道頓堀のショップ兼オフィスから始まる対話
番組冒頭、久下さんは江口さんを「関西のデザイナーコミュニティのキーパーソン」と紹介します。
緊張するワード。
2人の出会いは15年前。LGのスマホのコンペで知り合い、江口さんは金賞、久下さんは予選通過という間柄でした。六本木ヒルズでの表彰式を、2人とも懐かしそうに振り返ります。
収録場所は、3階建てで借りているスペースの1階。もともとは貸しギャラリーでしたが、利用者が少なく、ほぼ持て余していたといいます。
ほぼほぼ持て余してたんですよ。何もないガランとした、打ち合わせのためにテーブルだけ真ん中に置いて使ってて。でもさすがにもったいないなっていうので。
そこで去年の10月、少しだけ改装して店にしました。並ぶのは自身がデザインしたプロダクトのほか、知り合いのデザイナーや作り手の作品や商品です。
店を持って変わった「物を見る目」
店の商品はまだ多くありません。クライアントワークだけでは商品が増えにくいため、今後は自社商品を増やそうと考えていると江口さんは話します。
自社商品づくりのきっかけは、工場や作り手との会話から生まれることが多いといいます。話しているうちに「こういう商品も作れるのでは」というアイデアが出てくるのです。
クライアントワークにしようと思うと、相手もそれを物にしたいっていう気持ちがないとプロジェクトにならないじゃないですか。だからアイデアあるのに何もしないのはもったいないなと思って。
なかでも密にやっているのが、兵庫県西脇の播州織を手がける会社との仕事です。同世代の三代目と話すなかで、業界の厳しさや新しい素材づくりの相談から始まりました。
その会社の倉庫には、古いデッドストックの生地が大量にありました。買い手が見つからなければ基本は廃棄になると聞き、江口さんは「もったいない」と感じます。
めっちゃいい生地だし、デザインもいいしと思って。じゃあそれでちょっと一緒にカバン作りませんか、みたいな話をしたりとかっていうので。
技術的になくなっていくものや、廃棄されそうな素材で、可能性を感じるものを拾って形にして売る。それがこの2、3年の一番大きな変化だと江口さんは語ります。
その変化は、店を持ったことと結びついています。売り手になったことで、物を見る目そのものが変わったといいます。
前だったら誰々が何々デザインしましたって聞いて、くそいいデザインしやがってみたいな、悔しいみたいな気持ちしかなかったんですけど、今見たらめっちゃいい商品みたいな。
どんな客が訪れるのか
店に来る客は、SNSを見て来る人が最も多いといいます。道頓堀は難波から歩いて15分ほどで、周辺に宿泊する外国人も多く、そうした人たちは臆することなく入ってくるそうです。
久下さんは、その雰囲気を海外のギャラリーショップにたとえます。話題は香港や台湾のリノベーション文化へと広がります。
台湾のそういうおしゃれな店の影響は受けてると思って。躯体自体、建物自体はめっちゃ古いんですけど、中のインテリアをめちゃくちゃ工夫してオシャレにして、先進の台湾プロダクトを売ってたりとか。
一方で、日本人客の反応には特徴があるといいます。通りがかっても一度目は入らず、一度奥まで歩いてよく見て、別の日に戻ってくる人が多いそうです。
周りに同種の店が並んでいないぶん、ウインドウショッピングの流れでは入りにくいのかもしれません。この辺りは家賃が他のエリアより安く、広いスペースやインテリアを触れる空間を求める人が集まる場所だと江口さんは話します。
船からスニーカーまで、広がる仕事の振り幅
江口さんの仕事の振り幅は広く、久下さんはパワーエックスの船の仕事に触れます。話せる範囲として、江口さんはその仕事の位置づけを説明します。
船のお仕事はお手伝いさせていただいて、あれはいわゆるビジョンというかコンセプトですね。あの会社がこれから船で電気を運ぶ事業をするので、そのイメージを作るっていう感じの話で。
もともと江口さんは、6年ほど下積みしたデザイン事務所で、家電製品のコンセプトモデルばかりを担当していました。パナソニックやシャープなどからプロトタイプの依頼を受ける、外部の受け側の立場です。
ところが独立すると、そうした仕事はコネクションや信頼感のある事務所に集まると気づきます。独立1、2年目は、久下さんと知り合った頃も含めて仕事がなく、苦しい時期でした。
いざ物を作るって時に、全然作り方を知らないんですよ。だから工場の企画に行かせてもらって、教わりながら色々作らせてもらったりとか。
仕事を選ばないスタンスをとり続けて16年。今では信頼感が生まれ、依頼の範囲が広いぶん、さまざまな話が来るようになりました。
