源氏物語は「声で聞く物語」だった?
源氏物語の後編は、楊睿之さんの豆知識から始まります。平安時代の源氏物語は、一人で黙って読むものではなく、姫君や女房たちが集まり、一人の読み手が朗読するのを皆で聞くものだったといいます。
楊さんによると、紙が貴重だったため、本を持てるのは力のある貴族に限られていました。さらに、声に出さない黙読というスタイルは後の時代に出てきたもので、当時の人々は文章を基本的に声に出して読んでいたようです。
楊さんが読んだ本では、当時の人々にとって文字はまだ不完全な道具だったと説明されています。紙の文字だけで意味を受け取るのは難しく、声に出し、表情や感情、人格を込めて読むのが普通の読み方だった、という見方です。
なるほどね。(文字は)声に出して初めて(意味を持つ)。
これを受けて深井龍之介さんは、台本にない余談として漢字とひらがなの違いに注目します。ひらがなは漢字から生まれたのに、柔らかさがまったく違い、当時の中国と日本の雰囲気をそのまま反映しているように見えるといいます。
漢字はほんと、バン、バンバンみたいな感じじゃないですか。一つ一つなんか強固たる意味を持ってて。
ひらがなって、(中略)ほんとなんか、何て言うんですかね、水になんか、こう絵の具流したみたいな。
バンバンと一字ずつ置かれ、一つ一つが強固な意味を持つ
水に絵の具を流したように、文字同士がつながってサラサラと流れる
深井さんは、そうした流れるような文字ができてから源氏物語のような文学が生まれ、その文字を音読して歌のように聞く人たちがいた、という世界観を描きます。頭の中だけで味わうというより、現代人が音楽を聴く感覚に近かったのではないか、という見立てです。
さらに深井さんは、古典文学は現代の発音で声に出しても美しいと話します。当時と今では発音が違うはずだと断りつつ、音としての美しさを意識して源氏物語を読んだり見たりしてほしい、と会場に呼びかけました。
「身」と「心」の葛藤とは何か
本題に入り、楊さんは紫式部が源氏物語で表現した人間観を紹介します。それは、人が身を置く現実世界の制約は厳しく、ささいな願いでさえ思い通りにならない、という苦しみです。
楊さんの説明では、現実世界はあらかじめ決められたものであり、人の力で変えるのは難しく、受け入れるしかないという感覚が、源氏物語に込められ、当時の貴族たちにも共有されていたといいます。
一方で、平安貴族たちは「心」の存在も意識していました。現実が自分を縛っても、心はそれに従えず、抵抗したり、今いる場所を離れて想像したり、誰かに思いを寄せたりしてしまいます。
楊さんによると、当時の「身」という言葉は肉体だけでなく、現実世界という意味も持っていたそうです。身と心の対立が日常的に起きていたからこそ、その葛藤をどう処するかが平安貴族のメンタリティーであり、源氏物語が彼らの心に深く入り込んだのではないか、と楊さんは考えています。
桐壺から藤壺へ、光源氏の「初恋」はなぜえぐいのか
源氏物語は、帝と桐壺の更衣の恋から始まります。楊さんが紹介した冒頭の一文は、「どの帝の時代であったか、女御や更衣が大勢お仕えなさっていた中で、大して高貴な身分でない方で、際立って寵愛を集めていらっしゃる方があった」という意味の文です。
楊さんによると、当時の読者はこの一文だけで、禁断の愛やスキャンダルの話が来ると反応したそうです。まさに自分たちの苦しみをテーマにした物語が始まる、という受け止め方だったと楊さんは見ています。
いや、ごめんなさい。社会から制約受けてますなんか。すげえ今ノッてきたから。なんか苦しみを感じてます。
樋口さんが平安貴族のように感情を込めて反応すると、会場は笑いに包まれます。楊さんが「当時の平安貴族たちみたいに表情をつけて」と返し、音読文化の話ともつながるやり取りになりました。
楊さんの説明では、桐壺は光源氏の実母で、苦しみのうちに亡くなります。桐壺を深く愛していた帝は、新たに藤壺という女性を迎えます。藤壺は桐壺より位が高いので、周囲も文句を言えません。
帝が藤壺を選んだ理由は、藤壺が桐壺と瓜二つだったからです。藤壺は光源氏の義母になり、周囲から「あなたのお母様に本当によく似ている」と言われるうちに、光源氏は藤壺に思いを寄せていきます。
そして光源氏は義母の藤壺と密通し、子どもまでできてしまいます。これが光源氏の初恋として描かれていると楊さんが話すと、樋口さんは「うわぁ、えぐいえぐい」と声を上げました。
すごいですよね。今の価値観から言うとね。当時は知らないですけど。
楊さんはこの流れで、当時は源氏物語ではなく「源氏の物語」や「光源氏の物語」と呼ばれていたらしいことも紹介します。また、金田一春彦 ── 昭和から平成にかけて活躍した国語学者・言語学者。日本語のアクセントや方言の研究で知られ、一般向けの日本語の本も多く書きましたの著述では、光源氏は「ふぃかるぐいんじ」と発音されていたとされています。楊さんは、どこまで正しいかはわからないと断りつつ、今と発音が違ったのは確かだろうと話しました。
光源氏は「負け組」なのに世界最強のイケメン?
