「青年トルコ人」は、なぜ科学を信仰したのか?
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ケマル・アタテュルク編の第7回は、前回ケマルが大学を卒業したところから始まります。最初に取り上げられるのは、オスマン帝国の軍人エリートたちを指す「青年トルコ人」という呼び名です。
番組の説明では、青年トルコ人は1つの政党ではなく、アブデュルハミト2世 ── オスマン帝国の第34代スルタン。1876年に即位し、憲法と議会を停止して専制的な統治を行いました。一方で教育や鉄道など近代化政策も進めましたの専制に反対した人たちの総称です。宗教知識人、少数民族のナショナリスト、フリーメイソン、政治家なども含まれますが、中心にいたのは士官学校などの高等教育機関の生徒や卒業生でした。
皮肉なのは、この反対勢力を育てたのがスルタン本人だったことです。スルタンが近代化のために整えた教育機関から、スルタンに反対する若いエリートが生まれてきました。
近代化政策
アブデュルハミト2世が士官学校などの高等教育を整える
エリートの誕生
科学や外国語を学んだ若い軍人が育つ
思想の衝突
宗教権威による専制に、若いエリートが強い嫌悪感を抱く
反対勢力化
スルタンに反対する「青年トルコ人」になる
「青年」という言葉には、若さ以上の意味が込められていたと語られます。伝統を重んじて年長者が偉いとされるイスラム社会の中で、青年トルコ人は「自分たちは若いが、進んだことをやっている」というアイデンティティを打ち出していました。深井さんは、これを「脱年功序列みたいなイメージ」と言い換えています。
青年トルコ人の思想の柱は、科学こそがオスマン帝国のあらゆる病に効く万能薬だ、という信念でした。そこに社会ダーウィニズム ── 生物の進化論を人間社会に当てはめ、社会や国家も競争によって進歩・淘汰されると考える思想。19世紀後半に広まり、帝国主義の正当化にも使われましたが加わり、歴史の中で科学と宗教が戦い、最後には必ず科学が勝つという見方が生まれます。
解像度の低いっていうレベルじゃないもんね。もう信仰だもんね。
なんかもう科学の真理を追求するっていうよりも、科学を使って自分たちをモチベートしてるっていう風な構図かもしれないですね。
ケマル自身もこの潮流の中にいました。ケマルは「科学こそが最も信頼できる人生の指針である」「科学以外のものに指針を求めることは、無分別、ごまかし、そして無知である」と言い切っていたと紹介されます。
番組では、科学の力が思考と信仰を切り離したことも語られます。宗教が強い時代には、物が落ちる理由を考えるときでさえ「それが宗教にとって何の意味があるのか」という問いがつきまといました。科学はその制約を外し、発想の半径を広げたというのが、番組の見立てです。
スルタンを「逆さま」と呼ぶ若手将校たち
科学を信奉するエリートにとって、アブデュルハミト2世の政策は正反対のものでした。スルタンやカリフという宗教権威を使って中央集権化と個人崇拝を強めていたからです。
青年トルコ人が目指していたのは、プロイセンの軍人ゴルツの著作に由来する「武装せる国民」でした。国民一人ひとりが命をかけて国を守るという考え方に立つと、「なぜスルタンのために戦うのか」という疑問が出てきます。
その結果、若手将校の間にはスルタンをばかにする文化ができていました。スルタン万歳を意味する言葉を、「スルタン逆さま」という意味の言葉に言い換えていたそうです。
スーパーブラックジョークみたいなやつだね。バレたら超やばいみたいな。
番組では、この空気が幕末の長州藩の志士が将軍に向けた態度とよく似ている、とたとえられます。そしてケマルは、スルタンをばかにする風潮の中でも特に抜きん出ていたと言われています。
