世の中に「言いたいこと」はなぜ消えたのか
番外編の冒頭で、深井さんは樋口さんに「何か話したいことはあるか」と尋ねます。樋口さんの答えは、世の中に言いたいことは今は1つもない、というものでした。
樋口さんによると、深井さんと出会った2018年ごろは状況が違いました。仕事で大事なことや人間の心の仕組み、内省で気づいた自分の姿など、言いたいことが順番待ちの状態だったといいます。
SNSとかにもやっぱ色々書いてたりしたりとかで、それによってなんかこう悩みとかその心のデトックスになったりしてたんですね。
当時の樋口さんは毎日ブログを書き、一人ポッドキャスト「樋口聖典の世界」も続けていました。その一人ポッドキャストは頻度を下げつつ今も続いていますが、初期の番外編のように語りたいことがあふれる状態ではなくなったそうです。
深井さんが「言い尽くしたのか」と聞くと、樋口さんは人生のフェーズが変わった感覚だと答えます。きっかけとして挙げたのは、子どもの誕生、特に2人目の誕生でした。
2人目が生まれた時に健康で家族と一緒にいたらいいやみたいな、ちょっとなってきてるんですね。
中秋の満月と14個の団子が教えてくれたこと
樋口さんは「しばらくどうでもいい話をしますよ」と断ってから、収録前日の9月17日、中秋の満月の夜の出来事を話します。小学1年生の長男・虎之介くんが「お月見って団子を食べるよね」と言い出し、樋口さんの妻が団子を買ってくることになりました。
虎之介くんは母親が帰る前に、明日の準備、ピアノの練習、布団敷きを全部済ませました。布団敷きは1回10円の「バイト」だそうです。そのあと家族4人で川沿いへ散歩に出て、月を見ながら乾杯しました。
団子は下段9個、中段4個、上段1個の14個入りで、3人で分けると1つ余らない計算になりました。そこでじゃんけんで負けた人は食べられないルールにしたそうです。
でももうお父さんは絶対グー出すよ。だってお団子の形やもんとか言いながらじゃんけんグー出したら、キャッキャ言いながら妻と子供がパー出して。
この話を聞いた深井さんは「それは言いたいことないわ。満たされるもんね」と返します。樋口さん自身も、世の中を変えたいというエネルギーが、こうした日常で少し削がれている感覚があると認めていました。
深井さんが、世界がその幸せな話を求めたらどうするかと冗談めかして聞くと、樋口さんは「莫大なお金をもらってやります。で、6500万返して」と笑いで返していました。
乾きを失った人は、世界を動かせなくなるのか
深井さんは樋口さんの状態を「悟りに近い」と表現し、足るを知る ── 今あるもので満足することを知る、という考え方。老子の言葉として知られ、欲望を際限なく追わない生き方を指しますという解脱に近づいているのでは、と話します。
一方で樋口さんには、個人としては良い変化でも、社会にとってはどうなのかという引っかかりがありました。樋口さんは、モテたい、承認されたい、お金が欲しいといった「乾き」が偉人たちを動かしてきたと考えています。
実際僕もいい金パレット始めた頃ってそうだったと思うし、それによってもう自信持ってはっきりといろんな人にいい影響を与えてきたと思ってるんですよ。
樋口さんは、コテンラジオが生まれて多くの人に影響を与えられたのも、自分に欲求があったからだと振り返ります。
樋口さんが話した、乾きが社会への影響につながる流れを整理すると、次のようになります。
乾き
モテたい、承認されたい、お金が欲しいといった欲求がある
エネルギー
欲求を満たそうとして行動する力が生まれる
活動
いい金パレットやコテンラジオのような取り組みが生まれる
影響
多くの人に良い影響が届く
それでも樋口さんは、自分個人にとっては小さな幸せが続く人生のほうが良いと考えています。理由として挙げたのは、そのほうが持続しやすいことでした。
樋口さんは「誰かから何かを奪わない」点も挙げます。会社で一定以上のポジションに就かないと幸せを感じられないなら、その椅子を誰かから奪う椅子取りゲームに参加することになる、という考え方です。
椅子取りゲームに参加せずとも、自分の中で幸せを得ることができれば、誰からも何も奪わない状態で、幸せ発生装置を自分の中に持つことができれば、資源を使わなくていいみたいな感じなんですよ。
ただし、この考え方を社会に広めるには影響力や発信が必要です。樋口さんは、その活動力こそが今の自分からは減っているというジレンマを語りました。
