大企業の友人と自分を比べて「負け組」だと思っていた頃
今回のテーマは、大企業に就職した人が勝ち組とは限らない、という話です。
吉田さんはまず、自身のキャリアを振り返るところから始めます。大学までは順調で、慶應義塾大学に現役で進学したものの、その後は事情があって大学を中退したと話します。
そう、もう完全に人生踏み外しましたね。ちなみに何か悪いこととかしてないんで、その点はちょっと一応補足しとくんです。
20代は棒に振り、家に引きこもっていた時期もあったといいます。メンタル不調で眠れない時期もあり、人生が詰んだと感じていたそうです。
一方で、いい大学の友人たちは慶應卒として一流企業に就職していきます。アラサーになる頃には、誰もが知る大企業で課長になった人も出てきます。
さらに、家や車を買ったという聞いてもいない情報が入ってくる。そのたびに、吉田さんは自分の人生がもう終わっているように感じたと振り返ります。
その時はもう完全に大企業に行った人は勝ち組で、俺は負け組だなと思ってたんです。
ところが社労士として働くなかで、大企業には大企業なりの悩みがあることが分かってきた、と吉田さんは話します。ここからが今回の本題です。
55歳で役職を外される「役職定年」という壁
吉田さんがまず取り上げるのは、大企業の定年にまつわる話です。多くの大企業には役職定年 ── 部長や課長などの管理職が一定年齢に達すると、役職を外れて一般社員などになる制度。ポスト不足の解消や人件費調整を目的に導入される。という制度があります。
役職定年とは、部長や課長といった役職者が55歳などになると、役職を強制的に降ろされる仕組みのことです。
なぜこうした制度があるのか。ずっと高い役職に人がとどまっていると、後に続く50歳や45歳の世代が活躍できないためだと吉田さんは説明します。若い世代に活躍の場を作るための制度だといいます。
たとえば本当に辞める定年が60歳で、その手前の55歳で役職を降りてもらう、という会社は結構多いそうです。
吉田さんは、名だたる大企業から実際に相談を受けたケースを挙げます。55歳で役職定年を迎えた人が、定年まであと5年、最高齢まで含めると10年ほど残っている、という状況です。
役職を外れた人が「死んだ魚の目」で会社に来る
役職定年を迎えると、どういうことが起こるのか。吉田さんによると、多くの人が「もう役職を外れたし、やる気が出ない」という状態になるといいます。
業務の裁量権や決定権もなくなった状態で、やりがいを感じないまま会社に来る。吉田さんはその様子をこう表現します。
死んだ魚の目みたいな感じで会社に来てですね、それでやりがいなく仕事をしていると。
こうした状況を何とかしてほしい、一緒にキャリアプランを作ってほしい、という相談を受けたことがあると吉田さんは話します。
そこで吉田さんは、役職定年を迎えた人に向けたいくつかのプランを考えたそうです。
- 人手が足りない部署へ移って活躍してもらうプラン
- 時短勤務にして、半分は個人事業主として開業してもらうプラン
- 一度退職して開業し、それを会社が支援するプラン
ただ、どれもうまくいかなかったと思う、と吉田さんは振り返ります。理由は、大企業で長くやってきた人には、その組織の中で活躍するスキルが蓄積されているからだといいます。
いざ55歳から個人事業主をやってくださいと言われても、なかなかできない。個人事業主として動くマインドセットと、大企業の中で活躍していくマインドセットやスキルセットは違うからだと説明します。
転職を阻む「退職金」という足かせ
そんな状態なら辞めればいい、役職定年を迎えたのだから転職を検討すればいい、という話になりそうです。しかし、ここで転職を阻む大きなものがあると吉田さんは問いかけます。
役職定年を迎えた人の転職を阻む大きなものとは何か。
リスナーへの問い さんからの質問
答えは退職金です。定年までいて退職すれば退職金が数千万円出ることもある一方、定年前に辞めると自己都合退職になり、退職金がガッツリ下がるケースがあるためだ、と吉田さんは説明します。
そうなると、「とりあえず60歳の定年までいよう」という発想になっていく、と吉田さんは言います。
その結果、本人の心の中はこういう状態になっていくといいます。
ああ、今日会社つまんねーな、それでも行くしかないよね、60まで我慢するしかないよね。
一方で、名刺交換や親戚の集まりでは「あの人はすごい有名な企業に就職している」とすごいと言われたりする。吉田さんは、その狭間で葛藤する人が結構いると話します。
収入は高く、幸せそうな生活に見える。けれど本人の心の持ちようとしては、意外と燃えるものがなく、辛い状況になったりすると吉田さんは指摘します。