楊さんは、光源氏のキャラクター設定に話を戻します。当時の貴族たちは「光源氏の物語」というタイトルを見た時点で、源氏という存在に付きまとうイメージに反応したといいます。
楊さんによれば、源氏の最も重要なイメージは「負け組」でした。源氏は天皇の血を引きながら天皇になれない元皇族であり、皇族の出世コースから外された存在だからです。
皇族を一般貴族にする仕組みは臣籍降下 ── 皇族が皇族の身分を離れて臣下の籍に入ること。平安時代には「源」などの姓を与えられ、一般の貴族として朝廷に仕えましたと呼ばれます。一般的には、母方の血筋が劣っていることが外される理由とされていたそうです。
父方
天皇の血を引く、きわめて尊い血筋
母方
血筋が劣っているとされる
臣籍降下
皇族から外され、即位の可能性はほぼなくなる
源氏
尊さと劣等のダブルバインドを抱えた「負け組」
樋口さんが「いろんな要素が含まれてる」と応じると、深井さんは「名前だけで」と付け加えました。ただし楊さんは、これはあくまで一般論だと補足します。史実では、大臣に出世した源氏や、一度源氏になった後に皇族に戻って即位した宇多天皇 ── 平安時代前期の天皇。一度臣籍に降下して源定省と名乗った後、皇族に戻って即位しました。菅原道真を重用したことで知られますのような例もあるそうです。
葛藤を抱えた負け組であるはずの光源氏ですが、源氏物語の光源氏には一つ大きな特徴があります。楊さんの言葉でいえば、「世界最強のイケメン」です。物語に登場するたびに、光源氏がいかにかっこよく、すごい人物かという描写がほぼ必ず入るといいます。
名前(の「光」)、かっこよすぎて光ってるからですから。
楊さんによると、光源氏は玉のように光っているから「光る君」というあだ名がついたそうです。カリスマ性、美貌、立ち居振る舞い、話し方、教養を備え、絵も書も音楽も歌もダンスも一流で、男女や年齢を問わずあらゆる人を夢中にさせるプレイボーイとして描かれています。
楊さんは、この設定をアイドルにたとえます。センターでは踊らせてもらえず、端っこでしか踊れないのに、グループで一番かっこいい。ステージの隅だけが光り輝いていて、「推したい、課金したい」と思わせる存在だといいます。
なんか一番燃えるやつなんすね。
紫式部自身は光源氏が好みではなかった?
樋口さんが「紫式部自身も光源氏のような人が好きだったのでは」と尋ねると、楊さんは、紫式部が評価していた男性像は光源氏と少し違うらしいと答えます。
楊さんの説明では、紫式部の好みは、才能はあってもギラギラしていない男性です。才能をあからさまにひけらかしたり、浮ついたりするのはNGで、思慮深く仕事に真面目に取り組み、落ち着いた品のある人がよいとされていました。
あらゆる才能を備え、華やかで浮ついたプレイボーイ
才能はあってもギラギラせず、思慮深く仕事に真面目で、落ち着いた品のある男性
どうなんでしょう。結婚したい人と付き合いたい人の違いみたいなのもあるんじゃないですか?