若手エリートの不満にはもう1つ理由がありました。アブデュルハミト2世は、忠誠心の高い人物を優遇し、本来なら一兵卒で終わりそうな教養のない兵士を高級将校や将軍に取り立てていたのです。
テッサロニキで最先端の教育を受け、外国語を使いこなすケマルたちから見れば、社会ダーウィニズム的に「必ず滅びる古い君主制」に尽くす人物が、何もわかっていないまま上司として出世していくことになります。この苦痛が、スルタンを倒すべきだという過激な考えを育てていきました。
詩まで捨てようとした「統一と進歩委員会」
スルタンへの反感を持つ若手エリートたちは、政治結社「オスマン統一委員会」を作ります。この結社は、スルタンをどうするかといった具体的な動きを始めていきました。
科学主義の徹底ぶりを示す例として、中核メンバーの1人であるシェラーフェッディン・マームーミー博士の主張が紹介されます。マームーミー博士は、詩は科学的ではないので廃棄したほうがいいと主張していたそうです。
楊さんはこの話に思わず笑ってしまったと言いつつ、「文学や詩に意味はない」という考え方は今でもあると指摘します。19世紀末ごろからの科学信奉の流れは、形を変えて現代まで続いているという見方です。一方でケマルは詩が大好きで、詩人を目指した時期もあったため、同じ潮流の中でも少し違う立ち位置でした。
オスマン統一委員会はやがて「統一と進歩委員会 ── 青年トルコ人の中心的な政治結社。1908年の革命を主導し、その後オスマン帝国の政治を掌握していきました」へと名前を変えます。この「進歩」は、科学と宗教が戦えば科学が勝つという、社会ダーウィニズムの影響を受けた進歩の意味でした。
1896年ごろ、イスタンブールの青年トルコ人グループはスルタンの廃位計画を企てます。しかし計画は事前に発覚し、一斉検挙されたメンバーはパリへ逃れることになりました。それでも国内では不満がくすぶり続け、エリート層がクーデターを起こしかねない一触即発の状態が続きます。
エリート中のエリートが、なぜシリアへ飛ばされたのか?
同じ頃、ケマルは大学で参謀科を卒業し、エリートとして高い地位で軍に配属されます。当時のオスマン帝国軍は地域ごとに5つの軍に分かれていました。
| 軍 | 担当地域 | 特徴 |
|---|---|---|
| 第1軍 | イスタンブール | 首都を守る近衛軍 |
| 第2軍 | ブルガリア方面(トラキア地方) | バルカン半島の東側を見る |
| 第3軍 | マケドニア地方 | バルカン諸国に囲まれ、テッサロニキにも近い最重要地域 |
| 第4軍 | 東部アナトリア | 対ロシアの防衛線 |
| 第5軍 | アラブ方面 | ダマスカスやバグダッドなどを守る |
ケマルが希望したのは第3軍でした。故郷に近いうえ、戦闘が起こりやすい最もホットな地域で、政治結社の活動もこの地域の将校たちが中心でした。他のエリートたちも、同じく第3軍を志望していました。
ところがケマルは第5軍に任命され、シリアへ派遣されます。理由の1つとして、ケマルはスルタン暗殺未遂事件への関与を疑われて逮捕されかけ、証拠不十分で釈放されたものの、危険人物として警戒されていたことが挙げられています。
一方、この直後の時代に活躍する軍人エリートたちは、みな第3軍に派遣されていました。ケマルはキャリアの最初で一歩出遅れたことになります。ただし楊さんは、この出遅れが後に命拾いにつながると予告しています。
シリアでケマルは政治結社「祖国と自由委員会」を自ら作ります。しかしアラブ社会にはトルコ人が少なく、青年トルコ人のトルコ主義を共有できないため、活動はいまいち盛り上がりませんでした。
末席のケマルと、青年トルコ人革命の成功
参謀上級大尉に昇進したケマルは、ようやく第3軍の参謀本部へ異動します。しかしその頃には統一と進歩委員会が大きくなっており、自分の結社を育てるより合流するしかない状況でした。合流したケマルは、出遅れのために末席にしか加われませんでした。
