経済学はずっと何を論争してきたのか
資本主義編の第2回は、前回の社会思想史的な捉え方に続いて、資本主義を経済学の観点から見る回です。冒頭で楊さんは、前回の話を聞いて「市場経済が嫌いなのでは」と受け取った人に向けて補足をしています。
僕、市場経済すげえ好きですから。
楊さんによれば、前回は資本主義の特徴と問題点を指摘しただけで、出演者自身の思想はまだ語っていません。それは第4話で話す予定だといいます。
そのうえで楊さんは、経済学が資本主義について論争してきたポイントを一言でまとめます。それは、市場経済をどこまで自由に任せるべきかという問題です。政府がどこまで介入してよいのか、政府にはどんな役割があるのかが、ずっと争われてきました。
この論争を整理するために、楊さんは経済学の大きな4つの流派を紹介します。古典派経済学、新古典派経済学、マルクス経済学、ケインズ経済学です。
| 流派 | 市場への見方 | 政府の役割 |
|---|---|---|
| 古典派経済学 | 市場には自動調整機能がある | 介入しないほうがよい |
| 新古典派経済学 | 市場の自動調整機能を信頼する | 介入しないほうがよい |
| ケインズ経済学 | 市場だけでは暴走・崩壊しうる | 国家が介入して調整する |
| マルクス経済学 | 資本主義自体がダメで、いずれ崩壊する | (市場か政府かの枠を超えた立場) |
深井さんがマルクス経済学を「一番激しいやつ」と評すると、楊さんもそれに同意しています。今回は、アダム・スミス、ケインズ、マルクスの3人をまず押さえることから話が進みます。
アダム・スミスは何が新しかったのか
アダム・スミスは、市場経済を自由に任せておけば自動調整機能によって調整されるはずだ、という概念を初めて打ち出した人物だと楊さんは説明します。それまで、こうしたことを考えた人はいなかったといいます。
スミスが『国富論 ── アダム・スミスが1776年に刊行した経済学の古典。分業や市場の働きを論じ、近代経済学の出発点とされます』を出した1776年は、重商主義 ── 輸出を増やして金銀や外貨を蓄えることを国の富とみなし、国家が貿易や商業を管理・保護した経済政策の考え方の時代でした。国家が商業を規制・管理し、輸出をしまくって外貨を獲得しようとしていたのです。
スミスはそうした国家を見て、全部の国が輸出ばかりしていたら買う人がいなくなり、成り立たないと考えました。深井さんも「売りたい売りたいばっかりだと」と応じています。
スミスの答えは、それぞれの国が得意なものを作り、需要があるところに売っていく市場を形成することでした。需要と供給のマッチポイントがあるので市場は自動で調整され、価格が適正化されて全員ハッピーになる、という考えです。楊さんは、これが経済学の始まりだと位置づけます。
ただし楊さんは、スミスが政府の役割を否定したわけではない点も強調します。後に新自由主義として、国の機能を最低限まで絞るべきだと考える人たちが出てきますが、スミス自身はそこまで過激ではなく、重商主義のような介入の仕方は良くないと言ったにとどまるといいます。
ケインズはなぜスミスを批判したのか
次に楊さんが紹介するのは、ジョン・メイナード・ケインズです。ケインズは1936年に『雇用・利子および貨幣の一般理論』を出版し、アダム・スミスの「市場の自動調整機能」は実際には働かないと批判しました。
ケインズによれば、雇用や投資を高く保つには政府の介入が不可欠です。失業中の人は欲しくても買えず、人間は根拠のない不安から消費を抑えたり、実業家は悲観的になると投資を控えたりします。貯蓄する人もいるため、需要と供給はいつも都合よく釣り合わないというわけです。
樋口さんが「観察が入ってるんですね」と言うと、楊さんはスミスの時代からだいぶ実績が出ており、それを見て新しいことを言ったのだと答えています。
