南北戦争は「先送りにした奴隷制」の爆発だった
アメリカ開拓史編の第9回は、これまで何度も話題に出てきた南北戦争がテーマです。深井さんは冒頭で、南北戦争はアメリカ史の中で、第一次・第二次世界大戦にも並ぶほど大きな戦争だと語ります。
人も死んだし、(アメリカ人)自身にとっても、すごく大きい戦争の一つ。大きいというか、意味的にでかい戦争ですね。
深井さんによる開戦までの大まかな流れはこうです。ルーツの違う植民地が、それぞれ違う形で社会を作ってしまいました。独立戦争によって一度は1つの国家にまとまりますが、奴隷制の問題は先送りにされました。
奴隷制の問題は先送りされ続けましたが、ついに先送りできなくなり、衝突せざるを得なくなります。深井さんは、その結果として開戦したのが南北戦争だと整理しています。
では、なぜ奴隷制をめぐってそこまで対立したのでしょうか。深井さんは、その答えを理解するにはまず「奴隷制とは何か」から説明する必要があるといいます。知っているようで、実はよく知られていない部分だからです。
なぜ南部は黒人奴隷に頼るようになったのか?
南部のバージニア植民地では、タバコなどの生産で生計が成り立つようになりました。南部の土地は農業に適していましたが、寒い北部は農業にあまり向いていなかったと話されています。
南部の植民地人は最初、ネイティブアメリカンを奴隷にしようとしました。スペインもネイティブアメリカンを奴隷にして金鉱を掘らせていたので、自然な発想だったといいます。
ただ、ネイティブアメリカンは狩猟民族で、農耕の基礎知識を持っていませんでした。よく逃亡もしたため、1か所に縛って管理するのは難しかったそうです。
そこで労働力として注目されたのが、黒人ではなく白人年季奉公人 ── 渡航費を前借りする代わりに、植民地で一定期間働く契約を結んだ白人労働者。契約期間が終われば自由の身になりましたでした。イギリス本国で土地を奪われた農民や貧しい人々が、渡航費の代わりに5〜7年ほど植民地で奴隷として働く契約を結んだのです。
期間限定の奴隷っていう感じです。
白人年季奉公人たちも、焼き印を押されたり鞭で打たれたりと、扱いはかなり奴隷に近いものでした。深井さんによると、1625年ごろのバージニアの総人口は1200人で、そのうち500人が白人年季奉公人だったそうです。
土地は死ぬほどいっぱいあるわけじゃん。ここで農業をすればいいっていうのはわかってるわけですよ。だけど人間が足んないわけ。
1670年代ごろは、白人年季奉公人のほうが黒人奴隷の3倍ほど多かったといいます。しかしタバコ栽培が発展し、18世紀にはサウスカロライナやジョージアで米や藍の栽培も進みます。その結果、白人年季奉公人だけでは労働力をまったく賄えなくなりました。
深井さんは、白人年季奉公人と黒人奴隷の違いを、奴隷を使う側の損得という視点で説明します。下の表はその比較です。
| 項目 | 白人年季奉公人 | 黒人奴隷 |
|---|---|---|
| 期間 | 5〜7年で解放される | 一生涯奴隷 |
| コスト | 初期費用は安いが、育てても去る | 初期購入費は高いが、生活費が安い |
| 子ども | 対象外 | 生まれた子も奴隷になる |
| 管理 | 権利を主張し、逃げたり怠けたりする | 逃亡してもすぐ見分けられる |
そうですね。契約社員ですね。
黒人奴隷はアフリカから連れてこられました。北部の人々が奴隷貿易をビジネスにし、人々を誘拐して、劣悪な船内環境で運んだと深井さんは話します。輸送の途中で何人もが亡くなったそうです。
