しばらく続く深井さんの出演と、新体制への思い
日露戦争編の収録は、4人がスタジオにそろう久々の機会でした。前回4人で集まったのはフリードリヒ編の収録で、それから3〜4か月ほど空いていたと話されています。
冒頭では、深井さんが以前に語った「スピーカーを増やしたい」という話について補足がありました。この発言を受けて、深井さんが番組をやめてしまうのではと心配する声がネット上に出ていたようです。
(新しいスピーカーの)候補さえいないですからね、まだ。その段階で皆さんに言いましたから。結構まだ時間かかるよ。多分。
深井さんによると、この試みは深井さんや楊さん、樋口さんなど特定の誰かの属人性に頼るのをやめるためのものです。日露戦争編の次は鎌倉幕府、その次は老いと障害の歴史を準備していて、そこでも深井さんがスピーカーを務める予定だといいます。
そのため深井さんの出演は当面続き、出演の割合が減ることはあっても、いなくなるわけではないと説明されました。
日露戦争を16話で語ると、何がわかるのか?
本編に入ると、樋口さんは日露戦争について考えたことが一度もないと打ち明けます。日本とロシアの戦争であることはわかるものの、第一次世界大戦とどちらが先かもあいまいな状態でした。
深井さんの説明では、日露戦争はおよそ115年前、第一次世界大戦の直前に起きた戦争です。深井さんは自分がメインのシリーズを12話程度に収めたいと考えていましたが、今回は16話、台本は240ページになりました。
台本が膨らんだ背景には、COTEN CREWの支援で調査チームが増え、以前よりはるかに多くの調査ができたことがあります。調べた内容を削るつもりだったものの、どれも大事で、深井さんは16話ほどの粒度が「学びのコスパ」がいちばん高いと判断したと話しています。
もう全然人に合わせるとかやめ。もう俺が一番面白いと思ってる粒度のやつをずっと出すっていうのをできるじゃん。
深井さんは、スピーカーが増えればカジュアルな回は他の人の回で担保できるので、自分の回は難しくてもよいと考えるようになったといいます。そのうえで、シリーズを通して答えていく問いを先に示しました。
- なぜ日本とロシアはこのタイミングで戦争する必要があったのか
- なぜ明治維新の直後に、日清戦争と日露戦争を戦ったのか
- 日本はなぜ勝てたのか、そもそも「勝つ」とはどういう状態か
- 戦後の日本とロシア、世界の国々はどうなったのか
- 両国の国民は、この戦争をどう受け止めていたのか
『坂の上の雲』のイメージと、朝鮮をめぐる対立
日本人が抱く日露戦争のイメージは、司馬遼太郎 ── 戦国時代や幕末、明治を舞台にした歴史小説で知られる作家。『竜馬がゆく』『坂の上の雲』などの作品は、日本人の歴史観に大きな影響を与えたといわれますさんの小説『坂の上の雲』によるところが大きい、と深井さんは話します。深井さん自身もこの小説が大好きですが、史実とどれくらい離れているかを知る人はほとんどいないと考えています。
深井さんは、日露戦争を知ると明治から現代日本へのつながりがかなり鮮明になり、それがこのシリーズの価値の一つになると話しています。
明治は戦争の多い時代でした。戊辰戦争 ── 1868〜69年、新政府軍と旧幕府勢力が戦った内戦。鳥羽・伏見の戦いから函館の五稜郭の戦いまで続きましたや西南戦争という国内の戦争を経て、日本は少しずつ新しい国に変わっていきます。
日清戦争と日露戦争という2つの対外戦争によって、日本は朝鮮を支配下に置いていきます。深井さんは、今も続く日本と韓国の政治的な対立のルーツも、このシリーズで見えてくると話しています。
当時の朝鮮は、中国・清の「第一の子分」のような立場にあり、それは朝鮮にとって名誉なことでした。深井さんによれば、日清戦争も日露戦争も、朝鮮を誰が支配下に置くかをめぐる戦いだったと言っても過言ではありません。
世界一の陸軍を持つロシアに、なぜ挑んだのか?
