1970年代の経済低迷で、福祉国家はどこで分かれたのか
社会福祉の歴史シリーズの第6回は、各国の福祉のパターンを確認し、その中で日本がどこにいるのかを見ていく回です。深井さんは、ここで扱うパターンは厳密な分類ではなく「こういう型があるよね」という整理だと前置きしています。
出発点は1970年代以降の経済の低迷です。第1次オイルショック後の原料高、スタグフレーション、変動相場制への移行、経済の国際化などが重なり、各国は福祉の財源を確保しにくくなりました。
この低迷をきっかけに、国ごとのやり方が分かれていきます。1つ目は新自由主義 ── 政府の介入を減らし、市場での自由な競争と自己責任を重んじる考え方。1980年代の英米で広がりました的な道です。市場での競争と自己責任を重んじるこのやり方は、イギリス、アメリカ、日本で採られました。
深井さんによると、新自由主義に向かったのは、社会主義的な左派の運動や、宗教的な連帯を掲げるキリスト教民主主義的な運動が弱い国でした。つまり、社会の一体感から運動を生み出す力が弱い国です。
2つ目は、スウェーデンなど北欧に見られるコーポラティズム ── 政府・労働者・使用者が協調して賃金や政策を調整する仕組み。北欧などで発達しましたの変容です。政府、労働者、使用者の3者ががっちり組んで賃金を抑えるやり方は、70年代までにうまくいかなくなりました。
北欧では80年代以降、政府が積極的な労働市場政策やワークフェアを打ち出し、労働者側がそれを受け入れるという緩やかな協調へ移っていきます。
自己責任と市場での競争を重視。社会の連帯運動が弱かったイギリス、アメリカ、日本で採られた
政府・使用者・労働者が共通の価値観をもとに緩やかに協調する。スウェーデンなど北欧で見られる
70年代を境に、福祉国家の主な役割も変わりました。それまでは貧困層へ所得を分配して底上げすることが中心でしたが、それ以降は社会的サービスの提供が国家の役割になっていきます。
3つの福祉レジームのうち、日本はどれにあたるのか
70年代以降の国家の役割として、深井さんは「再生産コスト」を分担する社会的サービスを挙げます。樋口さんは職業訓練のことかと尋ねましたが、深井さんの説明では、家庭生活や子育てを支えて労働力を使える状態に保つことを指しているようです。
例えば出産に対する扶助をするとか、教育に対する扶助をするみたいなことですよね。こういうふうなこと(社会的サービス)を国家が力を入れてやるようになったんだと。
こうした各国の制度を、研究者のエスピン=アンデルセン ── デンマーク出身の社会学者。『福祉資本主義の三つの世界』で福祉国家を3つのレジームに分類したことで知られますは3つの型に分けました。この3つの型が「福祉レジーム」と呼ばれています。
| レジーム | 主な国 | 特徴 |
|---|---|---|
| 自由主義レジーム | イギリス、アメリカなどアングロサクソン諸国 | 自由市場経済を重視し、社会扶助をあまりしない |
| 社会民主主義レジーム | スウェーデン、デンマークなど北欧諸国 | 緩やかな連帯によって手厚い社会保障を維持しようとする |
| 保守主義レジーム | ドイツなど | 企業・職業・地域ごとに多様。男性稼ぎ手モデルが前提 |
保守主義レジームは、このシリーズでは扱ってこなかった型です。保守主義レジームの国々は、産業構造が変わったときに男性世帯主の雇用を守ったため、女性の社会進出が進みにくかったといいます。
保守主義レジームの根にあるのは、家族や地域社会といった中間集団がきちんと機能しているなら、福祉はその中間集団に任せるべきだという考え方です。国家が介入するのは、中間集団がないときに限られます。
エスピン=アンデルセンは、日本を自由主義レジームと保守主義レジームの混合と捉えています。深井さんは、それなら3つに分けた意味は何なのかとツッコミを入れました。
分類いらないじゃんっていう。
深井さんは、呼び方は違っても、シリーズで見てきたことと大きくは変わらないとまとめます。自己責任で生きる型、社会全体で負担を分け合う型、そして家族や地域で守り合う前近代的な型の3つです。樋口さんは、国の型は時代によって動くものでもあると付け加えました。
