2週間の休止明けと、荒木さんの新刊に寄せた帯
超相対性理論はこの回で、2週間ほどの休止から復活しました。渡邉康太郎さんのスケジュールの都合で収録に穴が開き、その間に荒木博行さんは、今回のゲストである神田大介さんを自身のVoicyに招いて、2人だけのウォーミングアップ対談をしていたといいます。
冒頭では、荒木さんの新刊の話題も出ます。東洋経済から出る本の帯を、渡邉さんと龍之介さんが書くことになり、渡邉さんは短納期でゲラを読んだそうです。
渡邉さんは、荒木さんの新刊を、成長をマッチョに肯定するのでも、成長しなくていいと開き直るのでもない本として紹介しています。
成長を肯定して、ただマッチョに行くとか、システムをハックするとかでもなく、それでもただただ成長しなくていいと開き直ったり、弱さを礼賛するってだけでもなく。
いろんなモードを俯瞰しながら、その時々に落ちた成長のあり方について、一つずつ深掘りするみたいなね。読み応えありでございました。
荒木さんによれば、この本のベースには超相対性理論での対談もあるそうです。渡邉さんは読み終えたあと、本の中の「単純化」と「複雑さ」をめぐる構造について、さらに考えを深めています。
単純化する
成長を目指すため、一度物事を単純化する
ズームアウトする
エコシステム全体が視野に入ってくる
複雑さを引き受ける
世の中は非常に複雑だと認める段階
そのうえで渡邉さんは、順番が逆にも見えるという「矛盾する気づき」を語ります。世界を複雑だと認めた人しか、あえて単純化できないのではないか、という視点です。
世の中は複雑すぎるから、一度これにフォーカスしてみようっていう風に決めるのって、それはそれで結構勇気がいるような気もするんですよね。
ゲスト・神田大介さんはどんな「ポッドキャストおじさん」?
今回のゲストは、朝日新聞の神田大介さんです。荒木さんとは昭和51年生まれの同い年で、Voicyでの対談が初対面だったといいます。
神田さんは2000年に朝日新聞へ入社した記者で、取材歴の多くは犯罪や事件だそうです。特派員としてはイランの首都テヘランに3年7ヶ月駐在し、中東全域を取材していました。
現在の神田さんは、2020年に朝日新聞社が始めたPodcast制作に立ち上げから関わり、6年目を迎えています。肩書きはチーフパーソナリティです。
私の出演している番組の数っていうのも2500本ぐらいみたいな。はい、ポッドキャストおじさんです。
荒木さんは、対談後にサムネイル用の写真を撮った際、神田さんが見せた表情とポーズを絶賛しています。渡邉さんも、両手でガッツポーズをする写真や、狐の影絵のような手の写真を見たそうです。
荒木さんが、社内で一目置かれる存在なのではと水を向けると、神田さんは自分を「単なる平社員」と表現します。
一切出世しないんですけれども、なんていうか、自分のやって楽しい仕事っていうのはずっとさせてもらってるなと思いますね。
荒木さんは、とっつきづらく怖いおじさんばかりの職場はつらいとして、神田さんのようなおじさんが社内に多くいることの大切さに触れています。
「ダチ公主義」とは何か?イデオロギーを友達づくりのツールとみる視点
神田さんが持ち込んだテーマは「世の中ダチ公主義すぎるのでは?」です。ダチ公とはヤンキー的な言葉で友達のことで、渡邉さんは一度も使ったことがないと笑います。
神田さんの問題意識の出発点は、Podcastでイデオロギーを扱う難しさです。保守とリベラル、右翼と左翼のように意見が対立するテーマでも、落ち着いた環境での本気の議論はなかなか見られないといいます。
神田さん自身は、朝日新聞にいることもあって左翼リベラルだと見られ、自認としてもそうだと話します。そのため、右翼や保守の人に番組出演を頼むと、断られることが多いそうです。
朝日新聞とつるんでるみたいなのが、右翼、保守の人にとってマイナスなんですよね。
神田さんは、出演を断る保守側の人の事情もわかると言います。そして、その背景にあるのが「ダチ」なのではないかと考えました。
神田さんは、右が好きか左が好きかという違いを、食べ物の好き嫌いや、野球でタイガースとジャイアンツのどちらを応援するかに近いものとたとえます。違いはあっても所詮その程度で、本質的にはダチとつるむためのツールではないか、という見立てです。
辺野古沖の事故はなぜ「ダチだから」と結びつくのか?
