ブッダは宗教者より哲学者に近い?
世界三大宗教編の5回目は、日本人にもっともなじみ深い仏教の開祖、ブッダの回です。ブッダが「お釈迦様」と呼ばれるのは、サーキャ族 ── 古代インド北部、現在のネパール国境付近にいた部族。漢訳で「釈迦族」と書かれ、「釈迦」の呼び名の由来になりましたの王子だったからだと深井さんは説明します。
ブッダは、これまで取り上げたイエスやムハンマドとは生まれのスタート地点がまったく違います。深井さんは、細かい話の前にざっくり言うと、ブッダは宗教者っぽくなく哲学者っぽい人物だと語ります。
だから神様がそもそもあんまり出てこない。この人(ブッダ)の話の中で。
ずっと自分と向き合って、自分の精神をいかに安定させるかみたいなところについて悟ったから、それをみんなに広めて、みんな悟っていくみたいな。
樋口さんは、この時点で「すでにゾクゾクする」と反応します。神という概念に置き換えず、ひたすら自分と向き合うという姿勢が、この回全体の入り口になっています。
深井さんによると、ブッダは貴族として、侍女に囲まれ、おいしいものを食べ、三大欲求をすべて満たすような生活を送っていました。英才教育を受け、武芸と勉強の両方に才能がある「期待のホープ」でもあったといいます。楊さんはそんなブッダを「お坊ちゃん」と表現します。
本名はゴータマ・シッダールタ。何不自由なく育ったこの王子が、ある時いきなり王宮を出て出家します。
城壁の外で見た現実と、虚しさの宴
ブッダの出家について、樋口さんは「なんでそんな変テコなことするんですか?」と率直に問いかけます。深井さんも「意味わかんない」と笑いつつ、伝えられている内容を紹介します。
王子として暮らしていたブッダは、城壁の外に出たとき、病人や老人、物乞いがいる、目も当てられないような世界を目にします。深井さんは、もともと頭が良く哲学タイプだったブッダが、そこから物思いにふけるようになったと見ています。
多分自分とこの人たちの差異は何なんだろうとかですね、生きるって何だろうって思っちゃったんだと思う。病人を見ながら。
いずれ自分も病気になり、死んでいく。そのことを考え続けたブッダは「悩みルート」に入り、出家を望むようになります。深井さんによれば、当時の貴族の間では出家がそこそこ流行っていて、ブッダだけが特別だったわけではありません。
それでも王子の出家には、父である王をはじめ全員が反対しました。ブッダには美人の妻やほかの女性たち、そして息子もいました。その息子の名前がラーフラで、「束縛者」という意味だと深井さんは紹介します。
そう、だから出家したいのに生まれたから、こいつは俺を束縛するやつだって。
樋口さんは「マジかわいそう」と声を上げます。ちなみにラーフラは、のちにブッダの弟子になっています。
出家の直接のきっかけについて、楊さんは、出家を止めたい父がインドで一番の美女と結婚させ、さらに多くの美女が踊り続けるハーレムまで用意したと補足します。深井さんによると、宴会のあとにひとりだけ目を覚ましたブッダは、半裸で眠り込む人々の光景を見て、すっかり虚しくなったといいます。
多分ゲロも吐いてたんでしょう。
ゲロ吐いてたかどうかはわかんない。なんかそこだけちょっとグロい演出。
ブッダは誰にも告げずに王宮を出て、頭を剃り、服を汚い布に着替えます。宴の華やかさがかえって虚しさを生んだという点が、このエピソードの印象的なところです。
瞑想と苦行、どちらも極めたブッダの結論
出家したブッダは29歳で修行に入り、35歳ごろまでの5、6年間を修行に費やします。深井さんによると、当時のインドの修行には大きく2つの道がありました。
今も続く修行法。ブッダは瞑想の権威に弟子入りし、短期間で師匠を超えたが「これは悟りじゃない」と離れた
肉体をいじめ抜いて、普段では達せない境地をめざす。ブッダは「苦行界のエリート」になるほど極めた
瞑想では、ブッダは1週間から数ヶ月で師匠を超え、「跡を継いでほしい」「自分の先生になってほしい」と言われるほどだったといいます。それでもブッダは違うと感じ、同じことを2人の師匠のもとで繰り返しました。
苦行の具体例も紹介されます。食事を徐々に減らして最後は1日に米1粒とごま1粒だけにする断食、ひとつの場所から動かない、わざと直射日光に当たる、限界まで息を止める、眠らない、といったものです。もともと王子として肌ツヤの良かったブッダの顔色は、ひどく悪くなったそうです。
