AIツールで報告書を作る楽しさとドーパミン
冒頭は仕事の話から始まります。木原さんは来週の報告のために、AIツールでどこまでできるか試していると話します。
Feibleでどこまでできるかなと思って。ひたすらFeibleのスキルを使い、スキルを組み立て、Feible一発で報告書を作って、どこまでできるのか、今チャレンジしてるんですけど。
出てきた成果物は、自分ひとりの到達点を明らかに超えていたと言います。ここで小笠原さんは「楽」の中身を掘り下げます。
時間が短くなったのではなく、想定していた以上の成果が出たことが報酬になっている。木原さんはそう答えます。
ただし小笠原さんは、次回は新しいモデルが出てまた試したくなるだろうと指摘します。これは前回話した「ドーパミン」の話だと二人は確認します。
OpenAIがChatGPTで実現したこのチャットによって、自分の想定よりAIに対する期待値より良いものが出てくる、面白いものが出てくる。これがドーパミンを出すレベルに来たから、ChatGPTでブレイクしたんだと思うんですよね。
学びの設計に使う「脳内物質の組み合わせ」
話題は芸術大学ならではの視点へ移ります。木原さんは、作るプロセスそのものの価値をどう扱うかを考えます。
最終的なアウトプットにドーパミンは出るとしても、絵を描く過程で思考が深まる時間の価値は、単純なドーパミンでは測れないのではないかと話します。
これに対し小笠原さんは、脳内物質の組み合わせで整理する思考実験を提案します。
チャレンジングでスリルを感じることで発生するかもしれない
堅実な充実感につながるかもしれない
共に戦う、共に挑むような高揚感につながるかもしれない
小笠原さんは、受験勉強は完全にドーパミンだと言います。そのうえで、学ぶこと自体をドーパミンだけに頼らなくてもいいのではと問いかけます。
通信だから本当にバラバラの時間でやっていいんだけど、「同じ時間に同じ科目を今学んでる人が三千人いますよ」と。その人たちだけで語れる。みたいなのは、人とのつながりや安心感でセロトニンとオキシトシンが生まれるんじゃないかとか。
小笠原さんは、組織設計も学びの場と同じだと続けます。学生も組織の一員と捉え、社会に出た後の役割を意識することが大学の役割だと語ります。
テーマは「お金持ちは幸せか」だった
ここで木原さんは、本来のテーマがまったく別だったことを思い出します。今回のテーマは「お金持ちは幸せなのか」です。
この問いは、IVSでのトークセッションで出た質疑応答が発端でした。寺田倉庫の寺田耕平さん、DMMの亀山さん、前LINEヤフー会長で現AIソロプレイヤーの川邊さんらが登壇した回です。
そのメンバーがいて、「お金持ちって幸せなんですか?」って聞く勇気すごくないですか?
登壇者たちが共通して話していたのは、生活に困らないレベルまではお金と幸せは比例するという見立てでした。
一方で、一定を超えると人間関係の複雑さや判断、孤独といったものが出てきて、それが幸せと言えるのかという話も出たと木原さんは振り返ります。
お金は「持つ」より「使える」ことに価値がある
小笠原さんは、お金は持つより使う方が大事だという持論を示します。
たくさんお金が使える状態、たくさんお金を使うことに変なリスクがなかったり、将来的な不安がなかったりっていうのは、まあまあ幸せと感じていいんじゃないかなと思う。お金を持ってることで幸せ感じるのはちょっと悪趣味だなと思ってて。
結局は使い道次第だと小笠原さんは言います。自分がよりよく快を感じるため、あるいは他の人に快を感じてもらうために使えることが幸せではないか、という考えです。
ただし木原さんは、想像できない部分もあると話します。亀山さんが挙げていた「人を信用できなくなる」という感覚です。
なんで自分についてきているのかがわからないとか、お金を目当てなのかが判断つかなくなるとか。まあそういう話をされてて。その感覚僕はないので。
小笠原さんは、お金を持っているとステータスが高いと扱われ、大事にされやすくなる、その構造が嫌なのだろうと解釈します。
亀山さんだと、ある人と一緒にいる時に、自分にはすっげえ優しいんだけど、店のスタッフがちょっと粗相したらガチギレしてたのを見て、「ああ、この人俺に金がなくなったらこんな感じかも」って感じて、嫌になったみたいな。
