現在進行形の社会変革としてのコンピュータ
前回のエピソードはこちら
今回のテーマはコンピュータとインターネットです。楊さんは、これまで扱ってきた技術と比べて、この2つは決定的に異なる特徴を持つと指摘します。
火薬が中央集権国家を生んだように、技術は社会構造を変えてきました。ではコンピュータとインターネットは社会に何をもたらすのか。楊さんは、それがまだ確定していないと話します。
コンピューター、インターネットはですね、現在進行形なんですよ。社会構造変革が。
(アブミや火薬のように)コンピューターとインターネットが登場したら何がどうなっちゃうの?っていう話なんですけど、まだわかってないと言えるかなと思います。
この回は、その現在進行形の変革を理解するために、計算機の起源まで一度さかのぼる構成になっています。
古代の計算装置と、計算を嫌がった天才たち
計算を機械にやらせる試みは、実は古い時代からありました。楊さんはまず、紀元前1世紀のギリシャの装置を紹介します。
アンティキティラ島で見つかったこの装置は、歯車の回転で天体の運動をシミュレーションしたと言われています。127枚、223枚、235枚といった歯車が精巧に噛み合い、日食や月食を予測できたとされます。
時代は下り、ブレーズ・パスカルが加算器を開発します。徴税官だった父が税の計算で夜中まで働く姿を見て、計算をもっと簡単にできないかと考えたのがきっかけでした。
続く1673年にはゴットフリート・ライプニッツも計算機を作ります。楊さんは、この頃に計算機を作った人たちの動機を、身も蓋もなくまとめます。
要はね、この頃計算機作ってる人たちってのはね、計算をするっていうのがめちゃくちゃ単純作業だから、やりたくないのよ。
ただし当時の加算器は足し算1個ができる程度で、実用性はそれほど高くなかったと考えられます。
大砲の弾道計算と「人間コンピューター」
一つの転換点となったのが、1791年にロンドンで生まれたチャールズ・バベッジです。彼はテーブルに載る大きさだった従来の計算機とは違い、大人5人分ほどもある巨大な計算機械を構想しました。
なぜ18世紀末に巨大な計算機が必要になったのか。楊さんは大砲を例に挙げます。弾を命中させるには初速、弾丸の重量、空気抵抗、風向きなどを計算する必要がありました。
電卓のない時代、兵士に計算させるのは非現実的でした。そこであらかじめ計算結果を大量に書いた数表という表を、砲兵に持ち歩かせていたのです。
弾道計算だけでなく、航海表、生命保険の年金数理計算、土木の計算など、あらゆる分野で計算ニーズが生まれていました。そして、この数表を作る人こそが「コンピューター」と呼ばれていました。
おー、人間コンピューター。
(コンピューターは)最初人間だった。
この人間コンピューターの多くは退職した事務員や牧師でした。ただ、彼らが作る数表には計算ミスも多かったと言われています。
バベッジの階差機関と解析機関
人間コンピューターの計算ミスを見て、バベッジは計算を自動化したいと考えます。当時登場しつつあった蒸気機関と組み合わせられるのではないかと構想しました。
バベッジは政府に資金を求めます。イギリス政府も人間コンピューターの人件費を削減したいと考えており、利害が一致して階差機関が作られました。ただし実際には蒸気ではなく、この段階では蒸気を使わずに動きました。
階差機関は一つの関数計算しかできませんでした。深井さんは、この動きに人類の新しい段階を見ています。
人間は自分の筋肉の代替だけじゃなくて、脳みその代替までできる機械を作る挙動を始めたということですよね。
一つの関数しか扱えない不便さを超えるため、バベッジはあらゆる関数を扱える解析機関を構想します。ここで彼はCPU部分とメモリ部分を分けるという発想に至りました。
メモリ部分には、穴を開けたパンチカードを使う構想でした。楊さんによれば、この発想は機織り機から得たものだと言われています。
しかしイギリス政府は解析機関に興味を示さず、援助を打ち切ります。解析機関は未完成に終わりました。
うわ、かわいそう。
国勢調査から生まれたIBM
