10年先を行った技術は、なぜ1年足らずで追いつかれたのか
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前回までのエピソードでは、ライト兄弟が各国で公開飛行を成功させ、故郷で父親を乗せて飛んだところまでが語られました。最終回となる今回は、兄弟がスーパースターになった「その後」の話です。
ライト兄弟はもうほんと、文字通り世界を変えちゃったんですね。しかし、その世界は必ずしもライト兄弟には優しくなかったんです。
ライト兄弟の成功は、結果として航空界全体を一気に押し上げました。ねじれ翼と舵を組み合わせて機体を操る方式が知れ渡り、各国の開発者が「こうすればいいのか」と理解したからです。
番組では、この状況をコロンブスの卵 ── 誰でもできそうなことでも、最初に思いついて実行するのは難しいというたとえ。卵の底をつぶして立てたというコロンブスの逸話に由来しますにたとえています。一度見てしまえば誰でも真似できるため、ライト兄弟の成功をきっかけに、ドミノ倒しのように各国で航空機の開発が進みました。
こうして訪れたのが、技術開発競争が激化する「飛行機の戦国時代」です。そしてこの環境の変化の中で、ライト兄弟は負けていくことになります。
ライト兄弟の飛行機っていうのは、世界の10年先を行ってたんだけれども、1年足らずであっという間に追いつかれるんですよ。
うわ、悲しい。
フランスのル・マンでの公開飛行からわずか3ヶ月後には、ライトフライヤー号より改良の進んだ飛行機がフランスで飛んでいます。より速く、より長く、より高く飛べる機体が次々に登場し、兄弟の記録は塗り替えられていきました。
追いつきの速さを示す例として、ル・マンでの公開飛行の翌年には、フランスで兄弟の飛行時より多くの観衆を収容できる会場を使い、22名の飛行家による飛行機レースが開かれていたといいます。
特許で守るか、知恵を開くか。訴訟に明け暮れた兄弟
ライト兄弟にとって、あっという間に追いつかれる状況は好ましいものではありませんでした。自分たちの成し遂げたことが世界にどれほどの影響を与え、どれほど激しい競争にさらされるのか、兄弟自身も想定していなかったと語られています。
そこでライト兄弟が取った行動は、営業活動を続けながら、同業者を片っ端から特許侵害で訴えていくことでした。
ライト兄弟が特許で押さえたのは、ねじれ翼と舵の組み合わせによって空中での横揺れや旋回を制御する技術です。左右の翼の揚力を変えて機体をロール ── 飛行機が機体の前後方向の軸を中心に左右へ傾く動き。旋回するときにはこの傾きを使いますさせるこの原理は、今日の飛行機の根本をなしています。
ライト兄弟の言い分は、後に飛ぶ飛行機はすべてこの原理を使っているはずで、原理の特許を持つのは自分たちだから、使うなら使用料を払ってほしいというものでした。
で、視点を変えて、じゃあ他の航空機の開発者やメーカーからライト兄弟のこの行動はどう映ったのか。まあ、ウザいよね。
市場がすぐそこにあり、技術も追いついているのに、ライト兄弟がいちいち特許で邪魔してくるように、他の開発者たちには見えていたようです。
その後、ねじれ翼より優れた仕組みとしてエルロン ── 日本語では補助翼。主翼の後ろ側にある可動部分で、左右を逆向きに動かすことで機体を傾けます。現代の旅客機にも使われていますが開発されます。飛行機の長い翼の先端で小さくパタパタ動いている部分がそれで、アメリカでは電話の発明で知られるグラハム・ベルが開発を主導しました。
あれなんやと思っとった。
ところがライト兄弟は、補助翼の使用も認めませんでした。形は違っても、自分たちが発見した原理に基づいて同じ機能を果たしている、という理屈です。
ライト兄弟が実用化し特許で押さえた方式。翼そのものをねじって左右の揚力を変える
フランスとアメリカで開発された方式。翼の先端の可動部分の向きを変えて機体をロールさせる
実際どうなんか分からんものに関しては難しいね。
解説では、どちらが良い悪いとは言い切れない状態だったと整理されています。根本原理は公共の知恵であるべきだと考えた人や、兄弟への妬みを抱いた人もいたかもしれない、という見立てです。
エジソンやグラハム・ベルも山ほど訴訟を抱えていたことから、技術に訴訟はつきもので、それを乗り越えてこそ本物の成功を手にできるシビアな環境だったのではないかと語られています。
ライト兄弟が欲しかったのは金か、それとも名誉か
