陳渉と呉広はどんな人物だったのか
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項羽と劉邦編の第3回は、始皇帝が死に、2代目の皇帝が即位したところから始まります。深井さんは、2代目の皇帝が民衆や旧勢力をひどく刺激していた状況を前提として押さえたうえで、新しい登場人物を紹介していきます。
今回の主役の1人は陳渉です。陳渉は陽城という町、今の河南省の生まれで、かつての六国でいえば楚の人にあたります。相棒となる呉広は陽夏という町の生まれです。
陳渉さんと呉広さんっていう人たちがいますと。
陳渉は、人に雇われて耕作をする仕事をしていました。深井さんは、これは日本の小作人とは違うと説明します。小作人が土地を借りて収穫の一部を渡すのに対し、陳渉は労働力だけを提供して賃金をもらい、その日暮らしをするような、とても貧しい立場だったといいます。
そんな貧しさの中で、陳渉は仲間に対してたとえ立派な身分になっても、お前らのことは忘れないぜといったことを言っていたと伝わります。
(仲間が)「いや本気かよ」と言ったら、「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」って言ったらしいですね。
深井さんは、この場面について「多分嘘」だとも述べています。後世に書かれた『史記』の脚色ではないかという見立てで、陳渉の人物像がどこまで史実かは慎重に扱うべきだという姿勢です。
遅刻すれば死刑——「どうせ死ぬ」から始まった反乱
志の高さで知られた陳渉は、やがて労役に徴発されます。北方警備の任にあたれと命じられ、呉広とともにそれぞれ50人ほどを率いる小隊の隊長として送られました。一行は全部で900人いたと伝わります。
ところが途中で大雨が降り、道路が使えなくなります。目の前がにわかに大湿原になって歩けなくなり、遠回りすれば行けるものの、それでは期日に間に合わなくなってしまいました。
問題は秦の法律です。期日までに到着しなければ、労役を放棄したと見なされ死刑になる。行っても死刑、逃げても死刑という、逃げ場のない状況に追い込まれたわけです。
これね、行っても死ぬし、逃げても死ぬんですよ。めちゃくちゃ困るんですよ、これでね。
絶望的な気分の中で、陳渉と呉広は相談します。どうせ死ぬなら反乱を起こして暴れてやろう、というのがその結論でした。
深井さんは、この一件を俯瞰して、秦の法律が厳しすぎて人権がなさすぎた副作用がここに現れたと解説します。死を簡単に覚悟させてしまうことが、反乱の起点になったという見方です。
無敵の人を生んでいく社会構造ですね。
なお、この「遅刻すれば死刑」が本当かどうかは学者も検証したそうです。深井さんによると、当初は史実とは違うという書き方がされていた本でも、結論としては本当に死刑だったと記されていたといいます。
盲点を自ら潰した秦——中央集権が瓦解する仕組み
深井さんは、この反乱を秦という国家の仕組みと結びつけて説明します。中央集権的な武力と常備軍があれば、こうした反乱が起きても潰すことは可能でした。しかし、その状態が崩れると一気に瓦解していく、というのがここで起こることです。
そもそも秦がなぜ中央集権を成功させ、厳しい法律を運用できていたのか。深井さんは、罰を嫌がった者をさらに罰する体制を持っていたからだと整理します。強制と処罰がセットで機能していたわけです。
ところが、そのバランスが崩れ始めていました。秦自身が、優秀な将軍や大臣を殺してしまっていたからです。深井さんはこれを「盲点を自分たちで殺している」と表現します。
強い中央集権
武力と常備軍で反乱を潰せる体制があった
厳しい法律
罰を嫌がる者をさらに罰することで運用できていた
盲点を自ら排除
優秀な将軍や大臣を秦自身が殺してしまう
瓦解
バランスが崩れ、反乱を止められなくなる
その状態で、陳渉のように「どうせ死ぬなら多くの者を道連れにしてやる」と考える人間が現れました。深井さんはこれを「テロリスト」と呼び、これが瓦解につながっていったと述べます。
「公子夫蘇と項燕だ」——バレる嘘で最大限かき乱す
陳渉は挙兵にあたり、呉広に次のように語ったとされています。天下は秦の圧政に苦しんでいる。2代目皇帝の胡亥は末子で本来立つべきではなく、本当に立つべきだった公子の夫蘇は辺境に追いやられ、罪もなく殺されたらしい。民は夫蘇を賢人と聞くが、その死をまだ知らない、という筋立てです。
もう1人、ここで初めて名前が挙がるのが項燕です。深井さんは、これが項羽の祖先にあたる楚の将軍だと補足します。項燕は士卒を愛したが秦に殺されてしまい、死んだとも逃げたともいわれ、その安否がはっきりしないと語られました。
もしここで俺たちが嘘ついて公子の夫蘇と項燕だって言ったら、めっちゃ兵士集まるんじゃない?
