チェンマイと締め切りの間で始まる収録
収録はゴールデンウィークに入ったタイミングで行われました。渡邉康太郎さんは仕事の出張ではなく個人的な滞在で、タイのチェンマイから参加しています。
渡邉さんはチェンマイのホテルに滞在しながら、本を読んだり原稿を書いたりと、ワーケーションのように過ごしているそうです。初めて訪れたチェンマイは建物が低く緑も多く、のんびりできて心地よいと話します。
ローカルフード全て美味しいんだけど、唐辛子の量が結構尋常じゃないから、胃がもたれています。
一方の荒木博行さんは仕事が立て込み、日本で締め切り間近の本を書いている最中です。荒木さんもどこかへ行きたい気持ちはあるものの、場所を離れると別のことをしたくなるという悩みを打ち明けます。
場所離れたら離れたで違うことやりたくなっちゃう。タイにいてホテルの中いるのももったいないなみたいな感じ、あるじゃん。
渡邉さんの工夫は、出かけるのは1日1か所に絞り、読みたい本とやりたい作業を最初から決めて持ってくることだといいます。
新書がカビる?『僕たちは伝統とどう生きるか』の帯と刊行の舞台裏
この回のゲストは、東京・下北沢で発酵デパートメント ── 小倉ヒラクさんがオーナーを務める、下北沢の発酵食品専門店。全国各地の発酵食品を扱っていますを営む発酵デザイナーの小倉ヒラクさんです。講談社現代新書から新著『僕たちは伝統とどう生きるか』を刊行したばかりです。
渡邉さんは、ヒラクさんの執筆を傍から見守っていました。途中から届くメッセージが「今ジョージアにいて最終章を書いています」になり、執筆の最終段階で場所を離れて視点を切り替えることがあったのかもしれない、と荒木さんの話に重ねて振り返ります。
新著の帯は、渡邉さんのコンテクストデザインによって作られたものだとヒラクさんは明かします。講談社現代新書は色付きの正方形が真ん中に置かれる決まったフォーマットですが、今回は表紙の7〜8割が帯になり、そこにカビが広がっていくような意匠が施されています。
新書なのに、いきなり出てカビるっていう。
ヒラクさんから帯の相談を受けた渡邉さんは、ゲラも読んでいました。冒頭付近のプラトンとアリストテレスといった参照は変わらないまま、書きぶりや前後の雰囲気が更新されていく原稿を、ライブ感を楽しみながら読んでいたといいます。
刊行前には、VALUBooks ── 古本の買取・販売を中心とするオンライン書店。新刊の販売企画なども手がけていますと組んで事前予約を受け付け、予約者には所定の刊行日より少し早く届ける企画を行いました。
最終的には2000冊、ちょうど2000冊ぐらいで。その2000冊が出版社としては全く想定してなかったので、その分増刷するっていうことになったんですけど、それはすごい嬉しかった。
番組のリスナーがスタッフに?ヒラクさんと二人の縁
ヒラクさんは改めて自己紹介し、超相対性理論のリスナーには自分を知っている人が多いはずだと話します。ヒラクさん自身もポッドキャスト『ただいま発酵中』を配信しており、そのリスナーの多くが超相対性理論も聴いているそうです。
そこ(発酵デパートメント)にいるスタッフも超相対性理論を聞いて、発酵デパートメントのことを知って、面接に来て働き始めた子とかも。
荒木さんとヒラクさんは以前、早稲田のゼミ展で1時間ほど一緒に過ごしただけでした。渡邉さんとヒラクさんの付き合いは長く、10年前くらい、ヒラクさんが山梨に移住した少し後に、ヒラクさんの案内で発酵の作り手を訪ねる取材をNTT都市開発と行ったのが始まりの一つだといいます。
その後、渡邉さんとヒラクさんは仲間と「発酵文学研究会」という読書会を開いてきました。岡倉天心の『茶の本』や『茶経』、『人間の土地』、『笛吹川』など、小説からノンフィクションまでを読み、公開はせず自分たちのために語り合っていたそうです。
コロナ禍には、渡邉さんが神宮前近辺から下北沢まで歩いて発酵デパートメントへ自炊用の食材を買いに通っていたといいます。荒木さんが「友達付き合いって感じ」と尋ねると、渡邉さんは「ほぼそんな感じ」と答え、互いのラジオ番組に出演し合う「ラジオ友達」でもあることが語られました。
伝統は今大事にすべきなのか?ヒラクさんが持ち込んだ問い
この番組では毎回ゲストに問いを持ってきてもらいます。ヒラクさんが持ち込んだテーマは「今を生きる伝統とは何か」です。
僕も本書いたものの、まだ完璧な答えが見つかりきってない。
ヒラクさんは、問いをさらに具体的に分解して投げかけます。
- 伝統って今大事にすべきなのか
