北伐のために、孔明は何で稼いだのか?
諸葛孔明が治めた蜀の政治について、樋口さんは「クリーンな政治をすると人気が出て、国が動く」という受け止めを口にします。そこから話は、蜀がどんな目標を掲げた国だったのかへ進みます。
深井さんによれば、蜀には曹操の勢力を滅ぼして天下を統一し、漢王室を復興させるという大きなマニフェストがありました。その実行として進められたのが、魏に軍を率いて攻め込む北伐 ── 諸葛亮が劉備の死後、魏を討つために繰り返し行った北方への遠征。漢王朝の復興を掲げた蜀にとって、国の存在理由に関わる軍事行動でしたです。
北伐を実現するために、孔明たちはまず国の経済力を上げることに地道に取り組みました。深井さんは、今なら当たり前に聞こえるかもしれないと前置きしつつ、その具体策を挙げていきます。
例えば塩の産業を力を入れたりとか、金の鉱山を開発したりとか、あとは農業を盛んにさせたりとか、鉄鉱石を掘ったりとか。
深井さんが面白い点として挙げたのが、山岳地帯の民族との関係づくりです。孔明は彼らと同盟を結んで農業指導を行い、生産力を上げたうえで税を徴収しました。さらに屈強な人々を益州へ移住させ、山民族の部隊まで作ったといいます。
楊さんが付け加えたのが、錦や刺繍の産業です。孔明は以前からあった蜀の刺繍に力を入れ、輸出して外貨を稼ぎました。今の四川省成都でも刺繍は名産として知られており、収録の日には深井さんがお土産として受け取ったという話も出ています。
マニフェスト
曹操の勢力を滅ぼし、天下を統一して漢王室を復興させる
経済力の強化
塩、金や鉄の鉱山、農業、山民族への農業指導、刺繍の輸出
北伐
蓄えた力で魏へ軍事行動を起こす
樋口さんは「孔明からしたら金稼ぎはちょちょいのちょいだったのでは」と言いますが、深井さんはかなり苦労していたと返します。蜀の首脳陣は外から来たよそ者で、地元の豪族に戦争資金を求めればすぐに支持基盤を失う立場でした。
だから元手を自分たちで稼がないといけなかったっていう事情もあったんですよね。
楊さんも、地元に根づいた貴族なら資金を集めやすいが、途中から来た勢力はそうはいかないと補足します。そのうえで孔明を「苦労人」と評し、志を持っているところがかっこいいと語ります。
劉備亡き後も、孔明が逃げなかった理由
樋口さんが引っかかったのは、劉備がすでに亡くなっているという点です。主君がいない以上、孔明はいつ蜀を離れてもよかったはずでした。
いやしかし、ようそこまで。なんで?いや、劉備死んでるんですよ、だって。
深井さんが手がかりとして挙げたのは、孔明が尊敬していた春秋戦国時代の軍師たちです。孔明は心の底から彼らをリスペクトし、彼らのように生きたかったのではないか、と深井さんは考えます。
楊さんによれば、孔明が尊敬した楽毅 ── 中国の戦国時代、燕の将軍。斉を大いに破った名将で、主君への忠義を貫いた人物として知られます。諸葛亮が自らをなぞらえた人物の一人ですらは、生き方に美学がある人たちでした。損得ではなく、自分で決めた意志に基づいて生きるタイプです。
メリットデメリットとかじゃなくて、自分の決めた意志に基づいて生きるみたいな、そういうタイプの人を彼(孔明)はすごく尊敬してるから、そういう風に生きたかったんでしょうね。
楊さんは、孔明が劉備に出会うまで就職せずに待っていたことも、損得で動かない人である証拠だと見ています。深井さんも、金や地位ではなく、一生をかけた事業に全身全霊を注いで死ぬことが孔明の美学だったとまとめます。
孔明の最期は北伐のさなかでした。楊さんは、弱小国家の蜀が魏に攻め込み続けたのは、漢王朝の復興こそが蜀の大義名分であり、攻めなければ国をまとめられなかったからだと説明します。その陣中で、孔明は働きすぎで過労死したといいます。
樋口さんは思わず「休むのも仕事ですよ」とツッコみます。一方で楊さんは、孔明は満足して死んだのではないかと語っています。
孔明の死後、蜀はなぜ30年も続いたのか?
