セルフプロデュースには2つの方向がある?
厚利少売ラジオの第51回は、川原卓巳さんが運営するプロデュースの学校の第2期募集に合わせ、新たに「セルフプロデュース学科」をつくったことを記念した回です。川原さんは、すがけんさんがセルフプロデュースをどう考えてやってきたのかを聞きたいと切り出します。
そう、聞いてみたい。っていうかあえて聞かないじゃん、そんなこと(セルフプロデュース)って。しかも言わないし、普通は。
すがけんさんは、セルフプロデュースの手の内は「仕込み」や「仕掛け」の意味もあり、自分でドヤると炎上しやすいため普段はあまり話さないといいます。そのうえで、自分のキャリアそのものがセルフプロデュースを考えてやってきたものだと語ります。
すがけんさんによると、セルフプロデュースには2つの方面があります。1つは今やっていることをわかりやすく、価値が高く見せる話、もう1つは次にどこへ進むかを決める話です。
今やっていることをわかりやすく、価値が高く見せる。マーケティングっぽく語られる領域
これから先の方向を決める。キャリアやプロダクトっぽく語られる領域
この回で中心になるのは、後者の「次にどこへ進むか」です。すがけんさんは、その選択を20歳の就職から順にたどっていきます。
「55で工場長」が教えた、逃げから始まる一手目
すがけんさんは高専の材料工学科に通っており、そのまま進めば工場勤めになるはずでした。それを避けるためにエンジニアのスキルを身につけ、大きなシステムを作るシステムインテグレーションの会社に就職したといいます。
決定打になったのは、3交代制の工場で働く先輩との会話でした。偉くなったら何になるのかと聞いたすがけんさんに、先輩は「55で工場長」と答えたそうです。
この工場の中で勝ち上がっていくのも無理だし、この工場に20歳からだから35年勤めるのも無理だと思って、もう早々に逃げちゃったわけですよ、僕は。
かっこよく決めたというより、もう基本的に僕の選択って全部逃げなんで。
すがけんさんは洋服や甘いものが好きで、欲望に忠実だったと振り返ります。テレビで思い描いていた社会人像とまったく違う選択肢が目の前に出てきたからこそ「やばい」と思えたのは、ラッキーだったといいます。
就職前の候補はアパレルのショップ店員かDJだったそうです。学校で作業着を着てセラミックスを作ったり鉄の検査をしたりしていたすがけんさんにとって、パソコンを通じて触れたIT業界は「椅子に座ってパソコン触る仕事ってあるんだ」という驚きの世界でした。
すがけんさんは、新卒の段階では天才もおらず、誰が行ってもまあまあなんとかなると考えていました。だからこそ能力よりも、どの枠組みに入るかが重要だったといいます。
一旦こっち(ITの世界)の枠組みに入っとかないと、なんか後々やばそうだな感がすごいあったんですよね。
枯れた技術に向かう工場ではなく、最先端の側に身を置いた。すがけんさんは、セルフプロデュースという言葉こそなかったものの、これを「ちゃんと一手目を選べた」大きな選択だったと捉えています。
最劣等生のスタートと「結果がすべて」の20代
川原さんは、新卒のすがけんさんが「期待されて使える」ブランドではなかったはずだと問いかけます。すがけんさんによると、会社には院卒と大卒がいて、高専卒はすがけんさんだけ。いわば最劣等生からのスタートでした。
ただ、プログラミング経験があったのはほぼすがけんさんだけで、3ヶ月ほどの研修では一番優秀でした。そこで天狗になり、講師の教え方を批判して怒られ、成績は良かったはずなのに最低点をつけられたといいます。
いい箱には毎回行くんだけど、ルートは全然毎回ダメなんですよ。
研修で優秀でも、平均年齢40歳の300人ほどの会社には優秀な先輩が大勢いました。すがけんさんは先輩に怒られ続ける一方で、社内のエースの仕事ぶりに憧れ、「どっちって言ったらそっちになりたい」と思ったそうです。
入社3年ほどたった頃、システム会社に「ガラケーの携帯サイトを作る」という仕事が飛び込んできます。すがけんさんは、平均年齢40歳の会社の人にはできない仕事なら怒られずに済むと考え、隣の部署の案件に立候補しました。
いやいや、僕今の部署18時で終わらせて、18時から朝4時までやるんで、こっちやりますって言って、無理やりやる。
会社の椅子が合わないからと自分で買って持ち込むなど、すがけんさんは自分を「問題児」だったと振り返ります。真面目にやるより、結果が出る方法でやるという姿勢が自分の中で徹底されていたといいます。
ある大失敗で、すがけんさんは先輩から「お前の好き勝手を許してるのは仕事の結果がちゃんと出ることだからな」と叱られました。すがけんさんはこれを「ちゃんとしなきゃ」ではなく、逆の意味で受け取ります。