日露戦争は、国際的な広がりを持った事件でもありました。戦場は中国、朝鮮、日本海にまたがり、日本とロシアの同盟国だったイギリスとフランス、講和を仲介したアメリカ合衆国も関わっています。
当時のロシアは、世界一の陸軍と世界二位の海軍を持つ軍事大国でした。深井さんは、この順位は兵力の人数の話だと思うと補足しています。
明治の指導者たちにはロシアに勝てる自信がありませんでしたが、それでも日本は戦争に突入します。欧米列強も、つい最近までちょんまげを結い、キリスト教も信仰していない日本を野蛮な国と見ていて、戦いは3か月でロシアの勝利に終わると考えていました。
そんな不利な状況だったんや。
日本がロシアを意識し始めたのは江戸時代の後期で、明治の初期にはロシアをかなりの脅威と受け止めていました。深井さんは、その背景をロシアの南下政策から説明します。
不凍港を求める
凍らない港を押さえることが、ロシアにとって非常に重要だった
南へ向かう
南下するとトルコ帝国とぶつかり、なかなか勝てず、実際に敗れる
東へ路線変更
東へ伸びていく先に、朝鮮や日本がある
シベリア鉄道
ロシア全土から極東へ、兵を何十万人も一気に集められるようになる
シベリア鉄道の建設が進む様子は、明治政府の指導者たちにとって非常に怖いものでした。鉄道が完成すればどうまずいのかは、シリーズの後の回で詳しく説明されるとのことです。
成功した戦争か、失敗の種か?
日本では日露戦争を成功した戦争、太平洋戦争を失敗した戦争と見るのが一般的な通念だ、と深井さんは話します。深井さんはこの見方自体は間違っていないとしたうえで、別の見方を示しました。
太平洋戦争の時の失敗の種みたいなのは、実はこの日露戦争の成功の時に全て蒔かれてるっていう感じがあって。
日露戦争の終わりで区切れば成功ですが、太平洋戦争まで見渡すと、日露戦争の中に失敗の因子が見えてくるということです。深井さんは、当時の人々がダメだったと言うつもりはまったくないと断っています。
禍根を残した出来事として、深井さんは日露戦争直後の1910年の韓国併合を挙げます。韓国の側から見れば嫌なのは当然だとしつつ、日本がなぜそれを必要とし、当時の人々がどう考えたのかも扱っていくといいます。
日露戦争は、トルコや東南アジア、インドなどアジアの人々を勇気づけたともいわれます。欧米列強とアジアのあいだに圧倒的な文明の差があった時代に、アジアの日本が欧米の国ロシアを破ったことは、「アジアでも勝てる」という希望になりました。
ただし深井さんは、ある本の注意書きを紹介します。当時の日本はアジアを勇気づけようとしたのではなく、武力で制圧し支配下に置くという列強の側の振る舞いをしていた、という指摘です。
日本は自分たちの国の国際的な立場を保つために、欧米列強のゲームルールに参加したんですよ。
4つのプレイヤーと、帝国主義が東アジアに届いた時代
シリーズの最初のパートでは、日露戦争へ向かう状況を、日本、朝鮮、清、ロシアという4つのプレイヤーの歴史から見ていきます。日露戦争そのものはしばらく出てこない構成です。
楊さんは、戦争というイベントを語るにはこれくらいのボリュームが必要だと学んだと話します。深井さんも、第一次世界大戦のシリーズが14話ほどになったことを挙げて同意しました。
あの時、あの国はこのような状況にあったからこうなったんだっていう理解ができなくなっていくんですよ。
どれかのプレイヤーの紹介を省くと恣意的な判断がしやすくなり、「弱かったからされて当然」「強かったから当然」という理解に陥ってしまう、というのが2人の考えです。
時代の面では、日本が明治維新を行ったころは、世界が近世から近代へ移る時期でした。ドイツ帝国が成立し、イタリアが統一され、ロシアも近代化して大きくなっていました。
楊さんによれば、日本だけでなく世界中で同じ時期に国々が国民国家 ── 共通の国民意識を持つ人々が、明確な国境と主権のもとにまとまった国家の形。19世紀のヨーロッパで広がりました化していきました。そうした国々は、弱い国を武力で支配し植民地を獲得する帝国主義へと向かい、その影響が東アジアに届いたのが明治維新のころだったといいます。
ウェストファリア体制と華夷思想は、何が違うのか?