たとえばスニーカーの仕事は、業界の人ではないからこそ依頼が来るといいます。閉鎖的な世界でブレイクスルーを求める案件に呼ばれるのです。
なんで僕らなんですか、って聞いたら、いや、やったことないからです、みたいな。謎の構成でもらって。
船のような未知の分野も、勉強するうちに詳しくなり、港の貨物船を見て構造や工夫が読み取れるようになる。江口さんはその過程自体を面白がります。
外注先ではなく、パートナーとして伴走する
仕事はもの単体にとどまりません。企業の事業やブランディングの相談へと広がっていきます。しかもブランディングは、外向けではなく社員のモチベーションを上げるためのものだった、というケースもあるといいます。
事業者さんがインナーブランディングって言葉を知らなくて、外向けのブランディングをよくしたら社員さんがもっと活気づくんじゃないか、みたいなことを言われたりして。
BtoB企業のVIをつくるために、徹底したヒアリングを行うこともあります。関係者が思い描く未来を聞き、共通項を引っ張り出し、言葉や形、色にしていく作業です。
ものづくりの会社と仕事をすると、作る話と売る話とで盛り上がり方がまるで違うといいます。得意な話は弾む一方、売る話になると場が静かになる。そこを店を持つ自分たちが微力ながら支援するのだと江口さんは語ります。
久下さんは、この働き方を外注先ではなくパートナーとしての伴走だと言い表します。江口さん自身も、それが一番いいと同意します。
背景には、地方でデザイナーが「怖い」と思われがちな事情があるといいます。過去に無茶なスケッチを渡され、売るのに苦労した事業者の話をよく聞かされるからです。
話を聞いた結果、ものを作らない提案もあるといいます。ウェブの刷新やコミュニケーションツール、あるいは「そもそも僕らですか、もっと銀行とかじゃないですか」という助言まで含まれます。
久下さんは、収録前に大先輩と話した内容を紹介します。その人いわく、久下さんたちの世代のデザイナーは「族がない」といいます。
僕らの世代は本当に喧嘩するようなデザイナーが多いと。喧嘩師とか言われてる人がいたり。だけど、久下さんとかの世代はみんなちゃんと話を聞くって。
自分のキャラを押し付けるのではなく、相手の話を聞きながら視点を紡いでデザインする。2人はその変化に思い当たります。
無茶なスケッチを渡し、自分の個性を優先する。作るのも売るのも事業者の負担が大きくなりやすい。
まず話を聞き、問題点を一緒に考える。ものを作らない提案も含めて、事業者のやる気を引き出す。
売れるデザインと、ロングセラーの時代
話題は「売れるデザイン」の評価の変化に移ります。かつては大衆に迎合していると揶揄された時代があった一方で、今はちゃんと売れるものを作るのがデザインだという考え方もあります。
売れることを揶揄してた時って、まだ売りやすかったんでしょうね。
今は売り場に物があふれ、何を基軸にアピールするか、売れなくても会社に得るものがあるか、といった高次元の判断が求められると江口さんは話します。短く消費されず、ロングセラーになりにくい難しさもあります。
久下さんは、江口さんが組む企業では一つのプロダクトが担う年月が長く、考える軸が違うのではと問いかけます。
プロダクトの回転は遅くなりましたね。ロングセラー狙いのものが増えてきたというか。
江口さんはこの変化を、携帯電話の歴史になぞらえます。iPhone登場前は個性をぶつけ合うデザイン携帯の時代でしたが、その後ユーザーの求めるものが変わっていったといいます。
iPhoneが基準になった時に、癖があるデザインを求めるのが、だんだんユーザー側が変わっていっちゃった。個性を出すのはどっちかっていうと内面、ソフトウェア側であって、ハードウェアはもう落ち着いたものがいいんじゃないか、みたいな流れが。
個性はソフトウェアが担い、ハードウェアは長く息づくものへ。江口さんは、時代とともにデザインの役割そのものが移ってきたと語ります。
まとめ
店を持ち、企業と伴走するようになったことで、江口さんの仕事は「ものを作る」ことから大きく広がりました。話を聞き、可能性のあるものを拾い、長く息づくデザインを考える。その姿勢が対話全体を貫いています。
- 店を持ったことで物を見る目が変わり、廃棄されそうな素材や技術を拾って商品化するようになった。
- 仕事を選ばないスタンスを16年続けた結果、船からスニーカーまで幅広い依頼が来るようになった。
- デザイナーである前にまず話を聞き、外注先ではなくパートナーとして企業に伴走する。
- 売り場に物があふれる今、ロングセラーを狙う設計が増え、プロダクトの回転は遅くなっている。
- 個性はソフトウェアが担い、ハードウェアは落ち着いた長く使えるものへと役割が移ってきた。