その間にも事態は動きます。テッサロニキでは郵便局員のタラートが「オスマン自由協会」を作り、第3軍の青年将校を多く取り込みました。このオスマン自由協会と、パリに逃れていた統一と進歩委員会が合体し、組織は息を吹き返します。
復活した組織は、わずか1年ほどで第3軍と第2軍のエリート将校たちに浸透していきました。帝国の行く末に危機感を募らせた各地の将校が一斉に蜂起し、宮廷に憲法の復活と議会の再開を要求します。
アブデュルハミト2世は約30年間議会を止めていましたが、自分の軍隊が反乱している状況では要求をのむしかありませんでした。これが青年トルコ人革命 ── 1908年、統一と進歩委員会系の将校たちの蜂起により、停止されていた憲法と議会が復活した出来事です。
この革命は帝国各地の民衆に歓喜をもって迎えられたと語られます。スルタンの密偵組織は解散させられ、自由・平等・公正・友愛のスローガンが掲げられました。
議会の再開と、皇帝の退位
革命直後の統一と進歩委員会は、政権を取ったわけではなく、外から圧力をかけて言うことを聞かせている立場でした。しかし革命のすぐ後、ブルガリアが独立を宣言し、オーストリアがボスニア・ヘルツェゴビナを併合し、ギリシアがクレタ島を取り込む動きを見せます。
領土が次々に切り取られる中、ムスリム難民がアナトリアに流入して混乱が広がりました。「この国はやばいのでは」という空気の中、次の選挙で統一と進歩委員会派の議員が圧勝し、約30年ぶりに議会が開かれます。
これに対し、アブデュルハミト2世に取り立てられた非エリート層の軍人が反革命を試みます。若い青年将校には軍を動かす権限はありませんでしたが、同情的な将軍が軍を動かして反革命を抑え込みました。スルタンの命令が誰にも届かない、中央の権力が消えた状態だったと説明されます。
その後、議会でアブデュルハミト2世の廃位が決議され、何も文句を言わない傀儡のスルタンとしてメフメト5世が置かれます。スルタンという権威は残し、実務からは引き離した形です。
アブデュルハミト2世が議会を約30年止め、密偵組織を使って専制を行う
議会が再開して統一と進歩委員会派が多数を占め、スルタンは傀儡のメフメト5世に代わる
退位を迫られたアブデュルハミト2世は「自分は国民のために働いてきた」と抵抗したそうですが、効果はなく幽閉されます。深井さんは、インフラ整備など国のために働いた人物でもあったことに触れ、そこに切なさを感じると話しています。
エンヴェルとニヤーズィ、2人の英雄の明暗
青年トルコ人革命からは2人の英雄が生まれます。マケドニア地方で武装蜂起を主導したエンヴェル少佐と、ニヤーズィ上級大尉です。上級大尉はケマルと同じ階級で、将軍に比べればまったく偉くない立場でした。
それでも2人は旧世代を倒した新世代として民衆に称えられます。音楽家は曲を、詩人は詩を作り、2人の名前を付けた戦艦が購入され、子どもにエンヴェルやニヤーズィと名付ける人が相次いだそうです。
いや、大人気やん。はいはい。浜崎あゆみぐらい人気やん。
楊さんは、自分と階級がそれほど変わらない人物がライジングしていくのを見て、ケマルは「なぜ自分ではないのか」と思っていたのではないかと推測します。エンヴェルはケマルより年上でした。
ニヤーズィはアルバニア系で、トルコ主義を掲げる統一と進歩委員会との間で苦しみます。アルバニア人ナショナリストからは裏切り者と見られ、アルバニア人に暗殺されてしまいました。こうしてエンヴェルが一人の英雄として残ります。
役職が低いのに実権が強いという状況は、混乱期に特有だと楊さんは言います。例として挙げられるのが、大臣になる前から誰もが言うことを聞かざるを得なかった織田信長です。
スルタンを倒せば、すべて解決するのか?