やっぱ仕事って結果なんだな。これからも適当にやるためには結果だけ、ちゃんと結果出さなきゃまずいって思って。
すがけんさん自身、先輩が言いたかったのは「いい加減にちゃんとしろ」だったはずだと笑います。川原さんも「同じ言葉なんだけど、捉え方で違う道行く」と応じました。
人の少ない場所に行けば、名前は勝手につく
異動先のガラケーのコンテンツは大ヒットし、子会社が設立されます。4人で始めた会社は2〜3年で100人ほどに成長したそうです。
子会社の社長になった元部長から「健一お前絵好きだったよな」と言われ、すがけんさんはエンジニアなのに待ち受けのプロデューサーを任されます。絵が好きといっても美術館に何回か行った程度だったといいます。
すがけんさんは、儲かる事業にはエンジニアが親会社から大勢送られてくる一方、潰しが利かない新しい仕事を率先してやる人はなかなかいないと話します。当時は市場が伸びる約束も何もありませんでした。
なんかやっぱ誰かやれる仕事はあんまり興味がなかったんですよね、もうすでに。で、誰もいないところに行って。でも誰もいなければ頑張れば勝てるっていうか、結果出せるじゃないですか。
すがけんさんの計算はシンプルです。エンジニアは何十万人もいてその中では劣等生でも、待ち受けを作る人は1年前からしかおらず1000人もいない。その中なら頑張れば上に行けると考えたそうです。
何十万人もいる中で、すがけんさんは劣等生の位置にいた
1年前から始まったばかりで、作り手は1000人もいない。頑張れば結果が出せる
待ち受け、着メロと仕事を広げるうちに、すがけんさんはサイト全体のプロデューサーになっていきました。仕事が新しく人がいなければ、名前は後から勝手につくという感覚だったといいます。
当時は着メロプロデューサーなど多くの肩書がつき、すがけんさんは「ただのエンジニアだったのに肩書だらけになっちゃう」と振り返ります。何もないところに飛び込み、仕事に名前をつけていくことが、20代のキャリアでありプロデュースだったと語られます。
需要があって供給が少ない場所はどこか
川原さんは、すがけんさんが「市場に対して求められていて、勝てそうなところに自分をずらし続けている」と整理します。すがけんさんはそれを需給の言葉で言い直しました。
需要はあるんだけど、供給が少ないところにやっぱ僕はすごい行きたいんですよね。
川原さんはこれを厚利少売の原理原則だと受け止めます。すがけんさんによると、需要も供給も多い場所は、東大生のような優秀な人しか勝てない土俵です。
すがけんさんは、今のスタートアップがまさにその状態だと見ています。東大生が資金を集めるようになり、投資家も起業家も賢く合理的になると、同じ領域にみんなが一斉に来てしまうといいます。
例として挙がったのがメルカリ ── 2013年創業のフリマアプリ運営企業。後発ながら大型の資金調達と広告投資で国内フリマアプリ市場の主要サービスに成長しましたとフリル ── 2012年に始まった日本初とされるフリマアプリ。のちに楽天に買収され、ラクマに統合されましたです。フリルがうまくいくとわかると、別の投資家たちが投資してメルカリが生まれた、とすがけんさんは話します。
すがけんさんは、本来は既存産業を良くするために始めたはずが、気づけばスタートアップ同士の削り合いになり、両方とも体力を失うことがあると指摘します。だからこそ「賢い勝負」には行かず、やっていないところに行くのがセオリーだといいます。
川原さんは、すがけんさんは立ち位置の決め方がしっかりしていると評します。すがけんさんは、その場所に名前をつけるのがプロデュースだと応じました。
あっさり手放した月商10億円と、20年後の答え合わせ
世に知られていく前のすがけんさんについて聞かれ、話は30歳前後の転職に移ります。尊敬していた子会社の社長が、大きな会社の子会社として新しく作られる銀行のシステム会社の社長になりました。
仲の良かった先輩に「お前ああいうとこ行ったら年収1000万ぐらいになるんじゃないか」とそそのかされ、すがけんさんは転職します。実際の年収は700万円ほどだったそうです。
だって25歳で月商10億円ぐらいやってましたからね、着メロのサービスとかで。なのに、もうそんなのポーンって手放して、まあ結局サラリーマンなんで。
元の会社は買収を重ね、今はアクセンチュア ── アイルランドに本社を置く世界的なコンサルティング・ITサービス企業。日本でも大規模に事業を展開していますの一部になっているといいます。すがけんさんは当時、部下たちに「リスク取って辞めてなんかやれよ」と言い続けていました。