アフリカで農業に従事していた人が多かったことも、黒人奴隷が重宝された理由の1つでした。深井さんは、こうした理由がすべて「使う側の論理」だけで成り立っていたことを、ひどいと語っています。
北部の資本主義と南部の奴隷経済、両立できない2つの国家像
南部は、黒人奴隷がいなければ産業がまったく成り立たない社会を作ってしまいました。一方の北部は、より資本主義的な「自由労働」の社会でした。
深井さんによると、資本主義の特徴の1つは、労働力を売り買いできることです。労働者は雇用契約で自分の労働力を売り、その対価として賃金を受け取ります。奴隷は賃金をもらう存在ではなく、隷属させられている存在だという点が、労働者との明確な違いです。
資本主義が成り立つには、人権や財産の所有権が保障されていることが前提になります。南部はこの前提条件をクリアしていませんでした。
資本主義と自由労働。黒人も賃金を払う労働者として使いたい
奴隷制による前近代的な経済。奴隷として使わないと成り立たない
北部のいわゆる近代的な概念で作ってしまった国家と、南部の前近代的な概念で作ってしまった国家が衝突するっていうのが南北戦争なんです。
深井さんは、国家のスタイルとして2つを同時に走らせることはできないと話します。世界が資本主義化していく中で南部が奴隷制に固執し、北部がそれに反発しました。さらに南部が反発して独立し、それを許さない北部と戦争になった、という構図です。
持っているのに反対する、トマス・ジェファソンの矛盾
深井さん自身も、北部と南部の対立は理解するのが難しかったといいます。経済制度の対立に加えて、人道的な対立もあったからです。
どうやらね、みんなどっちも持ってるっぽいんですよ。人道的な考えも持ってるし、経済を進めていくにあたって、こっちのスタイルじゃないと困るよねっていう考え方もある。
深井さんは、アメリカの人々は状況に応じて合理的にどちらを優先するかを決めていると見ています。同じ人が人道的な発言もすれば、非人道的な発言もします。他の国ではもう少しシンプルなのに、アメリカは二律背反を抱えたままでいられる、と深井さんは考えています。
奴隷制への反対には、北部の経済的な打算もありました。楊さんは、労働力が南部に固定されている状態を北部は好まなかったと指摘します。解放された黒人が賃金を得れば新しい市場になる、という狙いもあったといいます。
人道的な立場からの反対もありました。クエーカー ── 17世紀のイギリスで生まれたキリスト教の一派。平和主義や平等を重んじ、奴隷制廃止運動でも大きな役割を果たしました教徒は早くから奴隷制に反対していました。『コモン・センス』のトマス・ペインも反対していたと話されています。
さらに深井さんは、トマス・ジェファソンやジョージ・ワシントンも、実は奴隷制に賛成していたわけではないと話します。2人とも南部の出身で、奴隷を所有していたにもかかわらずです。
ジェファソンは手記の中で、白人の親が奴隷を家畜のように扱う姿を子どもが見れば、必ず悪影響が出るだろうと書いています。それでもジェファソンは奴隷を持っていました。深井さんは、奴隷制がないと成り立たない社会に生きていたからだと説明します。
自分の今の全てを捨て去ってまでさ、奴隷制反対って言うほどのイデオロギーじゃないわけじゃん。自分は白人なわけだしさ。だからダメなことはわかってたと思う、南部の人も。
その証拠として深井さんが挙げるのが、タバコから綿花への移行期です。タバコの市場が頭打ちになり、一時的に奴隷の需要が下がった時期には、南部でも「奴隷制は良くない」という声が出たといいます。
綿花がアメリカの生産の半分に。奴隷制はなぜやめられなくなったのか?