だから樋口個人目線でいうといいんです。ただ、世界目線でいうと、これ樋口この使い方でいいんやったっけ?と思ってる。
「家庭を捨てる」ブッダとガンディーがよぎる理由
樋口さんのジレンマに、深井さんは「だから出家。家庭を捨てるってやつよね」と返します。満たされた家庭が活動力を削いでいるなら、その逆を行けばいいという理屈です。
深井さんはさらに、樋口さんのお子さんをラーフラ ── ブッダの実子の名前。「障害」「束縛」を意味するとされ、出家して悟りを目指す上での妨げという含意で語られることがありますにたとえました。ブッダが自分の子に「悟りへの障害」という意味の名前を付けた、という話です。
でも後でね、息子合流しますからね。そのサンガにね。
樋口さんは、こうしたことを考えると、たいていブッダとガンディーが頭に浮かぶといいます。収録当日も、樋口さんはガンディーのTシャツを着ていたそうです。
ガンディーはインドを救ったし、それによって人類に希望を与えたんですけど、息子一人幸せにできなかったっていう。
楊さんは、人がどう使われるかは本人にはコントロールできないと指摘しました。死後に人々が勝手に祀り上げたり貶したりするのだから、考えなくてもいいのでは、という意見です。
樋口さんもその通りだと認めつつ、「それを言ったらこの回が終わる」と深井さんが笑いに変えます。樋口さんは、そこまで含めて結局は悩んでいないのだと話していました。
全部どうでもいい、けれどどうでもよくない
樋口さんによると、以前の自分は物事に正解があると思っていました。「こうすべき」を見つけて遂行しないと、生きている責任を果たせないくらいの感覚だったといいます。
その感覚を変えたのが、コテンラジオで扱ったダーウィンの進化論と素数ゼミ ── 13年や17年といった素数の周期で大量発生するセミ。周期が偶然生き残りに有利に働いた例として、進化論の説明で紹介されることがありますの話でした。
生命に意志があってこう進化していくじゃなくて、たまたま生き残った、滅びたのが起こった結果が今なんであってっていう話があって。
コテンラジオを聴き続けるうちに、樋口さんの中で「正解はなく、たまたまだ」という感覚が強まり、一度は全部どうでもいいと感じるようになりました。ところが、言葉通りに受け取れば人を殴ってもいいことになり、それは違うと気づいたといいます。
正解がある
「こうすべき」を見つけて遂行しなければと思っていた
たまたまだと知る
進化論と素数ゼミの話から、結果は偶然だと感じた
全部どうでもいい
正解がないなら何をしてもいい、と一度は考えた
どうでもよくない
執着せずに自分で決めて一歩踏み出す状態に行き着いた
樋口さんがたどり着いたのは、正解もなく正解への執着もないまま、自分で方向を決めて一歩踏み出し、その後に後悔も執着も残さない状態です。
深井さんは樋口さんのこの状態を、老子の無為自然 ── 作為を捨て、自然のままに任せる生き方を説いた老子の中心思想。道家の考え方を代表する言葉ですだと指摘します。深井さんの解釈では、老子はエゴのある作為性を良くないものとして語っています。
樋口さんは、ノンカロリーのコーラを飲みたいと思うのもエゴのある作為なのか、と問い返しました。深井さんは、こうした問いは哲学の領域でほぼ出尽くしていると答えます。そのうえで、老子や荘子はロジックの積み上げではなく、アーティスティックに言い切るスタイルだと話していました。
知的欲求が脳から体へ移ったら悟りに近づくのか
樋口さんが次に語ったのは、知的欲求の変化です。コテンラジオを始めた頃は脳が「インサイトをくれ」と刺激を求めていましたが、今は脳の知的欲求が下がり、代わりに体が何かを知りたがっている感覚があるといいます。
感じたい欲求かな。なんか今まではとても脳みそで考えてたんですよ。
深井さんは、樋口さんが体で何かを知りたがる変化を「身体からの悟り」「直観的悟り」と結びつけます。言葉や既存の知識ではなく、身体という別の通路で真理に至る方向に近づいているのかもしれない、という見立てです。
ここで深井さんは、自分には「予言属性」があると言い出し、樋口さんはやがて出家すると思っていると告げました。樋口さんは怖がりながら、その言葉が心臓に鎖のように絡みつくと話します。
それ僕が言ったからじゃないんですよ。ヒグチさんが自分で見つけちゃってるからなんですよ。
樋口さんは、同じことを小原さんやケンスーケンスーさんにも言われたら逃れられない、今は3人のうち1人だからぎりぎり大丈夫だと笑います。深井さんが2人にも伝えようかと返すと、樋口さんは「間接的に呪いをかけようとしてる」とツッコミました。