誰よりも苦行をやったという自信を持つほど取り組んだ結果、ブッダは「苦行では悟りを開けない」と悟り、普通の瞑想に戻ってそのなかで悟りに至ります。
人間っていろんな苦しみがあるじゃないですか。その苦しみを超えて精神を安定させることが、どの状況、どういう時でもできるようになった状態。
深井さんは、これを体系的に理解している状態が「悟り」だという自身の解釈を示します。実際ブッダは、死の直前に激しい腹痛に襲われた際も、瞑想で克服したと伝えられています。
では、なぜ苦行がよいとされていたのか。樋口さんの問いに、深井さんは、ストイックにやりきることに悦楽を感じるタイプの人が、自分の見立てでは世の中の20%ぐらいいて、その人たちが苦行を生み出したのではないかと推測します。ボディビルダーのように鍛え抜くのが好きな感覚に、宗教が混ざったものだという見方です。
バラモン教とカーストへの反論
ブッダの教えは、当時インドにあったバラモン教をベースにしつつ、その一部を否定するものだったと深井さんは説明します。古い宗教を土台にして否定していく構図は、イエスやムハンマドと同じだといいます。
バラモン教の特徴として深井さんが挙げるのは、苦行とカースト制度 ── 古代インドに由来する身分制度。司祭のバラモン、王侯・武人のクシャトリヤ、庶民のヴァイシャ、隷属民のシュードラという4つの身分を基本としますです。ブッダはこのカースト制度も否定し、2600年前に「人間は平等」と説いていました。
当時は、神官であるバラモンが身分の頂点として世界を牛耳り、汚職も横行していたようです。ブッダはそうした見せかけの階級に意味はないとし、大切なのはその人自身の精神がどこまで高まっているかだけだと語ったといいます。
要はなんかこう、身の回りのものにある制度とか、なんやかんやじゃなくて、なんか本質を見ろとか、自分で決めろとか。
樋口さんは、このアプローチをイエスやムハンマドに近いと感じます。一方で深井さんは、ブッダの話には創造主である神が出てこない点が明確な違いだと強調します。
35歳で悟ったブッダは、最初「これは他の人には理解できないだろう」と考え、教えるかどうか迷いました。それでも伝える決意をしてみると、想像以上に伝わり、弟子のなかにも悟る人が何人も現れたといいます。
その後ブッダは長く生き、説法を続けます。王が聞きに来て感銘を受け、出家はできなくとも在家の信者になったり、裕福な人が僧のための宿舎として祇園精舎 ── 古代インドで富豪が寄進したと伝わる僧院。日本では『平家物語』冒頭の「祇園精舎の鐘の声」で広く知られていますを寄付したりしました。
苦しみの根源は「執着」、中道と無常の考え方
深井さんは、ブッダの言葉を読むと完全に哲学で、すごくちゃんと書いてあると語ります。その中心にあるのが、人間を苦しめているものは何かという問いへの答え、つまり「執着」です。
(ブッダは)それは一言で言うと執着だって言ってるわけです。
パソコンや車、家が欲しい、もっといい暮らしがしたい、美人と結婚したい。深井さんは、こうした欲望はすべて執着から生まれ、手に入らないからつらくなるのだと、ブッダの考えを例えで説明します。
執着
物事に心がとらわれ、どこかに偏った状態
欲望
「欲しい」「失いたくない」という気持ちが生まれる
苦しみ
手に入らない、失うのが怖いという、つらさやしんどさになる
ただし、執着しないことを極端に突き詰めるのもよくない、とブッダは言います。これが中道で、深井さんは自身も仕事のなかで同じ感覚を持っており、素晴らしい考えだと評価します。
極端にいじめるのも良くない。かといって全くそういうことをしないのも良くない。
樋口さんは中道を「ちょうどいい」「ナチュラル」と言い換え、深井さんは、どこにも偏らない精神状態をつくることが大切なのだとまとめます。極限のダイエット中だという樋口さんは、食事を制限するほど欲がなくなっていく感覚が近いと、自分の体験に重ねていました。
もうひとつの柱が「無常」です。諸行無常の無常で、永遠に続くものはひとつもないという考え方です。財産を失うのが怖いという気持ちも、ブッダから見れば、財産を「持っている」こと自体が勘違いだということになります。
なのにそこに執着するっていうのは、実体がないものに対して執着してる状態だよねと。