神田さんは、自身が左翼リベラルを自認するため左側の例を出すとしたうえで、右翼保守側も全く同じだと断っています。そのうえで挙げたのが、沖縄の辺野古沖で高校生を乗せたボートが転覆した事故です。
神田さんの説明によると、この事故では女子生徒と船長の2人が亡くなり、安全管理が徹底していなかったのではと言われています。船長は牧師で、思想的には左翼、共産党とのつながりも指摘される人物だったといいます。
辺野古では、普天間などにある米軍基地を移設する工事が進んでおり、それに反対する運動があります。基地が沖縄に集中しすぎているという考えに立つ運動で、船長はその中心人物の一人で、仲間内では「海のガンジー」と呼ばれ、ボートの名前は「不屈」だったそうです。
神田さんは、沖縄の地元紙琉球新報 ── 沖縄県の地元紙の一つ。県内で沖縄タイムスと並ぶ主要紙として知られ、基地問題などの報道を多く手がけていますの報道として、船長が過去に仲間の女性へ性暴力を振るっていたことに触れます。神田さん自身が裏を取った話ではないとしつつ、被害者の証言にもとづく報道で、高速道路での煽り運転の話もあったと紹介しています。
報道によると、船長には運動に関わらない方がいいという声かけもあったものの、そうはならなかったといいます。神田さんは事故との因果関係はわからないとしながら、疑問が残ると話します。
多分みんな薄々気づいてたんじゃないかなと思うんですよ、周りの仲間の人たちは。だけど、それが見過ごされちゃうのは、ダチだからっていうことなんじゃないかと。
神田さんは、リベラルの界隈では映画監督などの性暴力の話もしばしば出てくると指摘します。同じことを信じているという連帯にイデオロギーが使われ、本来は排除されるべき人が見過ごされてしまう構造だと考えています。
内田樹さんと上野千鶴子さんの投稿に、神田さんは何を見たのか
神田さんは、同じ構造が学者にも見られるといいます。専門分野では右に出る者がいないほど勉強している学者でも、徒党を組み、自分の仲間の学者が批判されると「理不尽じゃないの?」とかばうケースを目にしてきたそうです。
神田さんは、自分の言葉に責任を持つためとして、若い頃からのヒーローである内田樹 ── フランス文学者、思想家。武道家としても知られ、社会や政治について多くの著書やSNS発信を行っていますさんと上野千鶴子 ── 社会学者。日本のフェミニズムやジェンダー研究を代表する一人で、女性学の第一人者として知られていますさんの名前を挙げます。今でもめっちゃリスペクトがあるとしたうえでの指摘です。
内田さんの6月28日の投稿について、神田さんは一文ずつ読み上げ、途中までは「そういう考えもあるでしょうね」と受け止めています。問題にしたのは、高市政権の人たちが日本は滅びてもいいと思っている、という最後の部分です。
これは言い過ぎだと思うんですよ。
彼が言ってる高市早苗さんとか高市政権の人たちが日本が滅びていいと思っているっていうのは当たらないと思います。
上野さんについては、共同親権をめぐる「日本の男に共同親権は100年早い」という投稿を挙げます。神田さんは、DVの多くが男性によるという事実は認めたうえで、男性を一般化するやり方はジェンダーの考え方が一番やらないことではないか、と疑問を示しています。
神田さんは大学生の頃から女性学を学び、ジェンダーの問題に関心を持ち続けてきたそうです。だからこそ「上野さんそれはないぜ」と感じたといいます。
上野さんの周りにいる人たちとかは、さすが上野さんって言ってくれるんだろうな、さすが内田さんってなるんだろうなって思っちゃうんですよ。
神田さんは、内田さんに会ったことはないので理由はわからないとしつつ、学問的な正しさやファクトより「お仲間大事」という価値観で動いていないかと勘ぐると話します。
神田さんはこれを「ちょっと極端な話」と自ら位置づけ、ここでの意見は自分のものでお二人とは関係ない、とも断っています。
なぜ是々非々で議論できないのか?渡邉さんの3つの仮説
渡邉さんも基本的にリベラル側だとしたうえで、理想は誰が何を言っても、個別の発言や政策案を是々非々で議論できることだと話します。リベラルの発言がおかしければ、リベラルの内側からしっかり批判するのが筋だという考えです。
渡邉さんは、神田さんが内田さんの投稿を一文ずつ部分的に肯定しながら、最後の一文にだけ異議を唱えたことを、まさにその態度だと評価しています。
そのうえで渡邉さんは、世の中で是々非々の議論がなかなか成り立たない理由として、3つの仮説を挙げます。
認知のコスト
解像度の高いコミュニケーションはコストが高く、人を「保守寄り」「リベラル」と単純化した方が楽になる