僕、本当にその人がやっぱ幸せになるのすごい見るの好きで。だからでしょうね。だから楽しいんだと思う。
仏教に強い関心がある一方で、樋口さんには勉強しようという気持ちが湧かないといいます。30代前半なら学びに行っていたはずなのに、今は起業で成功したいからといってMBAを取りに行くのとは違う感覚だそうです。
出演陣からは、座禅はもともと修行ではなく、心の中を虚無にするやり方なので、知識がなくても試す意味があるのでは、という提案も出ました。樋口さんは、修行や勉強ではなく日常生活や経済活動の中の気づきでたどり着きたいという声が頭の中にある、と話します。
深井さんは、日々の生活や仕事、作業の中から悟りに至ると説いた人物が仏教の中にいたはずだと応じました。
考えすぎる人は、なぜ孤独になりやすいのか
出演陣からは「普通は団子を食べて、良かったねで終われる」という指摘が出ます。深井さんも、自分も考えてしまうタイプなので、深く考えないことの難しさはよくわかると共感しました。
すごく幸せになりづらいなと思います。多分。考えちゃうタイプ。
樋口さんは、考えたことを人に話すと「めんどくせえ」と言われがちだといいます。説明の8割あたりで「こういうことでしょ」とまとめられると、厳密には大事なところが違っているのだそうです。
深井さんも、考えていることを人と共有できない孤独を感じていると話します。日常生活では好き嫌いは言っても思想は一切話さず、前置きに6時間ほど歴史の話が必要な内容もあるといいます。
樋口さんは、2人が共有できない理由は少し違うと分析しました。
前提知識や素養の差が大きく、言っても正確に理解されない
感覚的な気づきが先にあり、それを言葉にするのが苦手
それ(言語化できないこと)僕は結構自分のせいと思ってるから。なんか分かりやすくもっと言いたいけど言えねえってなるんで、そのストレスが自分に来る。
深井さんは、老子も真理は言葉では言えないと語っていると紹介します。『老子』の冒頭近くには「言った瞬間に嘘になる」という趣旨のことが書かれており、老荘と大乗仏教の内容が近いと考える思想家もいるそうです。
それでも樋口さんは、「じゃあもういいのか」とは思えないといいます。全部なんでもいいと思えるのは、もう少し年を取ってからでいいと話していました。
もうちょっと年取ってからでもいいな。全部なんでもいいってなるのは。もうちょっとこうあがいていたいみたいな。
生きていること自体が修行になっている人たち
終盤では、樋口さんの場合、1日生きるだけで思考が働き、内面に変化が起きるのだから、生きていること自体がすでに修行になっているのでは、という見方が示されました。
出演陣からは、普通の人は意識して頑張らないと深く考えられないのに、樋口さんや深井さんは自動的に考え続けているように見える、という感想も出ます。樋口さんは、目的のために考えるのではなく、頭のモーターを回すこと自体が目的なのだと応じました。
ひらめき系だな、僕。結論が先に降りてくる感じかな。
深井さんが自分は「結論が先に降りてくるひらめき系」だと話すと、樋口さんも自分はそれに近く、後から論理を考えていると応じます。深井さんは、みんな実はひらめいた後に逆算で説明しているのかもしれないと考え、禅にも急に悟るルートと積み上げて悟るルートがあると紹介しました。
樋口さんは「わからないことだらけで取り留めもなかった」と締めくくり、深井さんは、話すネタがなければ樋口さんのフェーズを確認する回をやればいいと提案して、収録を終えました。
まとめ
今回の番外編は、家族との小さな幸せに満たされた樋口さんが、その満たされ方をどう扱うかを語った回でした。出家、ラーフラ、無為自然、言葉にできない真理といったテーマを通じて、答えを出すことよりも、まだあがいていたいという今の姿が描かれています。
- 2人目の子どもの誕生を機に、樋口さんは世の中に言いたいことがなくなったと感じている
- 小さな幸せは持続しやすく誰からも奪わない一方で、社会を動かす活動力が弱まるというジレンマがある
- 正解はないと知ったうえで、執着せずに一歩踏み出す「どうでもいいけどどうでもよくない」状態に至った
- 知的欲求が脳から体へ移った変化は、身体的な悟りや老子の無為自然と重ねて語られた
- 考えすぎる人の孤独や言語化の難しさについて、深井さんと樋口さんは異なる理由で共感し合った