バベッジから少し後、アメリカでコンピュータ発展に大きく貢献するプレイヤーが登場します。舞台は19世紀末の国勢調査でした。
人口が増えるにつれ、国勢調査の集計は人力では追いつかなくなっていました。多数の事務員が何年も働いてようやく統計が出るような状態で、報告書も膨大なページ数に達していました。
そこでアメリカ政府は、鉄道の時と同じように、集計を自動化する装置を公募します。ここで名乗りを上げたのがハーマン・ホレリスでした。
ホレリスは、パンチカードで楽譜の代わりに音を出す手回しオルゴールに着目します。同じ仕組みで数字を記録し、穴の開いた箇所で通電させればデータ集計を自動化できると考えました。
バベッジの発想に近いですが、決定的に違う点がありました。バベッジが歯車を使う機械式だったのに対し、ホレリスの装置は電気を使う電気機械式だったのです。
DXのはしりですね。
ホレリスのタビュレーティングマシンはコンペで1位を取り、実際の国勢調査で威力を発揮しました。数か月で総人口を発表でき、機械1台で多数の集計係の仕事をこなしたと言われています。
ホレリスは会社を設立し、国勢調査の請負から事務機器の開発・販売へと事業を広げます。そして社名を変更した会社こそがIBMでした。
いまだにあるじゃないですか。
(IBMは)国勢調査の請負自動計算から始まったという。
コンピュータの父アラン・チューリング
舞台をイギリスに移し、楊さんは「コンピュータの父」と呼ばれる人物を紹介します。アラン・チューリングです。
チューリングは今のコンピュータの概念を作った人物です。ケンブリッジ大学に奨学生として入学し、在学中に長年未解決だった数学の難問の証明に成功しました。
楊さんが強調するのは、チューリングが頭の中だけで理想の機械を構想した点です。これがチューリングマシンと呼ばれる概念で、論文の中で示されました。
(チューリングマシンは)実現してないのよ。頭の中だけで考えるんですよ。
チューリングは、アルゴリズムと呼ばれる命令の集合を、一定の規則に基づく記号列に置き換えて計算すれば理想的な機械が作れると考えました。楊さんは、これを現代の言い方に置き換えて解釈します。
プログラミング言語をコンピューターが命令として受け取るようにできれば、コンピューターいろんなことができるよねって言ってるっていうのと一緒だと僕たちは解釈しました。
楊さんがチューリングをすごいと感じるのは、自然言語で処理していることを機械がわかる形の記述に置き換えれば、理論上あらゆる命令が実行できると考えた点です。
その機械がわかる形とは、最終的に0と1だけで表現されるものでした。0と1だけで表現したものを理解して実行すれば大体何でもできるという着想を、この時点でしていたことになります。
化け物ですね。
エニグマ解読と情報戦の時代
チューリングが最も有名なのは、ナチスドイツの暗号機エニグマを解析したことです。第二次世界大戦下、彼はイギリスの情報局秘密情報部に赴任しました。
エニグマは円盤状のローターを組み合わせた装置で、たった3枚のローターでも毎秒1000通り調べて30億年かかるほどの組み合わせを生み出せました。事実上、解読不可能とされていたのです。
これに対しチューリングは、36台分のエニグマの動作を同時にシミュレートできる暗号解読機ボムを作り、解読に成功します。これはナチスドイツを敗北に導いた最大の要因の一つと言われています。
樋口さんは、この出来事が戦争のあり方そのものを変えたと受け止めます。
情報戦というか、情報の価値がめちゃくちゃ高まっちゃってるってことですね。
バベッジを継いだハーバードマークワン
この時期、新しい計算機がほぼ同時多発的に、独立して作られていきます。楊さんはその一つとして、アメリカのハワード・エイケンによるハーバードマークワンを挙げます。
エイケンはチューリングの流れではなく、バベッジの階差機関と解析機関を引き継いでいました。バベッジの記述を読んで、強い共鳴を覚えたと言われています。
(エイケンは)過去から自分に向けてバベジが個人的に語りかけているように感じた。