楊さんは南部の葛藤を、日本にたとえて説明します。本州が今のような社会で、九州だけが奴隷制だったら、変えたくなる気持ちはあるだろう、というたとえです。
深井さんも、たとえ変えたいと思っても、その産業で生活が成り立ち、養う子どももいる以上、すべてを壊すわけにはいかないという感情はわかると話します。そこに登場したのが綿花でした。
繊維業の需要
資本主義の始まりと重なり、全世界に市場がある
技術革新
安く作れるようになり、作れば作るほど売れる
奴隷需要の急増
これまで以上に奴隷が必要になる
国家規模の依存
アメリカの生産の50%ほどが綿花になり、奴隷制の廃止に舵を切れない
楊さんは、奴隷制を肯定するわけではないと断ったうえで、この状況は理解できると話します。理想を掲げつつも、生きていくために100%そちらに舵を切れないことは、経営をしているとあるからです。
理念を曲げてでも、今生きるためにやらないといけないことを選ばないといけないことってあるんですよね。
黒人奴隷の生活と、キング牧師の非暴力
深井さんは、ここまでの話はあくまでアメリカ人の理屈だと強調します。そのうえで、奴隷たちが実際にどんな生活をしていたかを語ります。
黒人奴隷は、かろうじて生きられる程度の物資さえ十分に与えられず、牛や馬のように一日中働かされました。空腹のあまり自分が育てた果実を食べれば、窃盗の罪で鞭打たれたそうです。
黒人奴隷には家族を維持する権利もありませんでした。子どもが売られればそれまでで、離れ離れになった家族に会いに行けば逃亡を企てたとして焼き印を押されます。逃亡すれば猛犬に追われ、耳を削がれたり殺されたりしたといいます。
こういう生活をさせられてた黒人奴隷がさ、最終的にね、ガンディの影響によって出てきたキング牧師によって、非暴力で公民権活動をしていくっていうのは、僕は感動的でしたけどね。
楊さんの「恨みは抱えるよね、普通」という言葉に、深井さんは、今でも恨みはあり社会問題になっていると応じます。それでもキング牧師は、白人の子と黒人の子が同じ食卓で食事をする日を夢見て、対立ではなく融和を訴えました。
奴隷州と自由州の綱引きから、アメリカ連合国の誕生へ
深井さんによると、連邦議会では建国の最初から、黒人奴隷制は大丈夫なのかという議論が続いていました。やめようという人もいれば、やめられないという人もいたのです。
やめれないよっていう人たちは、本当はダメだけどやめれないよなんて言わないわけ。黒人を奴隷にしてあげた方が幸せなんだみたいな論理を持ってきたりするわけ。
何度か妥協点が探られ、協定(水売り協定)が成立するなどして、そのたびに一度は落ち着きました。しかし西部に新しい州ができるたびに、その州が奴隷州か自由州かという対立が生まれます。
北部は基本的に奴隷のいてはいけない自由州、南部は奴隷がいてもよい奴隷州でした。両陣営は州の数のバランスを揃えようとしましたが、ミズーリが州になるときなどにも同じ対立が起きたそうです。
新しい州の誕生
西部に州ができるたびに、奴隷州か自由州かが問われる
妥協と数合わせ
協定や州の数のバランスで、その場をしのぐ
議会の過半数
どちらかが過半数を超えると発言権が傾く
南部の独立
政府が北部側に傾きかけ、南部がアメリカ連合国を作る
ついに政府が北部側に傾きかけたとき、南部は独立を選びました。奴隷制の拡大に反対する共和党のリンカーンが大統領選挙で当選すると、まずサウスカロライナ州が独立を宣言します。
続いてミシシッピ、フロリダ、アラバマ、ジョージア、ルイジアナ、テキサスも独立を宣言しました。これらの州は、ジェファソン・デヴィスを大統領とするアメリカ連合国(CSA)を作ります。深井さんはこれを、西日本が大阪を首都に独立するようなものだとたとえています。
教科書のリンカーンは、奴隷制に反対する人道的な人物として描かれがちです。しかし深井さんによると、リンカーンがとにかく望んでいたのは南北の対立を収め、国を1つにまとめることでした。奴隷制の解決も、人権の側からではなく、南北の対立を収める手段として考えていたと話されています。
奴隷解放宣言は起死回生の策だった?