でも技術とお金ってめちゃくちゃ難しいですよね。
なんかね、開発者にちゃんと支払われてほしいですからね。
ライト兄弟の飛行機開発は、そもそも新商品の開発というビジネス目的から始まっていました。真理を発見して満足するのではなく、その先のマーケットを見据えていたのです。
寒い風に吹かれながら体得した原理であり、努力と投資を積み重ねてきたのだから、1ドルでも多く回収したいという兄弟の気持ちはよくわかる、と解説では語られています。
一方で、兄弟が本当に欲しかったのは金ではなく、「飛行機を開発したのは自分たちだ」という評価だったと書く本もあるそうです。信用や名誉が他人の手に渡ることは、存在意義に関わる問題だったのかもしれません。
さらに解説役の個人的な見方として、自分たちの技術が猛烈な勢いで陳腐化していく焦りもあったのではないかと語られています。特許で守らなければ何も残らない、という危機感です。
まさにコロンブスの卵やな。最初はそれやった人はすげえけど、2人目以降は普通でしょってなって。
超気持ちわかるわ、ライト兄弟の。
兄ウィルバーの死と、今も残る「ライト」の社名
晩年のライト兄弟は、国内外への出張や会社経営にも取り組んでいました。ライト社を創業し、新型の飛行機や、水面を走る水上機の研究開発も進めています。
同時に、兄弟は訴訟に明け暮れます。自分たちが訴えることも訴えられることもあり、アメリカ国内の裁判にはいずれも勝っていた一方、ヨーロッパではどうしようもなかったそうです。
そうした中、兄のウィルバーが45歳で亡くなります。死因は腸チフス ── チフス菌による感染症。高熱や腹痛が続き、20世紀前半までは命を落とすことも多い病気でしたでしたが、長期間の訴訟や仕事による過労、心労がたたったのではないかという見解もあるといいます。
ウィルバーの死は大いに惜しまれました。哀悼の電話が鳴り続け、海外から電報が1000通ほど届き、地元の新聞によれば遺族に届いた花は貨物列車1台分に達したそうです。
何だかんだビジネスではもうあまりパッとはしなかったんだけども、名誉はやはりちゃんとみんながこの時では認めてくれたっていう話ですよね。
ウィルバーの死後、弟のオーヴィルはライト社を売却しました。ただ、ライト社はいくつもの合併を経て、現在も部品メーカーのカーチス・ライト社として存在しています。
熱いね、それ。
恩人スミソニアン協会は、なぜライト兄弟を敵視したのか
兄を失ったオーヴィルに追い打ちをかけたのが、シリーズ第2話にも登場したスミソニアン協会 ── アメリカの国立博物館群と研究機関を運営する組織。1846年に設立され、現在も航空宇宙博物館などを擁していますです。アメリカ科学界の総本山のような組織で、兄弟の開発初期には文献や資料を提供して支援していました。
その当時のスミソニアン協会の会長ラングレーは、自身も航空機を研究する科学界の重鎮でした。しかしラングレーは、国防省などから補助金を受けて5年かけて飛行機を開発したものの、まったく飛ばすことができませんでした。
ラングレーは「不可能に挑んだ夢想家」「国の税金を浪費した愚か者」とメディアや議会から叩かれ、飛行機研究をやめて、3年後に失意のうちに亡くなったと語られています。
そこまで言わんでいいと思うけどな、チャレンジした人に対して。
実はラングレーは、ライト兄弟にも影響を与えた人物でした。ウィルバーは、偉大な科学者ラングレーが飛行機の可能性を信じていたことが、兄弟が航空研究を思い立った原因の1つだったという言葉を残しています。
そしてラングレーの実験失敗の直後に、ライト兄弟が有人動力飛行に成功します。兄弟にとってはハッピーな話ですが、一歩引いて見ると、科学界の重鎮が若造に鮮やかに負けたという構図でもありました。
科学界の重鎮。約7万ドルの資金の大半が税金。5年かけたが飛べなかった
自転車屋を営む兄弟。1900〜1903年ごろの出費は約1000ドルで、自転車屋の利益でまかなった
ラングレーの死後に会長となったウォルコットは、前会長の汚名をそそぎたいと考え、ライト兄弟を「たかが自転車屋風情」「幸運なまぐれ当たり」と敵視するようになったといいます。
ダサくない?ただの、ただの嫉妬よ。
そうそう。だから嫉妬を集めるぐらい偉大なことをやっちゃったんですよね。
「ラングレー機こそ人類初」という歴史改ざん
