なぜイエスは誰にも理解されなかったのか
深井さんがイエスについて挙げるもう一つの特徴は、優しくてさまざまなことを語っていたのに、同時代の人がイエスの言葉をどうやら誰も理解していなかったという点です。
(イエスは)こんなに優しくていろんなこと言ってるんだけど、彼が言ってることを誰も理解してないんですよ、どうやら。
深井さんによると、主要な弟子は12人いたとされていますが、その弟子たちも理解していませんでした。聖書に残るイエスの発言を読んでも、何を言っているのか難しいと深井さんは話します。
樋口さんが、言葉が曲がって聖書に書かれた可能性を口にすると、深井さんは、聖書は曲がっていないという解釈のもとで書かれているものの、やはり理解はされていないと答えています。
深井さんは、この点がブッダ ── 仏教の開祖ゴータマ・シッダールタの尊称。悟りを開いた者を意味します。コテンラジオの世界三大宗教編でも取り上げられていますやムハンマド ── 7世紀のアラビア半島でイスラム教を開いた預言者。メッカで神の啓示を受けたとされますとはっきり違うところだと指摘します。ブッダの弟子の中には、彼の言葉を理解している人がたくさんいたといいます。
弟子の中に、言っていることを理解している人がたくさんいた
12人の主要な弟子を含め、同時代の誰にも理解されていなかったとされる
弟子にも民衆にも見捨てられた救世主
理解されないうえに、イエスはわずか1年半ほどの活動の後、政治犯としてローマ当局に逮捕されます。そのとき、弟子のユダが銀貨3枚でイエスの居場所を売ったと深井さんは語ります。
逮捕の場には12人の弟子が全員集まっていましたが、イエスが捕まえられると全員が走って逃げてしまいました。
全員から裏切られる。
一方でイエスは、優しい言葉を説いていたため民衆からは人気がありました。ただ、民衆の受け止め方はイエスの意図とおそらく違っていたと深井さんは見ています。イエスはメシア ── ヘブライ語で「油を注がれた者」を意味し、救世主を指す言葉。ギリシア語訳が「キリスト」ですとして捉えられていたのです。
当時のユダヤ人にとってメシアとは、ローマ帝国の支配を脱し、ユダヤのイスラエル王国を再建する人物でした。つまり、ローマの支配層を倒して新しい王になってくれる人だと思われていたことになります。
イエスがどんな人だったかって、すごく史実的には分かりづらいんだけど、当時の人がどういう常識だったかってのは結構記録残ってるんですよね。
ところがイエスは、最後の最後までスピーチ以外のことを何もしませんでした。そのため民衆からはひどく失望され、石を投げられまくったといいます。
期待
民衆がイエスを、ローマを倒して王国を再建するメシアと捉える
不行動
イエスはスピーチ以外、最後まで何もしない
幻滅
民衆が失望し、石を投げる
逮捕
政治犯として捕らえられ、ユダに売られ、弟子は全員逃げる
磔刑の苦しみの中で何を祈ったのか
捕らえられたイエスは鞭打ちの拷問を受けます。深井さんは、メル・ギブソン監督の映画『パッション ── メル・ギブソン監督による2004年のアメリカ映画。イエスの最後の12時間を描き、拷問や磔刑の描写の残酷さが話題になりました』でその場面を見て、あまりの残酷さに衝撃を受けたと話します。
トゲトゲのついた金属の鞭でバチンバチン叩くんですよ。
深井さんの説明では、背中を叩いた鞭が前面のあばらまで回り込み、金属のトゲが胸に引っかかって、引き抜くときに肉が剥がれてしまう描写だったといいます。
なんでそこだけ急にリアルに投入したんですか?
