「神の声が聞こえる」人と、出雲大社で何が起きたのか?
世界三大宗教シリーズを締めくくるおまけコーナーとして、樋口さんは「宗教体験アンビリバボー」を用意しました。各自がこれまで宗教と接した体験や、自分の宗教観を語ってもらう企画です。
深井さんは、自分自身が宗教体験をしたわけではないと前置きします。そのうえで、宗教体験をした人の話を聞く機会がとても多かったと話します。しかも仕事の場で、普通のスピリチュアルの域を超えて「神の声が聞ける」という人に何度も出会ってきたそうです。
なんか神の声とか聞ける人とかが出てくるんですよ。神の声を聞くってどういうこと?ってなるから、それを質問しまくるみたいなのは結構何回かあった。一人じゃないんですよ。
深井さんが挙げた具体例は、コンサル時代のお客さんです。普通に立派な職業に就いているその人と、深井さんの帰省中に地元の出雲大社 ── 島根県出雲市にある神社。大国主大神をまつり、縁結びの神社として知られます。深井さんはこの出雲の出身ですを一緒に回ることになりました。
出雲大社でのその人は、祈りながら神様と対話し、「こういうメッセージが来た」と口にしていたといいます。石に触れると「ここは2000年前にこういうことがあった」と話し、水と石は記憶媒体だという説明もされたそうです。
この出雲大社も神様がどっちの方向を向いてるかみたいな話をされる。だからこっちから祈ろとか言って、なんかあの普通の参拝のこのルートじゃないところから祈ったりとかするんです。
こうした体験を、深井さん本人は信じているのでしょうか。樋口さんにそう聞かれた深井さんは、「判断保留」というスタンスを取っていると答えます。
否定もできないじゃないですか。だって僕は体験できないわけだから。
深井さんが判断保留とする理由は2つあります。1つは、現代の計測機器では測れない第6感を相手が持っている可能性を否定できないこと。もう1つは、相手には深井さんに嘘をつくメリットがないことです。深井さんが少し引いているのに、相手はあえて話している。だから少なくとも本人は信じているのだろう、と深井さんは考えています。
見えないものは「ない」のか、まだ測れないだけなのか
樋口さんも、こうした話には判断保留の立場です。ただ、樋口さんは「そういう世界がないわけはない」と感じているといいます。根拠として挙げたのは、小学校にも上がっていない女の子が「幽霊を見た」と言う場面でした。
幽霊っていうものがその死後の世界でどうこうっていうのかどうかはわかんないですけど、僕に見えてないものが見えてるってことだけは、もうこれはもうあると思ってるんですね。
深井さんは、幻覚や幻聴という現象は実際に存在すると応じます。「見えている人には見えているし、聞こえている人には聞こえている」という点では、二人の考えは一致しました。深井さんは、それがいつか脳科学で解明される可能性も普通にあると見ています。
話はさらに「次元」へ広がります。深井さんが会った人は7次元か8次元の話をしていたそうです。一方の樋口さんは、「この世は16次元で、今生きている世界が君の前世なんだよ」と言われたことがあるといいます。深井さんは「どういうこと?」を繰り返しますが、樋口さんも言われた当時は言葉に詰まったそうです。
樋口さん自身は、この世界が三次元空間だけで完結していないと考えています。人間が漫画や映画、ゲームを作れる時点で世界はフラクタル ── 図形の一部分が全体と同じ形を繰り返す構造のこと。ここでは「人間が作中の世界を作るように、この世界もさらに上の世界に作られているかもしれない」という入れ子の比喩として使われていますになっている、という感覚です。深井さんはこれを「マトリックス的」と言い換えました。
樋口さんが例に出したのは『スラムダンク』です。作中の桜木花道にとって、時間は入学からインターハイへと一方向に流れます。けれど読者は、その全部を並べて同時に見ることができます。
だからってなってくると、なんか僕らの世界だけで判断できないものがあってもおかしくない。
深井さんも、人間のIQで理解できないことがたくさんある可能性のほうが圧倒的に高いと同意します。そのうえで、二人の立場には少し違いがあります。
判断保留だが「ないわけはない」と感じている。科学的根拠がないのではなく、今の科学で根拠をつけられないだけだと考える
判断保留。否定はしないが積極的に肯定もせず「かもね」で終わる。ただ、そういう話を聞くのは大好き
仕事の判断の場に「降霊」が持ち込まれたら?