ケインズの処方箋は、本当に無駄な仕事でもいいので国が仕事を作って雇用を生み、消費をさせることでした。金利についても政府が介入・規制すべきだとしています。
樋口さんは、この理論が歴史の中でどう使われたかを補足します。スミス的な経済観念のもとで大恐慌が起き、ルーズベルト大統領はケインズの理論にのっとってニューディール政策 ── 1930年代にアメリカのルーズベルト政権が行った経済政策。公共事業による雇用創出などで大恐慌からの回復を図りましたを打ち、インフラを作って雇用を確保しました。
このケインズ的な経済政策っていうのが、イギリスでサッチャーとかアメリカがレーガンが出てくるまで、基本的に戦後ずっと続いていくんですよ。
マルクスは労働者の何に着目したのか
マルクスについては、樋口さんが「マルクス素人として申し訳ない」と前置きしつつ、軽く紹介しています。マルクスが着目したのは、労働者が価値を生み出しているという労働価値説 ── 商品の価値は、その生産に費やされた労働によって決まるとする考え方。古典派経済学からマルクスへ受け継がれましたでした。
背景には、当時のイギリスで労働者がひどく劣悪な環境で働いていた現実があります。マルクスは、労働者は資本家に搾取されて経済格差が広がり、やがて生活できなくなって革命が起き、資本主義は壊れると論じました。
樋口さんによれば、マルクスは「労働者が生み出す価値」と「イノベーションが生み出す価値」の両方を語りながら、前者を重視していました。実際には革命は起きず、マルクス経済学に基づいて国を運営した旧東側諸国は軒並み経済破綻していきます。
例えばソビエトとかで経済破綻したのは、このイノベーションが生み出す経済成長っていうのが過小評価されてたんじゃないかなっていうので分析がされてたりとかしますね。
ハイエク、フリードマン、サミュエルソンへ続く「振り子」
スミスの自由放任とケインズの介入論に対して、その後もさまざまな学者が見解を述べていきます。楊さんが最初に挙げるのはフリードリッヒ・ハイエクです。ハイエクはファシズムによる徹底した管理を目の当たりにし、強く自由主義経済を主張しました。
楊さんが面白いと話すのは、ハイエクの「中央集権的な意思決定は必ず間違える」という考えです。中央に情報を集めて間違いのない判断を続けることは究極的にできないので、各現場で判断するほうが効率的であり、だから市場メカニズムに任せるべきだというのです。
ケインズは介入した方がいいって言うんだけど、ハイエクは介入した方がいいかもしれないけど、介入したって絶対判断を間違えるわけだから、やっぱり介入しない方がいいっていう。
ハイエクのこうした考え方は集合知とも呼ばれ、Wikipediaのように、一つの主体が統制せず個々の人が作り上げる仕組みに受け継がれているとも書かれる、と楊さんは紹介しています。
続いて樋口さんが、ミルトン・フリードマンを歴史の流れの中に位置づけます。大恐慌まではスミス的な政策、その後はケインズ主義がとられましたが、それが1970年代に一旦ダメになり、そこで登場したのがフリードマンでした。
フリードマンは、政府が介入しすぎているから人々が怠けているのではないかと考え、全部自由化しようと主張しました。これが新自由主義 ── 政府の市場介入を減らし、規制緩和や民営化によって市場競争に委ねることを重視する考え方。1980年代以降に各国の政策へ広がりましたと呼ばれる考え方で、樋口さんは日本の小泉政権下での郵政民営化もこの流れにあると説明しています。
楊さんはさらに、ポール・サミュエルソンも紹介します。サミュエルソンは対立していた新古典派とケインズ経済学の統合を目指し、まず政府が総需要を管理して完全雇用を達成し、その後は価格の自動調整機能に任せればよいと考えました。場合によって使い分ける、ステップに分けたハイブリッドの発想です。
ヴェブレンが見抜いた「見栄と羨望」