それをガン無視したみんなは最終的にはめちゃくちゃいいポジションで働くっていう。20年後の答え合わせがすごい良かった。
すがけんさんのチームは女性が多く、残った同僚たちは福利厚生の整った環境で偉いポジションに就いているそうです。辞めろと言ったけれど辞めなくてよかった、と語るすがけんさんに、川原さんも「予想通りなものってほぼない」と同意します。
アドテクへの転身と、ガラケー勢がiPhoneを見誤った理由
銀行の仕事が一段落したあと、すがけんさんは広告の世界に進みます。30歳ごろには20代のキャリアを棚卸しできており、人がやらないところに行くべきだと考えていたといいます。
インターネット広告が入ってきた時期で、大企業の広告会社はやらないからスタートアップでやれば伸びると考え、アドテク ── アドテクノロジーの略。広告配信の最適化や効果測定など、インターネット広告を支える技術やサービスの総称ですの会社に入りました。その会社の売却を機に、スタートアップのメディアやXで知られるようになったそうです。
川原さんが嗅覚の良さを指摘すると、すがけんさんは市場の伸びを数字で示します。インターネット広告は、最初の年度の売上が16億円で、20年ちょっとで3兆円まで伸びた産業だといいます。
すがけんさんはガラケーの立ち上げ期も振り返ります。CDがあるのに16音の着メロ、パソコンがあるのに16色の画面。周囲は誰もうまくいかないと言っていましたが、すがけんさんたちは「持ち歩けたらいいじゃん」と信じたそうです。
ところが10年ほど続いたガラケーの時代のあと、今度はガラケーの人たちが「iPhoneなんかうまくいかねえよ」と言う側に回りました。川原さんの言葉を借りれば「体制側になっちゃう」状態です。
すがけんさんによると、ほとんどの人はそこでポジションを取り間違え、今も残っているのは堀江さんなど数えるほどだといいます。すがけんさん自身はちょうど広告業界に移っていたため余波を受けず、それも「ほとんど運」だったと話します。
いい場所にいるために必要な「バカさ」
川原さんは、いい場所にいられることはセルフプロデュースの要素の9割だとしつつ、そこへ行くための意思決定や準備という残りの1割が大事だと指摘します。キャリアのない状態で、どうすればそこへ行けるのかと問いかけました。
え、バカな方がいいよ。
いけるっしょしかない。その、何にも悩んでないから、当時。
川原さんは、需要が増えているのに供給がない場所では「よくわかんなくても、とりあえず手伝え」という声がかかり、それに乗れるかどうかだと整理します。すがけんさんは強くうなずきます。
一方ですがけんさんは、これまで関わった15社ほどのうち、うまくいったのは半分以下だと明かします。それでも、その時の努力はなくなっていないといいます。
結局その短期でうまくいかそうとするとめちゃくちゃ慎重になるけど、長期的にやり続けて自分が成長できてれば、これ(挑戦)はなんかいつかうまくいくわけですよ。
すがけんさんにとって重要なのは、自分が成長できるほど何かをやり込めるかどうかです。この考え方は、次のサーフィンのたとえにつながっていきます。
難しい波に乗り続ける「波乗り思考」
すがけんさんは、簡単に乗れる波は誰でも乗れる波だと話します。新しく来るいい波は難しく、最初は努力しないと乗れない。誰もやらない中で何度も挑むうちに、次のいい波に乗れる人間になっていくといいます。
このやり込む力の例として、すがけんさんはMoonshotでの仕事量を挙げます。コンサルタントが年4件のプロジェクトを20年続けても80件なのに対し、自分は年間10社の支援と20社ほどへの投資で年30社、7年で210件の問題解決に関わってきたといいます。
年4件×20年で、生涯80プロジェクト
支援10社と投資先20社で年30社×7年、計210件
8年前には誰もアドバイザーを名乗っていなかったのに、今はアドバイザーだらけだとすがけんさんは話します。伸びた市場は他の人に任せ、やり方は友達や発信で教え、自分はまた「訳のわかんない方」へ行きたいといいます。
訳のわかんない方行きたいですよね、やっぱ本当に。そこは僕みたいな学歴がなくても能力がなくても頑張ればできるマーケットだから。
最後は綺麗に乗るより「うわ、溺れた」で終わるだろう、それでも過程が楽しいからいい、とすがけんさんは笑います。
サーフィンにたとえた背景には、プロサーファー1期生の知人から聞いた話がありました。サーフィンが流行らないのは、あらゆるスポーツの中で「なんとなくできる」になるのが一番難しいから。ただ、できるようになると楽しく、もっと難しい波も来るのだといいます。すがけんさんは、この話が今の感覚に影響しているかもしれないと、話しながら初めて気づいたそうです。
