最終回で残った感覚は「恥ずかしさ」
室越龍之介さんをゲストに迎えた「自分の肩書き、どう使ってますか?」シリーズは、今回で4週目、最終回です。渡邉康太郎さんが「体に残っているもの」を尋ねると、室越さんは「恥ずかしさ」と答えました。
もうちょっと自分の人生に責任を引き受けるっていうのをやっていかないといけないんだなっていうのを、人生の同じタイミングでいろいろな方向から言われているなと。
肩書がどうのじゃないよって、お前が何者になるんだっていう話だなっていうふうなことを反省しているところです。
渡邉さんは、自分に厳しい矢印を向けることは「一個の胆力」であり、逃げるほうが簡単だと受け止めています。
続いて渡邉さんは、前回の議論を振り返ります。社会学者ゴフマン ── アメリカの社会学者アーヴィング・ゴフマン。日常の相互行為を演劇にたとえ、人は表舞台と舞台裏を使い分けながら自己を演じていると論じましたの考えを借りると、肩書きはフロントステージでの役柄で、役柄を演じるうちに役柄そのものが自分を作っていくという話でした。
そこから、荒木さんが「どこにも所属したくない」と語っていたのは、仮面が顔に癒着するのを防ぐためではないかという仮説が出ました。火の鳥 ── 手塚治虫の長編漫画。太陽編では、7世紀の日本で犬の顔の皮をかぶせられた男と、21世紀の管理社会の物語が交差して描かれます太陽編の犬の皮も、仮面の癒着の物語として語られています。
室越さん自身も、31歳で大学を離れて大分市役所で働いたとき、周りの話がわからないとついフィールドノートを取ってしまったといいます。破門されてもカンフーを使ってしまう男のように、人類学の癖が抜けなかったという話です。
前回はさらに、室越さんが「いろいろなフロントステージに即興で立たされている」感覚を持ち、「台本をください」という欲求を抱えていること、恩師から「責任を引き受けろ」と言われたことなどが語られました。
荒木さんが見つけた「名詞にならない自分」
最終回の冒頭、荒木博行さんは、室越さんとの対話を通じて自分がキャリアで求めてきたものの輪郭がつかめてきたと語ります。キーワードは「引き算」です。
自分をまず固定的に定義するというよりは、関係性に意識を向けたいなっていうところが多分あるような気がするのよね。
自分を固定的に名詞的に表現してしまうと、関係性が規定されてしまうので、それは絶対避けたいと。
荒木さんは、ジェームズ・ギブソンのアフォーダンス ── 知覚心理学者ジェームズ・ギブソンが提唱した概念。環境やモノが、そこにいる生き物にどんな行為の可能性を与えているかを指しますの感覚に近いと説明します。自分から提起するのではなく、その場が自分に何をアフォードしているかを考えたうえでセッションする、すべてが即興演技だという姿勢です。
荒木さんにとって、その即興の連続に他人がどんな名前をつけるかは「知ったこっちゃない」ことです。室越さんの「台本が欲しい」というアンチテーゼがあったからこそ、荒木さんは自分の欲求をはっきりさせられたといいます。
荒木さんと室越さんの欲求は、ちょうど正反対の形をしています。
セリフはいらない。その場のアフォーダンスに応じて即興でセッションし続けたい
台本が欲しい。台本なしで動くと、周りに傷つく人が出てしまう
室越さんはなぜ台本を欲しがるのか?