OECDの4つの指標で、日本の成績はどう出たのか
ここからは、日本と他国の違いを見ていきます。深井さんが使ったのは平成24年版の厚生労働白書で、約10年前のデータであることを断っています。
比較の物差しはOECD ── 経済協力開発機構。先進国を中心に、経済や社会政策を協議・調査する国際機関ですの統計です。深井さんによると、OECDはもともと、アメリカが戦後ヨーロッパを復興させるためのマーシャルプラン ── 第二次世界大戦後にアメリカが実施した大規模な欧州復興援助計画ですを実施するために、援助を受ける国々が集まってつくった組織でした。
OECDは先進国の社会政策の目標として、自立、公正、健康、社会的つながりの4つを掲げています。1人当たりGDP、出生率、婚姻率、離婚率などのデータは、この4つを評価するために集められています。
OECDの中で見ると、日本の成績は比較的悪いといいます。特に悪いのは、所得が中位の人の半分以下しかない人の割合を示す相対的貧困率と、貧富の差を表すジニ係数 ── 所得の不平等さを0から1の数値で示す指標。1に近いほど格差が大きいことを意味しますです。
| 観点 | 主な指標 | 日本の状況 |
|---|---|---|
| 公正 | 相対的貧困率、ジニ係数、子どもの相対的貧困率、男女間賃金格差 | 悪い |
| 健康 | 健康に関する指標 | 結構よい |
| 自立 | 教育水準など | よい |
| 社会的つながり | 自殺率など | 自殺率が高い |
日本は経済的な格差は大きい一方で、健康や教育の指標はよいというちぐはぐな姿です。
格差が大きいのに、なぜ日本では問題にならないのか
深井さんが特に面白いと感じたのは、日本人の意識です。アンケートによると、日本人はOECD平均より大きい経済格差を、あまり問題だと捉えていませんでした。
樋口さんは、格差の最悪の帰結は暴動や革命だが、日本ではデモもあまり起きないと指摘します。これに対し、深井さんはこう応じました。
なんか悪い状況だったけど、自分のせいだと思って、みんなしょうがないかなって思ってるってことですよね。
深井さんによると、歴史上は困窮した人たちが連帯し、政府を動かして権利を広げてきました。ところが、日本ではそれが起きていません。樋口さんに理由を聞かれた深井さんの答えは「わかんない」でした。
深井さんは、状況が悪いと自殺はするのに、状況を変える行動はしないという構図を挙げます。一方で樋口さんは、自殺が貧困によるものとは限らないと慎重な見方を示しました。深井さんも、両者の相関は手元のデータではわからないと認めています。
もう1つの特徴は、日本の社会保障が人生の後半に偏っていることです。高齢者への保障は手厚い一方で、子どもや青年への保障は手薄で、若者は自分で頑張るよう求められているといいます。ただし、これが少子高齢化した国に共通する特徴なのかは、文献に各国比較がなく、判断できないそうです。
深井さんは、日本人の意識の矛盾を次の流れで整理しました。
格差を問題視しない
客観的な数値ほどには、自国の貧困や格差を問題だと考えていない
政府の責任とも思わない
政府が大きな責任を果たすべきだとも考えていない
負担増には抵抗が小さい
実際の負担規模は先進国の中で大きくなく、負担を増やすことにもそれほど抵抗がない
それでも不満はある
負担しているわりに給付が少ないと感じている
だから不満感はあるんだけど、問題とは思っておらず、どうにかなってほしいと思ってるけど行動はしないみたいな感じなんですよね。
深井さんは、自分の身を振り返ると確かにそうだと認めます。樋口さんも、制度がうまく機能していないとは思いつつ、そのあと考えるのは今日何を食べるかだと笑いました。
日本の社会を冷たくしている「3つの罠」とは
参照した文献の研究者は、日本の社会保障に必要なのは社会の分断を乗り越えることだと提言しています。研究者は、日本を格差是正に関心が薄く、貧困に苦しむ人を見て見ぬふりをする「冷たい社会」だと見ています。
