「わかった気になる観察」はなぜ悪いのか?
前回の認知バイアスや正常性バイアスの話を受けて、樋口さんは佐渡島さんの著書『観察力の鍛え方』にある「いい観察と悪い観察」の違いについて尋ねます。
佐渡島さんは本を書き始めるまで、いい観察ができれば答えがわかるものだと考えていたそうです。漫画家にいい観察をしてもらい、それを作品に描いてもらう、という感覚だったといいます。
考えが変わったきっかけは、哲学者の苫野一徳さんと行った本質観取 ── 物事の本質について、参加者が自分の経験をもとに言葉を出し合い、共通して納得できる意味を探っていく哲学対話の手法のワークショップでした。そこで参加者が議論の末にたどり着いたのは、新しい問いと仮説が立つ観察こそがいい観察だ、という結論です。
反対に、佐渡島さんが悪い観察と呼ぶのは「わかった気になる観察」です。佐渡島さんは、科学が素晴らしいのは何かが解明されると次に解明すべきことも同時に見えてくる連続性にあり、その連続性を生み出すものがいい観察だと話します。
確かにこれ(観察で)わかったって思ったらもうループが終わるっすもんね、そこで。
次に何を観察しようかという新しい問いと仮説が立ち、理解が連続していく
わかった気になって、問いのループがそこで終わってしまう
佐渡島さんは歴史の理解も同じだと続けます。たとえば鎌倉幕府で初めて武家政権ができたと知ると、その前の政治体制は何だったのか、最初に作ったのは誰かと、興味が終わらずに続いていくといいます。
深井さんは、勉強を続けるほど「生きている間に全部は理解できない」とわかってくると話します。100歳まで今より速く勉強しても間に合わず、わからないことが超わかる感じになっていくそうです。
樋口さんが「どうせわからないなら意味がない」と諦める人もいるのではと投げかけると、深井さんは、それは何かのための手段として勉強している人の感覚だろうと答えています。
深井さんとヤンヤン、同じ武則天で何に興奮したか
深井さんは、問いの性質が人によって違うことも面白いと話します。同じテーマを調べても、楊さん(ヤンヤン)が気になることと深井さんが気になることは、傾向も性質も違うといいます。
深井さんが好きなのは構造を理解する系の問いです。武則天 ── 中国史上唯一の女帝。唐の高宗の皇后から権力を握り、国号を周と改めて自ら皇帝になった人物を勉強した回で深井さんが一番興奮したのは、武則天の人生ではなく、秦漢帝国 ── 秦と漢を一続きの帝国のあり方として捉える呼び方。中国の統一帝国の原型とされると隋唐帝国の差分だったそうです。
こういう風に違うから、こういうこともこれで説明できるし、これも説明できるようになったじゃんみたいな。
一方の楊さんは、中国で暮らし、権力体制の中にいる人たちともコミュニケーションした経験があるため、武則天の回では宮廷内の権力闘争に強い興味を持って勉強できたと振り返ります。
構造理解系。秦漢帝国と隋唐帝国の差分から中国史を捉え直す発見
人にフォーカス。中国での実体験から、宮廷内の権力闘争に関心
深井さんは、こうした個人差こそが、前回話題になった「眼鏡」、つまり物事を見るときのレンズの違いなのだろうと話しています。
時代と場所を超えた「相似形」を見つける快感
佐渡島さんは、過去の人の感情を深く理解したときに浮かび上がる構造と、別の時代や場所で理解できる構造が相似形になっているときが一番気持ちいいだろうと語ります。時代と場所を超えたフラクタル ── 部分と全体が同じ形をくり返す自己相似の構造。海岸線や雪の結晶などに見られるを見つけたとき、という言い方です。
例として佐渡島さんは、宇宙の銀河の数と脳のシナプスの数がほぼ同じだという話を挙げ、視点を変えると世界はとてもフラクタルなのだろうと話します。そのうえで、江戸時代や中国といった最初から決められた枠を取り払ったり、くっつけたりして歴史を再理解できると面白いと続けました。
深井さんはこの言語化に強く共感し、量子力学の理論が東洋哲学に適用できる話や、易経の棒の数が電子の数と一緒だという話などが超楽しいと話しています。
楊さんは、相似形を研究していくと、人間は絶対こう振る舞うと思っていたのに違う時代が出てくることがあると指摘します。わかりやすい例が性の歴史だそうです。
どこが相似形の部分で、どこがその時代のカスタマイズされたなんか機能なんかみたいなのがなんか分けられてくるっていう快感はあるですね、俺。
佐渡島さんはこれを遺伝子と環境の話につなげます。遺伝子の影響だと思っていたことが環境の影響だったと気づけば、常識に縛られない行動で環境そのものを変えることにも挑戦できるし、遺伝子で決められたことに意志の力でどこまで抗えるかも試せる。そう理解しながら挑戦すると、些細なことにも面白みを感じるといいます。
ジェフ・ベゾスとヨガの新ポーズは同じ観察力?