帝国主義を進めるヨーロッパの国際観は、ウェストファリア ── 1648年のウェストファリア条約に由来する考え方。主権を持つ国家同士が互いの主権を尊重し合うという、近代の国際関係の基本となりました的な考え方でした。国は主権を持つ一体的な存在で、その主権を互いに尊重し合うというものです。
一方の東アジアでは、華夷思想という別の考え方で国際関係をとらえていました。楊さんは、俗に中華思想と呼ばれるものとは少し概念が違うため、この言葉を使うと説明しています。
華夷思想では、中国の皇帝が天から信任を受けて地上を支配し、皇帝に近いほど偉く、遠いほど野蛮で劣っているとされます。境界はなく、秩序がぼんやりと広がっていくのが特徴です。
皇帝は暦を定めることで、時間まで支配していました。深井さんは、元号が存在する理由もこの時間支配にあると付け加えています。
なるほどなるほど。うわ、面白。
主権を持つ一体的な国家同士が、互いの主権を尊重し合う
天の信任を受けた中国皇帝を中心に、近いほど偉く遠いほど野蛮とする。境界がなく、暦で時間も支配する
たとえば李氏朝鮮は中国に朝貢 ── 周辺国が中国の皇帝に貢ぎ物を差し出し、皇帝がそれを上回る価値の品を与える外交の形。この関係で序列が確認されましたしていましたが、江戸時代の日本は朝貢していませんでした。そのため華夷思想の序列では、朝鮮は貢ぎ物をしてくる子分で、日本は貢ぎ物をしてこない野蛮人という位置づけになります。
樋口さんが「中国がそう思っていただけか」と尋ねると、深井さんは東アジア全体がそういう統治体制だったと答えました。だからこそ李氏朝鮮から見ると、自分たちより野蛮なはずの日本が口を出してくる、という感覚になっていきます。
西洋列強のOSが東アジアにやってくるんですよね。東アジアではすでに伝統的なOSが回ってたんだけど、ここがバチバチになる。
唐から清まで、なぜ異民族でも「中華」になれたのか?
楊さんは、話を唐の時代までさかのぼります。武則天編で扱ったとおり唐は異民族の王朝でしたが、漢人の文化を受け継ぐことで、正統な中華だと周囲に認めさせていました。
その後も宋(漢民族)、元(モンゴル)、明(漢民族)、清(異民族)と王朝が交代しますが、どれも中華を正統に受け継いだ中心として扱われました。明は周辺国との朝貢貿易を積極的に行い、その広大な秩序を清がそのまま引き継いでいます。
中の人たちが変わっていってるのに、ずっと(続いていく)中華っていうのがあるみたいな。DNAは変わらないけど細胞変わっていくみたいな感覚っすよね。
華夷秩序の中の序列は、楊さんの説明によると次のようになっていました。
| 位置づけ | どんな人々か | 例 |
|---|---|---|
| 皇帝 | 天の信任を受けて地上を支配する | 中国の皇帝 |
| 中華の人々 | 中華を受け継ぐ人々 | 漢民族、清を建てた女真族 |
| 朝貢する人々 | 貢ぎ物をしてくる「話のわかる外国人」 | 朝鮮、ベトナム、琉球 |
| 互市 | 交易だけをして貢ぎ物はしない | 日本、チベット |
| 化外 | 中華と交渉を持たない最も低い人々 | ヨーロッパの国々 |
朝鮮は明に朝貢し、自分たちが一番の子分だと自覚していました。明が女真族に征服され清が成立すると、清への朝貢は当初大きな屈辱だったものの、やがて関係は強まっていきます。
朝鮮の中では、自分たちこそ正統な中華を継いでいるという考えも生まれました。明の考え方を大切に保存し、いつか本当の中華がよみがえったら返そうと努めたといいます。
琉球王国は、清と日本の薩摩藩の両方に朝貢し、微妙な国際関係のバランスを取っていました。一方、日本は中国から見て優先度の低い辺境の存在でした。