態度を変える人と、信じてしまう危うさ
小笠原さんは、他者からの態度の受け取り方に二種類あると整理します。
お金や名声がなくなれば態度も変わるだろうと見ている状態
相手が自分という人間に対してそう接していると信じ込んでしまう状態
小笠原さんは後者を危ういと言います。人は状況によって態度を変えるものであり、そういう人で溢れたときに幸せと言えるかは難しいと話します。
お金の使い方で感じる幸せは変わる
話は再び脳内物質と結びつきます。お金を稼ぐときや使うときにはドーパミンが出るはずだと小笠原さんは言います。
一方で、その先の状態に対してはオキシトシンを感じることがある、それが使い方の話だと続けます。
自分にとって大事な人が困ってることをお金で解決できる、相手も合意している、で使いました、とかの時は多分その繋がりを感じる。みたいなとこで、使い方によって感じる幸せがちょっと変わるんだろうなっていう。
例としてクラウドファンディングが挙がります。張る時点はドーパミンでも、うまくいったときやいかなかったときに入ってくる情報で、感じるものは変わるという見方です。
小笠原さんは、テレビでサッカーを見るのと会場で見るのとでは、入ってくる情報がほぼ同じでも感じ方が違うと例えます。
オープンキャンパスや通信教育をオキシトシンで設計する
木原さんは、この視点を大学の学生募集に引きつけます。オープンキャンパスをオンラインでやるか対面でやるか、という検討です。
これまでは「オンラインだと飽きが来る」といった特性ばかりを気にして企画していたと木原さんは振り返ります。
しかし対面にすれば、来場した高校生同士のつながりが生まれ、志願度の醸成につながるかもしれない、と気づきます。
もし今アドミッションだとしたら、オーキャン毎月やるんですよ。全部学生に頼みます、企画から。それによって学生同士のオキシトシンを生むかとか、受験生と学生とのオキシトシンを生むかとか。
受験が挟まる以上ドーパミンはセットになる。だからドーパミンとオキシトシン、共に挑む効用をどう生むかの設計だと小笠原さんは言います。
木原さんは、通信教育こそオキシトシンが要ると続けます。入学までの意思決定では、講義の素晴らしさより、入った後どんな学生と学び続けられるかのイメージが背中を押すからです。
小笠原さんは、論調がドーパミンを悪者にしがちだった点も補足します。人が成長したり変化するのにドーパミンは必要で、正しく使いましょうと言いたいだけだと話します。
使えることの幸せは、稼いだお金に限らない
最後にテーマへ戻ります。全寮制の学校を作ろうと思ったら作れること、それ自体が幸せではないかと小笠原さんは言います。
木原さんは、お金を持って意思決定できることも、権限を持つことも同じだと整理します。
ギャラいらんけど経費と予算がちゃんと俺に来るじゃないですか。十分幸せなんですよ。楽しい。
小笠原さんは、まだ根拠に至らない仮説に対してお金を使わせてもらえることが、むちゃくちゃ幸せだと語ります。
小笠原さんは、お金は価値交換のためのプロトコルやツールだと言います。その交換が心地よいものなら幸せは感じられる、と締めくくります。
お金ないんだけど、自分の手作りで手に入る食材で、この人がきっと喜ぶだろうと思うものを作って喜ばれた。これも幸せじゃないですか。だからなんかお金だけ特別に見ない方がいいよっていう。
まとめ
「お金持ちは幸せか」という問いを入り口に、話はお金を持つことと使えることの違い、そして人とのつながりが生む幸せへと広がりました。お金だけを特別視しないという中庸な視点が、学びや組織の設計にも通じるという回でした。
- お金は持つことより、リスクや不安なく使える状態に価値があると小笠原さんは考えています。
- ドーパミンとオキシトシンなど、脳内物質の組み合わせで学びや募集の設計を捉え直す視点が語られました。
- お金や名声があると態度を変える人がいるため、それを信じ込む受け取り方は危ういと指摘されました。
- 使えることの幸せは、自分が稼いだお金に限らず、経費や予算、権限を扱えることにも当てはまります。
- お金は価値交換のツールであり、時間や手間、手作りといった別の価値交換でも幸せは感じられると締めくくられました。