孔明の死後も、蜀は30年ほど存続しました。最終的には滅びますが、楊さんはこの30年をかなりすごいことだと評価します。始皇帝の死後、秦はすぐに滅んでしまったからです。
深井さんも、人材や資金で蜀は魏や呉に全く及ばなかったと指摘します。それでもカリスマである孔明の死後に国を保てたことがすごい、という見方です。樋口さんはルールなどのシステムを作ったことを、楊さんは産業を作ったことを要因に挙げます。
深井さんがもう一つ挙げたのが、蜀では内乱がなかったという点です。魏や呉では家族内の殺し合いのような内乱が起きていたのに対し、蜀にはそれがありませんでした。
内乱や、家族内での後継者をめぐる殺し合いが起きた
人材も資金も劣りながら、家族内の後継者争いが起きなかった
内乱が起きなかった理由を樋口さんに問われ、深井さんはそもそも起こす力がなかった可能性も認めつつ、劉備の養子をめぐるエピソードを紹介します。劉備は一度養子を取っており、その養子は腕っぷしが強く、ガツガツ言うタイプでした。
養子が何かの失敗をしたとき、孔明は劉備に「殺せ」と進言します。劉備には血のつながった息子の劉禅 ── 劉備の実子で、蜀の2代目皇帝。孔明に政治を託し、孔明の死後も約30年間在位しましたが、最後は魏に降伏しましたがすでにいたからです。
もし二人(養子と劉禅)が大人になった時に、絶対劉禅は負ける、性格的に。それを見越して今殺せと。
深井さんは、自分の養子である以上、劉備にはかなり抵抗があっただろうと推し量ります。それでも孔明は、二人が大人になったときに国の中でリスクが生まれることを見通していました。楊さんは、こうした決断の峻烈さが古代らしいと話しています。
美学に生きる人の限界と、劉備の「器」
楊さんは、歴史を学ぶ面白さとして、生き方のタイプごとの結果を比べられることを挙げます。美学に生きた孔明の蜀は30年で終わり、美学ではなく存続に集中する人物が率いると、もっと長く続く国もあるといいます。
超優秀だよ。超優秀だし、とてもすごいけど、美学に生きてるから。美学は美学の限界ってやっぱあるので。
自分も完全に美学に生きていると話す樋口さんに、楊さんは孔明が大好きだと前置きしたうえで、いろいろな人物を学ぶと比較ができるのだと語ります。深井さんは、人生の満足度は美学に生きたほうが高いのだろうと応じます。
深井さんはさらに、孔明が曹操のもとに行っていたら、あまり歴史に名を残さなかったはずだと指摘します。曹操のもとには、孔明レベルの人がうじゃうじゃいたからです。樋口さんは、蜀にいたからこそ孔明は輝けたのだと受け止めます。
楊さんが強調するのは、孔明にその場所を選ぶ力があったことです。孔明の兄弟やいとこも優秀でしたが、みな魏や呉に就職し、魏で高い地位に上った者もいました。その中で孔明だけが、強い意志を持って蜀を選んだといいます。
樋口さんは、自分から見ると劉備がすごいと話します。楊さんも、普通のおじさんである劉備のかっこよさを感じると同意し、劉備が孔明を120パーセント機能させたことに注目します。
三世代とか四世代で見るとの社会的結果で見ると、人間の刹那的な、この今この瞬間の優秀さって結構影響力ちっちゃいんですよね。
樋口さんが紹介したのは、友人から聞いた「会社は代表の器以上には絶対にならない」という言葉です。ここでいう器は能力ではなく、文字通りものを入れる器を指します。
自分が何もできなくても、優秀な人を受け入れられる
優秀な人が成長すると抱えきれず排除する、または社員が離れていく
樋口さんは、この話を聞いて劉備は半端ない器を持っていたのだと感じたといいます。楊さんも、圧倒的に優秀だった始皇帝と、能力はないのに周りに孔明のような人物が7人ほど集まった劉邦 ── 漢王朝を開いた初代皇帝。農民出身で、張良・韓信・蕭何ら有能な人材を使いこなして項羽を破り、天下を統一しましたを比べると面白いと話します。
楊さんは、今の評価はどうでもよく、後世どう評価されるかや、自分が無能であることで起こる社会的な変化もあると語ります。樋口さんは、全員が優秀なチームより、誰かのダメなところを救うことでストーリーが生まれるのだと応じます。
わかんない中で、こうやって自分の美学とかやりたいことに集中して生きるって大事だなと。めっちゃ思った。
2人が出会って打ち上げた、三国志という花火
深井さんは、劉備と孔明の組み合わせに改めて目を向けます。劉備は普通から見れば少し頑張っている程度の人物で、孔明は優秀でリーダーの素質はあっても、天下を取ろうとする起業家タイプではなく、誰かを補佐する参謀タイプでした。
深井さんによれば、2人が出会わなければ、どちらも多少名が残る程度で終わったかもしれません。2人が出会うことで、歴史に圧倒的な花火を打ち上げられたという見方です。
一方で楊さんは、三国志の儚さとして、結局誰も中華を統一できなかったことを挙げます。冒頭で例に出したスラムダンクのように、全員が負けるのだといいます。
みんなが命をかけて統一を目指して、いろんなドラマが生まれ、いろんな意志を持ってやってきた人たちがいるのにも関わらず、結局誰も統一ができないっていう結論が超楽しいです。
樋口さんが、だからこそ三国志はこれだけ愛される物語になったのだと言うと、楊さんは「欠けてるからね」と応じます。欠けていることに、人は自分たちの人生との共通性を見出すのだといいます。
みんな欠けてますから。みんな欠けてます。
最後に樋口さんは、孔明と劉備のように、出演者3人とスタッフのまさみちゃんの4人で新たなストーリーを作っていこうと呼びかけ、諸葛孔明編を締めくくりました。
まとめ
諸葛孔明は、外から来た弱い立場の蜀で自ら産業を興し、劉備の死後も漢王朝復興という大義に全身全霊を注いで陣中で倒れました。その生き方は美学ゆえの限界も抱えていましたが、劉備という大きな器と出会ったことで、三国志に消えない花火を残したと語られています。
- 孔明は塩・鉱山・農業・刺繍の輸出などで経済力を高め、北伐の元手を自分たちで稼いだ
- 劉備亡き後も蜀に尽くしたのは、損得ではなく意志に基づいて生きる美学のためだったと考えられる
- 蜀は孔明の死後も、内乱なく約30年存続した。後継者争いの芽を摘む峻烈な判断もあった
- 美学に生きることには限界もあるが、人生の満足度は高いのではないかと話された
- 劉備の大きな器と孔明の参謀としての才能が出会い、誰も統一できなかった三国志の物語を生んだ