- 伝統芸能や伝統工芸をやっていない人にも伝統は関係あるのか
- 伝統がなくなった世界はどんな風になってしまうのか
「守る」でも「騙されている」でもない伝統論
ヒラクさんは東京でデザイナーをしていた経歴を持ち、家系として伝統と関わる人生ではありませんでした。20代半ばから発酵に関わり始め、伝統の価値の中に身を置くようになったといいます。
ヒラクさんによれば、これまでの伝統論は「伝統を大事にしよう、守ろう」という立場か、「伝統は政治的に作られたもので騙されている」という立場のどちらかでした。新著が目指すのは、そのどちらでもない第三の向き合い方です。
伝統を大事にして守ろうとするか、政治的に作られた歴史だと批判するかの二択
伝統と直接関係ない人が今を生きるために使え、未来にも役立つ向き合い方や使い方を探す
執筆の背景には、発酵デパートメントでの切実な経験があります。2年くらい前から、各地のメーカーから「商品を卸せない」という連絡が相次ぐようになったのです。
複合的な異変
気候変動で魚が取れず魚醤が作れない、後継者がいない、祖父の代からの機械を直すメーカーがない
作るインフラの喪失
需要の問題だけでなく、作る人・環境・インフラそのものがなくなっている
作れないピンチ
各地のメーカーから商品を卸せないという連絡が相次ぐ
ヒラクさんの根本の動機は、地域で物作りを続ける友人たちが、なぜ大変な状況でも作り続けるのか、その潜在的な意味を本を通じて一緒に探すことでした。
受け取られ方としては、かなり思想書みたいに読まれてるみたいなんですけど、僕としてはもう誰に読んで欲しいか明確で、各地で物作りに関わっている人たちに向けて書いた本です。
ヒラクさんの新著が思想書として読まれるのは、伝統を原理から考える言論にしたかったからです。本はプラトンとアリストテレスに始まり、ガダマー ── 20世紀ドイツの哲学者。解釈学を発展させ、伝統や先入見が理解の前提になると論じましたやハイデガーといった現代哲学を経て、日本の近代史へ進みます。
近代日本で伝統が国の政策や植民地政策にどう関わり、戦後にどうタブーになったのか。その流れを踏まえたうえで、今伝統をどうするかを原理的に考える構成になっています。
大文字の伝統と小文字の伝統は、組織論にも響く?
荒木さんは新著を思想書として読み、「大文字の伝統」と「小文字の伝統」という2つの切り口に考えさせられたと話します。伝統には良い側面と悪い側面があり、良い伝統とは何かを考えるきっかけになったといいます。
会社が何者なのかみたいなことはちゃんと残したいんだけれども、しかし教条的になりたくないみたいな。でも上から押し付けられてしまって、ちょっとうざいよねみたいな。
荒木さんは、こうした組織のコンフリクトを考えるうえで、新著が良い補助線になると評価します。ヒラクさんはこの「ビジネス読み」を新鮮だと受け止めました。
渡邉さんは、新著の大文字と小文字の伝統の区別に、自身の考えとの共鳴を見ています。大文字の伝統は権威・国家・血統・文字記録、小文字の伝統は伝承・行為・手の中に宿るローカルなものです。
渡邉さんによれば、この区別は自著で書いた「一等星と六等星」、つまり社会的に価値があるとされるものと、取るに足らないが個人にとって意味のあるものとの対比と相似形だといいます。「あらゆる創作は模倣の失敗である」という渡邉さんの言葉も、伝統の継承と響き合うかもしれないと話しました。
渡邉さんがもう一つ注目したのは、ヒラクさんの仕事の変化です。デザイナー時代は新しいものや外から来た特別なものを追い求めていたのが、発酵の世界ではその土地の足元にあった日常的なものを追う仕事に変わりました。
東京のデザイナー時代: 新しいもの、外の世界から来たもの、特別なもの
発酵の世界: その土地の足元にあったもの、日常的に親しまれてきたもの
渡邉さんはこの変化を、自著で扱ってきた「たった一人の交換不可能な表現」や「N=1のありよう」を受け止める考え方と、根底でつながるものとして読んだそうです。デザイナー、茶の湯の実践者として、どこまで伝統から逸脱できるのかを当事者として考えながら読んだとも語りました。
知識と知恵、そして浅草キッドの師弟関係
荒木さんは、人類学者インゴルド ── イギリスの人類学者ティム・インゴルド。人と環境、技術、線などをテーマに、身体的な知のあり方を論じていますが『人類学とは何か』で語る知識と知恵の違いが、大文字と小文字の伝統に近いと指摘します。
ものを固定化して説明し、力強く安定させるもの