ここまでの学者が市場の扱い方を論じたのに対し、楊さんは「資本主義とは何か」を捉えようとした人たちに話を移します。その一人がソースタイン・ヴェブレンで、1899年に『有閑階級の理論』を出しました。
ヴェブレンによれば、最高の食べ物や衣装、住居を消費するのは合理的な選択ではなく、富の象徴として尊敬を得たいという虚栄心からです。民主主義で階級がなくなっても、人々は消費によって自分のヒエラルキーを確認し、そこから脱落しないように服や食事にお金をかけ続けていると論じました。
楊さんは、ヴェブレンの指摘について「ぐうの音も出ない」「そうでしかないよ」と強く共感しています。
ウェーバーはなぜ資本主義の起源を信仰に見たのか
次に楊さんが熱を込めて紹介するのが、社会学を作った人物とされるマックス・ウェーバーです。社会学出身の楊さんは、ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 ── マックス・ウェーバーが20世紀初頭に発表した論文。プロテスタントの禁欲的な職業倫理が近代資本主義の精神と結びついたと論じました』を「やべえ本」と表現します。
それまで資本主義は合理的な精神から生まれたと考えられていました。しかしウェーバーは、金儲けを道徳的に正しいと感じる感覚そのものが、プロテスタントの信仰心から出ていると主張しました。
しかもそれは強欲ではなく禁欲から生まれたといいます。禁欲的にひたすら労働することを道徳的に正しいとする概念がプロテスタントにあり、それが富の追求につながったという話です。楊さんは、この主張には疑義も出ており、たとえばプロテスタントではない日本がなぜ近代化したのかに答えられないと思われている、とも付け加えています。
樋口さんは、ウェーバーの指摘が持つ含意を次のように語ります。
もし合理性に基づいているんだったら、合理的に説得すれば正しい市場が正しい振る舞いをするはずなんですよね。
けど、もし僕たちが道徳的正しさに基づいて労働しているのであれば、合理的に説得しても市場は調整されていかないじゃないですか。
楊さんは、宗教改革の回で扱ったカルヴァンの予定説ともつながる話だと補足します。かつて働いて金を儲けることは世俗的で評価されなかったのに、それが信仰心の表れとして評価されるというパラダイムシフトが起きた、とウェーバーは論じたといいます。
社会科学の理論とどう距離を取るか
学者たちの説を一気に聞いた聞き手からは、どれも確かにそうだと思えてしまって怖い、という反応が出ます。時代背景や、介入しすぎれば反対の主張が出るという振り子のような力学も感じた、という声もありました。
楊さんは、社会科学とは説得できた人がすごい世界であり、本当かどうかはわからないと話します。そして社会学で最初に学んだこととして、次のように語ります。
楊さんによれば、正確には「簡単に嘘になり得るようなことしか言えていない」という意味で、理論の一つひとつに信頼を置きすぎるなという教えです。社会科学は究極的には証明も否定もできず、否定されるのはマルクスの革命予測のように逆のことが起きた場合くらいだといいます。
楊さんは、この姿勢がいまも役立っていると話します。説得力のある意見を聞いても信奉はせず、「そうかもね」で止めておくことが大事だと語っています。
「資本主義」はもともと批判の言葉だった
経済学のおおまかな流れを終えたあと、楊さんは社会学者たちによる資本主義の定義の紹介に移ります。まず指摘するのは、資本主義という言葉自体が、もともと資本主義を批判する言葉として生まれたということです。
楊さんの説明では、社会状況への不満から社会主義という考え方が生まれ、その対抗概念として「では今の自分たちの社会は何か」と問われて資本主義という言葉が生まれました。いまのポスト資本主義も資本主義へのアンチテーゼとして出てきており、構図はまったく同じだといいます。
マルクス自身は資本主義という言葉をほとんど使っていませんが、楊さんはマルクスが挙げた資本主義の特徴を4つにまとめて紹介します。