「誰の話が一番衝撃だったか」と樋口さんに聞かれ、深井さんは一緒に密に仕事をしていた人の話をします。その人は外見ではスピリチュアルな人に見えません。けれど本当は超スピリチュアルで、一緒に働く中でその手の話が出てくるようになったそうです。
僕の中でその経験は、何て言うんだろう、境界を超えた経験だった。
深井さんはスピリチュアルな人たちにフラットに接していて、「外国人みたいな感じ」で付き合えるといいます。ただ、その仕事仲間には関心を持って聞きすぎたのかもしれない、と深井さんは振り返ります。その結果、フラットな仕事の場でもスピリチュアルな話が出るようになりました。
その人は「降霊」、つまり霊を降ろすことをしていました。深井さんが「どうやって?何を言うの?」と質問すると、明確なロジックで答えが返ってきたそうです。
でもなんか最終的にその仕事の判断の場でそういう話出ちゃって、いやこれ俺なんて返そうかなみたいな。
深井さんにとって、話を聞くこと自体は楽しい体験でした。けれど、そのロジックが仕事の判断に入ってきた瞬間、「やめて」と思ったといいます。そのロジックを深井さんは判断できないからです。この出来事が、深井さんにとっての「ハイライト」でした。
帰宅したら自分の部屋に知らないお坊さんが座っていた
楊睿之さんにとって宗教との接触のハイライトは、小学校1、2年のころの出来事です。家庭の事情で親戚の家に住んでいたころ、その親戚のおばちゃんが仏教を熱心に信じていました。宗派はわからないといいます。
ある日、楊さんが家に入ると、家の中がとても暗く、お香がたくさん焚かれていました。楊さんは「今日は一段と濃いな、おばちゃん気合入ってるな」くらいに思っていたそうです。
そしたら僕の部屋に何か見たことのないお坊さんが座ってるんですよ。なんか袈裟を、赤い袈裟みたいなの着て、ドンみたいな感じで座って、ええみたいな。
そのお坊さんは、おばちゃんが連れてきた「師匠」でした。楊さんは師匠の前でひざまずかされ、頭に手を当てられて、何かを呟かれたあとに息を吹きかけられたといいます。
あれはマジで衝撃でしたよね。僕が宗教と最接近した瞬間でしたね。
深井さんによると、楊さんは大学で比較宗教学 ── 複数の宗教を比べながら、信仰や儀礼、教義を学問として分析する分野。特定の宗教の立場に立たず、宗教を客観的にとらえることを目指しますを専攻していました。深井さんがこの体験を「出発点なんでしょ?」と聞くと、楊さんは「入ったきっかけかもしれない」と答えます。
楊さんの記憶に残っているのは、おばちゃんが毎日決まった時間に壁か棚に向かってお経を唱える姿です。信者にとっては当たり前の光景でも、子どもの楊さんには、普通の人とは違うエネルギーを発散しているように見えたといいます。
社訓、歌、令和への改元。宗教ではないのに宗教的なもの
楊さんのお経の話を受けて、深井さんは会社で毎日社訓を唱える例を挙げます。お経も社訓も構造は同じで、それによって組織はまとまる、というのが深井さんの見方です。楊さんは社訓が苦手だと笑いますが、深井さんは会社経営を始めてから見方が変わったといいます。
そういうのは僕も会社経営し始めて、ああいう儀式的行為の価値を改めて認識させられました
樋口さんも、大事なことを歌にして伝えると、グッと入ってくると同意します。宗教か宗教でないかの違いはあっても、何かを正しいと思ったときに儀式がすごく大事になるという点で、二人の話は重なりました。
さらに樋口さんは、自分にもそういう面があったと気づいた出来事として、平成から令和への改元を挙げます。時代が変わったと感じた瞬間にモチベーションが上がり、新しいことを始めよう、考え方をアップデートしようと思ったそうです。樋口さんはこれを冗談まじりに「年号教」と呼びました。
樋口さんの周りでは、改元のころに仕事を辞める人が急に増えたといいます。直接の因果はわからないとしたうえで、樋口さんは次のような連鎖があったのではないかと考えています。
きっかけ
平成から令和に年号が変わる
少数の行動
「これを機に結婚」「これを機に新しい人生」という人がぽつぽつ出てくる
波及
「あの人も辞めたし僕も」が1人から3人、10人、30人へ広がる
空気の形成
世の中の雰囲気ができ、結局みんなが影響される
樋口さんは、たった1つのきっかけがバタフライエフェクト ── ごく小さな変化が、連鎖を経て大きな結果を生むという考え方。蝶の羽ばたきが遠くの竜巻につながる、というたとえから来ていますのように広がっていく、目に見えない力があると感じているといいます。
無宗教でも、墓石は蹴れない