深井さんは、この発想のポイントを、陳渉たちがまだ天下を取ろうとか自分が王になろうという段階に至っていないことだと指摘します。今この瞬間に最大限かき乱すには、生きていることにすれば一番効く名前は誰か——それが夫蘇と項燕だった、という理屈です。
この嘘は当然いつかバレます。深井さんも前半の語りは後世の脚色だろうと見ています。それでも、陳渉が夫蘇と項燕を名乗ったこと自体は史実だろうと述べます。
でもバレるまでやってりゃ良かったんで、この人たちは。かき乱したいだけだから。
さらに2人は、兵士の心をつかむための演出も行います。占い師の助言という体で、陳渉が王になると赤い筆で絹の布に書き、それを魚の腹に仕込んで兵士に渡しました。腹から出てきた布を見た兵士たちは、神のお告げだと信じたと伝わります。
深井さんは、これを現代のフェイク動画にたとえます。教養のない人々にスピリチュアルな形で伝えれば、こうして信じてしまう。それを意図的な嘘として仕掛けたのが陳渉と呉広だった、という読み解きです。
王侯将相いずくんぞ種あらんや——挙兵の号令
陳渉と呉広は、一行を引率していた秦の役人2名をまず殺し、900人に呼びかけます。どのみち期限には間に合わず死刑になる。仮に死刑を免れても、辺境警備の任期のうちに10人中6、7人は死ぬ。それほど過酷な任務だ、という訴えでした。
そのうえで、どうせ死ぬなら大きなことをしてやろうと呼びかけます。ここで語られたのが、もう1つの有名な言葉です。
王侯将相、何ぞ為す之あらんや。
ただし深井さんは、これもおそらく脚色だろうと見ています。夫蘇や項燕という血筋を名乗って人を集めようとしているのに、同時に血筋は関係ないと言えば、自分で最大の矛盾を生むことになるからです。
まあこの王侯将相みたいな、こんなこと言えるタイプの人なんじゃないんだと思うよ。
こうして彼らは、真の公子夫蘇である、楚の名将項燕であると名乗りながら、各地を瞬く間に攻略していきます。
なぜ平民の反乱が街を次々落とせたのか
樋口さんは、ここで素朴な疑問を投げかけます。ただの小作人だった人物が、いくら人の理解を得たとしても、なぜ中央集権化された都市を次々と落とせるのか、という点です。
これに答えたのが楊さんです。当時の社会には、秦の過酷な法律に対する反感がたまっていました。だから反乱軍がやって来ると、住民の側から進んで降伏し、一緒にやりましょうという動きが起きたと考えられる、という説明です。
だから単純に屈したっていうよりは、寝返ったっていう感覚。
深井さんは、この場面を精緻に想像することが重要だと述べます。旧六国の人々は、自分の国を滅ぼされた屈辱と無念と絶望を根底に抱えていました。親や親戚を殺され、服従させられ、他国の法律を施行され、役人が偉そうに派遣されてくる。その状態を想像してほしい、という語りです。
さらに深井さんは、この時代に多くの戦争孤児がいたはずだと補足します。秦は統一の過程で大量に人を殺しており、家族ごと殺された人も少なくない。そうして生まれた孤児やアウトローが、都市の内外に隠れて住んでいたといいます。
楊さんは、この人々が反乱の集団を構成するメインの要素の1つになっていたと述べます。深井さんによれば、劉邦がまとめていくのはこうした勢力で、陳渉が決起させたのは、都市に住んで圧政に苦しむ、自分と同じ立場の人々でした。
そして彼らが実際に何をしたのか。深井さんは、それが通常の戦争ではなかったと強調します。市民が、街に派遣された秦の役人を殺して街を陥落させたというのです。
市民が市役所の人間を全員殺すとかしてるってことです。すごい状態ですよ。
深井さんは、これを内部からの反乱だと整理します。戦争で街を落としたというより、住民が役人を殺して独立を宣言していく、秩序のない混乱状態だったということです。
「あなたが生きているのは法律のおかげ」——降伏を迫る住民
この混乱の頂点にいた国のトップが趙高でした。深井さんは、胡亥と趙高が自分の権力のためだけに動いている状態で国が乱れていく、その危うさを指摘します。
国が滅ぶ時ってね、こんな感じなんで。マジでやべえんだよ。
楊さんは、ある都市が陥落したときのエピソードを紹介します。その町の住民たちは、街を治める県令という秦の役人に対して、降伏するよう説きました。
住民たちの言い分はこうです。あなたが生きていられるのは秦の法律があるおかげだ。私たちが法律を恐れているからあなたを殺さずにいるが、今は天下が乱れて法律が機能していない。こういう時、私たちのような者は、きっとあなたの腹に刃を差し込むだろう、というものでした。
降伏しますか?降伏しませんか?