光源氏がいたら超かっこいいけど結婚はしたくないみたいな。
深井さんは、実際に紫式部の夫になった人物は光源氏のような人ではなかったとも話し、樋口さんが「この世にいないですからね、そんな人」と返して笑いが起きました。
楊さんは続けて、物語の中で光源氏が臣籍降下させられた理由を紹介します。一般論とは逆に、父である帝は光源氏を負け組にさせないために、あえて皇族のレースから外したのだといいます。
物語の中の光源氏は、天皇の血を引きながら皇太子にも、その候補である親王 ── 天皇の子や兄弟など、皇族の男子に与えられる身分。皇位継承の候補となる立場でしたにもなれない宙ぶらりんの立場でした。それなら普通の貴族にして、官僚としてキャリアを積める道を開こう、というのが帝の考えだったと楊さんは説明します。
楊さんによると、源氏物語では、好きなのに振り向いてもらえないといった似た人間関係がくり返し描かれます。そこには光源氏の苦しみも、周りの女性たちの苦しみも、ポジティブな感情も含まれているといいます。
身分の高い男の夜這いは断れなかった?
深井さんは、光源氏が現代の「モテモテの超イケメン」像とは違い、けっこう拒否されていることに注目します。楊さんも、義母の藤壺からも拒まれていたと応じます。
楊さんによれば、藤壺と光源氏の話を今の感覚で読むと、光源氏はどう考えてもストーカーで、接近禁止命令が出てもおかしくない挙動をしています。藤壺が「マジでやめて」と拒むのに、寝床まで忍び込もうとする場面も描かれているそうです。
単純に女性の権利が低いとか、人権のあれがないとかっていう、その古代ですから、全然時代が違うっていうのがあると思うんですけど、女性は嫌な時はいっぱいあったでしょうね、実際は。
樋口さんが当時の夜這いの文化に触れると、深井さんは、夜這いは建前上は当然やってはいけないものだったと説明します。姫の父親にとっても、変な相手に子どもを作られてはメリットがなく、得をするのは夜這いをする側だけだというのです。
光源氏って(臣籍降下)してるけど、ポテンシャルというか、元の血は超尊い。だってお父さん天皇なんだから。
身分制社会の夜這いっていうのは、身分が高くて断れないみたいな、そういう世界もあるんですよね。
楊さんは、藤壺に仕えていた女房の一人が取り次ぎ役になっていた場面を紹介します。女房は抵抗しながらも光源氏の身分の高さに押し切られ、藤壺のそばまで入れてしまいます。その結果、子どもができてしまいました。
子どもができた後も光源氏は諦めきれず、もう一度会わせてほしいと頼みます。このときは女房も「状況わかってる?子どもまでできてるよ」と強く断る場面が描かれているそうです。
バレたらやばいって藤壺は思ってるわけです。だから光源氏の子を産んじゃって。夫である天皇は自分の子だと思って、「めっちゃイケメン生まれた」ってなって。
深井さんは、光源氏には天皇の寵姫 ── 君主から特に寵愛を受けている女性のこと。天皇の后や女官など、天皇との関係が前提にある女性を指しますに手を出しがちな面があると話します。そして、それが途中でちょいちょいバレているのに処刑はされないところが、すごく日本的だと指摘します。
この当時のその日本のその後宮、つまりその天皇の奥さん候補たちがたくさんいるところっていうのは、なんか信じられないほど緩くて。
楊さんは、中国の皇帝の後宮と比べます。中国では後宮の女官は基本的に皇帝の所有物で、恋愛や肉体関係を結べるのは皇帝だけでした。一方、平安の天皇に仕える女官は、天皇以外の男性と結婚したり子どもを持ったりもしており、これは中国の常識では考えられないそうです。
女官は皇帝の所有物。関係を結べるのは皇帝だけで、男性は入れず宦官が出入りする
女官が天皇以外の男性と結婚することもある。寵姫に手を出しても謹慎や宮中を出る程度で済む
深井さんは、江戸時代の大奥ももっと厳しかったと補足しつつ、古代の日本には「全員恋愛し合ってる」ような緩さがあったと話します。樋口さんは、コテンラジオの性の歴史シリーズで日本を扱ったときにも似た話が出たと振り返りました。
冷泉帝は出生の秘密をどう受け止めたのか
楊さんは、このままでは光源氏が「マジでクズ野郎」になってしまうとして、光源氏をフォローします。光源氏と藤壺の子は天皇の子として扱われ、のちに冷泉帝として即位します。
楊さんによると、この子が生まれたことで、光源氏と藤壺の関係は変わります。藤壺は我が子の後見役として光源氏を頼り、冷泉帝の后をどうするかといった相談もするようになりました。
光源氏が一方的に思いを寄せ、藤壺が拒もうとする恋の関係