深井さんは、宗教に深くハマる人の中にも、以前は自分がここまでハマるとは思わなかったという人が結構いると話します。ある日突然光が見えて人格が変わった、という話もあるそうです。聞く側は戸惑いますが、本人はいたって真面目だといいます。
樋口さんは、迷わずに生きることは大事で、宗教はそのためのツールの1つ、くらいに留めておくといいと考えています。そのうえで、日本人は「無宗教」と言いつつ、実は宗教の中で生きているのではないかと問いかけます。
樋口さんがなるほどと思ったのは、タレントの伊集院光さんの話です。無神論の立場をとる伊集院さんでも、墓石を蹴ることはできないと言っていたそうです。
その時点で何かしら倫理なのか宗教なのかわかんないけど、何かしらそういうものと信じちゃってるっていう。
深井さんはこれに同意し、習慣として身についている部分もあると補います。さらに、人間には自分を超えた上位の存在を外につくる性質があるのかもしれない、と話を広げました。
深井さんによると、科学が発達する前の人間は自然に押さえつけられて生きていました。そこからアニミズム ── 自然物や自然現象に霊や魂が宿ると考える信仰のかたち。精霊信仰とも呼ばれ、多くの地域の古い信仰に見られますが生まれ、空や雷、太陽が信仰の対象になったのではないかといいます。
葬式はやめられるか?人前式という選択
樋口さんから宗教のまとめを求められた深井さんは、宗教は生活と密接に関わるものだと答えます。神様への信仰心があるかないかだけでは語れない領域がたくさん混ざっていて、制度も入っているからです。
じゃあ僕が別にそんなに仏教に帰依してないからといって、葬式をいきなり中断できるかって言ったら、いろんな理由でできないでしょ。
ただし深井さんは、これからの時代は相当変わるのではないかとも考えています。自分の世代が亡くなるときに葬式をやるだろうか、自分がやってほしいかを考えても、葬式は減るだろうと話します。
宗教は信仰心の有無を超えて、葬式などの制度を含む生活の一部だった
これからは相当変わり、深井さんの世代では葬式も減るのではないか
樋口さんは最近参列した結婚式が人前式 ── 神仏や教会ではなく、参列者の前で結婚を誓う挙式の形式。宗教色がなく、進行を自由に決めやすいのが特徴ですで、宗教色のない誓いの場が印象に残ったといいます。深井さん自身も、宗教を勉強していたからこそ、結婚式のときだけキリスト教になることに抵抗があり、あえて人前式を選んだそうです。
樋口さんは、人前式を選ぶのも選択、宗教にハマるのも選択だ、という見方を示します。深井さんが「まとまらなかった」と言うと、樋口さんは「まとまらないことが1つの答えのような気もする」と返しました。
宗教は信じてみないとわからない?
コーナーを終えた3人は、全7回にわたって宗教を掘り下げてきたシリーズを振り返ります。深井さんは、勉強したけれど難しく、一筋縄では理解できない、そして面白いと話します。
最後に楊さんが、宗教の核心について一言添えます。深井さんも、その感覚は本当にあると深くうなずきました。
樋口さんが「一度どこかで完璧に入信してみるのも面白いかもしれない」と言うと、深井さんは、3ヶ月ごとにいろいろな宗教を経験してみようかと考えたことがあると明かします。
そこで樋口さんが紹介したのは、新興宗教に本気で入信した弟子の話です。その弟子は内心では信じていないまま、興味と勉強のつもりで真面目に通っていました。
深井さんは「怖い」と反応しつつ、「でもリスペクトがないとダメだよね」と指摘します。樋口さんもそれはやってはいけないと同意しました。信じる人への敬意を欠いたまま宗教に近づくことへの戒めで、シリーズは締めくくられます。
まとめ
世界三大宗教シリーズの最終回では、神の声を聞く人、降霊をする仕事仲間、部屋に座っていたお坊さんといった体験から、3人の宗教観が語られました。見えないものを否定も肯定もしない判断保留の姿勢と、無宗教と言いつつ儀式や習慣の中で生きている日本人の姿が浮かび上がる回です。
- 深井さんは、体験できない以上は否定もできず、相手に嘘をつく理由もないため「判断保留」というスタンスを取っている
- 樋口さんは、見えないものは科学的根拠がないのではなく、今の科学で根拠をつけられないだけだと考えている
- 社訓や歌、改元のように、宗教ではないものにも人をまとめ、動かす儀式的な力があると語られた
- 墓石を蹴れない、葬式をやめられないといった感覚から、宗教は信仰心だけでなく生活や制度に深く溶け込んでいると整理された
- 宗教は信じてみないとわからないかもしれないが、近づくなら信じる人へのリスペクトが欠かせない