ハーバードマークワンは1944年に完成しました。バベッジを継承しているため機械式で、歯車を動かす動力に電気を使う仕組みでした。0と1に直さないため、デジタルではありません。
それでもこの機械が重要なのは、完全な自動計算機だったからです。一度演算をセットすれば、何時間でも何日でも最後まで計算し続けました。
ほっといて自動的にアウトプットされるのか、途中で人の手による介入が必要なのかどうかも大きなステップなんだろうな。
真空管28トンの怪物エニアック
第一次・第二次世界大戦の頃には、弾道計算がさらに複雑になっていました。弾が大気の密度が低いところまで飛ぶようになり、飛び方の違いまで計算しないといけなくなったからです。
もはや数表では手に負えなくなり、アメリカ軍はペンシルベニア大学に計算機の開発を要請します。深井さんは、この時代の本質をこう表現します。
人類が今まで対処しきれないぐらいの超高難易度な計算ニーズが出てきた時代になったということですよね。
こうして作られたのがエニアックです。真空管のオンオフで計算する、初の電子計算機でした。その規模は圧倒的です。
エニアックは十進法設計で、当時最も洗練された電気機械式計算機よりも数百倍速かったと言われています。一方で、膨大な真空管が毎秒10万回のパルスを発しており、1本の1回の誤作動でも装置全体がダウンする脆さを抱えていました。
いやもう無理やろ。メンテナンスしそうだな。無理やろ。
そのため、真空管やソケット、コンデンサ、配電盤に厳格な基準を設け、不良品を徹底的に取り除く必要がありました。
天才フォン・ノイマンの助言
エニアックには、原子力の回でも登場したフォン・ノイマンが関わります。原爆プロジェクトに参加していたノイマンが、たまたま列車を待つプラットフォームでエニアックの開発者と出会ったのがきっかけでした。
開発者は毎秒300回の計算をもっと速くしたいと悩んでいました。相談を受けたノイマンの助言で、計算速度は毎秒300回から5000回へと向上したと言われています。
15倍ぐらい。列車待ってる間に。
深井さんによれば、ノイマンは普通の人間と脳の構造が違うほどの頭脳を持つ人物とされています。その速度向上を見たノイマンが言ったとされる一言があります。
嘘つけこの。いいね。かっこいいね。
ノイマンはエニアックの欠点にも気づいていました。十進法より二進法の方が、同じ真空管の数で扱える桁数が増え、回路設計もシンプルになることを見抜いていたのです。
さらにエニアックは計算内容ごとに部品の配線を組み替える必要がありました。計算が2分でも組み替えに28分かかることもあり、プログラムを内蔵できればずっと速くなると分かっていました。
ノイマンは原爆製作の合間、列車の移動時間に、これらの問題を解決したコンピュータの論理構造を書き続けました。これが今のコンピュータの原型となるノイマン式コンピュータです。
選挙結果を当てたユニバックまで
ノイマンの論文を実際に形にする人が現れます。1949年のエドサックは、一時的な記憶に水銀を使い、プログラム内蔵型コンピュータとして誕生しました。
その後、似た名前の機械が次々に生まれます。楊さんが注目するのが、1952年のアメリカ大統領選で開票速報を予測したユニバックです。
人間の目にはアイゼンハワーが負けそうに見えていましたが、統計計算を組み込んだユニバックはその大勝利を予測しました。実際の結果は442対89、ユニバックの予測は438対93とほぼ的中でした。
えー、これはどういうことだろうな。よくわからんな。選挙結果を予測できるって。
これに対抗したIBMは、コンピュータへの不安を和らげようとします。人間の計算手だった「コンピューター」の仕事を奪うことへの反発を意識し、スポンサーとなった映画でコンピュータは怖くないと印象づけようとしたと言われています。
こうして「コンピューター」という言葉は、人間ではなく機械を指す言葉へと移り変わっていきました。戦争による多様な計算ニーズと開発競争、そして大学の科学者たちの主導が、この発展を先へ進めたのです。
小型化と一般家庭への普及
戦後、1960年代に入るとIC技術や半導体技術が登場し、コンピュータは小型化していきます。大型冷蔵庫ほどの大きさになったものはミニコンピュータと呼ばれました。