深井さんは、この説得に前段があったと補足します。あなた方はこれまで法律によって、子を慈しむ父や親を思う子を何度も死刑にしてきた、という指摘です。
人の父を殺し、人の子を孤児にし、人の足を切断し、人の顔に入墨をして、お前らはものすごく重い刑罰をしてきただろうと。
つまり、あなたが今の地位にいられるのは法律が機能しているからにすぎず、機能しなくなれば即座に殺される、という発言です。深井さんは、これが役人に凄まじい恨みと恐怖を抱かせたと語ります。
中央への不信が招いた総崩れ——モードチェンジできなかった秦
なぜ役人たちはあっさり降伏したのか。深井さんは、役人から見た構図を整理します。目の前では反乱が乱れ、住民は自分を殺すと言っている。ならば中央の朝廷に助けを求めればよいはずですが、そこにも問題がありました。
役人たちは、中央がまったく国のことを考えていないと知っていました。国のために頑張った蒙恬将軍でさえ殺されている。助けを求めても、蒙恬のように自分の責任として殺されかねない、という不信です。
国のこと考えて頑張ってた蒙恬将軍殺したじゃん。だから誰ももう期待もしてないんですよ、中央に。
そのため役人たちは、降伏したほうがマシだと考えるようになります。深井さんは、この力学が働いたからこそ、戦争スキルもない陳渉たちの反乱の前に街が次々と落ちていったと説明します。
楊さんは、これを地方官が住民の不満を抑えきれなくなった状態だと言い換えます。深井さんは、始皇帝という発信点が崩れたことで、彼に依存していたガバナンスが総崩れしたと分析します。仕組みで動いていたわけではなかった、というわけです。
楊さんはもう1つの見方も提示します。漢代の学者による分析で、秦は天下を統一した時点で戦国モードから切り替えるべきだったのに、切り替えなかった、というものです。
維持をしていくためには、ちゃんと民衆に仁政を施して、それを維持していくフェーズに入っていくのに、ずっと戦国をやってるっていうモードを継続してるから、それが破綻を来したんじゃないかな。
張楚の建国と、戻ってきた戦国時代
各地で長官が殺され、陳渉に呼応する者が続出した結果、勢力は拡大していきます。自然な流れで陳渉は王に推戴され、ついに王を自称します。
その国号は張楚でした。深井さんによれば、張は膨張の張で「大きい」の意味。つまり大楚、グレート楚といったニュアンスです。楚の人である陳渉が、滅ぼされた自国を復興させるという意味を込めたものだと解説します。
陳渉はこの軍勢を東西南北に分け、腹心の呉広も派遣して秦攻略軍を組成していきます。一方で、この混乱に乗じて旧六国――燕、趙、斉、楚、韓、魏――のすべてで王を立て、独立の機運が高まっていきます。
あら、もう戦国時代、元通りみたいな。
深井さんは、統一からまだ10年ほどしか経っておらず、滅ぼされた人々の多くが存命だったと指摘します。彼らにとって自国の復活こそがデフォルトの願いだったわけです。
楊さんは、この段階で多くの王が誕生したと述べます。陳渉のような平民出身の王もいれば、旧王族の王も現れました。深井さんは、この秩序の乱れの中から項羽と劉邦が一勢力として登場し、最終的に彼らの対決へ向かっていくと展望します。
章邯の登場と、烏合の衆の限界
陳渉・呉広の反乱は広がり続けますが、限界もありました。深井さんは、集まったのが烏合の衆であり、まともな軍隊とはまだ戦っていなかったと指摘します。
そして秦にも強い将軍がいました。章邯です。深井さんは、蒙恬に並ぶ名将と言われることもあるが、蒙恬ほどではないと自身の見立てを添えつつ、直後の時代の名将として紹介します。楊さんも、当時の秦の残存兵力の中では兵を扱える人物だっただろうと述べます。
陳渉は周文という人物を将軍に起用して章邯にあたらせます。周文はもともと項燕将軍の下で暦の吉凶を占う仕事をしていましたが、兵法にも通じていると自ら売り込んできた人物でした。
