「システムに人が合わせる」への違和感の正体
この回の出発点は、木原さんがXに投稿した「システムに人が合わせるのがいい」という一言でした。そこそこの反響があり、多くの人が賛同したそうです。しかし、実際にDX担当として現場に立つと、話はそう単純ではありません。
「システムに人が合わせる」という言葉は、ドライで冷たい、人を大事にしていない、と受け取られがちだと木原さんは指摘します。特に、学校業界のように長く運営してきた組織ほど、その傾向が強いといいます。
たとえば「この人はIT苦手だから特別対応してほしい」「この部署はこれまでこうだったから」といった声によって、システムとは別のオペレーションが動いてしまう。結果として個別改善が進み、いつのまにか属人化して「あら大変」となる。これが学校業界には特に多い、というのが木原さんの実感です。
人がシステムに合わせずに、異なるオペレーションが動いてしまって、属人化が進んでしまう。
構造・機能・ツール ── 混ざりやすい3つのレイヤー
この話に対して小笠原さんは、「システム」という言葉が指すものを分解してみせます。木原さんが言う「システム」は、機能(ファンクション)やツール(道具)の話と、その元になる構造(ストラクチャー)の話がごちゃ混ぜになっているのではないか、と。
誰に権限があり、誰が判断し、どう情報が流れるか。業務フローの土台。稟議フローなどもここに含まれる。
その構造を実現するための働き。ナレッジが効くよう、共通で合わせないと機能しない部分。
Slackのワークフローや稟議申請の仕組みなど、実際に人が触れる操作面。
小笠原さんは、機能を使うための操作は「共通で合わせないと無理」だと言います。AIによってすべての人のUIが個別最適化されているわけではない以上、そこは合わせるしかない。木原さんも「合わせないと無理だと思っています」と同意します。
そして構造の側も、「会社に入ったら稟議フローがあるのは当たり前」であり、本来は合わせるのが自然なものです。この2つがごちゃ混ぜになることで、「合わせる・合わせない」という極論に聞こえてしまうのではないか ── そう小笠原さんは分析しました。
ただし木原さんは、現場では構造とツールの「どちらの問題も生じている」と返します。権威ある教員が自分のやり方を変えないと言えば、事務局側が従わざるを得ない。これは構造の問題であり、ITシステム以前の、業務フローが変えられないという話です。
見えなくなる「なくなる作業」
「操作を学ぶのが嫌なのでは」という話から、木原さんはもっと手前の問題を挙げます。何十年も紙で決裁申請をしてきた業務を、今さら異なるやり方に変えるのは難しい、というレベルの抵抗が多いというのです。操作が変わるというより、そもそも「今まで操作したことがない」段階です。
ここで小笠原さんが指摘したのが、人の目線の偏りです。新しいやり方は「作業が増える」ように見える一方で、それによって「なくなる作業」には意識が向かない、と。
紙を買う・印刷する・手元に渡す・受け取る・代理入力する。本人以外のところで多くの作業が発生している。
一連の付随作業が消える。ただし当事者には「なくなった作業」が見えにくく、新しい操作の負担ばかりが目立つ。
新しく作業が生まれると見える。その時、なくなる作業に意識が向かない。
小笠原さんは、ソフトウェアエンジニアの多くが「もっと人を楽にしたい」「生産性を上げたい」「やらなくていいことはやらなくていいようにしたい」という動機で働いていると語ります。その思いが伝われば、受け止め方も変わるはず、というわけです。
ただし木原さんは、クライアントとベンダーの関係ではその思いが共有されにくいとも指摘します。違う営利組織に頼めば、相手はその営利を考えなければならない。個人の思いより、組織の総体としての目標や期間のほうが影響が強くなる ── だからこそ内製化したい、という話につながっていきます。
DX担当の覚悟と評価の難しさ
話題は、DX担当という役割の難しさに移ります。「DXやってて楽しいですか?」という小笠原さんの問いに、木原さんは「楽しいですよ」と答えつつも、抱える葛藤を吐露します。
短期的な成果を求められる一方で、成果を急げば急ぐほど、業務整理ができていない状態での提案になり、出戻りが発生する。しかし組織のトップがそこを理解しているケースは少なく、現場は目の前の課題解決を求めてくる。「今そこに着手できないんだ」と説明し続けなければならない歯がゆさがある、というのです。
求められていることに対して、踏み出すべきじゃないと思って踏み出せない。DXをやる人には、ある種の覚悟がいる。
小笠原さんは「覚悟を持てばやれそう?」と問いかけます。木原さんの答えは「覚悟と評価」。評価されないという覚悟があってもやはり嫌だ、というのが本音です。しかし評価されようと思えば目標を立てなければならず、DXの目標はどうしても曖昧になりがち。「お前は一体この学園に何の価値を提供したんだ」と問われたら「ちょっと待ってくれ」としか言えない、と苦笑します。
ここで小笠原さんは、木原さんの特徴を「外からの目を持っている」と評します。自分がどう見られ、どう評価されるか、誰かの目を持って動く。小笠原さん自身はそれが薄いほうで、「自分はこう思うから、この仮説でやっていきましょう」というスタイルが多いといいます。かつて木原さんに向けて「代弁者にならないでね」と言っていたことにも触れました。
