40歳という引退の節目とSA級の重み
引退はどのくらいの年齢で意識するのか、という平田さんの問いから話は始まります。
下田さんは、40歳が一つの大きな境目だと話します。体力面で怪我が増えることに加え、女性の場合は出産などライフスタイルの変化もあるためです。
年齢としてはやっぱり40歳っていうのが一つ大きい境目かなとは思うんですけど、体力的な怪我が増えてくるとか、女性でいうと出産とかのライフスタイルっていうところもあるので。
下田さんとパートナーの西尾さんは、SA級の取得を一つの目標にしていました。SA級は、DからA級まで上がった選手が選手権で連覇したり大きな大会で好成績を取ると到達できる特別な級です。
山崎さんが「殿堂入りみたいなニュアンスか」と尋ねると、下田さんは肯定します。ピークできれいに引く美学に加え、長くいると下の世代のチャンスを奪ってしまうという考え方も背景にあると話します。
競技は「支出」。それでも続ける理由
話題は、競技を続けることと生計の関係に移ります。
下田さんは、競技活動自体は収入ではなく支出だと明言します。生計のベースは教室などにあり、競技をしていない方が出ていくお金は減ると話します。
収入とか支出の点でいうと、競技はほぼ支出ですね。
それでも競技を続ける理由は、肩書きや、試合を見て来てくれる客の存在にあります。現役選手が教えることを望む生徒もいるためです。
賞金についても、名誉が中心で微々たるものだといいます。海外の権威ある大会ほどトロフィーそのものが目的で、賞金は数十万円程度だと語ります。
本当に名誉なので、ウィンブルドンみたいな感じで、ブラックプールみたいに、このトロフィーが欲しいっていうので、賞金は全然何十万とかぐらいですね。
一方で、日本ではスポンサーがついた大会が数百万から数千万の賞金を出す例も出てきたといいます。プロになる選手を増やすには、こうした格付けが必要だという背景があります。
スポンサーは役員や社長が愛好している企業、美容やダンス関係が中心で、その確保は難しい現状だと下田さんは話します。
文字で伝えるダンスの限界と海外の影響
日本の社交ダンスの歴史についても触れられます。
下田さんによれば、社交ダンスは戦前、鹿鳴館の時代から日本に入ってきたといいます。
試合が始まった昭和初期は、教科書を文字で見て想像して踊る時代でした。文字で見る動きと実際に踊る動きが違うことも多く、言葉での紹介には限界があったと話します。
私たちも教科書で見て想像する動きと実際踊ったの違うじゃねえかっていうのは結構あるんで、文字で紹介って限界がありますよね。
海外に行けるようになり、海外から先生が来て映像も見られるようになったことで、レベルは飛躍的に上がったといいます。
各種目にはルーツとなる国があり、それをイギリスが競技として整えています。そのため本場の人からは、あくまでイギリス風の競技として見られる面もあると下田さんは説明します。
引退後の活動。指導・ショー・監修の配分
引退後の下田さんは、指導・ショー・監修と幅広く活動しています。
最も比率が高いのはダンス指導です。パートナーの西尾さんが勤務していたスタジオを継ぎ、その運営にも時間を割いていると話します。
週末にはホテルでのショーやパーティーが入ります。客が楽しむダンスタイムや発表会の後に、プロによるショーが披露される形式です。
元々の舞踏会のイメージから、参加者が衣装を着て着飾ることも楽しみの一つになっていると下田さんは語ります。以前は三越とコラボし、おしゃれな場を作る試みもあったといいます。
Twitterのつぶやきから始まった『10DANCE』監修
そして、12年ほど続く漫画『10DANCE』の監修です。
下田さんが監修に関わったきっかけは、コミック1巻が出るタイミングでした。書店で表紙を見て「社交ダンスをわかっている」と感じ、当時のTwitterで熱く発信したところ、編集者からDMが届いたといいます。
これは社交ダンスわかってるし、社交ダンス読んでるからこそ刺さる部分もすごい多いなと思って、当時はTwitterでつぶやきまくったら、編集者さんからDMが来て。
作者の井上佐藤先生は母親が社交ダンスをしていたため、もともと詳しかったといいます。ただ、コミック化のタイミングで愛好家から「これは違う」という指摘も来ていたため、監修が入ることでお墨付きになるという狙いがありました。