秘密の子を裏から支えるパートナーとして、大人同士で冷静に話し合う関係
なんか生まれました、うぇいじゃなくて、ちゃんとその責任を取るみたいな。責任持ってんだな。
ただし楊さんは、光源氏がその間も別の女性とスキャンダルを起こしていると付け加えます。深井さんも、現代の価値観では当然ダメだと念を押しました。
でもなんかその生まれた後の話をちゃんと言及するあたりがファンタジーじゃなくて、ただのしっかりドラマになってるというか。
楊さんは、冷泉帝が母・藤壺の死をきっかけに出生の秘密を知る場面を紹介します。藤壺に仕えていた僧が人気のないところで、冷泉帝に「あなたの本当の父親は桐壺帝ではない」と耳打ちするのです。
私が父だ。
楊さんが「アナキン・スカイウォーカーみたい」とたとえると、深井さんが『スター・ウォーズ』の有名なセリフで応じ、会場は盛り上がりました。
楊さんが心を動かされたのは、冷泉帝の反応です。不義から生まれ、それが露見すれば政治的な権力にも傷がつくのに、冷泉帝はグレるのではなく、本当の両親である藤壺と光源氏に感謝したといいます。
楊さんの説明では、藤壺と光源氏は僧に、子どものための祈祷を即位まで続けさせていました。冷泉帝はそれを知り、生まれはこじれていても両親に深く愛されていたと気づく、という描写になっています。
だからなんかこう簡単にはいいとも悪いとも言えないというか、そこの複雑な感じがちゃんと表現されてるなっていうイメージがありますね。
楊さんは、冷泉帝をグレさせる描き方もできたのに、紫式部はそうしなかったと話します。そこに、人間性の奥底に対する紫式部の解像度の高さを感じたといいます。
楊さん自身は、小説を書けない理由として、他人にあまり興味がないからだと語ります。小説を書ける人は、自分以外の人間の心や人間関係への凄まじい好奇心と、それを表現するスキルを持っているのではないか、というのが楊さんの想像です。
ホモサピエンスには興味あるでしょ、でも。
深井さんは、小説家が必ず個体に興味があるとは限らないとしつつ、紫式部日記を読んで、紫式部には個人への興味がありそうだと感じたと話しました。
紫式部の人生はなぜハードモードだったのか
楊さんは、紫式部自身の人生もハードモードだったと語ります。紫式部が生まれたのは没落した家で、家族は自分たちが負け組だという自覚をずっと持っていたといいます。深井さんも、立場がどんどん落ちていく家だったと補足しました。
楊さんによると、紫式部は幼い頃に母を、思春期に姉を亡くしました。姉妹のように親しかった女友達も、地方へ行った先で亡くなっています。
さらに紫式部は、結婚から3年で子どもを残して夫を亡くします。このとき一度心が折れたようで、何も手につかず、1年間を呆然と過ごしたといいます。
紫式部には漢文の才能がありました。しかし父からは、男の子だったらよかったのにと嘆かれていたそうです。深井さんは、弟よりも圧倒的に覚えが早かったため「うちの子が息子だったら」と言われた、と補足します。
楊さんは、紫式部が同僚から才能をひけらかす高慢な女だと誤解されていじめられ、あえて教養がないふりをしていたとも紹介します。楊さんは、これこそ身と心の葛藤だと話します。
楊さんは、紫式部が中宮定子 ── 一条天皇の后。藤原道隆の娘で清少納言が仕えました。父の死後に一族が没落し、若くして亡くなりましたの死にも心を重ね、その共感が執筆のエネルギーになったのではないか、という見方を紹介します。源氏物語の執筆開始は諸説あるものの、中宮定子の悲劇からわずか数年後とする本もあるそうです。
いや、そんな感じがしますね。なんか悲しかったり、怒ったりしたことがあったから。
楊さんはさらに、身は思い通りにならなくても、心は自由に生きられると紫式部が感じたのかもしれない、と想像します。現実の制約を飛び越えて物語を創作する楽しさを味わったのかもしれない、ただしこれはわからない、と慎重に付け加えました。
「それでも生きてゆく」紫式部の歌は何を語るのか
まとめとして楊さんは、紫式部の和歌集『紫式部集』の最後の歌を紹介します。つらく切なく苦しく、自分の身の置き所さえ見失い、この世をはかなんで憂いていても、それでも生きてゆくのが人生なんだ、という意味の歌だそうです。
源氏物語ってそんな感じだもんね、ずっと。まさに。
楊さんは、人はこんな現実の中でもそれぞれの人生を生きていくしかない、「しゃあない、生きていくしかない」という感覚だと語ります。樋口さんに共感しているのかと聞かれると、楊さんは「しゃあないなと思いながら日々生きてます」と答えました。