周りの目は薄め。「自分はこう思う」という仮説を起点に動く。ハレーションを恐れず発言する。
周りの目を気にする。バランスを取り、合意を取りながら組織をより良くしていこうとする。
木原さんは、小笠原さんのスタイルにはロジックと説得力があるから周りの目を気にしなくてもついていける、と認めつつ、自分は合意を取っていくスタイルだと語ります。「でもそれだけではダメなのかもしれない」とも考えるものの、今の自分のスタイルはそうなっている、と受け止めていました。
AIエージェントがもたらす朗報
ここで小笠原さんは、DXに関わる人にとっての「朗報」を持ち出します。それがAIです。構造そのものは理想を追うものなので変わらないが、道具や機能のレイヤーに「エージェント」という新しい層ができる。これによって、新しいオペレーションへの学習コストが劇的に下がる、というのです。
小笠原さんは、Googleの「アンチグラビティ」を例に挙げます。「こういうアプリを作ってみたい」と伝えると、AIが「こう考えてこう作ろうと思うけどいい?」と計画を提示し、合意すればローカルでプログラムを組み、ブラウザで見られるようにし、ブラウザ上の修正まで勝手に動く。つまり、自分ではないAIが操作している様子が目で見て分かる、というのです。
人が意図を伝える
「こういうアプリを作ってみたい」と指示する。
AIが計画を提示
「こう考えてこう作ろうと思うけどいい?」と確認してくる。日本語での指示にも計画を修正する。
AIが操作を代行
ローカルでプログラムを組み、ブラウザで見られるようにし、修正まで自動で進める。
人間とAIの共生領域みたいなのを作って、そこに人間が移住しないといけない。今まさにそういうふうに向かってる気がする。
小笠原さんは、2023年から言ってきた「人間とAIの共生領域を作り、そこに人間が移住する」というDXの捉え方が、まさに今その方向に向かっていると語ります。ただし、木原さんが指摘するように、これは個人の問題ではなく組織の問題です。組織がその意思決定をしなければ、みんなはそこへ向かえない。そして、向かってもらうための動きこそが木原さんや小笠原さんの仕事だ ── そう2人は確認し合いました。
意見がぶつかることは、むしろありがたい
小笠原さんは、藝大が通信教育を始めたときの世間からのバッシングに比べれば、今回のAIへの反発は「全然軽い」と語ります。とはいえ木原さんは、芸術教育とAIの関わりでは一部の人と意見が合わないことは容易に想像でき、広義の「システムに合わせるべき」という主張がぶつかる場面は今後大いにあるだろう、と見ています。
ちょうどこの前後の週、木原さんは生成AIガイドラインを説明する予定を控えていました。学園の基本方針に対して「現場が分かっていない」「自分が行いたい教育とは思想が異なる」といった声が出ることも想定される。そのとき、ディスカッションを経てどう納得してもらえるか、が課題だといいます。
学園の方針に反対意見が出たとき、ディスカッションした上で、いかに納得を持ってもらえるコミュニケーションを取れるのか。
これに対する小笠原さんの答えは、意外にも前向きなものでした。意見が出ること自体が嬉しい、と。無関心で結局やらない人よりも、声を上げる人は、腹落ちすればやってくれる。だからありがたい。むしろ本当に難しいのは、何も言わずに無視したり、こっそり違うやり方をしたりする「無関心層」だ、というのです。
本当に何か厳しい話が出てきたら、もうありがとうでしかない。
ただし小笠原さんは、それは「攻撃や否定のためだけではない」という信頼が前提だとも付け加えます。教育に関わる者として、そうした悪意はないはずだ、という信頼のもとに成り立つ話です。
最後に小笠原さんは、AIという道具がこれだけ活発に動き出すと、今まで困っていたことが困らなくなり、今まで気づかなかった困りごとに気づく「次のフェーズ」に行く、と展望します。だからこそ「未知のことを楽しむぐらいの気持ちでいていい」。木原さんも、学ぶことを拒否しない学園でありたい、自分自身もそうありたいと応じ、生成AIの基本方針にもそうした文言を込めていると語りました。
まとめ
「システムに人が合わせる」という言葉は冷たく響きますが、その中身を構造・機能・ツールに分けると、多くは「合わせるのが当たり前」の話であることが見えてきます。抵抗の正体は、増える作業ばかりが目立ち、なくなる作業が見えないという人の目線の偏りにもありました。
そして、その学習コストの壁をAIエージェントが下げつつある今、論点は「人が操作に合わせる」から「人とAIの共生領域にどう移住するか」へと移りつつあります。組織としてその方向へ舵を切れるかどうか、そして反対の声すら歓迎できる信頼の土台をつくれるかどうか ── DXの本質は、ツールの導入ではなく、こうした構造と関係性の変革にあるのかもしれません。
- 「システムに人が合わせる」は、構造・機能・ツールの3レイヤーに分けると多くが「合わせて当然」の話になる。
- 抵抗の背景には、新しく増える作業ばかりが見え、なくなる作業に意識が向かないという目線の偏りがある。
- DX担当は短期的成果と業務整理のジレンマを抱え、覚悟と評価の難しさに直面している。
- AIエージェントの登場で操作の学習コストが下がり、「人とAIの共生領域への移住」が現実味を帯びてきた。
- 反対意見は腹落ちすれば動く可能性の表れであり、本当の課題は何も言わない無関心層への対応にある。
