ゲーム解説でも話題の本郷先生、コテンラジオ初の研究者ゲスト
この回のコテンラジオ番外編には、東京大学史料編纂所教授の本郷和人さんがゲストとして招かれています。歴史番組でありながら、歴史を研究する先生をゲストに呼ぶのは、この回が初めてだそうです。
樋口さんの紹介によると、本郷さんは1960年生まれで、東京大学大学院で歴史学の博士号を取得しました。同所の助手、准教授などを経て、2012年に教授に就任しています。
本郷さんの専門は日本中世の政治史で、『中世朝廷訴訟の研究』『新中世王権論』など数十冊の著書があります。大河ドラマ『平清盛』をはじめ、ドラマや漫画作品の時代考証 ── 映画やドラマなどで、衣装・建物・言葉づかい・出来事が、その時代の実態に合っているかを専門家が調べて助言する作業ですにも携わってきました。
先生をお呼びするの初めてです。
深井さんと本郷さんが話すのは、この回で4、5回目ほどだといいます。NewsPicksやアスコープでの収録のほか、まだ発表できない別件の企画も進んでいるそうです。
出会いのきっかけを樋口さんが尋ねると、本郷さんは「ハチ公前でお目にかかった」と冗談で返します。樋口さんが「まさに歴史の改ざん」とツッコミ、本郷さんが「修正主義者でございますので」と応じる掛け合いで、場がなごみます。
深井さんは、話す前から本郷さんの本を読み、テレビでも見ていたそうです。さらに、日本の侍を題材にしたアメリカ製のゲームGhost of Tsushima ── 鎌倉時代の元寇(蒙古襲来)を背景に、対馬の侍を主人公とするアクションゲームです。2020年に発売されましたの特典動画で、本郷さんが解説者として出演しているのを見ていたと話します。
なんか何とか、何とかエディションを買わないと(解説動画が)出てこない。俺、何とかエディション買ってたから。
樋口さんは、出演者4人の中で自分だけが「超歴史弱者」だと立ち位置を明かします。本郷さんは、樋口さんにもわかるように話すことを自分の課題にすると応じました。
じゃあ僕はあの炭鉱の中のカナリアと同じで、あの、なんかうまいことセンサーにしていただければ。
なぜ日本史は4つに分かれるのか、そして「日本に古代はあったのか」
深井さんは、日本は古代と武士社会以降で社会の質がかなり違うと感じていると話します。そのうえで、日本の古代史を本郷さんがどう見ているのか、という大きな問いから聞き始めました。
本郷さんはまず、日本史が大きく4つに分けられることを説明します。古代史、中世史、近世史、近現代史の4つです。近世史はおおむね江戸時代、近現代史は明治以降を指します。
大学で日本史を専攻すると、この4つの中から1つを選んでゼミに入るのが一般的だといいます。本郷さんによれば、教養としての日本史と専攻としての日本史の違いは、古文書や日記などの生の歴史資料を扱うかどうかにあります。
本郷さんは、4つに分けた理由を「歴史資料の性質」だと説明します。古代、中世、近世、近現代では、それぞれ残っている資料の性格が違うことを前提に区分されている、という考え方です。
そのうえで本郷さんが紹介したのが、日文研 ── 国際日本文化研究センターの略称。京都にある大学共同利用機関で、日本文化を国際的・学際的に研究していますの所長である井上章一さんの著書『日本に古代はあったのか』です。本郷さんは、この本を「それは言わないお約束だよ」という本だと表現しています。
井上さんの問題提起は、日本の歴史を世界の歴史と比べてみると、日本で古代と呼ばれる時代は世界でいう古代にあたらない、というものです。本郷さんの説明では、たとえば卑弥呼の時代も、世界史で見れば中世にあたるといいます。
「古代のない国なんてあるのか」という疑問に対して、本郷さんはイギリス、フランス、ドイツも古代がなく、歴史は中世から始まっていると答えます。日本の古代と中世は一緒にしてもいいのではないか、というのが井上さんの考え方だと本郷さんは紹介しました。
研究者採用試験で見えた、古代史の「資料がない」問題
本郷さんは、井上さんの考え方を裏付けるものとして、史料編纂所での研究者の採用試験の話を「爆弾発言」として持ち出します。史料編纂所は前近代を扱う研究所なので、古代史の研究者も採用したいと考えて試験を行っているそうです。
ところが、古代史の研究者に点を取ってほしいと思って古代の問題を作っても、古代史の研究者は点が取れないといいます。中世の問題なら中世史の研究者、江戸時代の問題なら江戸時代の研究者の点が良いのは当然ですが、古代の問題では中世史の研究者のほうが点を取れてしまうのだそうです。
本郷さんはその理由を、古代に特化した資料は実はないからだと説明します。中世の資料が読める人は、古代の資料も読めてしまう、というわけです。
本郷さんは、古代史の研究者の気持ちもわかるとして、たとえ話を挙げます。野球の解説者がサッカーより野球が面白いと言いたくなるように、古代史の研究者は古代史こそ至高だと言いたいのだろう、という見方です。
ただ本郷さんは、井上さんの問題提起に対して古代史の研究者が反論せずに無視している状況には不満を示し、「真面目にそのこと考えてほしい」と話しています。
一方で本郷さんは、資料の面からも古代史の研究には切り抜け方があると考えています。考古学や地質の研究と協力すること、そして朝鮮半島や中国大陸との関係を研究し、世界と比較することです。中世史では外国との比較研究がまだ進んでいないものの、古代史は大陸との関係を学ばないと解明できないため、中国史を熱心に学ぶ研究者もいるそうです。