しかし周文はあっけなく章邯に敗れます。この敗北は陳渉の配下に動揺を広げ、別戦線で戦っていた呉広は、その動揺した配下たちに殺されてしまいます。
あ、呉広死ぬんや、もう。
呉広を殺した者たちは、呉広は威張るだけで戦略がないとして、自分たちのやり方で戦おうとしました。しかし彼らもまた章邯に敗れます。章邯が将軍としてしっかりしたスキルを持っていたことの表れです。
深井さんは、こうした組織は一度負ければ終わりだと述べます。大義名分もあるようでなく、そもそも無茶苦茶にしてやろうと始めた反乱がたまたま大きくなっただけで、陳渉に王となる必然性やカリスマ性、戦争の強さがあったわけではなかったからです。
わずか半年で終わった反乱が残したもの
楊さんは、それでも陳渉たちには意味があったと補足します。彼らは秦に抵抗する運動の導火線になった、というのです。
ただ、その秦に抵抗する運動の導火線になったっていうのは彼らなんですよね。
深井さんは、陳渉が頼りなくなっていくプロセスと反比例するように、各地の勢力が独立していったと整理します。陳渉が頼もしければ人が集まったかもしれないが、どうにもならなさそうだからこそ、みなが自分で独立していった、という見方です。
章邯の攻撃目標は、混乱の元凶である陳渉に絞られます。同じ年のうちに陳渉は章邯に敗れ、逃亡の途中で御者だった荘賈という人物に殺されてしまいます。王を自称してからわずか半年のことでした。
深井さんは、陳渉には反乱を革命に変えるだけのビジョンや統率力がなかったと述べ、楊さんも能力の問題を挙げます。それでも、死を覚悟して始めた「かき回す」という当初の目的は、見事に成功していたともいえます。
樋口さんは、本人が死ぬと確定した後の動きで歴史が動いたことに驚きます。深井さんは、陳渉が最後にかき回そうとした試みは言葉どおりに成功し、王を自称するところまで至るとは本人も思っていなかっただろうと述べます。
胡亥に届かなかった真実——ごまかされた深刻さ
章邯によって陳渉・呉広の反乱が討たれたことは、胡亥にはどう報告されていたのか。深井さんによれば「軍盗が起こり、追撃中で何の心配もいりません」といった内容だったといいます。
しかし実情はそのレベルではありませんでした。各県が蜂起し、役人が殺されている、ほぼクーデターというべき事態です。ところが胡亥は、その状況すら知らされていませんでした。
これは秦の法律が想定する枠内での騒ぎですよ、対処できますよっていう深刻さを実はごまかしてるんですよね。でも実情はもう制御不能な状態になってるんですよね。
なぜ真実を伝えなかったのか。深井さんは、当時の胡亥が趙高のイエスマンや取り巻きに囲まれていたからだと説明します。趙高からすれば、真実を伝えて胡亥に変な動きをされても困るため、あえて伝えなかったという構図です。
樋口さんは、雨が降ったことをきっかけに歴史が動いていく展開に驚き、陳渉と呉広の結末に切なさを覚えたと語ります。深井さんも、このシリーズは基本的に切ないと応じ、各地で起こった反乱がこの先どう展開していくかは次回に持ち越されます。
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まとめ
遅刻すれば死刑という秦の法の下で追い詰められた2人の平民が、開き直って始めた反乱。それは半年で潰えたものの、秦を総崩れさせ、戦国時代を呼び戻す導火線となりました。項羽と劉邦は、この混乱の中から登場します。
- 大雨で期日に間に合わなくなった陳渉と呉広は、行っても逃げても死刑という状況から反乱を決断した
- 陳渉は公子夫蘇と項燕の名を騙り、バレる嘘でも最大限かき乱すことを狙った
- 反乱は戦争ではなく、圧政に苦しむ市民が秦の役人を殺して街を落とす形で広がった
- 始皇帝という発信点が崩れ、優秀な将軍を自ら殺していた秦は、反乱を止められず総崩れした
- 陳渉は王を自称して半年で章邯に敗れ殺されたが、秦への抵抗運動の導火線として歴史に名を残した