楊さんは3つ目について、緊張関係のない会社がすでにたくさん出てきており、絶対的にそうではなくなっていると考えています。4つ目は第1話で話した、市場経済が石臼の例のようにさまざまなものを壊していくという話と重なるといいます。
難解なウェーバーの定義を翻訳すると
ウェーバーは、資本主義をマルクスより長い時間軸で捉え、工業化の時代から切り離して考えました。資本主義的な経済行為の特徴として、競争と交換、市場価格による行動決定、資本の投下、利潤の追求を挙げています。
楊さんはウェーバーの本について、「こんなにわかりにくく書けるんだ」というほど難解だと紹介しつつ、原文に近い表現を読み上げてから翻訳していきます。第一の論点は、経済行為にはリスク・利益・損失の計量と、投下した資本のコントロールが含まれるというものです。
楊さんの翻訳では、企業の活動も売買も、リスクと利益と損失を測れて、それをコントロールできると思っていなければ起こらない、という意味になります。楊さんは第1話でこれを「近代人の勘違い」と呼びましたが、それは自身の意見であり、ウェーバーは勘違いかどうかには言及していないと断っています。
第二の論点は、企業と私的な家の活動が分離され、個人が企業の組織にシステマティックに組み込まれて合理的に活動するようになった、というものです。楊さんは織田信長を例に挙げて説明します。
封建制の社会では、織田信長のように「織田家をなんとかする」ことが活動の中心で、家と組織は分かれていない
資本主義では家と企業が分離され、個人は企業の組織に組み込まれて企業の目的に沿って動く
第三の論点は、分業と協業、生産手段を持たない労働者の形式的に自由な労働、そして経営者の命令への服従です。部長や課長がいる組織で売上を追うような、いまでは当たり前の姿がそれにあたります。
楊さんは、仕事とプライベートを分けなくなってきている企業が出てきていることを挙げ、それはウェーバーの定義から外れつつあるという意味でポスト資本主義的だと話します。さらに、自身が経営するCOTENは売上がいくらになるかわからないと思いながらサポートを集めており、この点でもウェーバーの資本主義の概念から外れていると述べています。
樋口さんは、ウェーバーは前近代社会との対比で考えていたのではないかと補足します。狩りをして食べて寝るように生活と労働が一体で、村の中で暮らすのが普通だった社会から、企業に公的な存在として参加する社会へと変わったことを強調しているのだろう、という見立てです。
シュンペーターの定義はなぜわかりやすいのか
楊さんが一番わかりやすく的を射ていると考えるのが、シュンペーターの定義です。資本主義とは、貸与された資金を用いてイノベーションがなされる形態の私有財産制度であり、一般に信用創造 ── 銀行が預金をもとに貸し出しを繰り返すことで、もとの預金額を超えるお金を市場に生み出す仕組みを前提とする、というものです。
楊さんは、融資や出資を使ってイノベーションを起こす仕組みが私有財産制度のもとで実現されていることが、資本主義の条件だと噛み砕きます。そのうえで、シェアリングエコノミーのように実質的に共有する時代に入ると私有財産制度の実態が変わり、ポスト資本主義に移行しうる、という自身の感覚も語っています。
シュンペーターのいうイノベーションとは、経済が内発的に自らを変革するメカニズムのことです。新しい生産・流通の方法、組織形態、市場の開拓、新製品の開発、新規需要の掘り起こしなどがそれにあたり、古いものを壊すことから創造的破壊 ── 新しい技術や仕組みが古い産業や企業を淘汰しながら経済を発展させていく過程を表すシュンペーターの言葉とも呼ばれます。
さらにシュンペーターは、イノベーションが景気循環をもたらすと考えました。楊さんが説明したその流れは、次のように整理できます。
イノベーション
パイオニア的企業家が経済成長をもたらす