ここで登場するもう1人のキーパーソンが、アメリカ航空のパイオニアの1人で、ライト兄弟と熾烈な特許紛争を繰り広げたグレン・カーチスです。裁判に負けていたカーチスは、どうにか兄弟の特許を回避しようと考えました。
カーチスの作戦は、ライト兄弟より前に飛べる飛行機が存在していたと証明すれば、兄弟の特許を無効にできるのではないか、というものでした。
よう思いついた。歴史の改ざんやん。
マジで仁義なき戦いですよね。
カーチスが目をつけたのが、失敗に終わったラングレーの飛行機です。カーチスとスミソニアン協会のウォルコット会長が手を結び、ラングレー機で再び飛行実験を行うことになります。
ただし、ラングレー機はそのままでは飛びません。そこで行われたのが、こっそりとした大改造でした。
改造
35箇所を改造。機体強度を上げ、浮く力を30%以上高め、ライトフライヤー号を真似たプロペラやエルロンまで付けた
飛行実験
ラングレーが開発した機体として飛ばし、成功させる
キャンペーン
スミソニアン協会が「世界初はライト兄弟ではなくラングレー」と大々的に宣伝
証拠の隠滅
機体を改造前の形に組み直し「世界初の飛行機」として国立博物館に展示
このキャンペーンによって、ライト兄弟は科学者全体から相手にされなくなっていきました。
権威というのはすごいね。
オーヴィルは激怒して抗議しますが、スミソニアン協会は「実験に不正はない」「些細な変更は結果に影響しない」と開き直ります。兄はすでに亡く、オーヴィルは恩人だった協会に刺される形で孤軍奮闘することになりました。
姑息ですね。なんか証拠全部消した状態でもう飛ばないでいい状態で。
ライトフライヤー1号機をロンドンへ。オーヴィル27年の闘い
真相を知らない大衆は、飛行機の発明者はラングレーだと思い込むようになります。追い詰められたオーヴィルは、ある行動に出ました。
そのころライトフライヤー1号機は、なぜかマサチューセッツ工科大学の倉庫で埃をかぶっていたそうです。そこへ、ロンドンの博物館から「ぜひ展示させてほしい」という申し出があり、オーヴィルはこれを受け入れました。
オーヴィルの考えは、機体がアメリカにあれば国民のプライドは満たされるが、外国の博物館にあれば「なぜそこにあるのか」が繰り返し思い起こされる、というものでした。そして未来の歴史家が証拠を公平に調べ、正しい歴史を書いてくれるだろうと期待したのです。
この作戦は狙いどおりの結果を生みます。兄弟の実績を理解していたアメリカ人たちが「国の恥だ」「本国に戻せ」と声を上げ、スミソニアン協会も知らん顔を続けられなくなりました。
ウォルコット会長の死後、次の会長アボットは紛争を収めようと、誰も傷つかない曖昧な妥協案を何度もオーヴィルに示しました。しかし協会の主張を取り消すことは、協会や前会長の名誉を傷つけることでもありました。
もう最初に殴ったのはその協会の人だからね。
オーヴィルは、歴史の誤りを正すには真相をはっきりさせることが絶対に必要だとして譲りませんでした。そして1942年、スミソニアン協会はオーヴィルに謝罪し、ラングレー機の実験の不正を認める声明を出します。
にしても、謝罪と名誉回復まで27年間もかかってます。
飛行機は「火のようなもの」。オーヴィルが残した言葉
謝罪を受けて、ライトフライヤー1号機はアメリカに戻されるはずでした。しかし、第二次世界大戦のために実現しませんでした。
この時代にはすでに、飛行機は戦争の主役になっていました。制空権が勝敗を左右し、真珠湾攻撃や原爆投下など、戦争の節目には必ず飛行機の姿があったと語られています。
オーヴィルは、飛行機が破壊をもたらしていることを知っており、コメントも残しています。世界に永遠の平和をもたらすものを発明したかったが間違っていた、誰よりも飛行機がもたらした破滅を嘆いている、という内容です。
それでもオーヴィルは、発明したこと自体は悔いていないと述べました。「飛行機とはまさしく火のようなものでしょう」と語り、火による破壊は恨んでも、人類が火を使うことを見出したのは素晴らしいことだった、と続けています。
ダイナマイトとかとも同じだし、包丁もそうやし、インターネットもそうですもんね。
戦後の1948年、ライトフライヤー1号機はようやくアメリカに戻りました。しかし出迎えた人の中にオーヴィルの姿はなく、直前に亡くなっていたため、最後まで「自分の子供」を一目見ることはできませんでした。
そのころ世界はすでにジェットエンジンの時代で、ねじれ翼は過去の遺物になっていました。
