たまたま配属された宣伝部と、フォロワー20人からの出発
大学からシャープに入り、宣伝部一筋で来られた山本さん。ただ、宣伝部への配属は自ら希望したものではなく「たまたま」だったと話されています。
SNSを始めるまでは、5、6年ほどマス広告の仕事をしていたそうです。
当時のTwitterアカウントは、自分から始めようとしたものではありませんでした。業界の流れの中で、上司が誰かにたきつけられて「やらなきゃいけない」と言い出したのがきっかけだったと話されています。
じゃあ僕やりましょうかって。ただ条件はいろいろありますよっていう感じで。
スタート時のフォロワーは20人。社員数を頼りに計算していた見込みは、大きく外れます。
その時にシャープの社員が国内だけで3万人いたから、10パーはフォローするだろうと思って、3000人スタートかなと思って始めたんですけど、3週間やっても20人とかやったから。
この経験から、社員の関心のあり方を知り、社内をあてにするのは難しいと感じたと話されています。
震災後の秋、リリースを一人称に書き換え続けた半年
アカウント自体は開いていたものの、本格的に動き出したのは震災のあとの秋ごろでした。
一言目は「よろしくお願いします」といった挨拶だったそうです。ただ、始めた時点から地道に続けていた作業がありました。
初めからやってたのは、毎日出るニュースリリースを全部主語を一人称に変えて、どれぐらい書き換えれるかっていうことはずっとやってましたね。練習みたいな感じで、ずっと半年ぐらいやってました。
派手なバズを狙うより先に、企業の言葉の主語をどこまで小さくできるかを試す時期が続いていたことがわかります。
ターニングポイントは「会社が潰れそうになったこと」
80万人を超えるフォロワーの起点となったターニングポイントを尋ねると、返ってきたのは意外な答えでした。
経営が思わしくなくなり、リストラの報道が出た日。社員も事前に知らされておらず、報道で知ることが多かったと話されています。
広いフロアで働いていた山本さんは、その報道が出た瞬間の空気を肌で感じました。
報道が出た時に、僕、割と広いフロアで働いてるとこにいたんで、ざわってする感じを味わったんです。僕だけじゃなく、もう本当に空気が。
その空気を伝えたい。ただ「ざわっとなりました」では単なるレポートになってしまう。そこで、その場にいた人の気持ちを代弁するように、たった一言だけを投稿します。
後から当時の投稿を見ると、リリースを引用することもなく、ポツンと「今日は眠れるかな」とだけつぶやかれていました。それを察した人から、応援コメントがついていったといいます。
リアルタイム性に長けたTwitterと、ニュースと、その一言。それらを受け手が「あのことだ」と結びつけられた瞬間が、いわゆるバズの初めてだったと話されています。
「中の気持ちを吐露してもいい」という発見
この出来事は、企業アカウントの言葉について一つの発見をもたらしました。
中の気持ちを吐露してもいいんだっていうのが一つの発見ですよね。それは僕がどこまで企業の広告の主語を小さくできるかっていうことと、あまり齟齬がない発見だったので。
ここから、率直に言葉を出すことに躊躇しなくなったと話されています。それまではまだ、リリースのリライトに近い部分が残っていたそうです。
一方で、注目が続く2、3年は毎日ツイートしなければならない日常でもありました。
起きてテレビをつけたら自分の会社のことをやってる。そのニュースを見て、その日の空気がちょっと決まってしまう。でも僕は言わなきゃいけないこととか、頼まれてることもあったり。
会社が傾いても、日々の新発売はあります。その間でどう言葉を出すか、腹をくくる数年間だったと振り返ります。
こうした場面では、ほとぼりが冷めるまで黙るのが定石とも言われます。それでも山本さんは、黙ることを選びませんでした。その感覚を、八百屋のたとえで説明しています。
八百屋の軒先で、通りがかった人と「今日は暑いですね」とか言いながらキャベツを売るとか、そういう感じでずっとコミュニケーションをやってるんですけど、後ろの母屋がぼんぼんに燃えてて。それはできひんなと思ったんですよ。
まず燃えていることは燃えていると言った上で、日々の営みを続ける。無視して商談に入る営業マンがいないのと同じだと考えていたそうです。
都合の悪い報道が出た時は、ほとぼりが冷めるまで黙るのが定石とされる
燃えていることをまず認めた上で、日々のコミュニケーションを続ける
怒られと、罵倒と、「何が面白いか説明しろ」
率直に言葉を出す以上、心ない言葉を受けるタイミングもありました。株価が動けば損をする人も生まれ、罵倒も来たといいます。
ただ、そうした言葉は話半分に受け止めていたそうです。
ほとんどのことは僕、話半分に捉えるんで。半分、会社が言われてることだから。
むしろ気になるのは、Xよりも会社で怒られることでした。初期には、こんなエピソードもあったそうです。
僕、確かアイス食べてるツイートをしたら、広報部の人が全員アイス食べてるかどうかチェックされたっていう話をまた聞きで聞いた時に、すごい面白かったです。
怒られのほとんどは心配から発生している、と山本さんは受け止めています。それでも、こたえる場面がありました。話題になった投稿を見せられ、何が面白いか説明しろと呼び出される時です。
山本さんの発信は、強くコンテクストに依存しています。その場の流れを、見ていない人に真面目に説明させられるのが一番つらかったと話されています。
共感の可視化から、怒りの可視化へ
企業や政府には怒りが向けられやすく、SNSを見ていると「みんな怒っている」と勘違いしそうになる、と平田さんは指摘します。これに対し、山本さんは冷静な見方を示します。
今この言葉があんまり効力を持たないのが悲しいんですけど、そんなに人間、いつも怒ってないですから。本当に。
だからこそ、性善説として捉えないとやっていられないところがある、と話されています。
初期のSNSは共感の可視化という喜びで普及したはずが、どこからか怒りの可視化へと移っていった、という見立ても語られました。
共感が可視化される喜びで普及した、牧歌的な場
怒りが可視化され、増幅されていく場に見え方が変わっている
平田さんも、インターネット老人会と揶揄される世代として、群衆の英知のような牧歌的な世界観を大事にしたいと応じます。
マネタイズの仕組みが入ってから、お金をもらうことが目的化していくのではないか、という懸念も出ました。
それでも山本さんは、SNSの根っこにある機能は変わっていないと話します。漫画の人気を支えるのもSNSであり、その機能がなければ今の仕事は成り立たないといいます。
ついついしんどい方が注目されますけど、本質的に誰かを応援するとかいう部分は、あまり変わらずに続いてるとは思いますけどね。見え方がちょっと変わってきてるだけの話であって。
まとめ
たまたま配属された宣伝部から始まり、フォロワー20人、そして会社が潰れそうになった日。「今日は眠れるかな」という一言が、企業SNSで率直な言葉を出すという覚悟の起点になったと語られた回でした。
- シャープ公式Xは自ら希望した仕事ではなく、フォロワー20人という厳しい出発から始まった
- 毎日のリリースを一人称に書き換える練習を半年続けた先に、転機が訪れた
- 会社が傾いた日の「今日は眠れるかな」が、率直な言葉を出す発見につながった
- 燃えている母屋を無視せず、まず認めた上で日々のコミュニケーションを続ける姿勢を貫いた
- 怒りが可視化される場になっても、SNSの根っこにある「誰かを応援する」機能は変わらないと捉えている