室越さんが台本を求める理由は、自分のためというより、台本なしで振る舞うと周りに傷つく人や痛みが出るからだといいます。
室越さんが挙げた例の1つは、もらったら返すという互酬 ── 贈り物を受け取ったら返礼するという相互のやり取り。人類学では社会関係を支える基本的な仕組みとして研究されてきましたの感覚の乏しさです。人から何かをもらっても「この人があげたかったからくれた」と受け取り、恩義を感じにくいといいます。
向こうは返ってくるもんだと思ってるじゃないですか。だからギャンブルみたいなもんで、いつか当たりが出ると思って入れちゃうみたいな。で、返ってこないからムカつくみたいなことが起きたりする。
もう1つは、「この劇では言わないことになっている」ことを言ってしまう癖です。室越さんは、ある職場で「それ全部エクセルの関数でやったら良くないですか?」と言い、一人分の仕事がなくなってしまったエピソードを語ります。
(エクセルの話は)みんなわかってて言わなかったわけですよね、そんなことは。
荒木さんが「空気が読めないということ?」と尋ねると、室越さんは話の難しさを説明します。室越さんは空気を読むのに聡い部分もあるため、周りからは「わざとやっている」と受け取られがちですが、本人は認知リソースが回っていなかっただけのことが多いといいます。
市役所の新任研修で、マナー講師にワイシャツの下の黒い下着を注意された話も出ました。講師が何を嫌がったのかを事前に察知できなかったことが、台本が欲しいという気持ちにつながっているといいます。
多分そのビジネスの現場とかで求められている能力と、この人を傷つけてしまう能力は同じものなんだと思うんですよね。
荒木さんは、室越さんにとっては枠組みを与えられたほうがパフォーマンスも上がり、その枠組みが「イオンとかで売ってたらいいのに」という感覚なのだとまとめます。室越さんは、会社ごとに「リーダーの無能さを暴露してはいけない」のか「あえて指摘して自己変容を促す」のかが、あらかじめわかればいいのにと応じました。
台本を得たら人類学はできなくなる?
荒木さんが「ようやく見えてきた」と言う一方で、渡邉さんは「全然見えてないかもしれない」と問いを投げます。過度に社会へ適合しないからこそ、人類学者は異邦人の目で周りを観察し続けられるのではないか、という指摘です。
台本を得た瞬間にホームになっちゃって、もはや人類学ができなくなっちゃうことと同義なのでは?その悩みって成立してるっけ?
室越さんは「いいとこ言うね」と受け止め、自分の推論を整理し直します。肩書きを自然に名乗れる人は、帰属集団の「ワン・オブ・アス」だという感覚を持ち、その集団の台本を無意識に持っているのではないか、という仮説です。
(人類学者と名乗れないのは)人類学者と名乗るということが重大なヘマにつながるのではないかという恐怖感があるということかもしれないですね。
荒木さんも、異邦人的な役割で集団に入り、没入と俯瞰を繰り返しながら、別の言語で記していくのが人類学者ではないかと重ねます。
室越さんは、髭と長髪にも実はその役割があると明かします。硬い会社にスーツと短髪で行くと「仲間」だと思われますが、今の格好なら「この人には言ってもしょうがない」と許容度が上がった状態でプロジェクトを始められるといいます。
ビジネスパーソンの仲間だと思われ、同じ台本を期待される
話が通じない人と見られ、許容度が上がった状態でプロジェクトを始められる
「キューバ帰りの常識知らずのおじさん」という名乗り
議論を受けて、荒木さんは結論として「文化人類学者たれ」ということではないかと切り出します。渡邉さんが当初から言っていた「名乗っちゃえばいい」という話への合流です。
中途半端にそっちのコミュニティの世界もわかる人なんですみたいな顔を頑張ってしようとするから事故るわけだって。
キューバ帰りのわかんないおじさんですみたいな。でもその知見はマジディープですよっていう方がなんかコラボはしやすいような気するけどね。
室越さんは「名乗りをするのであり、それで怒られても引き受けるのである」と納得し、荒木さんの言葉をそのままキャッチコピーにしたいと笑います。「キューバ帰りの常識知らずのやばいおじさん。知見はディープです」という案に、渡邉さんは「名刺なが」と返しました。
それでも師匠に申し訳ないという気持ちが残るなら、と渡邉さんは別案を出します。「研究者(人類学)」や「独立研究者(人類学)」とすれば、人類学者と名乗らずに済み、ギリギリ両立するかもしれないという提案です。