ミニコンピュータに触発され、さらに小さいマイクロコンピュータを作ろうとする人たちが現れます。楊さんは、この頃に空気が変わったと話します。
自分でもしプログラムできて、それを読み込ませて実行できたら死ぬほど楽しいんじゃない?みたいな感じになってきてるんですよ。
小型化の意味は、一般の人が使えるようになったということです。エニアックは家に置けませんが、マイクロコンピュータなら個人が手にできます。
この一般家庭への浸透の時期に現れたのが、マイクロソフトのビル・ゲイツやアップルのスティーブ・ジョブズでした。楊さんは、その後のWindowsやMacintoshの流れはよく知られているとして省略します。
ここまでの歴史を、楊さんは大きな流れとしてまとめ直します。
量子コンピュータと駆動できない倫理
現在進行形で登場しているのが量子コンピュータです。楊さんは、スーパーコンピュータ富岳と比べても桁違いの速さだと紹介します。
(量子コンピューターは富岳の)何千万倍の速さで計算できるらしいです。
量子コンピュータの概念自体は古く、約40年前にイスラエル生まれのイギリス人物理学者デイビッド・ドイチュがすでに発想していたと言われています。チューリングの段階と同じく、まず概念が先にあったのです。
計算が速すぎることで、これまで解析できなかった薬と遺伝子の影響や、複雑な物理演算までシミュレーションできる世界が来ると考えられています。一方で、深井さんはそこに倫理の難しさを見ています。
(一般の人が)理解できる範疇を超えてる技術が超スピードで進化してるから。(社会側から)有効な倫理的なブレーキを発動できるかどうかっていうのも、なんとなくなんか怪しいと思う。
量子コンピュータは軍事転用やセキュリティ突破の懸念も抱えます。楊さんは、全パターンのパスワードを一瞬で試せる可能性に触れます。
今までのセキュリティ理論みたいなのを全部作り直さないといけないとか、余裕で起こりうりそう。
現在のコンピュータでは解析できないことを前提に成り立っている暗号も、量子コンピュータの登場で成立しなくなる可能性があります。先行しているのはアメリカ、中国、イスラエルとされます。
インターネットはなぜ生まれたか
最後のテーマはインターネットです。その黎明期にあったのがARPANETでした。1960年にジョセフ・リックライダーが、地理的に分散したコンピュータをネットワークで結ぶ構想を論文で示しました。
アメリカ国防総省のARPAがこのプロジェクトに乗り出し、1966年にラリー・ロバーツが計画を引き継ぎます。ただし、いくつもの技術的課題がありました。
- 1対1で接続すると通信線が指数関数的に増えてしまう
- 通信線の利用時間より待機時間が長く不経済になる
- メーカーやモデルごとに仕様が異なり統一規格でつなげない
通信線の増加と待ち時間の問題は、ストアアンドフォワードパケット方式で解決しました。データを細切れに切って、通信線の中継地に保存できるようにする仕組みです。
楊さんは、この仕組みを道路交通に例えます。主要道路に各PCがつながり、混んでいれば迂回し、送りづらければ一旦待つ。データの通り方に融通を利かせることでコストを下げるのです。
すごいね。道路交通の管理みたいだよね。
仕様の違いは、IMPという現代のルーターにあたる装置を介してデータの仕様を揃えることで解決しました。こうして1971年、23のホストが参加するARPANETが誕生しました。
軍事目的か経済性か、ネットワークの本当の動機
ARPANETは核攻撃による通信途絶を防ぐため軍事目的で生まれた、という説がよく語られます。楊さんは、それは嘘ではないが本質は別だと整理します。
より重要だったのは経済性でした。極めて高額なコンピュータを24時間休みなく稼働させたい。そのためにネットワークでつなぎ、コンピュータ同士でデータを融通できる状態を作りたかったのです。
ただし核戦争を視野に入れていなかったわけではなく、核爆弾が落ちても大丈夫なほど頑丈にIMPは作られていたと言われています。
嘘だねじゃないですか。適当に言ってるだけじゃない?
