財政改革はなぜ潰されたのか
フランス革命の始まりは、フランスの財政破綻でした。深井さんによると、のちに処刑されるルイ16世が即位した時点で、フランスの財政はすでにガタガタだったといいます。
財政が傾き始めたのは、その前のルイ14世の時代です。ルイ14世は最も権力が強く豪華絢爛な生活をしていましたが、戦争をしすぎた結果、その時点で財政は傾いていました。
一方でイギリスは産業革命 ── 18世紀後半のイギリスで始まった、機械化による工業生産の大転換。安くて質の高い製品を大量に作れるようになりましたを果たし、質の高い製品を大量に作っていました。イギリスは半ば脅すようにフランスへ輸出を自由にする条約を求め、フランスはそれを受け入れます。
その結果、安くて質の高い工業製品がフランスに大量に流れ込みました。フランス国内の工業は全滅していき、民衆はパンも買えなくなるほど生活が苦しくなっていきます。
この状況に対して動いたのが、財務大臣のテュルゴーです。深井さんは、当時のフランスの財務大臣は今の日本の総理大臣くらいの権力を持っていたと説明しています。
テュルゴーは経済を自由化して資本主義に沿った形に変え、税金を多く取れるようにして財政基盤を固めようとしました。ところが、特権を手放したくない貴族がこの改革をブロックします。
自由にするっていうのは、ある意味この特権を撤廃して、もう少し誰でも参入できますよとか、そういう状態を作るってことになるんで、そういうのを(貴族は)やってほしくないんですよ。
テュルゴーを失脚させる手段は、マリー・アントワネットでした。貴族がマリー・アントワネットにいろいろ吹き込み、彼女がルイ16世に伝え、ルイ16世が「そうだね」と受け入れる流れです。
深井さんはマリー・アントワネットを、浪費家として嫌われたものの、実際はかなりの世間知らずで考えが浅い人物だったと評しています。ルイ16世についても、最近は評価する本もあるとしつつ、「悪くないけど、よくはない」と語っています。
財政難なのにアメリカ独立を支援したのはなぜか
テュルゴーの自由化が潰された頃、アメリカでは独立戦争が起きていました。深井さんによると、植民地戦争で貧しくなったイギリスがアメリカに重税を課し、アメリカがそれに反発して独立運動を起こしたといいます。
アメリカの独立宣言はそのままフランス革命に影響を与えています。深井さんは、この時期の出来事は「全部つながっちゃってる」と話しています。
アメリカのベンジャミン・フランクリン ── アメリカ建国の父の一人。科学者・外交官としても知られ、独立戦争中はフランスで支援を求める外交を担いましたは、ルイ16世にお金と軍隊を送ってほしいと頼みます。しかし当時のフランスは、国家予算の半分を借金の利子に払うほど追い詰められていました。
だけど、ルイ16世ね、(アメリカに)資金援助しちゃうんですよ。
何なんですか?それは。
楊睿之さんは、フランクリンが「勝ったらこのあたりの植民地はお宅のものだ」といった誘い方をしたと補足しています。当時の財務大臣ネッケルらは反対しましたが、ルイ16世は大金を渡し、借金はさらに倍ほどに膨らみました。
民衆への課税もすでに限界でした。深井さんは、空気を吸うだけで税金を取る「空気税」まであったと話しています。
そこで財務大臣は、免税特権を持つ聖職者と貴族に課税しないと国家が破綻するという結論に至ります。ルイ16世もこの提案に「そうだね」と応じました。
イエスマンを集めた名士会で、なぜ貴族は拒んだのか
特権階級への課税は、またしても貴族に阻まれます。ネッケルはマリー・アントワネット経由で失脚させられ、課税計画は頓挫しました。
次の財務大臣カロンヌも同じ結論にたどり着きます。カロンヌは王の言うことを聞きそうな貴族だけを集めて、伝統的な会議である名士会 ── 国王が指名した有力者を集める諮問会議。王の方針に賛同を得た形を作り、王権を支える役割を果たしてきましたを開きました。
ルイ16世もカロンヌも、自分たちで選んだイエスマンなら賛成すると思っていました。ところが、集められた貴族たちは「嫌です」と拒否します。