その格差を生んでいるのは、一部の大金持ちや大企業家ではありません。研究者によると、普通に暮らす私たち自身だといいます。誰かが搾取しているのではなく、社会全体が貧困者に冷たいということです。
研究者は、私たちが生きづらい社会を自ら生み出しているのは、3つの罠にはまっているからではないかと指摘しています。
| 罠 | 内容 | 結果 |
|---|---|---|
| 再分配の罠 | 格差是正を訴えるほど、負担する中間層の痛みが増す | 貧しい人をフリーライダーと疑う非難が始まる |
| 自己責任の罠 | 教育・子育て・老後のサービスを、自分で稼いだお金で買うものと考える | 民間か政府かの合意がなく、自分で何とかするしかない |
| 必要ギャップの罠 | 年齢によって必要なサービスが違う | 老年世代と若年世代が対立して分断される |
深井さんは再分配の罠について、困窮した人の生活を改善することは本来、中間層を含む社会全体の利益だと補足しています。それでも中間層は不公平だと感じてしまうといいます。
自己責任の罠について、樋口さんは自分の家族を例に挙げました。
例えばうちのばあちゃんとか老人ホーム入ってますけど、うちの親が払ってますからね。実際にそうしてるってことな気がしますけどね。
深井さんは、3つの罠のせいで、社会的な属性が違う人同士が連帯できなくなっていると話します。その結果、社会変革も起きにくくなっているということです。
分断を越えるために「無知のベール」から何を学べるか
合意形成の前提として、深井さんは社会保障の改革は非常に難しいと理解することを挙げます。社会保障は巨大な制度で、マクロとミクロの風景が大きく食い違っているからです。すぐに効果は出ませんが、何もしなければ何も変わりません。
そこで大事になるのが、分断された他の属性の人の立場に立つ視点です。深井さんは、その例としてアメリカの哲学者ジョン・ロールズ ── 20世紀アメリカの政治哲学者。『正義論』で公正としての正義を唱え、福祉国家の理論にも影響を与えましたの無知のベール ── 自分の境遇を知らない状態を仮定し、どんな社会の原理を選ぶかを考える思考実験ですを紹介しました。
自分が他人と比べてどんな状況にいるのかを知らなければ、人は最も恵まれない立場を底上げする原理を選ぶはずだ、という考え方です。
なぜなら自分が最下位かもしれないからなんですよ。
深井さんによると、自分が富む側だと思えば、パイを分け与える社会変革には乗り気になれません。けれど自分が最も割を食っている側かもしれないと全員が思えば、社会はよい方向に変わるのではないか、ということです。
一方で深井さんは、社会の分断はアメリカにも欧州にもあり、日本だけの話ではないと注意を促します。そして、分断線を引いているのは私たち自身だと述べました。
この分断線を乗り越えるための共通の認識をまず成立させ、国民的合意へと道を開くっていうことが僕たちの課題としてあるだろう。
深井さん自身も「難しいこと言うな」とこぼしつつ、原理原則としてはそうなのだろうと話しています。
自分は社会福祉をどれくらい受け取っているのか
樋口さんが引っかかったのは、自分が多く払っている側なのか、多く受け取っている側なのかを正確に判断するのは難しい、という点でした。
例えば僕らが警察に駆け込む時って、それにコストがかかってるって思わずにタダで使ってるじゃないですか。
樋口さんは、消費税や法人税を払っていても、その税金が何にいくら使われているのかの明細は出ないと話します。道路や警察もタダのように使っているので、損得はわからないというわけです。
深井さんは、自分自身の例を挙げました。病気もあまりせず、年金ももらっていないので、行政サービスを人より受けていないように見えます。けれど、深井さんは3歳から31歳まで28年間、国立の学校に通っていたといいます。
そしたら僕にかけられてる教育投資って恐らく恐ろしい額なんですよね。ってなると相当享受してるんですよ、僕。
