り越えたのか、そして自殺について考えていることを話したいと切り出しました。収録は朝10時過ぎで、楊さんは「朝一から話す話の質は結構あれですね」と笑いつつ、大事なテーマだと受け止めます。
深井さんはまず、メンタルヘルスと自殺は自分の中では別の話だと整理しました。骨折する前に怪我に気をつけるフェーズと、骨折してしまって治さなければいけないフェーズは違う、というたとえです。
自殺とかうつ病とかって、もうその骨折後だと思ってて。その時にやるべきことと、そういう気分になる前までにやるべきこと、結構違うなと思ってます。
要は骨折してる人間に毎日ランニングして体力つけようって言ってるようなことがあるってことですよね。
深井さんは仕事で脳科学の教授と話す機会があり、2年ほど前の研究でうつ病が脳の神経の炎症だとわかってきたと聞いたそうです。胃炎のときに食事がとれないのと同じで、明確に普通とは違う状態だという理解です。
3人は、骨折後にあたる状態と、普段のケアを分けて話すことにしました。
心に余裕があるうちに、落ち込まないよう気をつける段階
脳の炎症のように、明確に通常とは違う状態。治すことが優先になる
樋口さんは、大学時代の先輩が自殺したときも突然で、兆候らしいものはあまりなかったと振り返ります。兆候が現れる場合と現れない場合があり、どう見いだすかも気になるところだと話しました。
メンタルにも「体力」がある
普段のケアについて、深井さんが最初に挙げたのは、自分のメンタルに自覚的になることです。深井さんは、メンタルを体と同じように扱うべきだと考えています。
例えばですけど、自分責めてる人とかいるじゃないですか。あれ、自分の顔殴ってるのと一緒だと思ってるんですよ、僕。
骨折したら走らないってのもそうだよね。だから体調悪い時に頑張んないじゃん。だからメンタル落ち込んでる時に頑張んないし。
深井さんによると、自分のメンタル状況に自覚的になれるのは、ある程度心に余裕があるときです。その状態をどれだけ保てるかがポイントだといいます。
樋口さんは、自分も自分を責めてしまう側だと打ち明けました。体はコントロールできないと思える一方で、頭の中のことはいかようにも思えると勘違いしていたといいます。
だからまずそこ(コントロールできるという)の前提を取っ払わないと、コントロールできないということに気づけないなというのが30代になってわかったですね、俺は。
深井さんはさらに、メンタルにも体力があると付け加えます。体でも絶食のような無理は普通しないように、ダイエットと自分の体を殴ることの違いを精神版でも理解し、きちんとメンテナンスすることが大切だという話です。
自責は美徳?武家社会から続く感覚
樋口さんは一方で、日本には精神的に自分を責めたり我慢したりすることを美徳とする価値観の枠組みがすでにあると指摘しました。深井さんの答えははっきりしています。
現代において日本が今まで結構特技としてきた、その自我を殺すことによって周りと調和する方法は、もう現代ではその手法は僕は取れないと思ってるよ。
楊さんが、それが効果的だった時代があったのかと尋ねると、深井さんは武家社会の時代にはそれでよかったと答えます。樋口さんも、切腹が責任の取り方の最高峰のように思われていたと応じました。
深井さんの説明では、昔の日本は役職も家格も家ごとに受け継ぐ継承する社会 ── 個人ではなく「家」を単位に、役職や家の格を代々受け継いでいく社会のあり方。江戸時代の武家社会などが典型とされますでした。自分よりも家のほうが大事な時代が武家社会の間ずっと続き、そこで個人をあまり大事にしない感覚が育ったといいます。
深井さんは、その時代から150年ほど経ち、雰囲気は徐々に外れつつも今も残っていると話します。自我が芽生えた現代人が封建社会的な生き方をしようとしても、うまくいきません。
だからもう自分で決めて自分で生きるしかないんだって。現代人。もうね、良くも悪くもそうなんです。
楊さんは、日本の自己紹介の仕方にもこの感覚が表れていると指摘しました。会社名、役職名、苗字を言って終わり、下の名前、つまり個人にまでなかなか行き着かないというのです。
楊さんはその根底に「〜するべき」「こうであるべき」というべき論があると考えています。個人より先にフレームや役割があり、そこに人をはめる順番になっているのではないか、という見立てです。
べき論はどこから来る?社会変容・制度・倫理観
深井さんは、歴史を見ると社会変容がまず先に起こり、それに人々の生活がついていくのは明確だと話します。
日本の場合について深井さんは、天変地異以外の外敵があまりいない農耕社会だったと説明しました。天変地異には祈りを捧げ、あとはみんなが協力してさえいれば生きていけるため、人間関係が壊れることが一番危ないことでした。綿密な共同作業に入り込む異物は、生きること自体を脅かす存在になります。
ただし深井さんは、日本に限らずどの社会でも、べき論ができあがる順番は同じだと強調します。社会が変わり、制度がそれについていき、その制度に倫理観がついてくる、という流れです。
社会変容
まったく別の理由で、社会がまず変わる
制度
変わった社会に合わせて制度が変わる
倫理観・べき論
制度が「人としてそうすべき」という感覚として定着する
人間としてそうすべきだって思っちゃうわけ。だけど全然そういう決まり方は実はしてないんです。
深井さんが具体例に挙げたのが不倫です。古代には不倫という概念がなく、男女とも基本的に誰とでも関係を持ってよかった時代があったといいます。
その後、家を継承する社会へと変わると、誰の子どもかわからなければ継承先を固定できません。深井さんによると、そこで日本は一夫一妻制になり、そうなってから初めて不倫がダメになったのだそうです。
倫理じゃなくて制度を脅かすかどうかなんて。本当はね、秩序を破ってしまうっていうことがダメなんだけど。今の時代って実は大体のことが秩序を破らないんですよ。