波の拡大
多くの企業家がその波に加わっていく
下降局面
波が力を失い、多くの企業家が力尽きる
次の波
また新しい波が始まり、循環として回っていく
アニマルスピリッツとコッカの3つの特徴
ケインズは、資本主義の経済行為を推し進める力としてアニマルスピリッツ ── ケインズが『一般理論』で用いた言葉。不確実な状況でも人を投資や事業へ駆り立てる、計算を超えた衝動や楽観を指しますを挙げています。楊さんの紹介では、金作りや金銭愛に向かう個人の本能のことです。
楊さんによれば、ウェーバーが強調した計算可能性だけでなく、計算できない不確かさの中でも人は経済行為をすることがあり、それを動かすのがアニマルスピリッツだといいます。楊さんはこれを、チャレンジ精神や気分、感情に近いものと表現しています。
続いて楊さんは、ユルゲン・コッカが挙げた資本主義の3つの特徴を紹介します。1つ目は、個人の所有権と分権的な決定を基礎としていることです。政府が全部を決めるのではなく、個人や企業が自分で決められる状態を指し、楊さんは前回話した「民主主義との未分化」をまさに示していると話します。
2つ目は、経済的アクターの調整が市場と価格、競争と協同、需要と供給、売買を通じて行われ、資源や生産物、機能、チャンスの商品化が中心にあることです。3つ目は、将来の利益のために貯蓄や投資、再投資が行われることです。
コッカの3つ目の特徴について楊さんは、時間を自分たちの外にあるものとして捉え、いまの借金がいずれ利益になると考えることを許容しているのが資本主義社会だと説明します。聞き手からは、米国株に投資して10年後の値上がりを見込むようなことだ、という例も出ています。
バラバラな定義は「6つの特徴」に統合できる
ここまで多くの学者の定義を挙げたうえで、楊さんは、それらを網羅的にまとめたものが第1話で紹介した資本主義の6つの特徴だと説明します。いろいろな人がバラバラに説明していたからこそ、統合して整理する必要があったといいます。
楊さんが改めて挙げた特徴は、市場経済を前提とすること、市場にとって良い行動にしかインセンティブがないこと、生産人口に比例する持続的成長を前提とすること、お金の期待値しか定量化されないこと、資本が資本を生むこと、そして社会のOSとして民主主義などと未分化であることです。
最後の点について楊さんは、資本主義を変えようとすれば、生き方や習慣、考え方、政治形態まで全部変わるだろうと話しています。部分だけいじれば済むシステムではない、という見方です。
楊さんはこの回の結論として、市場経済と私的財産所有権が資本主義の特徴であることは間違いないと述べます。聞き手からは、当たり前に思えることも、そうではない時代を想像すると改めてわかる、という感想が出ました。
次回は、資本主義の課題を指摘してポスト資本主義を唱えている、現在活躍中の著者たちの議論と流派を紹介する予定です。
まとめ
経済学は資本主義をめぐって、市場をどこまで自由に任せ、政府がどこまで介入すべきかを論じ続けてきました。スミス、ケインズ、ハイエク、フリードマンらの主張は時代背景に応じて振り子のように揺れ、ヴェブレンやウェーバー、シュンペーターらはそれぞれ別の角度から資本主義の正体を描いています。
- 経済学の資本主義論の中心は「市場をどこまで自由にし、政府がどこまで介入するか」という論争です
- スミスの自由放任、ケインズの介入、フリードマンの新自由主義と、主張は時代状況に応じて振り子のように揺れてきました
- ヴェブレンは見栄と羨望、ウェーバーはプロテスタントの禁欲的な倫理に、資本主義の非合理な原動力を見いだしました
- マルクス、ウェーバー、シュンペーター、コッカらの定義はバラバラに見えて、第1話の6つの特徴に統合できるとされます
- 社会科学の理論は証明も否定も難しいため、説得力があっても信奉しすぎない距離感が大切だと語られました