樋口さんは、日本人の「負担のわりに給付が少ない」という感覚は、事実ではなく認識にすぎないのではないかと指摘します。ありがたみがわかっていない人が多いだけかもしれない、という見方です。深井さんも、正確な事実認識を持つ人はまだ少ないのかもしれないと応じました。
長生きを支えた福祉が、次の論点を生む
シリーズを終えた感想で、楊さんは社会福祉の難しさを語ります。社会福祉は人間が自分たちを幸せにするためにつくったシステムですが、その成果がまた新しい課題を生むといいます。
高齢者が多いっていうことも、やはり社会福祉が充実して健康寿命が延びたからなんですよね。
社会福祉の充実
医療技術にも支えられ、健康寿命が延びる
高齢者の増加
人口ピラミッドの上の方が膨らむ
若者からの声
高齢者ばかりにリソースが割かれていると不満が出る
新しい論点
それが今の社会福祉の論点になっていく
樋口さんは高齢者の側に立ち、「生きていいと言ったじゃないか」と感じるだろうと想像しました。
楊さんによると、日本の社会福祉は年間約100兆円規模の巨大な制度です。少し手を入れるだけでも、地域経済や企業経営、保険料にまで影響が及ぶといいます。
マクロ的にはこうした方がいいって言っても、いや、私の明日の生活はこんな感じなんだけれども、どうしてくれるの?みたいなミクロのところからの意見もあるわけですよね。
樋口さんは、制度は建前上変えずに実態だけをどうにかする「水際対策」が起きるのも、そのためだと話しています。
2025年問題は、なぜ「我が事」なのか
深井さんは、このシリーズが「老い」「死」「障害」の歴史と三部作になっていると振り返ります。福祉は、老いた人、障害のある人、死に瀕した人をどうするかを考えるなかで生まれてきたものだといいます。
深井さんによると、景気がよいときの福祉はうまく回りますが、経済が停滞するとパイの奪い合いになります。さらに、誰に福祉を届けるかは、誰を仲間と思うかと密接に結びついてしまいます。
今健康で若いから後で考えようっていうのが結構難しい分野だと思ってて。
その例として深井さんが挙げたのが2025年問題 ── 団塊の世代がすべて75歳以上になり、医療・介護の需要が急増すると懸念されている問題ですです。2025年に介護制度がうまく機能しなくなり、大量の介護難民が出るのではないかと言われています。
介護制度の機能不全
介護難民が大量に出るおそれ
家族が介護を担う
介護が必要な高齢者や障害者を家族がカバーする
働けない人が増える
家族が勤めに出られず、家事もできなくなる
経済の後退
社会全体に影響し、日本経済が「詰んじゃう」かもしれない
深井さんは、経済が成長していれば福祉を届けて社会を循環させられると話します。しかし成長がないと、十分な福祉を提供できず、さらに経済が後退していくかもしれません。収録時点で2025年は2年後でした。
深井さんは、本当に起きるかはわからないとしたうえで「待ったなしの我が事として考えなければいけないということを他人事のように思っている」と自嘲しています。
統計は誰でも見られるのに、なぜ実感が湧かないのか
樋口さんは、こうして調べてまとめ、世に伝えること自体が1つのアクションだと評価します。一方で、自分たちには現状の認識がまったくできていないとも感じたといいます。
OECDのデータはテレビで見ても「ふーん」で終わり、真剣に考える機会はほとんどないと樋口さんは話します。深井さんは、労働白書もOECDの報告書もネットでほぼ誰でも見られると補いました。
でも僕たちそれ(OECDの報告書)を見てみようと思わないですよね。で、知らないままになる。
深井さんは、生きづらさがどこから来るのかを知ることも考えることもコストが高いと話します。そのうえで、この配信がリスナーの考える補助線になればうれしいと述べました。
何ができるのかわからないという樋口さんに、深井さんは「連帯しましょう」と返します。話は、田川にあるいいかねパレット ── 樋口さんが関わる福岡県田川市の拠点。元は廃校で、人が集まり暮らしや活動を営んでいますへ集まろうという冗談に流れていきました。けれど、樋口さんによると、そこでは実際に集団で暮らす人たちが米を買って一緒に炊き、相互扶助が起きているといいます。