深井さんは、この古い倫理観と今の社会との軋轢に悩んでいる人がたくさんいるはずだと話しました。
ルールは厳しくなる一方、なのに変化は速い
楊さんは、組織で活動しているとルールは増える一方だと感じています。例として、日本ではもう風俗街を新たに作るのはほぼ無理ではないか、という話を出しました。
楊さんはテレビの例も挙げます。昔は食べ物を粗末にする笑いや裸の映像もあり、深井さんも志村けんさんの「バカ殿」は昔相当すごかったと応じました。
一回やめようってなった後に、よし、許可しようって絶対ならないっていうか。だからルールって不可逆なもので、緩くなることってなかなか難しいけど、厳しくなる一方になるっていう。
深井さんは、それでも社会との軋轢が臨界点に達すると、人間はルールを変えてしまうと話します。5年といった時間をかけて徐々に変わり、その間に「あってはならない」と言う人たちが世代交代やマイノリティ化で少なくなっていくといいます。
深井さんは、現代のメンタルヘルスはこの構造と深く関わっていると考えています。べき論に縛られるからつらくなるのであって、現代人は本当にそこから解放されたほうがいいという主張です。
現代人が特につらい理由として、深井さんは変化の速さを挙げました。昔は世代交代とともにゆっくり変わればよかったものが、今は短い期間で変わってしまうため、親世代の規定と子世代の現実がずれていきます。
楊さんも、若い人と話していると親との価値観の違いで悩んでいる人がとても多いと話します。深井さんは、それは時代が変わっている以上、親のほうが許容すべきだと言い切りました。
もう親の言うことを聞いてて正解する確率なんてほぼねえから、もう今の時代、その抽象的なこと以外はね、具体的なことはもう回答にならないんですよ。
深井さんによれば、「この大学に入ったほうがいい」「こういう会社に入ったほうがいい」といった具体的な助言はもう受け継げません。「ワクワクするのは大事」といった抽象的なことは変わらないものの、そのために何をすべきかは5年単位で変わっているといいます。
「逃げる」というオプションを持てるか
深井さんの話を受けて、樋口さんはメンタルヘルスのひとつのやり方として「逃げること」を挙げました。
樋口さんは、会社で「老害」と呼ばれるような人たちの立場に立つと、価値観を変えるのはもう難しい人が多いと考えています。だからこそ、彼らが変わることを期待するより、若い世代が関係を切ったり逃げたりしてもいいというマインドが必要ではないかと話します。
僕はそれ(新しい考え方への理解を求めること)になかなか失敗した経験もあるので、逆にそれ逃げたことによって救われたところ、経験があるからですね。
深井さんも、逃げるというオプションを常に持ち、逃げるなら逃げると決められることは大事だと同意しました。楊さんは、ブラック企業で働く人も「いつでも辞められる」と思えば、今いる場所から学んでいこうと意外と前向きに働けることがある、と付け加えます。
一方で深井さんは、転職についてはまだ課題が多いと指摘します。逃げる先が見えず、「村からの追放」のような感覚が残るため、約束の地がある感じもしないというのです。
それでも深井さんは、これから働き方の前提が変わっていくと見ています。
終身雇用の終わり
企業が終身雇用をやめると宣言し始めている
副業の増加
1つの会社以外でも働く人が増えていく
複数の組織に所属
複数の会社に所属する人が大半になっていく
転職の意味が変わる
村から村へ移るのではなく、友達を増やすような感覚になる
結局一つの組織に依存するみたいなことができないのにやろうとするから死ぬんだと思う。転職に関しては。
歴史と古典もメンタルケアになる
深井さんは、どれだけ早く常識を変えられるかが大事だと話し、そのために人間にとって変わらないことと、社会制度によって変わることを把握しておくべきだと言います。それこそが深井さんが歴史を学ぶ理由の1つだそうです。
これ人類にとって変わんねえんだ、いつまでもっていうのと、時代と文化とあれによってコロコロ変わってんなっていうやつわかるんですよね、やっぱ見てたら。
深井さんは、変わらないことの例として古典を挙げます。2000年残っている本に書いてあることは変わらない一方で、今のビジネス書は2000年後の人が読んでも役に立たない、という対比です。
2000年残っている、人間にとって変わらない本質が書かれている
時代とともに変わる解決手法が書かれている
楊さんが「ソリューションは変わっていくんですね」とまとめると、深井さんは、解決手法は変わっても人間の本質は変わらないと応じました。深井さんは、歴史もメンタルヘルスに役立つと考えています。
転職したらしていいかどうかなんていうのはね、それこそ時代によってめちゃくちゃ変わるし、どうだっていいんですよ、そんなの。
最後に樋口さんは、今の子どもが1つの学校にしか通えないことも昔の視点から見れば珍しいと話し、義務教育もシステム上の限界を迎えているのではないかと切り出しました。この話題は後編へと続きます。
まとめ
前編では、メンタルを体と同じように扱う発想を出発点に、自責を美徳とする感覚やべき論が歴史の中でどう生まれたのかが語られました。変化の速い現代では、べき論から距離を取り、逃げる選択肢や歴史・古典の視点を持つことが心を守る助けになる、というのが3人の共通した見方です。
- うつや自殺は「骨折後」の状態で、普段のケアとは分けて考える
- 自分を責めるのは自分の顔を殴るのと同じ。メンタルにも体力がある
- べき論は「社会変容→制度→倫理観」の順で生まれ、時代とともに変わる
- 価値観を変えられない相手からは、逃げる・関係を切るという選択肢を持ってよい
- 歴史と古典は、変わらない本質と変わる常識を見分ける手がかりになる