財政破綻をしてしまった国の王様の権力は、本当は相対的に下がってたんですよ。それに気づかなかったんですよ、ルイ16世たちは。
上の図のように、財務大臣が替わっても改革は特権階級に止められ続けました。困り果てた王室に、貴族は「三部会で決まったことなら従う」と持ちかけます。
三部会の1身分1票は、なぜ貴族に有利だったのか
三部会も伝統的な会議で、フランスの3つの身分から人を集めて多数決をとる場でした。第一身分は聖職者、第二身分は貴族、第三身分は平民です。
深井さんによると、三部会では各身分が1票ずつを持ちます。特権階級の聖職者と貴族で2票になるため、人口の90パーセントを占める平民が反対しても、議案を必ず通せる仕組みでした。
| 身分 | 構成 | 票 |
|---|---|---|
| 第一身分 | 聖職者(特権階級) | 1票 |
| 第二身分 | 貴族(特権階級) | 1票 |
| 第三身分 | 平民(人口の90パーセント) | 1票 |
王権が弱まっていた王室には、貴族の提案を退ける力がありませんでした。こうして三部会の開催が決まりますが、深井さんはこれこそが革命の火蓋だったと語ります。
要は革命の火蓋を落としたのは、最後身分制を廃止される貴族だったんですよ。
なんか皮肉というか面白いですね。
174年ぶりの三部会に、平民はなぜ沸いたのか
三部会の開催は、財務大臣ブリエンヌのもとで承認されました。三部会は174年ぶりの開催で、それだけ長く王権が強く、開く必要がなかったことを示しています。
三部会が開かれるということは、王様が独断で決められなくなったということでもあります。この知らせに、第三身分、とくに金持ちの平民であるブルジョワジー ── 商工業などで財を成した平民層。経済力はあっても身分制のもとで政治的な権利を持てず、不満を抱えていましたは大喜びしました。
ブルジョワジーは実力がありながら特権身分に阻まれ、何もできない状態にありました。しかも啓蒙思想を通じて、人は本来平等だという考えを学んでいました。
こんな感じで三部会開いたら、これってここに自分たちが出席してものを言う権利があることになるんですよ。意見言っていいんだってなるんです。
三部会の開催で、平民の期待値は一気に上がりました。深井さんは、このエネルギーがそのままフランス革命になり、貴族はそれを予想できなかったと話しています。
期待はどうして怒りに変わったのか
三部会が開かれるまで、多くの民衆は1身分1票という仕組みを知りませんでした。174年ぶりの開催で、虐げられてきた民衆には詳しいことがわかっていなかったといいます。
とにかく国家の中枢で発言できる機会がある。マジすげえみたいな。そんなことしていいの?みたいな。
ところが三部会が始まると、民衆は自分たちに発言権がほとんどないことに気づきます。今回の議題は聖職者と貴族への課税で、民衆はまさにそれを望んでいましたが、1票では通しようがありません。
国家の中枢で発言できると期待が爆上がりする
1身分1票では課税を通せないと知り、ブチギレる
以前なら、ここで怒って終わっていたかもしれません。しかし今回の平民は、啓蒙思想で理論武装していた点が違いました。
勉強したインテリ層は、何がなぜ間違っているのか、本来どうあるべきかを語れました。演説も民衆の扇動もでき、理論で戦い始めます。そこで使われたのが、前回登場したルソー ── 18世紀の思想家。『社会契約論』で、国家の主権は人民にあると論じ、フランス革命に大きな影響を与えましたの理論でした。
国家っていうのは、これルソーが言ってるんだけど、国家って民衆のものだから、むしろ俺たちが優先されるべきだという話をし始めるわけ。
議場を閉め出された第三身分は、球戯場で何をしたのか
三部会では40日間にわたって揉め続けました。その末に第三身分は、自分たちで勝手に決議すると宣言します。深井さんはこれをクーデターと表現しています。
貴族はそんな制度はないと反発し、王様に議会の封鎖を求めます。議場は「工事中」という嘘の理由で閉鎖されました。
閉め出された第三身分の怒りは、さらに強まります。命をかけて自由と平等のために国家と戦うことが「かっこいい」という空気も生まれていきました。