日清戦争でいきなりですね、目の前に現れて、中国に顔面蹴りを入れていくっていう状態で、中国がびっくりする。
曲がり角曲がったらいきなり日本いるみたいな。
清朝の雍正帝 ── 清の第5代皇帝(在位1722〜35年)。父の康熙帝、子の乾隆帝とともに清の最盛期を築いた皇帝の一人とされますは、民族や文化の違いで人間性や能力に本質的な差があるという見方を退けました。中華を尊重していれば民族も出身地も関係ないという考え方で、これが当時の東アジアの秩序観だったと楊さんは話しています。
清が西洋を受け入れられなかった理由と、日本との差
ヨーロッパに圧迫されていく清は、西洋の文化を受け入れようとしながら、いくつかの理由で受け入れられませんでした。その一つが暦の問題です。
ヨーロッパの暦は中国の暦と矛盾していました。暦を定めることは皇帝の時間支配そのものなので、ヨーロッパの暦は使えなかったのです。
もう一つは、キリスト教を受け入れるかどうかという典礼問題 ── 中国での布教をめぐり、信者に祖先祭祀や孔子の崇拝を認めるかどうかで争われた問題。ローマ教皇がこれを禁じたことで、清はキリスト教の布教を禁止しましたでした。ローマ・カトリックは祖先崇拝を禁じていましたが、中国では日本のお墓参りやお盆と同じく祖先がとても大切で、受け入れられなかったといいます。
清が西洋を受け入れられなかった背景には、王朝の没落もありました。太平天国の乱など国内の反乱に手いっぱいで、足元の動乱のほうが切実だったのです。
対照的に日本は、江戸時代から西洋の脅威に敏感でした。18世紀後半にロシア人が蝦夷地周辺に現れると小規模な衝突も起き、水戸藩の学者・会沢正志斎は、ロシアが世界制覇を企てていると警告し、孫の上意戦争による国内改革を唱えています。
中華の中心として失うものが多く、暦や祖先崇拝をめぐって西洋文化を受け入れられない。国内の反乱にも追われていた
江戸時代からロシアや列強の脅威に敏感に反応し、失うものも少なく、西洋の考え方を受け入れ適応させやすかった
楊さんは、日本が近代化してウェストファリア的な国際秩序を受け入れることは、華夷秩序に挑戦し、中国と対決していくことを必然的に意味していたとまとめています。
深井さんは、鹿鳴館で洋服を着てダンスをしたのも、単なる西洋かぶれではないと話します。西洋人のようにならなければ近代化できないという強い危機感が、当時の日本人にはあったと考えられるからです。
ボコボコにされる先輩みたいな人を見てしまったから、日本は。
次回は、アヘン戦争で清が欧米と対峙して何が起きたのかを扱います。樋口さんは、中華が天下を握っている以上、清はナンバーワンを突っ走り続けなければならないという設定そのものに危うさを感じる、と語って第1回を締めました。
まとめ
日露戦争編の第1回は、戦争そのものではなく、その前提となる国際秩序の違いに焦点を当てた回でした。朝鮮をめぐる対立やロシアの膨張の背景には、西洋のウェストファリア体制と東アジアの華夷秩序という2つの考え方の衝突があり、日本と清の反応の差が、その後の歴史を分けていくことが示されています。
- 日清戦争も日露戦争も、朝鮮を誰が支配下に置くかをめぐる戦いという側面を持っていた
- 日露戦争は終戦時点で見れば成功だが、太平洋戦争まで見ると失敗の種が蒔かれていたと深井さんは話す
- 東アジアは中国皇帝を中心に序列が広がる華夷秩序で動いており、日本は「互市」の辺境の存在だった
- 清は暦や祖先崇拝の問題、国内の反乱から西洋を受け入れられず、日本は強い危機感から西洋化を進めた