夢の人か、スタートアップか。資本主義の時代が変えたもの
エンディングで樋口さんは、今回の話を1本の映画を見ているようだったと振り返ります。人類の積み重ねの上に偉業を達成した兄弟が、大きな科学の波に飲み込まれ、旨味を十分味わえないまま取り残されていった切なさです。
解説では、兄弟が「one of them」になっていく切なさに加え、人間の喜怒哀楽とは関係なく社会構造がガラガラと組み替えられていくことにも、何とも言えない味があると語られています。
樋口さんは、スミソニアン協会の振る舞いも捉え方次第だったと指摘します。資料を提供してきた協会が「自分たちの積み重ねを若い力が形にしてくれた」と考えていれば、win-winの関係になれたかもしれない、という見方です。
これに対して楊睿之さんは、世の中が所有と競争の資本主義の時代に変わっていたことを挙げます。投資は回収しなければならず、誰に何の権利があるかが厳格になったため、「若い人よく頑張ったね」と手放しには言えない時代だった、という指摘です。
樋口さんは子供のころ、ライト兄弟を「夢に向かって飛んだ人」として読んでいました。今回の話でビジネスやスタートアップとしての側面を知ったうえで、1周回ってスタートアップで世の中を変えることもいいと感じたと話しています。
楊睿之さんは、文献で読んだ兄弟のビジネス面にも触れます。特許を取るまで騒がれないことを重視したり、冷淡なアメリカ陸軍省だけでなく、イギリス、ドイツ、イタリア、日本にも売り込みをかけたりしていたそうです。
なんかそっちから見ると、普通にグローバル展開して市場開拓してって、海外だみたいな、普通ですからね。
点・線・面から立体へ。紅の豚とITに重なる技術の功罪
楊睿之さんは、航空技術によって世界の見え方が面から立体に変わったと話します。例に挙げたのが、石原莞爾 ── 昭和期の日本陸軍の軍人。満州事変の中心人物の1人で、将来の世界戦争を論じた著作でも知られますの『最終戦争論』です。
点
人が1対1で戦う一騎打ちの時代
線
戦列と戦列がぶつかる時代
面
戦場が面に広がる時代
立体
航空技術による3次元の戦争。これが最終戦争とされる
楊睿之さんは自身の解釈があやふやかもしれないと断ったうえで、航空技術を思いついた人類はもう後には引けず、それがある世界で生きるしかない、と語ります。
その苦しみを描いた作品として挙げられたのが、宮崎駿さんのアニメです。第一次世界大戦で戦友を失ったポルコ・ロッソが飛ぶ『紅の豚』や、零戦を開発した堀越二郎を主人公にした『風立ちぬ』は、飛行機を作ることの功罪を深く考察した作品だといいます。
なんか俺、この後にITで同じこと起きてる感じがする。
樋口さんは、サイバー攻撃が戦争に使われる今、空間すらない電脳世界で同じことが起きていると指摘します。一方で楊睿之さんは、収録時点で発射中断により非難を受けていたH3ロケットにも多くの技術者が懸命に取り組んでおり、それが開く未来もあると語りました。
楊睿之さんはさらに、物事の正と負の側面は今の時点での見方にすぎず、時代が下れば逆転したりグラデーションが変わったりする可能性があるとも話しています。
最後に樋口さんは、手塚治虫、グーテンベルク、モーツァルトと並べ、自分はクリエイターやエンジニアなど「作る人」が好きなのだと気づいたと語って、ライト兄弟編を締めくくりました。
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まとめ
ライト兄弟編の最終回では、世界を変えた兄弟が、自らの成功で加速した技術競争に追い抜かれ、特許訴訟やスミソニアン協会の歴史改ざんと闘う姿が描かれました。オーヴィルの名誉回復には27年を要し、飛行機はやがて戦争の主役にもなります。技術には必ず光と影があることを、兄弟の物語は教えてくれます。
- ライト兄弟の技術は一度公開されると各国にすぐ真似され、世界の10年先から1年足らずで追いつかれた
- 兄弟は特許訴訟で技術を守ろうとし、その背景には投資回収に加えて名誉や陳腐化への焦りがあったと考えられている
- スミソニアン協会とカーチスはラングレー機を大改造して「人類初」を主張し、協会の謝罪まで27年かかった
- オーヴィルは飛行機の破壊を嘆きつつも、発明を「火」にたとえて悔いてはいないと語った
- 出演者たちは、資本主義の時代の競争や、航空技術・ITの功罪に、今にも通じるテーマを見いだしている







