独立10周年、展示の準備中に
デザインオフィスSKGを主宰する助川誠さんは、久下玄さんの友人でもあるグラフィックデザイナーです。近年は世の中で言われるブランディングの領域で仕事をしています。
収録はちょうど展示の準備が進むSKGのオフィスで行われました。会場には図面が並び、準備の真っ最中でした。
創設10周年にあたる年なので、自分の仕事を振り返る意味と、今後10年をどうありたいかを固める意図があります。
何かしら展示をするので、みんなの考えのきっかけになれたらいいなという思いで開催しています。
SKGの仕事は、グラフィックデザインを基軸にしながら空間にまで広がっています。展示会場のグラフィックからサインへと広がる流れが多いといいます。
例えばアート展のグラフィックをまずやらせてもらう。それがタイトルウォールやサインに広がり、会場のグラフィックに広がるみたいな流れが多いですね。
「一歩引いている」と言われるデザイン
久下さんは、SKGのデザインワークが客観的に見て「一歩引いている」ように見えると話します。自分たちの表現を先に走らせるより、パートナー企業がデザインをどう捉えるかを丁寧に扱っている印象があるといいます。
その象徴が、SKGが用意しているプロジェクトの進め方の説明資料です。ブランディングの流れを、イラストや漫画のような形でわかりやすく示していると久下さんは指摘します。
ブランドが人ですみたいな例えとかも。要するに伝わりやすさをすごい重視して、物や展示やデザインを作ってるなっていう印象があって。
この指摘に対し、助川さんは「一歩引いていない方のデザイン」とは、作家性が強く出たデザインのことだろうと受け止めます。
理系から建築、そしてグラフィックへ
助川さんは、作家性に憧れながらもそうなれなかった自分の理由を、キャリアの成り立ちから語ります。もともとは理系の受験勉強をしていました。
理系で行きたい大学が思い当たらなかったとき、建築を目指す友人の影響で建築に興味を持ちます。そして建築とデザインを入学後に選べる京都工芸繊維大学へ進みました。
作家性を後に持つ人たちは、美大の予備校に行ったり、小さい頃から芸術に触れて、こんなことやりたいと思ってた人たち。でも僕はそういう育ちじゃなかった。
入学後はデッサンなどで苦戦し、就職先のグラフでも飛び抜けた作家性を持つ師匠につきました。そこで自分にはできないという壁を見ながら育ったといいます。
師匠の飛び抜けた作家性に対して、僕はなかなかできなかった。その反面教師と言っていいかあれですけど、そっちじゃ無理だなという壁を見ながら育ちました。
印刷会社グラフで身についた「前提を疑う」姿勢
助川さんは大学の頃に印刷に興味を持ちました。フリーペーパーや雑誌の裏のクレジットで見かける「プリンティングディレクション」に惹かれたといいます。
グラフィックデザインもやりながら印刷にも詳しいって、すごいいいなと思ったんです。
助川さんは新卒でグラフに入り、9年ほど在籍しました。10年前に独立し、今年がちょうど10周年にあたります。
久下さんは、助川さんが自分の名前を仕事に活かしている点に触れます。助川の「助」が助けるにつながることから、企業を助けるという姿勢を打ち出しています。
デザインで本当に助けになるというのをミッションとして、SKGをやらせてもらっています。
この「前提を疑う」姿勢は、グラフの成り立ちに由来すると助川さんは考えます。グラフはもともと印刷会社であり、印刷という事業の価値を上げるためにデザインを使ってきた会社でした。
一誠さんは夜鍋してチラシを作った。でも年が明けたらそのチラシはゴミ箱に捨てられていた。それが嫌で、捨てられない印刷物を作りたいという思いを持たれたみたいなんです。
デザイナーが自分の表現のために印刷を使うのではなく、事業の価値を上げるためにクリエイティブを使う。そのルーツが、助川さんの事業性のある考え方につながっていると久下さんは見ています。
営業経験と、デザイナー友達がいなかった時間
久下さんは、助川さんが事業会社であるグラフで営業を経験していた点にも注目します。独立して仕事を始めると、営業できる人のすごさを実感するといいます。
世の中の人たちは巨匠は待ってるだけと思ってるけど、巨匠ほど取りに行くじゃん。すごいセールスするでしょ。
クライアントとなる企業は日常的に自分たちの事業を営業しています。だからこそ、営業を担った経験のある人はブランディングの考え方が違うのではないか、と久下さんは問いかけます。
話は、助川さんに「デザイナーの友達」があまりいなかったという経験へ移ります。グラフ時代、デザイナーの友達が欲しくてもなかなかできなかったといいます。
京都の大学から東京に出ると同級生が近くにいない。だから先輩たちと繋がる。その人たちも独立して会社をやったりするから、デザインというより経営的な話になるんです。
デザイナードリームだけを語るコミュニティに一度もいなかったこと。それが久下さんには、いい意味で助川さんの個性になっていると映ります。
ブランディングは「もっと上流から」の必然だった
助川さんはブランディングデザイナーという肩書きで仕事をしていますが、最初からブランディングをやりたいと思っていたわけではないと語ります。
会社案内のようなグラフィックの仕事をしていると、決まりきったことから始めるやり方では、それが本当に良いのかがわからなくなってくるといいます。
もっと会社案内を決める時点からこっちの話をして、上の話からやっていれば、会社案内がもっと良くなるのにという考えになる。
「そもそもなぜ会社案内を作るのか」「何を伝えたいのか」を問うと、答えは会社案内ではないかもしれない。上流を考えようとすると、自ずとブランディングにたどり着いたといいます。
ただし助川さんの気持ちの中心は、ブランディングという言葉そのものよりも、一つひとつのアイテムを良いものにしていこうというスタンスにあります。
ブランディングという傘で仕事をしようとするんですけど、気持ち的には一個一個をいいものにしていきましょうよっていうスタンスの方が強いですね。
阪急の味で得た「前提を疑う」自信
最初はパッケージや会社案内の依頼だったものが、結果的にブランディングになるプロジェクトも多いといいます。その象徴が「阪急の味」の仕事です。
助川さんの当初の役割は、ブランドの世界観を表すキービジュアルを、さまざまな形や素材のパッケージに展開する作業要員でした。
しかし展開していくと、そのキービジュアルが一つひとつの食品に合わないことがわかってきました。ある時、阪急サイドの担当者も「このままでいいのか」と感じる瞬間があったといいます。
もっとこのキービジュアルをパッケージに落とし込むということ自体が良くないんじゃないですか、と提案したら納得してくれた経験があって。
久下さんは、これを実質的なプロトタイピングだったと捉えます。パッケージ展開の作業要員だった立場を、ブランディングへと変換した出来事でした。
この経験が、デザインで本当の助けになるというミッションの土台になったと助川さんは振り返ります。
まとめ
前編では、作家性への憧れと距離、印刷会社グラフで培った事業視点、そしてブランディングにたどり着くまでの過程が語られました。助川さんのデザインが「一歩引いて見える」理由は、そのキャリアの積み重ねにありました。
- 作家性に憧れながらも、そうなれない自分を否定せず、一歩引いた立場を選んできた
- 印刷を事業の価値向上に使うグラフの姿勢が、前提を疑う仕事のスタイルにつながっている
- 営業経験やデザイナー友達がいなかった時間が、事業性のある考え方を育てた
- 「なぜ作るのか」を問い上流へ向かった結果、自ずとブランディングにたどり着いた
- 阪急の味の仕事で前提を疑う提案が受け入れられ、そのスタンスへの自信を得た