1970年代には電子メールが登場し、1975年時点で1000人を超えるユーザーがいました。今と比べれば少人数のクローズドな世界でした。
つながることで価値が生まれる「インターネット」
IBMなどはネットワークを自社で囲い込もうとしました。しかし楊さんは、囲い込むとネットワークの価値がかえって減損すると指摘します。
インターネットがバラバラに分かれていたら、接続してもすべてにアクセスできず不便です。接続すればすべてに届くからこそ価値がある。この気づきがネットワーク同士をつなげる動きを生みました。
相互にネットワークをつなぐという意味で「インターネットワーク」となり、そこからインターネットが生まれます。共通規格のプロトコルとしてTCP/IPが開発されました。
インターネットのホストは1980年に200ほど、4年後に1000ほどと、まだ今とは比べものになりませんでした。爆発的に増える転機は別のところにありました。
ウェブとブラウザが起こした爆発
1990年、最初のウェブサイトがアップロードされます。ワールドワイドウェブ上でハイパーテキストのリンクをたどり、ネットサーフィンを楽しむという概念がここで生まれました。
ワールドワイドウェブは文章だけでなく画像、映像、音声に対応し、青いリンクをクリックすれば別ページに飛べました。これでインターネットが一気に流行します。
もう一つ必要だったのがブラウザでした。完成度が高いとされた最初のブラウザがモザイクで、開発したのは22歳の大学生マーク・アンドリーセンでした。
アンドリーセンは起業家ジム・クラークとモザイクコミュニケーション社を設立し、これがネットスケープ社になります。ネットスケープは1994年10月のリリースから3800万ユーザーがダウンロードしたと言われています。
1995年にはマイクロソフトがWindows95を出し、無料のインターネットエクスプローラーを同梱してシェアを奪っていきました。
検索エンジンとGoogleの登場
ウェブサイトが急増すると、90年代半ばに検索エンジンが登場します。最初期の一つは1993年にスコットランドのジョナサン・フレッチャーが作ったジャンプステーションでした。
これはウェブページの内容をインデックス化するウェブクローラーを走らせ、ウェブサイトの内容を目次化して検索できるようにするものでした。
その後、Googleが登場します。楊さんは、Googleが作ったアルゴリズムの核心を説明します。
Googleは、ウェブサイトが他のサイトから何回リンクされているかを測定するアルゴリズムを作りました。バックリンクと呼ばれ、これによって意味のある情報が上に来て、意味がない情報は下に来る仕組みが生まれ、爆発的に伸びていきました。
この変化はまだ歴史になっていない
楊さんは、インターネットとコンピュータの社会的影響については、あえて語らないと述べます。理由は、その変化が完全に最中だからです。
僕たちが目にしてるのは一次影響しかないと思いますよ。(アブミでいうと)騎士が強くなったとかいう段階で、まだ封建制が出来上がったとかまで言ってないからさ。
樋口さんも、この技術がどういうものだったかは、それが歴史になって初めてわかるのではないかと応じます。土地の制約がなくなりグローバル化が進む兆しはあるものの、その先は予測不可能だと二人は話します。
楊さんは、このシリーズを通じて数学者の地位が大きく上がったことを振り返ります。計算しなければならないことが増え、チューリングやノイマンのような数学者の時代が来たと感じられると締めくくります。
このシリーズの次のエピソードはこちら
まとめ
コンピュータの歴史は、計算を機械に任せたいという欲求が、蒸気・電気・真空管・デジタルを経て小型化し、一般家庭へ広がっていく大きな流れでした。そしてインターネットと量子コンピュータがもたらす社会変革は、まだ結末が見えていません。
- 計算の自動化は古代から続く欲求で、バベッジは蒸気で、ホレリスは電気で計算機を構想した
- チューリングは0と1で何でもできるという概念を、ノイマンは今のコンピュータの論理構造を生み出した
- 戦争による膨大な計算ニーズと開発競争、大学の科学者たちがコンピュータの発展を先へ進めた
- インターネットは核対策よりも高額なコンピュータを稼働させ続ける経済性が本当の動機だった
- 量子コンピュータの影響は速すぎて予測できず、社会が倫理的ブレーキを効かせられるかは不透明である