全部が流れている世界のなかで、何にも執着しない精神状態を保てば、苦しみはだいぶなくなる。ブッダ自身は、それを全部なくしたのだと深井さんは語ります。
死後のことはどうでもいい、というブッダ
ブッダはバラモン教の考え方のうち、輪廻転生 ── 生き物が死後も別の存在として生まれ変わり続けるという考え方。古代インドの宗教で広く共有されていましたなどはしっかり踏襲していました。では死後の世界はどう捉えていたのか。樋口さんの質問に、深井さんは自分も驚いたという答えを返します。
実はね、これすごく僕はびっくりしましたけど、ブッダは死後なんて比較的どうでもいいって言ってる。
樋口さんが極楽浄土について尋ねると、深井さんは「あれは後世の産物」だと答えます。ブッダは現世で解脱できると考え、死後のことは考えても正しいかわからないのだから考えるのをやめなさい、と説いていたといいます。
伝説のなかのブッダは、生まれた瞬間に歩いて「天上天下唯我独尊」と言ったとされるなど、魔法めいた話も多くあります。それでも深井さんは、実際は哲学者らしい人物で、樋口さんの言う通り「すごいリアリスト」だったと見ています。
ブッダ本人は、死後は考えてもわからないので考えなくてよく、現世で解脱できると説いた
後世の人々は、心の安定のために極楽浄土のような死後の世界のロジックを加えた
深井さんは、後世の人々がブッダほどの悟りに至らなかったから、死後の世界を加えて心の安定を図ったのではないかと推測します。骨が土に還っても「その人はどこへ行ったのか」という考えから、普通の人はなかなか抜け出せないからです。
樋口さんはこれを、ただのプラスチックのはずの「第二ボタン」に特別な価値を感じる感覚にたとえます。深井さんは、死後の世界を生み出したこと自体がひとつの執着だったのではないかと語り、神秘的な力が働かず、自分が悟るかどうかだけが問題になる点が、イスラム教やキリスト教との明確な違いだと述べます。
社会活動なしで世界を動かした、自己との対話
ブッダは実際に何をしたのか。深井さんの答えは「ずっとスピーチしてます。45年間」です。多くの人がブッダを一目見ただけで只者ではないと感じ、先生になってほしいと頼みに来たといいます。
謙遜とかしないんですよ。別に。俺悟ってるよみたいな感じでずっとコミュニケーションしてるんですよ。
教えを伝えた理由については、迷ったときに創造神ブラフマンが現れ「伝えてください」と頼んだという話が残っています。ただ深井さんは、レジェンドすぎて信じていないと話します。
樋口さんは、ブッダが王宮を出たのは満ち足りすぎて幸福を感じられなくなったからではないかと考えます。音楽や広告の仕事で成功し、お金に満足できたからこそ次のステップに進んだという自身の経験を重ね、ハーレムの宴で「卒業」したのではないかと語りました。
深井さんが面白いと感じているのは、ブッダが社会活動をほとんどせず、チームで失敗するような経験もないまま、瞑想だけで悟りに至った点です。今の世界では、家にこもるより外に出て経験を積むべきだと多くの人が考えています。
であれば、影響度っていう尺度から見た時に、社会活動って実は必要なかったみたいな。
インプットが極端にほとんどない状況で、それだけ言語化できたのはもう化け物ですよね。
深井さんは、苦行も結局は自分との闘いだったと付け加えます。いつか山にこもりたいという樋口さんが「最後にハーレムを経験してから」と笑いを誘い、思い入れのあるブッダの回は和やかに締めくくられました。
まとめ
何不自由ない王子だったブッダは、城壁の外の現実と宴の虚しさをきっかけに出家し、瞑想と苦行を極めた末に悟りへ至りました。その教えは神を持ち出さず、執着を手放し、偏らずに生きるという自己との対話を軸にした、哲学に近いものとして語られています。
- ブッダはサーキャ族の王子として満ち足りた生活を送り、29歳で出家した
- 瞑想と苦行を極めたうえで「苦行では悟れない」と気づき、35歳ごろ瞑想のなかで悟った
- 苦しみの根源は執着であり、中道と無常の考え方でそれを手放すと説いた
- 死後の世界は考えなくてよいとしており、極楽浄土は後世の産物だと深井さんは説明する
- 社会活動をほとんどせず45年間説法を続けたブッダの影響力に、出演者は驚きを示した