室越さんはこの案を「思いつかなかった」と喜び、さらに先輩のもとで博士課程をやり直すことも考えていると明かしました。
室越さんは「お前の自意識の問題だからどうにかしろ、という結論になって申し訳ない」と恐縮します。渡邉さんは、この3人は全員何かに縛られたくない中二的な感覚を持っていて、聴いている人もどこかにそれを持っているはずだと語ります。
アイデンティティの空白と「救い」の市場
室越さんは話を社会へ広げます。21世紀の日本で、自分のアイデンティティに不安を覚えずに生きている人はあまりいないのではないか、という問題提起です。
室越さんは、ポピュリズム的なものの流行や世論の右傾化の背景にも、アイデンティティの不在や空白への恐れがあるのではないかと慎重に語ります。
僕は人生の中で初めて自分が日本人だなと思ったのは、海外に行ってキューバにいたから。キューバにいると、どうしたって日本人として扱われるし。
キューバで台本がわからず困ると、室越さんは「神秘の東洋」のように振る舞い、突然スペイン語がわからなくなって難を逃れたこともあったといいます。そうした経験を通じて、日本人であることを実感せざるを得なかったそうです。
室越さんによれば、実感抜きでアイデンティティを育てようとすると空虚なものになりかねません。一方で社会からは、あなたは誰で何ができるのかを常に要求される。そこにつらさがあるといいます。
荒木さんは、誰もが所属して安心したい一方で、今の環境にフルコミットしていいのか迷うものだと応じます。推し活へののめり込みもその欲求の表れで、朝井リョウ ── 日本の小説家。『桐島、部活やめるってよ』『正欲』などで知られ、現代人の欲望や生きづらさを描く作品が多くありますがそれを「インザメガチャーチ」で書いていたと触れました。
室越さんは荒木さんの話を受けて、人々が「救い」と感じているのは、帰属意識やアイデンティティを与えてくれるものなのだと気づいたといいます。これを読めば、これを聞けばあなたはこうなれる、というものを、みんなが求めているという見立てです。
異邦人の自分は好きか、そして何ができるのか
終盤、渡邉さんは室越さんに、異邦人や道化のような自分を好きかどうかを尋ねます。室越さんの答えは「割と自由で楽」でした。
僕が自由好き勝手にやることによって周りの人が辛いのはちょっとやっぱ良くないと思ってるので、うまいことやっていきたいっていうところかもしれないですね。
室越さんは、ちゃんと食べていきたい、自分を「買ってほしい」という本音も添えました。そこで渡邉さんが、最後に室越さんにどんなことができるのかを尋ねます。
室越さんはまず「どこに行っても、いることしかやっていない」と答え、そのうえで具体的な仕事を挙げました。
PMI ── Post Merger Integrationの略。企業の合併・買収のあと、組織や業務、企業文化などを統合していくプロセスを指しますの文化統合や経営者の壁打ちでは、南米の民族の話をされて「どうつながるんだ」と思いながら聞いている、と顧客の社長が話していたこともあるそうです。
渡邉さんは室越さんの仕事を、第三者の視点が入ることで暗黙知が言語化され、社内だけでは省略しがちな知や癖や文化が見えるようになるきっかけを作るものだと言い換えました。異邦人であり続けることそのものが価値になっている、という整理です。
まとめ
全4回の最終回では、「台本が欲しい」室越さんと「セリフはいらない」荒木さんの対比から、肩書きを名乗れない悩みの正体が浮かび上がりました。台本を持たず、ヘマをしながら外の目で観察することこそ人類学者の仕事ではないか、という問いが、名乗りを引き受ける方向へ室越さんの背中を押しています。
- 荒木さんは、自分を名詞で固定せず、場のアフォーダンスに応じて即興でセッションしたいと気づいた
- 室越さんが台本を求めるのは、台本なしの振る舞いで周りを傷つけたくないからだった
- 渡邉さんは、台本を得てホームになれば人類学はできなくなるのではと問い、「ヘマし続けることが唯一の仕事」と返した
- 「研究者(人類学)」という名乗り方や博士課程のやり直しなど、肩書きを引き受ける具体策も語られた
- アイデンティティの空白への不安が、推し活や「救い」を求める社会の動きにもつながっているという見立てが示された