見え方の問題
個別に批判すると自分が反対側に見られるのでは、というブレーキがかかる
感情による論理の崩れ
仮想敵を作ると感情的になり、主張の最後に飛躍が生まれる
渡邉さんは、3つ目の論理の崩れはむしろ結果かもしれず、1つ目と2つ目の理由があるからこそ3つ目が起こりやすくなるのではないか、と整理しています。
各論では個別事例を批判したいんだけど、総論でリベラルを批判する立場に回りたくないみたいなブレーキがかかっちゃうみたいなのはありそうだなと思うんですよね。
小さなイエスの積み重ねが、なぜ反論を自己否定に変えるのか
荒木さんは、言論空間が機能しないのは是々非々ができなくなっているからだという点に、根本で同意します。ただし荒木さんには、組織の中で自分自身も同じ状況にいたという当事者感があるといいます。
荒木さんが例に挙げるのは、スタートアップの創業者社長が少し変なことを言ったときの反応です。そのコミュニティにいたいから、つい飲み込む癖がついてしまうそうです。
小さなことを飲み込んでいくと、だんだん大きなことのツッコミができなくなるみたいなことって、僕も生身で感じたことがあるので。
荒木さんによると、こうした積み重ねの先では、感覚を麻痺させたほうが楽になり、仕事も早くなって出世しだすというサイクルが生まれるそうです。
小さく飲み込む
コミュニティにいたいから、社長の小さな違和感を飲み込む
小さなイエスの蓄積
飲み込んだ歴史が積み重なる
反論が自己否定に
反論すると、イエスを重ねてきた自分まで否定することになる
感覚の麻痺
考えないほうが楽で仕事も早くなり、出世しだす
渡邉さんは、企業でよく掲げられる「議論段階ではノーを挟むが、決まったら同じ方向に向かう」という標語にも触れます。標語としては正しくても、信じられないことをプロフェッショナリズムで運ぶのは精神的な負担が大きいといいます。
「ノー」と発言するのも重いし、「ノー」を飲み込むのも重いっていう、両方辛いジレンマの中に置かれてしまうってのって結構あるよね。
荒木さんは、そのジレンマに置かれたとき、是々非々を考えないという「感覚を麻痺させるスキル」がついてしまうと応じています。
外から批判するより自分を救う問いへ、そして敵を欲する心理
神田さんは、2人の話を聞いて怖い話だと感じたといいます。スタートアップは自由闊達に議論している場だという勝手なイメージがあったので、役所のように言葉を飲み込んでいることに驚いたそうです。
荒木さんは、これはスタートアップに限らず、人間が作る組織の多くがそうなりがちだと答えます。神田さんが「ダチ公文化」と呼んでいるのもそれかもしれない、という受け止め方です。
神田さんが「このままでいいのか」と問うと、荒木さんは良いとは思わないとしたうえで、自分の立ち位置を語ります。
外側から「それって良くないですよね」って批判することそのものにあんまり意味がないというか。自分自身も当事者であるっていう感覚すごくあるんで。
その自分をどういうふうに救済できるかなっていう感じの、僕にとってはそういう問いですね。
渡邉さんは別の派生として、自分のコスト論だけでは足りないかもしれないと話します。ソーシャルメディアで日々炎上が起きているのを見ると、人はむしろコストを払って誰かを攻撃しており、敵認定そのものが報酬になっている可能性があるからです。
単純化して一緒くたにすれば、認知の負担が下がる
共通の敵を作ると結束が強まり、正しさが確認できて快感が生まれる
僕たちは誰しも、知らないところで無意識的に敵を探してしまっている可能性みたいなのがある。
荒木さんはこの視点に強く同意し、続きを話したいとしつつ、初回はここまでを頭出しとしました。渡邉さんは「1周目から2.5周目くらいまで行けた」と手応えを語り、次回以降に議論は持ち越されます。
まとめ
神田大介さんを迎えたこの回では、イデオロギーの本質は友達とつながるためのツールではないかという問いから、仲間の誤りを批判できない構造が語られました。辺野古沖の事故や学者の投稿という具体例を経て、渡邉さんの仮説、荒木さんの当事者としての経験へと議論が広がっています。
- 神田さんは、イデオロギーの本質は「ダチとつるむためのツール」ではないかと問題提起した
- 渡邉さんは、是々非々が崩れる理由を認知のコスト・見え方・感情による論理の崩れの3つで整理した
- 荒木さんは、小さなイエスの積み重ねが反論を自己否定に変え、感覚の麻痺を生むと当事者として語った
- 渡邉さんは、敵認定そのものが報酬になり、人は無意識に敵を探している可能性も指摘した