軍事力では資本主義国家である北部が上でした。しかし北軍は南軍をなめており、有能な指揮官の多くが南部生まれで南軍に加わったため、開戦当初は押されます。
劣勢に立たされた北部が起死回生の策として出したのが奴隷解放宣言でした。国際世論に大義名分を示して、国際的な支持を取り付けたのです。
深井さんは、この人道的な流れの背景にはフランス革命があると指摘します。アメリカの独立宣言に触発されたフランス革命で、ロベスピエールらが登場し、フランス人権宣言 ── 1789年にフランス革命の中で採択された宣言。人間の自由と平等、国民主権などを掲げましたが出されました。それによってヨーロッパで強まった人権意識が、アメリカに逆輸入されたといいます。
楊さんは、奴隷解放宣言によって、南部から逃げてきた黒人を軍事力として活用できたことも挙げます。ただし、深井さんによると、この宣言で解放されたのは南部にいる黒人だけでした。
南部の人たちが勝手に独立してるけど、アメリカに戻らない限りは、あなたたちが持ってる黒人を勝手に解放するよって話をして、それを宣言してる。
楊さんは、北部陣営に加わった奴隷州には配慮して、奴隷制をそのまま認めていたと補足します。この話に樋口さんは「パニックやわ、俺」と驚きました。
正義を掲げながら都合がいいところを平気で攻めてきて、正義で納得させながら、やってることは都合がいいみたいな。すごい、なんか合理的ですよね。
一方で深井さんは、イデオロギーをないがしろにしない点こそがアメリカの面白さだと評しています。イデオロギーと実質のバランスを取るのが、アメリカはうまいというのです。
奴隷はいなくなっても、差別は残った
戦争は北軍の勝利に終わり、アメリカは南北を統一して奴隷のいない国になっていきます。リンカーンは戦後、南部の人間に暗殺されました。深井さんは「差別はクソ残るけど」と付け加えています。
楊さんによると、奴隷は憲法上の財産所有権に基づく「財産」でした。そのため奴隷の解放にあたっては、個人の所有権との調整をどうするかについても、かなり議論されたそうです。
解放された黒人が経済的に自立するのは難しく、貧困が続きました。奴隷制廃止の反動で、白い覆面の白人至上主義集団KKK ── クー・クラックス・クラン。南北戦争後に南部で結成された白人至上主義団体で、黒人への暴力や脅迫を繰り返しましたも現れます。
深井さんによると、南部の反乱を収めるために、黒人の権利は法的にも制限されていきました。黒人の権利が法的にフラットになったのは、約100年後の1964年に公民権法 ── 人種などによる差別を禁止したアメリカの連邦法。キング牧師らの公民権運動を受けて、1964年に成立しましたが成立してからです。
だからもう制度を変えても、やっぱ文化を変えるって相当難しいっていうことですよね。
本音も建前も嘘じゃない。アメリカはなぜこんなに難しいのか?
樋口さんは、「南北」という2つに分かれる構図そのものが、本音と建前のように逆のものを抱えるアメリカを象徴していると話します。深井さんは、資本主義国家である北部が勝ったことで、アメリカは工業化に成功し、超大国になっていったと続けます。
深井さんによると、内戦を終えたアメリカは植民地政策に乗り出し、最初に到達した島国が日本でした。そこから、前回のシリーズで扱った高杉晋作の物語が始まると話されています。
エンディングで深井さんは、アメリカを勉強してわかったのは「アメリカは複雑すぎてわからない」ということだと語ります。楊さんも、自分たちはアメリカのスピリットを感覚的には理解できていないと思う、と同意しました。
深井さんは、アメリカについての本をたくさん読み、どの本も一側面としては正解だったと話します。宗教的な側面からも非宗教的な側面からも、人権があるという見方からもないという見方からも、アメリカを説明できてしまうのです。
(アメリカは)全部本当なんだよ。だからむずいんだよね。それがね、アメリカの強さのね、多分源なんですよ。
歴史が浅いから簡単だろうと思っていた楊さんは、その先入観を反省したと話します。深井さんも同じように思っていたと認め、アメリカをどこよりも多様で、どこよりも複雑な国だと表現しました。
樋口さんは、生きているだけで価値があるという考えと、努力し続けなければならないという考えが混在する、という深井さんの以前の話を思い出します。そのうえで、見る側面によって評価が変わるアメリカは、どこか人間的だと感想を述べました。
まとめ
南北戦争は、奴隷制なしでは成り立たない南部と、資本主義を進めたい北部が、先送りしてきた問題に向き合わざるを得なくなった結果として語られました。奴隷解放宣言にも理想と打算が同居しており、そこにアメリカの複雑さが表れています。
- 南部は労働力不足から、使う側の損得で白人年季奉公人から黒人奴隷へ移行し、奴隷なしでは成り立たない経済を作った
- 北部の資本主義と南部の前近代的な奴隷経済は両立できず、新しい州をめぐる対立がアメリカ連合国の誕生と開戦につながった
- 奴隷解放宣言は国際的な支持を得るための策でもあり、北部側の奴隷州は対象外というダブルスタンダードを含んでいた
- 奴隷制がなくなった後も差別は残り、黒人の権利が法的に平等になるには1964年の公民権法を待つ必要があった
- 本音も建前も嘘ではないアメリカは、どの切り口からも説明できるからこそ、簡単にわかったと思ってはいけない国だと語られた