現実を柔軟に受け止め、足の裏で感覚をつかみながら歩いていく行為
この辺のメタファーっていろいろなところですごく大事なような気がするし、どうしても知識に偏ってしまう僕らに対するウォーニングのような気もするし。
渡邉さんは最近、劇団ひとりが脚本・監督を務めた映画『浅草キッド』を見て、小説も読み始めたそうです。師匠の深見千三郎から若きビートたけしが芸を吸収する姿に、ヒラクさんの本を重ねていました。
渡邉さんによると、ヒラクさんの新著には発酵や民芸などさまざまなモチーフがあり、師弟関係の中で伝統が手渡されるという主題が繰り返し出てきます。杜氏とその弟子たちや、醤油蔵の6代目などがその例です。
生活を共にするってどういうことかとか、芸を盗むってどういうことかとか、師匠を乗り越えるって何なんだとか、伝えていくっていうのはどうやったら本当に可能なのかみたいなね。
落語心中が描く、うまくいかなかった継承
ヒラクさんは、執筆で直接参考にしたわけではないものの、世界観に強く影響を受けた漫画として『昭和元禄落語心中 ── 雲田はるこによる漫画。昭和の落語界を舞台に、落語家たちの芸と人生、継承の物語を描いた作品』を挙げます。
物語の舞台は、スマホが出る前の昭和の終わりです。昭和最後の名人と呼ばれる落語家・八雲のもとに、刑務所を出たばかりの青年・与太郎が転がり込んできます。
与太郎が落語を志したのは、刑務所の慰問に来た八雲の落語が面白かったことに加え、若くして姿を消した落語家・助六の落語を知ったからでした。社会のはぐれ者が、やがて大名人になっていく物語です。
八雲と助六は青年期を共に過ごした親友でした。しかし恋のもつれや性格の違いから、真面目な八雲は名人となり、助六は破門されて地方に流れ、事故で亡くなります。
真面目な八雲が落語家として大成し、昭和最後の名人と呼ばれる
助六が破門されて地方に流れ、事故で亡くなる。八雲の心の傷として残り続ける
八雲の弟子になった与太郎は、性格が違うため八雲の芸をそのまま継ぐことも、失われた助六の芸を再現することもできません。与太郎は自分なりの形で芸を体現していきます。
八雲のコピーも助六のコピーもできないんでって、時代の文脈に合わせて、助六でも八雲でもない新しい型を作るにはどうする?みたいな話なんだよね。
再現しようとして創造になってしまう、伝承のままならなさ
ヒラクさんは、友人の独立研究者・森田真生さんから聞いたデカルトの話を紹介します。デカルトは何かを創造しようとしたのではなく、古代ギリシャの幾何学を当時の時代に完全に再現しようとしたといいます。
ところが時代背景が違うため、古代ギリシャと全く同じことをしても再現にはならないとデカルトは気づきます。その結果、再現の試みが創造になってしまったという話です。
ヒラクさんによれば、落語心中にも「新しい落語を作ってやろう」という人物はほとんど出てきません。みんな先人の芸を継ぎたいと憧れを追いかけ、それが時代のさまざまな事情でうまくいかないところから、リアルが生まれるのだといいます。
ままならなさというか、理想的な伝承みたいなものってどうしても起こっていかないみたいな。その制約の中で結果的に生まれちゃう。
ヒラクさんが新著で考えたのは、ままならない伝承の仕方を肯定するための論理です。「こうなっちゃうんだよね」で済ませず、そうなる必然性があり、一見不安定なやり方にも考え方の軸があると示したかったといいます。
荒木さんはこの話に強くインスパイアされたと話し、初回はここで区切られました。次回は「今を生きる伝統とは何か」という問いをもう少し小さく分解しながら、この話を受けて展開していく予定です。
まとめ
初回では、小倉ヒラクさんの新著が生まれた背景と、伝統を「守る」か「疑う」かの二択を超えようとする狙いが語られました。落語心中やデカルトの例を通じて、伝統は完全なコピーではなく、継ごうとして継げないままならなさの中で新しい形が生まれるものとして浮かび上がりました。
- 新著『僕たちは伝統とどう生きるか』は、各地のメーカーから商品を卸せないという連絡が相次いだ危機感から書かれた
- 伝統論の二択ではなく、伝統と縁のない人が今を生きるために使える向き合い方を原理から探っている
- 大文字と小文字の伝統の区別は、組織文化やインゴルドの知識と知恵の対比にも通じる
- 落語心中が描くのは、先人のコピーができない中で、時代の文脈に合わせた新しい型が生まれる継承の姿
- ヒラクさんは、ままならない伝承を肯定するための論理を本で示そうとした


