蜀の物語は「スラムダンク」と同じ?
コテンラジオの諸葛孔明編2回目は、樋口さんが諸葛孔明と劉備たちの物語を漫画「スラムダンク」にたとえる場面から始まります。
深井さんは「スラムダンク」にたとえたのは初めてだと驚きつつ、湘北が最後に山王工業にボロ負けして終わる展開と、蜀の歩みが似ていると話します。
ある意味蜀もそんな感じで。似てるわ。一回頂点でバンと花火を上げて、伝説を作って、それからもう一気に三国で一番最初に滅びていった。
(蜀は)負けちゃうから楽しいんだよ。
深井さんにとって蜀の魅力は、散り方の儚さにあります。勝っていたら物語としては面白くなかっただろう、とまで話しています。
なぜ漢王朝は「永遠に続く」と信じられたのか
深井さんは、諸葛孔明のヤバさや面白さを理解するには時代背景が欠かせないと前置きし、三国時代が王朝でいえば後漢王朝の時代だったことを説明します。
漢は、漢民族や漢字の「漢」にも残るとおり、中国の原型をつくった国です。最初に中国を統一した秦は15年ほどで終わりましたが、その秦のしくみを受け継いだ漢は400年続きました。
深井さんによれば、漢は秦が発明したシステムを引き継ぎ、統一国家として初めてしっかり運営できた王朝でした。
後漢王朝の時代の民衆には、過去の王朝は2、3しかなく、歴史を学ぶ機会もありません。そのため、漢王朝はこれからも当然のように続くと、誰もが信じていたと考えられます。
その漢王朝がビビるぐらいダメになっていくんですよ。そこの阿鼻叫喚具合を今回は伝えたいなと思ってて。
宦官・外戚・皇帝、三つ巴の権力バランス
漢王朝を内側から蝕んだ存在として、深井さんはまず宦官 ── 去勢された男性の召使い。皇帝や後宮に仕え、皇帝の身近にいることから政治的な影響力を持つことがありましたを挙げます。宦官は皇后や側室のいる後宮に仕える人たちで、秦が滅びるときにも悪さをしていたといいます。
もう一つの勢力が外戚 ── 皇后の親戚のこと。皇帝から見て「外」の親戚にあたるため、こう呼ばれますです。当時は身分がそれほど高くなくても、美人で気に入られれば皇后になれました。
深井さんの説明では、皇后の父が一般庶民のままでは許されないため、皇后の父や兄は自動的に大将軍などに任命されました。その結果、能力の有無に関係なく、外戚が大きな権力を持つことになります。
一方の宦官は皇帝直属の奴隷なので、皇帝と密にコミュニケーションが取れます。漢王朝は、外戚・宦官・皇帝の権力が三つ巴の均衡を保つ形で運営されていました。
皇帝が権力を握っているうちは、外戚も宦官も抑えられます。ところが後漢王朝では、皇帝が若くして亡くなり、幼い息子が即位する事態が何代も続きました。
昔ってやっぱり子供って死にやすかったんで、このシステムの大欠陥ですよね。君主制のこのシステムの大欠陥がそこなんですけど。
皇帝の早世
皇帝が若くして亡くなる
幼帝の即位
幼い息子は国政を任せられない
外戚・宦官の台頭
皇帝に代わって権力を握る
均衡の崩壊
外戚と宦官が権力をほしいままにする
さらにもう一つ、官僚という勢力がありました。いい生まれで優秀と評判の人が推薦されて官僚になり、儒教 ── 孔子の教えを基にした思想。漢の時代に国家の学問として重んじられ、官僚の教養の中心になりましたを学んでいるため、清廉潔白な人が多かったといいます。
国を思う官僚、ときに自分のことしか考えない外戚、ほぼ自分のことしか考えない宦官。権力を持たない皇帝の下で、この三者がぐちゃぐちゃの争いを繰り広げることになります。
召使いである宦官がなぜ政治力を持つのか、という問いに対し、深井さんは皇帝に近いことを理由に挙げます。悩みを抱えた皇帝が宦官に相談し、取り入るのがうまい宦官が政敵の処刑を勧め、その代わりに権力を得ていくという構図です。
(皇后は)政治の世界で直接権力を持ってるんですよ。だけど直接男とコミュニケーション取っちゃダメなんです、皇帝以外の。だから間に宦官が入るんです。
皇后側から見ても宦官はなくせない存在でした。どこかの勢力が強くなると別の勢力を使って下げることを全員が続けていたため、どの勢力もなくせなかったと深井さんは説明します。
党錮の禁で何が壊れたのか