男性同士で踊る点についても、リアルにあり得ると下田さんは説明します。先生になれば両方のパートを理解しているため、二人で組んで踊ることは日常的にあるといいます。
初挑戦の俳優をどう「世界チャンピオン」に見せたか
実写映画では、下田さんは監修と指導を担当しました。主演の二人は社交ダンスが初めてでした。
難しかったのは、漫画の設定が世界チャンピオンに近い高い位置にあったことです。日本人でその地位にいるプロがいないため、下田さん自身も行っていない世界を見せる必要がありました。
正直自分でも行ってないところの世界を見せなきゃいけないので、どうすれば見えるかっていうのはめちゃくちゃ考えた。
そこで下田さんは、世界を知るチームを作り、多角的にステップを研究しました。撮影ではカメラの横にダンサーが張り付き、良し悪しを確認し続けたといいます。
話が来たのが引退前後だったことも大きかったと下田さんは振り返ります。現役選手を続けながらでは、これほど張り付けなかっただろうと話します。
ちょうどタイミング的にお話が来たのが引退前後だったので、現役選手やりながらだったら多分張り付けなかった。
漫画の力を借りて裾野を広げる「リアル10DANCE舞踏会」
下田さんは、2017年から「リアル10DANCE舞踏会」というイベントも運営しています。漫画監修より先に始まった取り組みです。
社交ダンスは、どこで見られるのか、どんな格好で行けばいいのかがわかりにくく、初めての人が来にくい世界です。そこで漫画のファンに本物のダンスを見てもらい、作品の資料にしてもらうことを狙いました。
イベントでは観客として応援する練習をしたり、簡単なステップを体験してもらったりします。ダンス未経験の何百人もが目の前にいることは、下田さんにとって初めての経験だったといいます。
日本チャンピオンや世界チャンピオンがイベントやりますって言っても、ダンスに興味がない人だとマジで終わっちゃうんですね。
イベントに来てから社交ダンスを始めた人も多く、初回に来て始めた人が今や10年選手になり、自分でサークルを作るまでになっているといいます。
講談社と作者の全面的なバックアップがあってこそ成り立つイベントでもあります。原画展や作者のトークも一緒に行い、漫画とダンス双方にとってのウィンウィンを目指していると下田さんは話します。
漫画に頼らない広げ方と、オリンピックという壁
一方で下田さんは、漫画がない時にどう広げるかがこれからの課題だと語ります。自分たちのSNSはダンス関係者ばかりで、発信してもバズりにくいためです。
過去のブームについても振り返ります。映画『Shall we ダンス?』で社会人の愛好家が増え、その後の作品でかっこいい若者もやっていいという流れが生まれたものの、なかなか続かなかったといいます。
見る分には面白くても、勝ち負けありきの世界を自分で体験するところにつながりにくい。その課題を、久しぶりの波となった『10DANCE』が動かしたと下田さんは話します。
オリンピック競技化についても言及されます。アマチュア団体はブレイクダンスと同じ枠で活動し、アジア大会では正式種目になっているといいます。ただ、点数がつけづらいことや、一組ずつしか踊れないことがハードルだと下田さんは語ります。
オリンピック競技になれば人口や支援金は変わるものの、スター選手がいないと難しい面もあると話し、下田さんは競技ダンスの現状を率直に語りました。
まとめ
競技からの引退を機に、下田さんは漫画監修や実写映画の指導、ファン向けイベントへと活動を広げてきました。漫画の力を借りながら社交ダンスの裾野を広げる試みは、マイナースポーツの一つの型として語られています。
- 引退は40歳が一つの節目で、SA級取得やピークで引く美学が背景にある
- 競技活動自体は支出が中心で、肩書きや客の存在が続ける理由になっている
- 『10DANCE』監修は、Twitterでの熱い発信が編集者に届いたことがきっかけ
- 実写映画では、日本人プロもいない世界チャンピオン像をチームで研究して再現した
- 「リアル10DANCE舞踏会」は漫画のファンを入口に、始める人を生み出している