痛そうさはちょっと理解してほしくて。
その後イエスは、ボロボロの体で十字架を自ら背負い、ゴルゴタの丘 ── エルサレムの城壁外にあったとされる処刑場。イエスが十字架にかけられた場所として知られますを登ります。一般には手のひらに杭を打たれたとされていますが、深井さんによると、体を支えるには手首でないと難しいという見方があるそうです。足は関節を脱臼させてから杭を打ったといいます。
これほど過酷な仕打ちを受けながら、イエスは自分を裏切った人々や民衆のために祈りながら死んでいきます。
(イエスは)この人たちは何も知らないから自分を虐げてるだけだから許してあげてくださいって祈りながら死んでいくんですよね。
樋口さんが、普通なら恨み言を言いながら死んでもいいはずだと驚くと、深井さんは、神に「なぜ私を見捨てたのか」と言ったという記述もあるものの、よく解釈すると恨み言ではないのだと説明しています。
深井さんは、イエスを愛に生きて死んでいった人だと表現しています。
逃げた弟子たちはなぜ命がけの布教に向かったのか
イエスの死を見ても民衆はあまり何も思わなかったようですが、裏切った弟子たちは相当な良心の呵責を経験したと深井さんは推測します。弟子は処刑を直接見てはおらず、逃げた後に話を聞いたのではないかといいます。
聖書ではイエスは死後に復活しますが、深井さんは信者でない人向けに、復活しなかった前提で考えます。すると、良心の呵責に耐えかねた弟子たちは、逃げたにもかかわらずその後布教に身を投じ、ほぼ全員が処刑されて死んでいったことになります。
で、そこから(弟子たちの布教から)キリスト教が生まれていくんですよ。
樋口さんは吉田松陰 ── 幕末の思想家・教育者。松下村塾で高杉晋作や伊藤博文らを育て、安政の大獄で処刑されましたの回を思い出し、楊さんも師匠の死後に弟子たちがライジングしていったと応じます。
なんかああいう死なれ方すると、弟子からするともう死ぬしかなくなっていっちゃうのかもしれないですね。
深井さんは、弟子たちは裏切ったものの心の底から尊敬していたイエスを見殺しにしてしまった、その思いが相当こたえたのではないかと想像します。
樋口さんはもう一つの見方として、頼っていた存在を失った反動を挙げます。親が病気になった途端に子どもが頑張り出すように、ぽっかり空いた穴を埋める仕組みが人間の精神にあるのかもしれない、という考えです。
尊敬していたイエスを見殺しにしてしまった思いに耐えかねた
頼っていた存在を失い、空いた穴を自分で埋めようとした
イエスにとって「メシア」とは何だったのか
樋口さんは、民衆にとってのメシアが政権を奪う存在だったのなら、イエス自身はメシアという言葉をどう考えていたのかと尋ねます。深井さんの答えは「わからない」で、聖書の中でイエスはふわっとしたことしか言っておらず、解釈するしかないといいます。
ただイエスは「神の国がもうすぐ来る」と語っていました。深井さんによれば、これは当時のユダヤ人には、王国を再建して本人か周囲の誰かが王になる、としか聞こえないはずの言葉でした。イエスも当時の人間なので、そう解釈されうることはわかっていたはずだと深井さんは見ています。
(イエスは)明確に否定もしないわけ。だから民衆が期待してることに対して、私はそうではないみたいなことは言ってるんですよ。
樋口さんは、意図的かどうかはわからないとしつつ、想像を残す余白があるからこそ22億人を魅了しているのではないかと話し、深井さんもさまざまな解釈ができる点に同意します。
仮に具体的なことを彼が言ってしまったとしたら、もっと早く逮捕されてる可能性が高い。
曖昧な言葉は誰がつくったのか
イエスの言葉の曖昧さについて、出演者たちはいくつかの可能性を挙げていきます。深井さんは、本人が本当に神の国を実現しようとしていたため否定はしないものの、具体的に言えば即逮捕されるので言わなかった可能性を示します。
樋口さんが、言っていた言葉が後から消された可能性を挙げると、深井さんもあり得ると答えます。聖書が書かれたのはユダヤがローマから激しく弾圧されていた時期で、そうした表現を書くこと自体がはばかられたからです。
(聖書は)ギリギリのラインを全部攻めてる可能性はありますね。
楊さんは逆の可能性も挙げます。イエスは自分は救世主ではないとはっきり拒絶していたものの、後のキリスト教にとってはその言葉が残るとロジックが弱くなるため、あえてぼかしたのかもしれない、という見方です。
ただ、後のキリスト教がはっきりと自分が救世主じゃないってイエスが言ったことにすると、ちょっとね、宗教的に具合がロジックがちょっと弱くなるから。
| 説 | 内容 | 提示者 |
|---|---|---|
| 言えなかった | 具体的に語れば即逮捕されるため明言を避けた | 深井さん |
| 消された | 弾圧期に書かれた聖書で、危うい表現が残せなかった | 樋口さん・深井さん |
| ぼかされた | 救世主の否定を、後のキリスト教があえてぼかした | 楊さん |
樋口さんは、イエスとキリスト教がだいぶわかってきたとして、次回はイスラム教を掘り下げると予告して締めくくっています。
まとめ
イエスは民衆からメシアとして勝手に期待され、何もしないことで幻滅され、弟子にも裏切られて残酷な磔刑で死にました。それでも恨まずに許しを祈ったその死が、逃げた弟子たちを布教へと駆り立て、キリスト教が生まれていったと語られています。
- イエスの言葉は弟子を含め同時代の誰にも理解されず、この点がブッダやムハンマドとの違いだとされる
- 当時のメシアは「ローマを倒して王国を再建する人」で、何もしないイエスは民衆に失望された
- 鞭打ちと磔刑の苦しみの中でも、イエスは裏切った人々を許すよう祈って死んだ
- 逃げた弟子たちはその後布教に身を投じ、ほぼ全員が処刑され、そこからキリスト教が生まれた
- イエスの言葉が曖昧な理由には、言えなかった・消された・後からぼかされたなど複数の可能性がある