川原卓巳さんの原点、山手線で言われた一言
人との出会いの話を受けて、川原さんは自分の原点を語ります。インターン先のマクロミルで役員まで務めた篠田さんのプレゼンに衝撃を受け、その人の近くで働きたい一心でインターンに受かったといいます。
営業回りで山手線に乗っていたとき、篠田さんに「今何考えてる?」と聞かれた川原さんは、次のアポでの提案をイメージしていると答えます。返ってきたのは「全然ダメだわ」という言葉でした。
(篠田さんに)「こうやって移動してる時に、この広告見て、なんでこの場所にこれが置かれてて、なんでこのデザインでこの言葉なんだっけ?って、周りから全て得られる情報が今の市場感なんだ」と。
川原さんはこの一言から、世の中に興味を持ち続ける人間でありたいという思いが根っこに残ったといいます。ただし広告の仕事には就かず、広告に影響を受ける「人」の側に興味を持ちました。
すがけんさんは、同じインプットでも大半の人が広告に行く中で、人と違うアウトプットを選べたことが大きいと応じます。川原さんも、そこが自分の特殊性になったと振り返りました。
すがけんさんはこれを、スタートアップの東大生の話と同じだと整理します。みんなが合理的に選べるものは供給過多になるため、小さくても伸びる需要と、誰も来ない供給を見つけなければいけないといいます。
最高ではなく「唯一」で1番になる
すがけんさんが「こんなんセルフプロデュースの話で合ってました?」と確かめると、川原さんは、セルフプロデュースを一番削ぎ落とすと「唯一無二になれ」だけだと答えます。
人と比べて1になる最高はやめて、唯一で1になろうって思ってるんで。
すがけんさんによると、「最高」で1番を目指すと2位や3位が値下げしてくるうえ、競合が多くて1番にはなかなかなれません。「唯一」なら、あなただけと言われていい仕事ができ、値段もいい値になるといいます。
人と比べて上を目指す。競合が多く、2位・3位の値下げにもさらされる
あなただけと言われて仕事が来る。いい仕事になり、値段もいい値になる
ただし、すがけんさんは注意点も挙げます。面白さを追いすぎて需要のない唯一になってしまうケースです。川原さんはそれを「こじらせ」と呼び、「ただの孤独になっちゃう」と言い表しました。
すがけんさんは、上手なプロデューサーとは唯一性を担保しながら市場も見られる人だといいます。川原さんも、イケてるものや市場の流れを呼吸するように感じていることが自分の強みだと話します。
すがけんさんが例に挙げるのはネイリストやコンビニです。資格を取ってなる人が多い職業や、流行っている店の隣に出すコンビニは、供給が増えて客を分け合うことになり、入ってきた側も損をするといいます。
こだわりと柔軟さを両立するチューニング
川原さんは、唯一性と市場の接点の一番いいところに自分を置き、時代とともにずれていくそれをチューニングし続けられるかどうかが、セルフプロデュースの才能だと語ります。
すがけんさんは、セルフプロデュースが一番難しいのは自分のことだからだと指摘します。他人に客観でアドバイスするのと、主観で自分を見るのとでは大きく違うといいます。
すがけんさんは、以前の伝統工芸の回で話した「何を残すか」と同じ話だと応じます。川原さんは、柔軟性と確固たる信念の共存は感覚の話だからこそ、身につけられるはずだと話します。
すがけんさんも、電車に乗っている時はこう見ろ、というようなルールやルーティーンをつくれば、マーケット感覚は意外とつかめると同意しました。
終盤、川原さんは、2人が経験してきたことをもっと使ってもらえる形にしたいと語ります。お悩みに答えることや、直接来てもらって答えるイベントも検討したいと話し、すがけんさんは、今まさにやろうとしている人の相談に答えれば、その人は少なくとも変わるから効率がいいと賛成しました。
まとめ
すがけんさんのキャリアは、工場勤めからの「逃げ」に始まり、ガラケー、アドテク、アドバイザーと、需要はあるのに供給が少ない場所を選び続けてきた歩みでした。川原さんはそれを「唯一無二になる」というセルフプロデュースの本質と重ね、こだわりと柔軟さを両立させながら市場との接点をチューニングし続けることの大切さを示しています。
- セルフプロデュースには「今をどう見せるか」と「次にどこへ進むか」の2つの方面がある
- 需要があって供給が少ない場所なら、能力や学歴に関係なく頑張れば結果が出て、仕事に名前がつく
- 難しいけれどいい波に挑み続けることで、次の波に乗れる自分になっていく
- 目指すのは「最高の1番」ではなく「唯一の1番」。ただし需要のない唯一は孤独になる
- 絶対に手放さないこだわりと、時代に合わせて変える柔軟さの両立がセルフプロデュースの要になる