専門性が高いほど「その会社でしか通用しない」問題
大企業ならではのもう一つの悩みとして、吉田さんはスキルの偏りを挙げます。専門性の高い金融機関などに就職すると、その機関の中でしか通用しないスキルが生まれてしまうことがあるといいます。
金融機関でひたすら働き、さらに専門性の高い部署にいると、その部署でしか使えないスキルが蓄積されていってしまう、というのが吉田さんの見立てです。
これは金融機関だけの話ではなく、製造業などでも同じだと吉田さんは言います。その会社の製造部品を作るノウハウとして手に職はついているものの、社外に持ち出したときに高く評価されるとは限らないといいます。
その結果、キャリアを考える年齢になったときに転職できない、正確には転職すると収入が激減してしまう、という状況が生まれやすくなります。
そうすると、たとえば40歳ごろに「残り20年間、この会社でやっていくのかな」と悩んだりする。これが大企業に就職した人の悩みの一つだと吉田さんは語ります。
いい待遇そのものが「外へ出る」ときの足かせになる
大企業は高収入で退職金もあり、福利厚生も整っている。すごくいい待遇だからこそ、それがどう働くのかを吉田さんは続けて説明します。
今の労働環境に不満があるなら、若いうちや役職定年より少し早いタイミングで外に出ればいい、という話になりそうです。しかし、今のいい待遇そのものが、外でチャレンジするときの足かせになると吉田さんは言います。
一度会社を退職してしまうと、うまくいかなかったからといって元の待遇で戻してくださいとは、普通は言えないためです。会社によっては元の待遇が保証されるケースもあるようですが、なかなかないと吉田さんは話します。
そもそも待遇を下げてでも戻れるかどうかも分からない。そうなると、意外と調整しにくいのだと指摘します。
高収入・退職金・福利厚生は得られるが、役職定年後にやりがいを失いやすい
チャレンジできる一方、いい待遇を捨てることになり、元に戻るのは難しい
大失敗したからこそ、躊躇なく独立開業できた
ここで吉田さんは、自身の経歴を「かえって正当化するような話かもしれない」と前置きしつつ振り返ります。大失敗したことは、今から考えるとありがたい話だったといいます。
前に進むしかなかったからこそ、独立開業に比較的躊躇なく踏み切れたそうです。家族に相談したときも、もう独立開業でしょう、という雰囲気だったと話します。
もし大企業で年収1000万円などをもらっていたら、それを捨てるのは良くないと家族に反対されたかもしれない、と吉田さんは言います。しかし、そういうことはなく、楽々と開業できたそうです。
開業時に家族や義理の両親に反対されて大変だったという話はよく聞くものの、吉田さんの場合はそれが一切なかった。その点はすごく幸せだったと振り返ります。
そして、開業できた大きな理由として、社会保険労務士の資格があったことを挙げます。
資格が人生を変えた ― 似た境遇の人へのメッセージ
話は冒頭に戻ります。20代を棒に振った吉田さんは、28歳か29歳のときに社労士の資格を取得しました。そこから人生が大きく変わったといいます。
まずは勤務社労士として、社会保険労務士事務所に2社勤めました。7年ほど経験を積んだあとに開業し、そこからすごく幸せな人生になっていると話します。
もっとも、社労士になれば必ず幸せになれるわけではなく、その後の努力次第だと吉田さんは断ります。そのうえで、このラジオの聴き手へメッセージを送ります。
もしかしたら(聴いている人の中に)僕と似たようにどこかで失敗しているような人とかもいるかもしれない。
吉田さんは、自分は社労士の資格を取って人生が変わったと語ります。資格を目指している人がいるなら、取得まで頑張ってほしいと呼びかけます。
さらに、資格を取った後も社労士としてのキャリアはたくさんあるので、そこを突き詰めていってほしいと締めくくりました。
まとめ
大企業への就職は、高収入・退職金・福利厚生という待遇の面では魅力的です。しかし吉田さんは、役職定年後のやりがいの喪失、退職金や待遇が転職の足かせになること、専門性が社外で通用しにくいことなどを挙げ、それが必ずしも心の幸せに直結するわけではないと語りました。
- 大企業では55歳ごろの役職定年で裁量を失い、定年まで意欲を保てなくなる人がいる
- 数千万円になり得る退職金や好待遇が、かえって転職・独立の足かせになりやすい
- 専門性が高い部署ほど、その会社でしか通用しないスキルになりがちで転職時に収入が下がりやすい
- 吉田さん自身は大失敗を経て躊躇なく独立でき、社労士資格が人生を変えたと振り返る
- 似た境遇の人へ、資格取得とその先のキャリアを突き詰めてほしいと呼びかけた