統一と進歩委員会派は政権を握り、立憲制を敷こうとしますが、うまくいきません。多民族・多宗教の帝国をどう統合するかという永遠のテーマは、スルタンを退場させても残ったままでした。
樋口さんはこの状況を江戸の幕末にたとえます。西洋という「黒船」を前に、イスラム共同体を立て直すのか、新しい国を作るのか、オスマン帝国を支えるのかといった議論が百出し、その最中に第1次世界大戦が迫っていました。
外からも圧力が続きます。アルバニア人の反乱、混乱に乗じたイタリアの宣戦布告、そして「アラブこそイスラム共同体の長になるべきだ」という言論まで起こりました。その結果、統一と進歩委員会はトルコ主義を取り下げざるを得なくなります。
楊さんは、アブデュルハミト2世さえ辞めさせれば解決すると考えていた人たちが、結局同じところに落ちていたと指摘します。最適解を知るには情報が必要で、その情報はスルタンのような立場にならないと見えないものも多い、という見方です。
楊さんは、民主主義でこの理屈を持ち出すと何も言えなくなる危険な考え方だと断りつつ、現象としては実際にあると話します。深井さんも「あると思う」と応じています。
バルカン戦争で故郷を失ったケマル
イタリアと戦争している最中のオスマン帝国に、今度はバルカン諸国が同盟を結んで一気に攻めてきます。1912年ごろ、モンテネグロの宣戦布告にセルビア、ブルガリア、ギリシアが加わり、第1次バルカン戦争 ── 1912〜13年、バルカン同盟諸国がオスマン帝国と戦った戦争。オスマン帝国はバルカン半島の領土の大半を失いましたが始まります。
オスマン軍は劣勢に立たされ、11月には統一と進歩委員会の本部があったテッサロニキが陥落します。イスタンブールに次ぐ重要都市であり、ケマルにとっては故郷でした。
この戦争はケマルに大きな影響を与えたと言われます。ヨーロッパの文明を手本にすべきだと考えながらも、ヨーロッパを信頼できるかは別の話だという考えを強め、「西洋のものは取り入れるが、西洋には警戒心を持つ」というスタンスになっていきました。
国内では敗戦の責任が統一と進歩委員会派にのしかかり、反対派が進出して統一派を逮捕するなど、昨日の友が今日の敵になる状態が続きます。楊さんはこれを、戦国時代の織田信長登場以前のような状況だと表現します。
エディルネの割譲を求められた際、割譲に傾いたのは統一と進歩委員会ではない側の政権でした。これに対しエンヴェルたちは白馬に乗って大宰相府を襲撃し、陸軍大臣を殺害し、大宰相に辞任を迫ります。しかし戦争を再開しても勝てず、ロンドン条約でエディルネを含む領土を失いました。
この一連の間、ケマルは第1次バルカン戦争に出征してはいたものの、重要な役職を任されず、派閥の中の無名の人という立場でした。楊さんは、細かい経緯を覚える必要はなく、重要なのは「超混乱している」ことだとまとめています。
フィクリエとの出会いと、ソフィアへの駐在
バルカン戦争が終わると、ケマルはイスタンブールに戻り、友人の家に寄宿します。テッサロニキが奪われたため、母や妹、親戚もイスタンブールに逃げてきていました。
その中に、母の再婚相手の姪にあたるフィクリエという女性がいました。血のつながらない親戚にあたるフィクリエはケマルを想うようになり、2人はいい感じになったといいます。フィクリエはこのとき16歳ぐらいでした。
ケマルには、エリート校の同級生で親しい友人のフェトヒがいました。フェトヒはエンヴェルたちと対立して軍人を辞め、統一と進歩委員会の事務方に移り、ブルガリアの首都ソフィアの大使になります。
ソフィアは少し前までオスマン帝国領だった場所です。フェトヒから「駐在武官として来てほしい」と誘われたケマルは、ソフィアに赴任します。楊さんによれば、この時点でもケマルは出世頭ではなく、ソフィアも時代の流れを変えるような場所ではありませんでした。
それでも楊さんは、ここから10年も待たずにケマルがライジングしていくと語り、「本当おもろいよね、人生」と話しています。
エンヴェル・タラート・ジェマルの三頭政治
その頃、統一と進歩委員会では三頭政治が始まっていました。第2次バルカン戦争でエディルネを奪還して英雄に返り咲いたエンヴェルは、軍人でありながら陸軍大臣に就きます。
| 人物 | 就いた役職 | 番組での説明 |
|---|---|---|
| エンヴェル | 陸軍大臣 | エディルネ奪還で英雄に返り咲き、軍人のまま大臣に |