樋口さんは、平安時代の話は今の日本にも通じると感じたといいます。外敵に殺されるかもしれない状況なら、やりがいがどうとは言っていられません。平和だからこそ、心と身が一致しないつらさに焦点を当てられた時代だった、という見方です。
だからなんかこの時代ってなんか平和な分、もっといろんなところに悩みみたいなものがあって、外敵とかいうシンプルな話じゃなくて、心と体が違うところがなんかすごくつらいみたいなところにすごいフォーカスできてた時代なんだなと思う。
楊さんは、紫式部の視点と力量が現代までを包み込めたことが、偉人たる所以なのだろうと話します。深井さんも、源氏物語が1000年前の作品であることに触れ、世界中で今も読まれていることの大きさが語られました。
平安時代の「クローズド文化」は今の日本のルーツなのか
深井さんは、よりメタな視点から、平安時代はすごく日本っぽいと感じていたと語ります。学術的な裏付けはなく、ただの感想だと断ったうえで、今の日本の大きなルーツの一つがこの時代に形成されたように思えるといいます。
深井さんによると、平安時代の前には律令制 ── 律(刑法)と令(行政法)に基づく古代の国家制度。日本は唐にならって導入し、天皇を中心とする中央集権国家を目指しましたを導入して中央集権国家を作ろうとし、それに大きく失敗しています。そのうえ、当時の政治家に100年単位で国家のグランドビジョンを描いている人はいないように見えるそうです。
たかだか妃3人嫁がせたぐらいで、この世は俺の世だなとか言って月を見ながら言ってるわけでしょ。
深井さんは藤原道長の望月の歌 ── 藤原道長が娘を次々と天皇の后にした頃に詠んだとされる歌。「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」で知られますを例に挙げ、「視座が低い」と言いかけます。しかしすぐに言い直し、本当に言いたかったのは閉じた文化の特殊さだと説明しました。
深井さんによると、グローバルな世界で同じくらい閉じた視点を持てば、すぐに滅びてしまいます。しかし当時の日本は、他の国と比べて外国からの干渉が圧倒的に少ないという超特殊状態にありました。
前の時代
律令制を入れて中央集権国家を目指すが、大きく失敗する
平安時代
外国からの干渉が少ない一方、遣唐使を通じて中国のエッセンスは入っている
醸成
閉じたハイコンテキストな文化を一気にブーストさせ、発酵させる
武士の時代
元寇などを経て外国を意識した外交が始まり、世界観が変わる
深井さんは、そうした閉じた文化を今の日本のルーツとして強く感じるといいます。平安の日記を読むと、すごくクローズドな世界だとわかるので、ぜひ読んでみてほしいと呼びかけました。
多分文化とかも多分それくらいクローズドな雰囲気だったから、内へ内へとか、もっと細かいところとか、もう本当何回も言いますけど、そのなんか心と体の一致みたいなところまでの解像度高く、自分の内面とか日常生活を見れてた。
平和な時代に文化とかが豊かになっていくとか、芸術が生まれていくっていうのはよくあるパターン。
深井さんは、平和な時代でなければ一点に集中してブーストさせることはできず、平安の超特殊状態で育ったセンスは今の日本人にも生きていると話します。
樋口さんは最後に、平和な時代にはスキャンダルやゴシップといった社会的タブーが話題になりやすいのでは、とも述べました。深井さんに「このまとめ違うよ」と突っ込まれ、捉え方は聞いた人次第だと笑いながら、源氏物語ミュージアムでの公開収録は締めくくられました。
まとめ
この回では、音読文化や「身」と「心」の葛藤という平安貴族の感覚を手がかりに、光源氏のキャラクター設定、藤壺との密通、冷泉帝の出生の秘密、紫式部自身の人生が語られました。どうにもならない現実の中でも心は動き、それでも生きていくしかない、という人間観が物語全体を貫いていると語られています。
- 平安時代の文章は声に出して読むのが普通で、源氏物語も皆で朗読を聞く物語だったとされています
- 光源氏は、臣籍降下した「負け組」でありながら世界最強のイケメンという、葛藤を抱えた設定で描かれています
- 光源氏の身分の高さは周囲に断りにくさを生み、中国と比べると平安の後宮はきわめて緩かったと語られました
- 冷泉帝が出生の秘密から両親の愛に気づく場面に、楊さんは紫式部の人間への解像度の高さを見ています
- 深井さんは、外国からの干渉が少ない平安の閉じた文化を、今の日本のルーツの一つとして感じています





