文字のない時代、人はどう記録していたのか
「歴史に学ぶコミュニケーション概論」の2つ目のキーワードは「文字」です。深井さんは、文字の登場が人類の思考回路を徹底的に変えたと話します。
めちゃくちゃでかくて、実は文字の登場というのが、人類の思考回路を徹底的に変えてるんですね。
現代人は当たり前に文字を読み書きしていますが、深井さんによれば、人類史のうえではそれができるようになったのはごく最近のことです。それまでの数万年、人はずっと声だけでコミュニケーションをしてきました。
深井さんは、文字を一度も読んだことのない人と、文字を読める人とでは思考回路がまったく違う、という研究があると紹介します。違いは多岐にわたるため、番組ではかいつまんで話が進みます。
深井さんが最初に挙げる変化は、記録と分析ができるようになったことです。文字は情報の外部ストレージになり、人は覚えておく必要がなくなりました。
それまでは声で覚えやすいことしか覚えれなかった。
覚えやすくする方法として、樋口さんは歌を挙げ、深井さんは吟遊詩人 ── 各地を巡りながら詩や物語を歌い語った人々。中世ヨーロッパのものが有名で、文字に頼らず口承で物語を伝える役割を担いましたを例に出します。
深井さんによると、古代文学は文字の文化ではなく声の文化から生まれたものです。そのため韻を踏む、同じことを繰り返す、「屈強な兵士」「勇猛果敢な兵士」のように華美な形容詞をゴテゴテと付ける、といった特徴があるといいます。
枕詞として使ってるんですね。こういう兵士とセットとして覚えやすいようにってことです。
深井さんは、人類は長くそうした記録の仕方しかできず、物事を本質的かつ客観的に記述できるようになったのは文字が出現してからだと説明します。
新聞が詩で書かれていたら?文字が生んだ抽象的な思考
樋口さんは、声の文化の記録の仕方を現代に置き換えます。毎日読む新聞が韻を踏んだ詩の形式で書かれていたら、「真面目に新聞やる気あるのか」となるはずだ、というたとえです。
全く世界の認識が全く違うんですよ。
深井さんによれば、今の新聞は事実を伝えるために「誰が、いつ、どこで、何を、どうやって」という5W1Hで書かれます。しかし、それは現代人にとって当たり前なだけで、昔の人はそういう認識の仕方で世界を見ていなかったといいます。
さらに深井さんは、文字を一度も読んだことのない声の文化の人々は、三角・四角・丸といった概念を認識できないと言われていると紹介します。お皿というものは認識できても、「丸」という概念は捉えられない、という研究です。
樋口さんが「図形を図形として捉えられない」とまとめると、深井さんは図形に限らず、抽象的な概念を概念として認識することに長けていないのだと補足します。
思考の深め方も変わりました。深井さんは、文字が浸透する前の思想家は対話で思考を進めていたのに対し、文字が浸透すると一人で深いところまで考えられるようになったと話します。
樋口さんが「計算のメモができる」と応じると、深井さんは数学も文字がなければすべて暗算になってしまうと続けます。暗算でこなせる人がいたとしても、ごく限られた人であり、その人も書けたほうがよりできるはずだという話です。
声で覚えやすいことしか記録できない。韻・繰り返し・華美な形容詞で記憶を助け、思考は対話で進める
外部に記録でき、事実を5W1Hのように客観的に記述できる。抽象概念を扱い、一人で深く考えられる
この図は、声の文化と文字の文化で、記録の仕方と考え方がどう違うかを整理したものです。
トークの名手はなぜ「書く」のか
樋口さんは、吉本の先輩である矢野・兵動 ── 吉本興業所属の漫才コンビ。兵動大樹さんは「人志松本のすべらない話」の常連として知られ、トークの名手と評価されていますの兵動さんのエピソードを紹介します。兵動さんはYouTubeで、トークがうまい理由を「書くんや」と明かしていたそうです。
兵動さんはトークの流れを一度すべて書き出し、ここは要る、ここはボリュームを足したい、この振りは前に持ってきたほうがいい、と構成を見直すといいます。樋口さんはこれを「構成を図形的に見ている」と表現します。
深井さんはこの例を非常にわかりやすいとし、自分が話していることを客観的に認識するのも、文字が書けなければできないと話します。そのうえで、鍵になるのは実際に書くかどうかではないと強調します。
だからさっきおっしゃったその兵動さんみたいに、書いても書かなくても、書いたことがある人間はそういうことをできるんですね。書いたことがないと、その概念が存在しないから。
分析的思考について、楊さんは、分析にはデータベースが必要だと指摘します。音声だけでは情報はその場限りで終わり、人間の記憶の中にとどまるだけで、その記憶も寿命に制限されるという理由です。
樋口さんはこれを戦争ゲームにたとえます。言葉だけのコミュニケーションは銃を抱えた一人称視点の世界で、文字の世界はそれを真上から見た2次元マップのようなものだというイメージです。楊さんは国づくりのゲームを挙げ、深井さんは「信長の野望的なやつ」と応じます。