第三身分は、議決は議会でなくてもできると考え、議場の隣のテニスコートのような施設に集まって勝手に議会を始めます。これが球戯場の誓い ── 1789年、第三身分の議員が球戯場に集まり、憲法を制定するまで解散しないと誓った出来事。フランス革命の幕開けとされますです。
40日間の対立
1身分1票をめぐって三部会が揉め続ける
独自の決議宣言
第三身分が自分たちで決議すると言い出す
議場の封鎖
貴族の求めで王が「工事中」として議場を閉める
球戯場の誓い
隣の施設に集まり、勝手に議会を始める
すると、貴族と聖職者の中からも合流する人が現れました。聖職者には平民出身で裕福ではない人もいて、特権身分に反抗的な気持ちを持ち、啓蒙思想に寄っていました。
貴族の中にも、純粋に啓蒙思想に共鳴する人や、強すぎる王権を相対的に下げたいがために啓蒙思想に寄る人がいました。深井さんは、合流の動機が一様ではない複雑さを指摘しています。
オルレアン公の合流と、王への逆切れで何が変わったのか
合流者の中には、貴族の中でもとびきり地位の高い人物がいました。オルレアンを治め、王室のナンバーツーにあたるオルレアン公です。
深井さんによると、オルレアン公は王様だけが強い権力を持つことに腹を立てていました。民衆の関心を買おうと第三身分に合流したことで、貴族側が総崩れする流れが生まれていきます。
ルイ16世はこれに反発し、憲法を作って立憲君主制にするまで解散しないという誓いは無効だ、三部会自体をなくして自分が全部決める、と主張しました。それに対して第三身分は逆切れします。
うるせえつってと。じゃあお前ら全員軍隊で来いやって言うんですよ。
深井さんは、今までなら殺されるのが怖くて言えなかった言葉を、この時点の民衆は口にできたと話します。イデオロギーが固まり、死んでもいいという状態になっていたからです。
ここまでイデオロギーが硬くなっていくと、もう普通に抑え込むってもうできないんですよ。
深井さんは明治維新の例も挙げています。覚悟を持った人間と真正面から戦えば、権力側も大きな痛手を負います。しかも平民は人口の90パーセントで、そのモードに入った人々を特権身分が抑え込むのは難しくなっていきました。
貴族はなぜ自分で開けた風穴を塞げなかったのか
オルレアン公の合流を見て、ほかの貴族たちも第三身分に合流するしかないと考えるようになります。最終的にルイ16世も、第三身分が求める議決方法でやるしかないと受け入れました。
深井さんは、民衆の逆切れによって、貴族が利用しようとしていた仕組みのタガが外れたとまとめます。重税を課して好きなように飼い慣らしてきた民衆が、イデオロギーを持ったことで言うことを聞かなくなったのです。
ただし王室や貴族は、本心では承認していませんでした。大暴動を抑え込むコストを払いたくなかったため、認めるしかなかったといいます。この時点では、貴族はまだ自分たちが殺されることになるとは思っていなかったと深井さんは話しています。
深井さんは、どれだけ権力を持つ人でも、命をかけた人には簡単に勝てないと語ります。番組の終盤では、ダイエットで20キロ痩せた経験を「痩せたいというイデオロギー」にたとえる話も出て、和やかに次回へ続きます。
まとめ
フランス革命の最初の一歩は、財政破綻を止めようとした改革を特権階級が潰し続けた結果として訪れました。貴族が自分たちの利権のために提案した三部会が、啓蒙思想で武装した第三身分の期待と失望に火をつけ、球戯場の誓いへとつながっていきます。
- ルイ14世時代からの戦争と、英仏間の自由貿易で、フランスの財政と民衆の生活は追い詰められていた
- テュルゴー、ネッケル、カロンヌと続く財政改革は、貴族と聖職者の既得権益に阻まれた
- 1身分1票の三部会は貴族に有利な仕組みだったが、174年ぶりの開催が平民の期待を一気に高めた
- 発言権のなさを知った第三身分は、ルソーらの理論を武器に球戯場で独自の議会を始めた
- オルレアン公の合流と民衆の覚悟によって、王室と貴族は第三身分の要求を受け入れるしかなくなった