深井さんは、こうした権力争いのシステムを今の民主主義と比べつつ、当時はそれが限界だったと話します。そのうえで、三国時代に突入する直接の原因として党錮の禁 ── 後漢末期に宦官が、対立する官僚や知識人を弾圧した事件。多くの官僚が捕らえられ、官職から追放されましたを挙げます。
外戚と宦官が交互に権力を握るなか、ある時に宦官が強大な権力を手にし、優秀な官僚を無実の罪で捕らえて処刑していきました。賄賂を禁じ、国のために動く官僚が、自分のために政治を動かしたい宦官にとって邪魔だったからです。
それまでシーソーゲームのように保たれていた権力バランスは、官僚派閥の一掃で完全に崩れます。ここから国家が大崩壊していったというのが深井さんの見立てです。
官僚の一掃
宦官が優秀な官僚を捕らえ処刑する
政治の腐敗
賄賂が横行し、まともな行政が行われない
重税と疲弊
好きなだけ税を取る者が現れ、民衆の生活が疲弊する
人口激減
人口の5分の4が失われる
深井さんによると、当時6000万人いた人口は、そうした時代が続いた結果1400万人まで減りました。このほかに戸籍登録できずに放浪する人々も多くいたと考えられ、社会の混乱ぶりがうかがえます。
信じられなくないですか?僕たちの5分の4が今放浪するか死んだらどうします?どんだけ混乱してるかわかるじゃないですか。
曹操・劉備・孫権は「何者でもない」アウトローだった
優秀な官僚がいなくなった世界で権力を握り、人心を掌握していったのが曹操・劉備・孫権でした。深井さんは、彼らは普通の時代ならまず活躍できなかったと話します。
曹操は宦官の孫で、宦官が蔑まれていたために本人も蔑まれ、当時重視された身長も低かったといいます。強盗が多発する時代には、強さが生き残るための条件として今の高収入以上に大事だったと深井さんは説明します。
一方の劉備や諸葛亮は175〜180センチほどあり、見た目のよさで偉くなった面もあったそうです。
| 人物 | 出自・コンプレックス | 補足 |
|---|---|---|
| 曹操 | 宦官の孫、背が低い | 強さが重視された時代の不利 |
| 孫権 | 蛮族生まれと言われる | 出自を見下された |
| 劉備 | 草履を編んで売る | 商人でさえない立場 |
劉備について深井さんは、社会の中で乞食の次ぐらいの立場だったと表現します。そうしたアウトサイダーたちが、エリートの消えた混乱の中から一気にのし上がっていきました。
最弱の蜀を曹操と渡り合うレベルまでバーンって持っていくのが諸葛亮。
黄巾の乱と「北斗の拳」のような世紀末
後漢末期の社会では、苦しさから新興宗教が大流行しました。懺悔すれば病気が治ると説く太平道に信者が30万人ほど集まり、武装蜂起した黄巾の乱 ── 184年に起きた太平道の信者による大規模な反乱。黄色い頭巾を目印にしたことからこう呼ばれますが起こります。
疲弊した後漢王朝は蜂起を止められず、そこで曹操や孫権が大活躍しました。劉備は漫画の三国志では活躍していますが、史実では負けて逃げまわり、死んだふりをして生きながらえるようなこともしていたそうです。
深井さんは、五斗米道など他の新興宗教も現れた当時を、政府がなく強い者が子分を従えて天下を目指す「北斗の拳」のような世紀末だったと表現します。
(三国が)本当に国を作って3つになるのは本当にたった30年。
曹操たちの活躍の期間はもう少し長いものの、三国が並び立った時代はわずか30年ほどで、誰も統一できませんでした。深井さんはこの時代を線香花火にたとえ、次回は諸葛孔明を語るうえで欠かせない劉備を取り上げると予告しています。
まとめ
諸葛孔明が生きた三国時代は、400年続き誰もが永遠と信じた漢王朝が、権力争いと腐敗で崩れた末に訪れた世紀末のような時代でした。その混乱が、普通なら活躍できないアウトローたちを表舞台に押し上げました。
- 漢は秦のしくみを受け継いで400年続き、中国の原型をつくった王朝だった
- 幼い皇帝が続いたことで、外戚・宦官・皇帝の権力の均衡が崩れた
- 党錮の禁で官僚が一掃され、政治の腐敗から人口は6000万人から1400万人に減った
- 曹操・劉備・孫権は、平時なら蔑まれる出自から混乱の中でのし上がった
- 三国が並び立った時代は30年ほどの、線香花火のような時代だった