深井さんは、文字も実は発明であり、その中でも文字の発明のインパクトが一番大きいと話します。次回扱う印刷や電信、モールス信号は、その延長線上にあるという位置づけです。
紙の発明はなぜ大きかったのか
文字の次の大きな発明として、深井さんは紙を挙げます。間にはパピルスなどもありますが、紙は西暦105年ごろ、今から1900年ほど前に中国で発明されたといいます。
世界史の教科書では蔡倫 ── 後漢の宦官。紙の発明者として教科書に載ることが多い人物ですが、それ以前から紙が存在したことが出土品からわかっていますの発明とされていますが、深井さんは彼の発明ではないことが最近わかったと話し、楊さんは改良者だったようだと補足します。
深井さんによれば、紙はアジア、特に中国でさかんに使われました。それ以前は木簡 ── 文字を書くために細長く削った木の札。紙が普及する前の中国や日本で、行政文書などの記録に広く使われました、さらに前は石板や粘土板、ほかにもパピルスや羊皮紙などがありました。
深井さんが挙げる紙の良さは、コストの低さです。生産体制を整えていれば気軽に使え、たくさん書いてメモできるため、数学が発展したという話もあるといいます。
大きな国はなぜ数字と紙なしに回らないのか
楊さんは、大きな国を統治するために数学を発達させざるを得なかったと話します。税の納付、人口の管理、どこでどれだけの生産物が生まれているかといった情報を扱う必要があったからです。
(それまで人類が接してきた情報は)例えば木の下にキノコが生えてるとか、あそこに獣の群れがいるとか、それぐらいの認識で良かったんですよね。
楊さんによると、国が大きくなるほど管理すべき情報は膨大になり、人間の記憶だけでは覚えきれません。そこで初めて、人が認識する情報の中で数字が大きな存在になり、紙に記録して管理することで大きな国が回るようになったといいます。
深井さんは、古代中国で官僚制 ── 役割や権限が規則で定められた役人の組織によって行政を運営する仕組み。中国では文書による行政とともに整えられていきましたができていった背景に紙があると話します。官僚制を最初に体系的に形作った中国王朝は、紙の上に成り立っていると言っても過言ではない、という見方です。
紙は木簡より運びやすく、大量の情報を遠隔地へ文章で伝えやすくなりました。それ以前は使者に内容を覚えさせて伝えていたため、伝言ゲームのように少し間違って伝わることもあったかもしれない、と深井さんは話します。
深井さんは会社にたとえます。小さな組織なら口頭で済みますが、大きくなると直接関わらない人が出てきて「Slackに書いといて」となります。国家で同じことが起き、Slackの代わりに紙が使われたというわけです。
国が大きくなる
税・人口・生産物など管理すべき情報が膨大になる
記憶では足りない
数字で把握し、紙に記録して管理する必要が生まれる
文書で伝える
運びやすい紙で遠隔地へ指示を正確に届ける
官僚制が成立
古代中国で、紙の上に成り立つ行政の仕組みが整う
この流れは、紙と数字が国家の規模拡大を支えたという楊さんと深井さんの説明をまとめたものです。
楊さんは、法律も紙によって発達したと考えます。同じ土地の所有権を2人が主張しても、記憶しかなければ証明できませんが、紙に記録があれば皆で確かめ合えるという例です。
客観的証拠。言うた言わんの話ができなくなるんですね。
古代の道路網は今のインターネット?
深井さんは、紙と道路も密接に関わっていると話します。ローマ、秦の始皇帝、そして古代ではないもののモンゴル帝国など、大きな帝国はいずれも道路を整備していたといいます。
深井さんによれば、道路網で行政文書を届けられなければ、広大な土地は統治できません。指示も届かず、何が起きているかもわからないからです。電話のない時代、道路もコミュニケーションに大きく役立っていました。
だから紙がPDFファイルで、道路はインターネット。
深井さんはそのとおりだと応じ、いわゆる「ウェブ(蜘蛛の巣)」の状態を道路で作っていたのが昔で、今はそれが電子ネットワーク上にあるのだと話します。樋口さんは、文字という1つのテーマが国家や道路にまでつながることに驚き、話は次回へ続きます。
まとめ
この回では、文字の登場が人類の記録の仕方と思考そのものを変え、紙や道路と結びつくことで大きな国家の統治や法律を支えてきたことが語られました。
- 文字がない時代は、韻や繰り返しなど声で覚えやすい形でしか記録できなかった
- 文字によって客観的な記録、抽象的な概念の認識、一人で深める思考が可能になった
- 鍵は実際に書くかどうかではなく、書く技術を持っているかどうかだと深井さんは話す
- コストの低い紙は数字による管理を広げ、古代中国の官僚制や法律による証明を支えた
- 道路網は行政文書を届ける仕組みであり、樋口さんは紙をPDF、道路をインターネットにたとえた