佐渡島さんは、資本主義の仕組みをメタ的に見てお金の流れを変える人と、新しいヨガのポーズを見つけて今までにない筋肉の伸び方に気づける人を、同じような観察力の鋭さとして捉えています。佐渡島さんにとっては、ジェフ・ベゾスのような人もヨガの新ポーズを見つけた人も、どちらも尊敬の対象だそうです。
楊さんは、佐渡島さんの本に出てくる料理人の話もこれに近いと受けます。素材と素材を組み合わせて新しい料理や空間を作ることは、新しい発見そのものだという見方です。
佐渡島さんによると、世界中の美味しいと言われる料理人のレシピでは、使われる食材がほとんど17種類ぐらいを境に増えないらしいとのことです。どんな天才でも、脳の中でミックスできる味はそれぐらいだと佐渡島さんは話します。
さらに佐渡島さんは、新しい寿司に挑戦する店でもカリフォルニアロールの発展形をメニューに入れないことに触れます。フカヒレやフレンチ的なアレンジはするのに、カリフォルニアロールは邪道とされる。そこに「みんな枠にはまっている」と感じるそうです。
編集者はクリエイターを「外に連れていく」仕事
深井さんは一連の話を聞きながら、佐渡島さんが凄腕編集者である理由が垣間見えた気がしたと話します。世界の切り取り方、観察によるメタ認知がすごいという受け止めです。
佐渡島さんは、編集者をクリエイターを外に連れていく仕事だと考えています。クリエイターは成長期に影響を受けた作品を自分なりに再現したいと思いがちなので、それを基礎力としつつ、枠の外へ行く作品を「あなたならこう作れるのでは」と提案するのが自分の仕事だといいます。
そのため佐渡島さんのやり方は、どんな本が今売れるかを考えるマーケター的な感覚とは違うそうです。全然売れないときも多いけれど、狙いがそこではないのであまりへこまないと話しています。
編集者としての喜びを聞かれた佐渡島さんは、福岡で深井さんと車に乗って雑談するときの例を挙げます。深井さんの思考に今までと全然違う視点が加わるような雑談ができると気持ちいいそうです。
掘り出す感覚なのか、整理してやる感覚なのか、見出す感覚なのか、どういうイメージなんですか?
佐渡島さんは、深井さんが世界史を俯瞰するのと同じように深井さんの知識を俯瞰し、こちらからなら外に出やすいのではと考えて質問してみる、と答えます。外に出た先で何を考えるかはわからないので、コントロールでも整理でもなく「思考の外に連れていく」感覚で、相手が普段と違う思考をして話すのを聞くのが好きなのだそうです。
すげえ趣味というか、すごい喜び方ですね。奇特な。
バイアスはなくすより「かかっている」と認める
樋口さんは、ネット記事で見た実験を紹介します。消しゴムやマンホールなど1つの物を1分間褒め続けるといいところばかり出てきて、次に貶すように言われると文句ばかり出てくる。本人たちも「どっちの自分が本当?」となっていたそうです。
佐渡島さんは、すべての物事には無限の意見が持てて、どの意見を選ぶかが意思だと話します。環境やバイアスに思考をジャックされないために、歴史の時代と場所を複数知っておくと、現在の政治や恋愛のつらさに対しても「ギリシャ時代ならこう、江戸時代ならこう、平安時代の恋愛と比べるとこう」と、いくつも意見を持てるといいます。
樋口さんが本で印象に残ったのは、バイアスをかけないようにするのではなく、常にかかっているかもしれないと思うことが重要だという話でした。そう思うことで、自分を不安定で、何者にもなれる存在のように感じたと話します。
佐渡島さんは「まさに不安定を楽しむ感じ」だと応じます。歴史を見ると固定した国は1つもなく、GAFAには誰も勝てないという声も、かつてモンゴル帝国に対して人々が抱いた感覚と同じかもしれないと話しました。
佐渡島さんは、アメリカがベトナム戦争で制覇できなかったのは違うルールで戦ったからだという例も挙げます。一方で、今は多くの人がお金で物事を判断する「一神教」に入信しているような状態で、それを信じない人が他者とコミュニケーションしにくい時代だとも語っています。