少なくとも僕の周りを見てるとそう思うんですよね。でもこれめちゃめちゃ集まってると、もっとなんかやばいかもって。
樋口さんは、大人に日本の将来を尋ねると「やばいよね」と答えるのに、行動は株に少し投資するくらいだと話します。その理由は、リアリティがないからではないかと考えています。デモもテレビで見るだけでは、ゲームや物語の中の出来事のように感じてしまうというのです。
社会課題にリアリティを持つ人が「俺やるわ」と動き出す
楊さんは樋口さんの話につなげて、株式会社リディラバ ── 社会課題の現場を訪ねるスタディツアーなどを通じ、社会課題と人をつなぐ事業を行う日本の企業ですを紹介しました。ツアーを企画して、社会課題をみんなで見に行く活動をしている会社です。
まずその我々がこの社会課題として認知できてないことを、まずリアリティのあるものとして認知していくっていうことを彼ら(リディラバ)はやってる
樋口さんは、障害の歴史のエンディングで語られた「価値観が変わるには体験が必要だ」という話を思い出します。樋口さん自身は、望む望まないにかかわらず、障害と向き合う体験の中にいるといいます。
樋口さんは、シリーズ全体を通して、福祉の担い手が国から会社、地域、個人へと落ちてこざるを得ない流れを見てきました。そのうえで、この流れを希望的に見ていると話します。この問題に正面から取り組むベンチャー企業が増えていると感じているからです。
樋口さんがダウン症の子どもが生まれたことをツイッターで伝えると、同じ問題意識で活動しているという人から多くのメッセージが届いたそうです。
社会が変わるのは、どんなときなのか
深井さんは「無責任な話」と前置きして、2つの見方を示しました。1つ目は、国は社会福祉を提供する唯一の主体ではないということです。共同体の単位がたまたま国民国家だから政府が担っているだけで、株式会社やNPOが担う可能性も十分あるといいます。
2つ目は、歴史上の社会変革が、フランス革命、2つの世界大戦、オイルショックのような、多くの人がリアリティを感じざるを得ない出来事から起きてきたということです。
深井さんは、2025年問題が実際に起きて人々の考えが変わることで、社会変革が起きるかもしれないと話します。苦しむ人が出るので、それを素晴らしいとは思わず、できれば避けるべきだとしています。ただ、ほかに取りようがあるのかと言われると難しい、というのが深井さんの見方です。
樋口さんは、福祉を受ける側が価値を生む側になる可能性を挙げました。例に出したのはヘラルボニー ── 知的障害のある作家のアートをライセンス化し、商品として展開する日本の企業ですです。障害のある人たちの芸術を商品として市場に出し、売り上げを上げています。
障害者は福祉を受ける側で、高齢者はコストである
障害者は価値を出す側にもなれて、高齢者はリソースを持つ存在として捉えられる
深井さんも、眼差しを変えるだけで価値のあり方が変わると応じます。樋口さんは、福祉とは何かの捉え直しが突破口になればおもしろい、簡単ではないがチャレンジする価値はあると締めくくりました。
一緒に頑張りましょうよ。
まとめ
社会福祉の歴史編の最終回では、3つの福祉レジームとOECDの指標から日本の立ち位置を整理しました。そのうえで、格差を問題視せず行動もしない日本社会の分断を、どう越えていくのかが語られました。3人が行き着いたのは、課題にリアリティを持つことと、担い手が自ら動き出す覚悟の大切さです。
- エスピン=アンデルセンの分類では、日本は自由主義レジームと保守主義レジームの混合とされる
- 日本はOECDの中で相対的貧困率やジニ係数が悪い一方、国民はそれを問題視せず、不満はあっても行動しない傾向がある
- 再分配・自己責任・必要ギャップという3つの罠による分断を越えるには、他者の立場に立つ視点が要るとされる
- 2025年問題のように、社会福祉は若く健康な人にとっても避けられない我が事である
- 国以外の担い手や、障害者や高齢者を価値やリソースとして見る眼差しの転換が、突破口になりうると語られた




