大阪にawabarができた
今回のテーマは「場づくり」です。きっかけは、大阪の北新地にawabarが新しくできたことでした。
awabarは、小笠原さんが2010年に東京で作った立ち飲み屋です。起業家や投資家が集まる場として知られ、今では福岡、沖縄、神戸、そして大阪に広がっています。
ただ、最初から人が集まる場だったわけではありません。始めた当初は、お客さんがほとんど来なかったといいます。
なんとなく立ち飲み屋を始めて、これはあまりにもお客さんが来ないと。やばいなと。
そこで小笠原さんは、自ら仕掛けに動きます。最初の一年目は、なんと220日ほど自分の店に客として通ったそうです。
一日一人で五人呼ぶまで帰らんって言って。俺、友達はネット業界しかいなかったから、ネット業界の人がいっぱいチェックインしてる店みたいになった。
当時はFoursquareでのチェックインや、Twitterへの投稿をしてくれたら一杯おごる、という工夫もしていたそうです。こうして、人が集まる場が後から作られていきました。
新しい大阪店はなぜ生まれたのか
今回の大阪店は、小笠原さん自身が経営しているわけではありません。以前は難波近くでスマレジの創業者が運営していた時期もありましたが、一度閉じ、今回は別の人が北新地で始めています。
では、なぜその人はawabarをやりたいと思ったのでしょうか。理由は、東京店の頃によく来ていた人たちが大阪に戻ったことにあります。
東京で作った頃によく来てくれてた人たちが大阪に戻ったりされて。大阪にもやっぱ欲しいねってなって。
awabarには、お客さん同士を紹介し合うというコンセプトがあります。店側がお客さんのことをある程度知った上で、つなげてあげる。だからこそ、地元の人と知り合う場としても機能すると小笠原さんは話します。
自分でやりたい場か、説明がつく場か
話は「では木原さんならどんな場を作るか」へと移ります。小笠原さんは、場づくりには二つの方向があると問いかけます。
木原さん、そういうバー作りするなら自分でオリジナルでやりたいですか?それとも、なんか説明できる場所?
たとえばawabarは「起業家が集まる」という説明がつきやすい場です。一方で、自分の好きなテーマで一から作るオリジナルの場もあります。どちらをやりたいかは人それぞれだ、という整理でした。
木原さんが挙げたのは、バックパックで旅をしてきた人たちが集まる場でした。
今の十代二十代のバックパッカーはめっちゃ話したいです。日本ではバックパックがあまり人気じゃない中で、それでもやろうとしているカウンターの精神を持っている子たちと。
これに対して小笠原さんは「やればいいじゃない」と繰り返します。誰かの家の庭を借りて、週末だけ「バックパッカーズカフェです」と言い切ってしまえばいい、という具体的な提案でした。
だって場作りしたいだけでしょ。京都に来てるバックパッカー、話したくないですか?
木原さんは「そんな話じゃない」と返しつつも、場を作る面白さそのものは否定しませんでした。
20代から変わらない「場を作る」働き方
実は小笠原さんの場づくりは、awabarよりずっと前から続いています。京都で会社を始めた1998年の頃から、シェアオフィスや京大近くのバーをやっていたそうです。
だから実はやってることあんま変わんなくて、二十代の時から。
東京に出てからも同じでした。awabarとは別に「NEWSBASE」というシェアオフィスを運営し、そこにはミクシィを辞めた後の人や、ファンドをやる人たちが日々集まっていたといいます。
その運営には、人が集まる仕掛けが埋め込まれていました。毎週水曜日には勉強会を開き、キッチンとシェフがいたため「タダ飯が食える」状態を作っていたのです。
水曜日はタダ飯食えるよと。そうするとそこに集まるじゃないですか。そうこうしてるうちに、まあファンドでも作るかみたいになったりとか。
ここで、木原さんが小笠原さんの働き方の特徴を言葉にします。
小笠原さんが新しい面白いことに食いつき、飛び込んだ先で、今までのネットワークをドンと引き連れて、その取り組みを成功させるために自分のつながりを全部使う、という働き方なのかなと思って見てるんですね。
場を作り続けた先にあったDMMと大学
この「人が集まる場を作る」姿勢は、その後のキャリアにも一貫していました。大型イベントの懇親会が苦手で、人の場所に行くのが得意ではないからこそ、自分の場所を作る傾向があるといいます。
人の場所に行くの苦手なんですよ。なんで自分の場所を作る傾向があって。
そうした中でDMMの亀山さんと出会い、「ものづくりの人が集まれる場所」の構想を話したところ、「それDMMでやれや」と言われたそうです。
そこで生まれたのが3Dプリントのサービスと、本気でものづくりができる拠点でした。ただ出力して渡すだけでなく、データを預けておくと購入者が現れた時に料率を受け取れる「クリエイターズマーケット」という仕組みも作りました。
それだけだと場にならないんで、クリエイターズマーケットっていう形でデータを預けておくと、それを出力して買いたい人がいた時に、あなたが設定した料率をあなたに払いますよと。
ものづくり系の人が集まると、今度は経産省の委員会や宇宙衛星データのコンソーシアム、さらにメルカリの研究所へと話が広がっていきました。そして「そんなことをしていたら大学に誘ってもらった」といいます。
この一連の流れを、図で整理してみます。
イベントではなく「場」を作るとはどういうことか
木原さんは、小笠原さんの場づくりに、大学という存在の理想像を重ねます。お金の契約だけではないつながりがあるからこそ、人は次のステップも一緒に働こうと思う、という指摘です。
そのつながりは、小笠原さん自身も意図的だと認めます。
例えば次の仕事する時にキアラさんに声かけたりすると思うんすよ。一緒に仕事したことある人に「次これやろうぜ」って。もう一回、違う遊びしようぜっていう。
さらに小笠原さんは、場が続く先の長い時間軸まで想像しています。ワークショップに来た高校生が、その延長で大学に進学し、インターンを経て、いつか一緒にプロダクトを作る。そんな未来を思い描いているといいます。
もう一回生、二回生からインターンで来てくれて、十年後にうちでプロダクト作ってる、とか想像すると楽しくないですか?
一方で木原さんは、場所がなくなった後の人のつながりまでを設計できるかというと、自分にはまだ難しいと打ち明けます。そこで返ってきたのが、この回の核心となる一言でした。
この違いは、木原さんの実感とも重なります。声をかけられる勉強会やコミュニティを、木原さんは「やってどうなるのか」と考えて断ってしまうといいます。
一時的な「点」としてのつながりを作っても意味がない。その感覚こそが、単発のイベントと、続いていく場との違いを表しているのかもしれません。
イベントと場の違いを整理すると、次のようになります。
その日限りで集まって終わる。点としてのつながりに留まりやすい
場がなくなった後も人のつながりが続くことを想像して設計される
まとめ
awabarから大学まで、小笠原さんが一貫してやってきたのは「イベント」ではなく「場づくり」でした。人が後から集まる仕掛けを作り、そこで生まれたつながりを次の挑戦へと引き連れていく。その視点の長さこそが、多くの人がつまずくポイントだと語られた回です。
- awabarは開店後に自ら通い、仕掛けることで「人が集まる場」を後から作った
- 小笠原さんは大型イベントが苦手で、だからこそ自分の場所を作り続けてきた
- 水曜のタダ飯のように、人が自然に集まる仕掛けを場に埋め込んでいた
- 場づくりは、その場が終わった後の人のつながりまで想像して設計される
- 「ほとんどの人が場作りではなくイベントをやっている」という違いが核心