こだわりだと思っていたイライラは、実は不安だった
楊さんは佐渡島さんに、個人的に経験したバイアスと、それを乗り越えた体験を尋ねます。
佐渡島さんの個人の経験の中で経験されたバイアスと、それを乗り越えたその経験っていうのはもしあれば聞いてみたいんですけれども。
佐渡島さんが挙げたのは、会社を始めた頃の体験です。まだ結果の出ていないものに共感して集まってくれたメンバーはそれだけでありがたい存在のはずなのに、働きぶりに物足りなさを感じて怒ることがあったといいます。当時は、編集者としての自分のこだわりを伝えるのは必要なことだと考えていたそうです。
しかし途中で佐渡島さんは、自分が不安で早く結果を出してほしいだけなのに、そのイライラを「こだわりを伝えている」と自己正当化しているのではないかと考えるようになります。それ以来、社員に怒りやイライラが湧くと、まず何が不安なのかを自問自答するようになったそうです。
怒りは自分のこだわりの強さであり、メンバーに伝えるべきものだと考えていた
怒りの裏には結果が出ない不安があると疑い、まず何が不安なのかを自問する
気づいたきっかけは、妻が子どもを叱る様子でした。佐渡島さんは、母親が子どもを怒るのは子どもの将来が不安だからだと捉え、自分の怒りの裏にも不安があるのではと考えたといいます。
相似形で見たんですね。
佐渡島さんは、勉強しなさいと叱る妻に「勉強しないと子どもは何が困るんだっけ」と聞きに行くこともあったそうです。「のんきだ」と怒られることもあるものの、そうした問いを投げかける中で、自分が怒っているときは何なのかを考えていたと話しています。
今みたいな向き合いを自分にできるってすごいなんか難しいと思うんですよね。
南アフリカで読んだ『破戒』と、差別する自分を認める決意
樋口さんが自分の心と向き合う方法を尋ねると、佐渡島さんは、バイアスをなくすのではなく認めるという樋口さんの話から、中学時代を思い出したと語ります。佐渡島さんは中学時代をアパルトヘイト ── 南アフリカで1990年代初めまで続いた人種隔離政策。白人と非白人を法律で分け、非白人を差別したのあった南アフリカで過ごし、家にはメイドがいる生活だったそうです。
当時の佐渡島さんは、島崎藤村の『破戒』 ── 1906年刊行の島崎藤村の長編小説。被差別部落出身の青年教師が、出自を隠せという父の戒めと葛藤する姿を描くを何度も読み、差別を理解したいと考えて、先生に頼んで現代劇の脚本を書き、上演したといいます。中学2年のときの話です。
佐渡島さんは劇をしながら、心から差別をなくしたいとずっと思っていました。しかし最終的には、人は動物として差別したい気持ちを本能として消せないと考えます。そこで「自分は差別する人間だ」と自己認識し、今差別していないかと自分に問いかけられるようになろうと決めたそうです。
自分の心の中から差別をなくし、差別しない人間になりたいと願う
自分は差別する人間だと認め、今差別していないかを自分に問いかけてコントロールする
とんでもない中学生ですね。
深井さんが「これは3話目に聞きたい話」と言い、続きは次回の後編に持ち越されました。
まとめ
この中編では、佐渡島庸平さんの「わかった気にならない観察」という考え方を起点に、歴史の相似形を見つける面白さ、クリエイターを枠の外へ連れていく編集者の仕事、バイアスを認めたうえで自分に問い続ける姿勢が語られました。
- いい観察とは、答えがわかる観察ではなく、新しい問いと仮説が立ち続ける観察だと話されています
- 時代と場所を超えた相似形を見つけることや、枠を外して組み合わせることに、観察の面白さがあるとされます
- 佐渡島さんにとって編集者は、クリエイターの思考を外に連れていく仕事です
- バイアスや差別の気持ちはなくすより、あると認めて自分に問いかけることで扱えるという考えが示されました