そうしたことから本郷さんは、古代史の研究はこれからますます大変になるのではないか、という見通しを語りました。
古代と中世の境目は西暦何年ごろか
ここで樋口さんが、そもそも古代と中世の境目がどのあたりにあるのかわからない、と率直に尋ねます。
(古代と中世が)歴史的な年号でいうとどの辺に境目があるのかっていうのから、ちょっと僕わかってないんですけど。
本郷さんによると、中世の始まりにも論争があります。1つは、源頼朝が1192年に鎌倉幕府を作ったと考え、そこから中世が始まるとする考え方です。もう1つは、土地の所有のあり方から見て、1100年ごろの院政 ── 天皇が位を譲って上皇となったあとも、上皇の御所である「院」から政治の実権を握る政治形態です。11世紀後半の白河上皇から本格化しましたの時代から中世とする考え方で、およそ100年前倒しになります。
古代の始まりについては、聖徳太子の時代である600年ごろに、日本が1つの国としてまとまる基本ができたとする考え方が明治以来あったといいます。本郷さんは、だからこそ聖徳太子が1万円札の肖像になったのだと話します。
ただ現在の古代史の研究者には、100年ほど後ろにずらし、700年ごろの持統天皇のあたりから古代が始まると考える人も多いようだ、と本郷さんは説明しました。
本郷さんの整理では、古代を600年ごろから1100年ごろまでとしても約500年、鎌倉幕府の成立から戦国時代までの中世も約500年になります。古代500年、中世500年という感覚だそうです。本郷さんがメインで研究しているのは、この中世です。
仏像は古代のほうが美しい?V字の歴史観という罠
深井さんは、古代の日本社会は資料が少なく、もやがかかったような印象があると話します。中国ではすでに記録がたくさん残っている時代に、日本では何をしていたのかよくわからない、という感覚です。
深井さんはさらに、律令制の影響が大きかったのか、言霊やシャーマニズムを重んじていそうな時代から国家として体をなしていく変化が、日本では紀元後というかなり最近に起きている印象があると語ります。そのうえで、古代から中世への移行のポイントを本郷さんに尋ねました。
本郷さんの答えは、古代から中世への変化は「大衆化」だ、というものです。
本郷さんが歴史を好きになったきっかけは仏教芸術でした。仏像や仏教建築は古代のほうが絶対に美しく、中世になるとダメになってしまう、と中学・高校のころから肌で感じていたといいます。
そのため大学に入ったころの本郷さんは、歴史は後退していくもので、古代の素晴らしい時代の栄光がだんだん忘れ去られていくのだと考えていたそうです。しかし本郷さんは、後で勉強してみると、その見方は「完全に罠」だったと振り返ります。
本郷さんが「罠」と呼ぶのは、古代が輝き、中世が暗黒で、明治維新で再び光が取り戻されるという「V字の歴史観」です。ヨーロッパにも、ギリシャ・ローマの栄光、中世の暗黒、ルネッサンスを経て明るい近代市民社会ができる、という同じ形の歴史観があると本郷さんは指摘します。
本郷さんによれば、古代社会はエリートの時代でした。一般の民衆の生活を自分たちは見ていなかった、と勉強するなかで気づいたといいます。そこで本郷さんは、古代の仏教芸術は誰のものだったのか、中世の仏教芸術は誰のものだったのか、と問い直すようになりました。
古代が輝き、中世が暗黒になり、明治維新(ヨーロッパではルネッサンスと近代)で再び光が戻るとする見方
文化が誰のものだったかを問い、エリートから武士、庶民へと受け手が広がっていく流れとして見る
源氏物語は誰に読まれていたのか
受け手の視点の例として、本郷さんは紫式部の源氏物語 ── 平安時代中期に紫式部が書いた長編物語。光源氏の恋愛と生涯を中心に、宮廷貴族の世界を描いていますを取り上げます。源氏物語は平安時代の文学の最高峰とされていますが、本郷さんは、平安時代に実際に読んでいた人はごくわずかだったと指摘します。
貴族ぐらいは読んでいたのではと思いがちですが、本郷さんによると、貴族が源氏物語を教養として共有するようになるのは室町時代だといいます。深井さんは「だいぶ後なんだ」と驚きます。
さらに江戸時代になると、源氏物語を否定的に捉える見方まで出てきたそうです。深井さんが儒教の影響かと尋ねると、本郷さんはそれもあると認めたうえで、貴族社会の中から出てきた考え方を紹介します。
本郷さんの説明では、幕府にいいようにやられている貴族の側から、「こんななよなよしたものを読んでいるから武士に負けるのだ」という意見が出てきたといいます。そして明治になってから、源氏物語は世界に誇れる大文学だと評価されるようになりました。
平安時代
読んでいた人はごくわずか
室町時代
貴族が教養として共有するようになる
江戸時代
貴族の側からも否定的な見方が出てくる
明治
世界に誇れる大文学と評価される
本郷さんは、誰がそれを受容しているのかという視点がないと、歴史の見方はおかしなものになってしまう、と話しています。
仏像や五重塔の質が下がったのは「大量生産」のせいだった
樋口さんは本郷さんの話を、仏像の例に当てはめて確かめます。古代はエリートが作ってエリートが楽しむものだったのが、中世には一般の人も作り、見るようになったのか、という整理です。本郷さんは「そういうことです」と答えます。
だからそれ(中世の仏像)は必然的にエリートじゃなくなるから質も下がりがちだよねっていうことなの?