| タラート | 内務大臣 | 統一と進歩委員会の親方的存在 |
| ジェマル | 海軍大臣 | 「別に覚えなくていい」と紹介される |
陸軍・海軍・内務という重要ポストを3人が押さえ、統一と進歩委員会が政府を牛耳る体制になりました。ただし楊さんは、この時点ではオスマン帝国という枠組みはまだ残っており、枠組みの中の頭脳が入れ替わった状態だと強調します。
エンヴェルは皇族の女性と結婚し、帝室の親戚にまでなります。飛ぶ鳥を落とす勢いの大出世でした。
ソフィアのケマルが見たオペラと、実らなかった求婚
一方のケマルは、ソフィアの駐在武官にすぎませんでした。豪華なホテル暮らしを楽しんでいたものの、金銭的な理由でドイツ人家族の家に寄宿することになります。その家のヒルダ夫人との会話でドイツ語を磨き、ケマルがしばしば赤いバラを届けてくれたと、夫人は後に回想しています。
この頃のケマルは金遣いが荒く、給料を2週間で使い果たしていたそうです。樋口さんが高杉晋作を連想すると、楊さんも「高杉気味あるよね」と応じています。
ケマルはソフィアの社交界に出入りし、舞踏会やオペラを楽しみます。アブデュルハミト2世の時代に文学の出版が活発になった環境で育ったこともあり、芸術が好きでした。
オペラを観たケマルは、ブルガリアにはオペラがあり、このように芸術が発展した社会は簡単には敗北しないと語ったといいます。楊さんは、西洋文化が浸透した国だから強いという意味だろうと解釈しています。
ケマルは仮装舞踏会にも参加して注目を集め、ブルガリアの陸軍大臣と家族ぐるみの付き合いをするまでに人脈を広げます。そして陸軍大臣の娘ディミトリナにプロポーズし、本人からは承諾を得ますが、父親に反対されて話は立ち消えになりました。
ケマルがすぐにプロポーズすることについて、番組の制作メンバーの間では、軍人として来年生きているかわからない身だったからではないか、という意見が出たと紹介されます。
だからもう好きだったら告白する。結婚しようとする。このムーブをね、結構彼はするんですけど、なんか僕の中でそんなキャラじゃないんだよね。
やっぱずっといつ死ぬかわかんないと思ってたかもねって話で、なるほどなって思いました。
元スルタンが迎えた最初の夜
最後に、自分が育てた人材によって廃位された、アブデュルハミト2世のその後が語られます。幽閉先の離宮との連絡が不十分だったため、到着した元スルタン一行を待っていたのは、ほとんど何もない宮殿でした。
残されていたのは小さなテーブルといくつかの肘掛け椅子、木製の箪笥、そして2階のピアノだけで、床には絨毯もありませんでした。一行は床に直接座って最初の夜を過ごしたそうです。
夕食は猫の餌用とみられる皿にピラフとヨーグルト料理が盛られ、スプーンもフォークもなく手づかみで食べ、水も手で飲んだといいます。この扱いに、アブデュルハミト2世は「自分は絶対に殺される」と思ったそうです。
翌日からは生活物資が届くようになり、アブデュルハミト2世はその後イスタンブールに移されて幽閉が続きます。第1次世界大戦でオスマン帝国が敗れる直前に病死し、天寿は全うしました。約30年スルタンを務めた人物の落差を、樋口さんは「ラストエンペラーみたい」と表現しています。
回の終わりに楊さんは、次回ケマルがいよいよライジングすると予告します。今回描かれた出世の時間差こそが、後で効いてくるポイントだと語られています。
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まとめ
今回の話は、スルタンが近代化のために育てた科学信仰の若手エリートが、青年トルコ人革命でスルタンを退位させる物語でした。しかし革命後も帝国の統合という課題は解けず、バルカン戦争と政変が続く混乱の中で、ケマルは出世競争から外れたまま次の出番を待っています。
- 青年トルコ人は、スルタンの近代化政策が育てた、科学を信仰に近い形で信じる若手エリートだった
- 統一と進歩委員会は一度は弾圧されたが、国内の結社と合流して青年トルコ人革命を成功させ、アブデュルハミト2世を退位させた
- 専制君主を倒しても多民族・多宗教の統合という課題は残り、バルカン戦争で帝国は領土の大半を失った
- 英雄エンヴェルが三頭政治で頂点に立つ一方、ケマルは第5軍やソフィアに回されて出遅れたが、その遠回りが後に生きると予告された