本郷さんの答えは、中世になると「大量生産」になる、というものでした。
本郷さんによると、国宝になっているような古代の建物では、それぞれの大工が独自の技能をフルに発揮しています。たとえば五重塔なら、その五重塔にしか使えない技法でまとめられていて、見る人が「天才か」と感じるような作りになっているといいます。
一方で中世になると、プレハブの建物が大量にできるように、安く、どの大工でも同じように作れるレシピが公開されていきます。その結果として独自色は薄れ、オンリーワンではなくなってしまう、と本郷さんは説明します。
古代: 大工が独自の技能をフルに発揮し、その建物にしか使えない技法で作る。拝むのはエリート
中世: 誰でも作れるレシピが広まり、安く大量に作られる。独自色は薄れるが、武士や後には庶民も享受する
ただ本郷さんは、五重塔をみんなで拝みたいと考えたとき、古代の五重塔はエリートのものだったと指摘します。中世になると武士のものにもなり、江戸時代には庶民も入ってくる、という感覚だそうです。
本郷さんは楊さんの言葉にうなずき、質は悪いかもしれないが、みんなのものとして享受できることは悪いことではないのではないか、という話になると答えます。
こういう見方初めて聞きました。ありがとうございます。
深井さんも、寺社や武家が出てくることで、貴族だけでなく彼らも文化を享受する主体になっていき、江戸時代には町人や商人まで加わっていく、と整理しました。
巨人の星のちゃぶ台は室町時代につながっていた
本郷さんは、文化が庶民まで共有されていく例として、アニメ『巨人の星 ── 梶原一騎原作、川崎のぼる作画の野球漫画。1968年からアニメ化され、父・星一徹がちゃぶ台をひっくり返す場面が有名です』を挙げます。父親の星一徹がちゃぶ台をひっくり返す場面のように、畳の部屋にちゃぶ台を置いてご飯を食べる光景は、本郷さんたち昭和の世代には普通のものでした。
本郷さんによると、畳の生活の源流は室町時代の東山文化 ── 室町幕府8代将軍の足利義政が京都・東山の山荘を中心に育んだ文化。書院造や茶の湯、生け花などが発展しましたにあります。本郷さんは足利義政を「バカ将軍」と呼びつつ、義政がまとめた文化体系が実は昭和までつながっていたと話します。
深井さんが、それまでは板の間だったのかと尋ねると、本郷さんは、板の間であるうえに、庶民には家がない人もたくさんいたと答えます。床を張らない土間で暮らす建築の系統もあり、江戸時代の農民にも土間の家に住む人が多くいたそうです。
本郷さんは、安心して眠れる家があるという点だけでも、庶民の生活はどんどん良くなってきていると指摘します。だからこそ、古代が輝き中世が暗黒だという見方は違うのではないか、と本郷さんはまとめました。
古代と中世とか近世とかを、何て言うんですかね、庶民に対して広がっていく、受け手の増加みたいな目線で見たのはすごい初めてだったので。
なんか往々にしてその進歩主義的な見方で歴史を見てしまうことがやっぱ多いよね。
話は次回に続くことになり、最後に本郷さんの監修書『東大教授がおしえる やばい日本史』と『東大教授がおしえる さらに!やばい日本史』が紹介されました。深井さんが表紙の「63万部突破」の文字を読み上げると、本郷さんは「え、嘘!?」と驚いていました。
まとめ
本郷和人さんは、日本史の4つの時代区分が資料の性質にもとづくことを示したうえで、日本に古代はあったのかという問いを紹介しました。そして古代から中世への移行を、文化の質の低下ではなく、受け手が広がる「大衆化」として捉え直しています。
- 日本史の古代・中世・近世・近現代の区分は、それぞれの時代の資料の性格の違いにもとづいている
- 井上章一さんの著書を手がかりに、世界と比べると日本の古代は中世にあたり、古代はなかったとも考えられると本郷さんは紹介した
- 古代を輝き、中世を暗黒とするV字の歴史観は「罠」で、古代はエリートの時代だったと本郷さんは指摘する
- 源氏物語や五重塔の例から、誰が文化を受容しているかを見ることで、中世以降の大量生産を「みんなのもの」になる過程として読める
- 室町時代の東山文化に源流をもつ畳の生活が昭和まで続いたように、文化は庶民へと広がっていった





