建設業の労務管理は何が「特殊」なのか
今回のテーマは、業種別の労務管理として取り上げる建設業です。吉田さんは、意外に思われるかもしれないが建設業に詳しいと前置きしています。
建設業の労務管理は、他の業種と比べてかなり特殊性があり、難しい部分があると吉田さんは話します。前編ではその基本を、後編では経営的な側面を扱う構成です。
建設業の労務でまず出てくるのは安全管理です。高所作業で踏み外せば人が亡くなる可能性が一定程度ある業種のため、避けて通れないテーマだと説明されています。
ただし安全管理は、社会保険労務士よりも安全衛生コンサルタントなど専門家に相談すべき領域だと整理されています。今回は労働時間管理や社会保険といった労務のど真ん中を扱います。
社会保険加入は実は最近だった
建設業の労務管理の歴史を語る上で切っても切れないのが社会保険の話だと吉田さんは言います。ここに、この業界の特殊性が表れています。
吉田さんは2012年の社労士試験に合格し、2013年ごろから社労士事務所で働き始めました。当時の建設業は、社会保険の加入ラッシュだったといいます。
その加入ラッシュは、新設法人が増えたからではありませんでした。これまでずっと株式会社としてやってきた会社が、その時期にまとめて社会保険に加入していったのです。
吉田さんはこれを「そもそもおかしい」と指摘します。健康保険法の改正で建設業も加入が義務づけられた、といった法改正があったわけではないからです。
これはまずそもそもおかしいですよね。別になんかそこら辺で、法改正があって、建設業も社会保険に入れなきゃいけないんだみたいなことはないんです。
ではなぜ加入ラッシュが起きたのか。きっかけは、国土交通省が建設業界の適正化のために「社会保険に入ってください」というお達しを業界向けに発信したことでした。
そもそも建設業は、これまで社会保険に入ってこなかった業界でした。適用除外の根拠があるわけでもないのに、社会保険に入っていない事業者が大量にいたのが業界の常識だったと吉田さんは説明します。
なぜ役所のお達しで業界が一気に変わったのか
通常、役所のお達しはなかなか言うことを聞いてもらえないものだと吉田さんは言います。それまでの慣行があるからです。
ところが建設業では一気に加入が進みました。その理由は、建設業が元請けと下請けの階層構造になっている点にあります。
建設業では、仕事の発注を受けた元請け事業者が、マンションやビルの工事を取りまとめます。しかし元請けだけでできない工事も多く、専門業者に発注していく仕組みです。
発注を受ける
元請け事業者が工事全体を取りまとめる
専門工事を下請けへ
水道工事やエアコン設置、壁紙貼りなどを専門業者に発注する
成果物の完成
各工程を積み重ね、求められる建物などを作り上げる
この構造に対して国土交通省は、元請け事業者に対し「建設現場に出入りする人の社会保険加入を確認してください」と求めました。そして「加入していない人は建設現場に出ないでください」というお達しを出したのです。
これがきわめて大きなインパクトを持ちました。社会保険に入っていない建設業者は、事実上仕事がもらえない状態になったからです。
社会保険に入ってない建設業者っていうのは、つまり仕事がもらえないっていう状態になったんですよ。なので皆さんもう仕事受注のためだったら、もう手段を選ばないみたいな感じで社会保険に入ったんです。
吉田さんは、ここから読み取れることとして、建設業は慣習的にコンプライアンス意識がそこまで高くないという業界の特殊性を挙げます。他の業界であれば2013年前後にはすでに社会保険に入っているはずだからです。
さらに、建設業の許可は数年に一度の更新があり、社会保険に入っていないと更新が通らないという問題もあったといいます。こうして加入問題は一巡し、皆きれいに加入していったと説明されています。
週6勤務が生む長時間労働という未解決問題
社会保険の問題が解決しても、すべてが解決したわけではないと吉田さんは続けます。労働時間の問題は、まだまだ解決できていないと指摘します。
業界慣行としてスタンダードになっているのが週6勤務です。1週間7日のうち6日は仕事をしている建設業者が非常に多いといいます。
これは労務の観点から見ると問題です。1日8時間労働だと、週の所定労働時間が40時間になるため、8で割って週5日までしか働けない計算になるからです。
月曜から金曜まで働くと、そこで法定労働時間を使い切ります。それでも土曜まで働く建設業者が多い、という状況が長時間労働の温床になっていると説明されています。
「残業してない」を鵜呑みにしてはいけない理由
吉田さんは、建設業の社長に残業の有無を聞いたときのやり取りを例に挙げます。社長は「うちは残業してない」と答えることが多いといいます。
いや、うちは残業してないよ。早くてもまあ1時間2時間したら帰るんじゃないか。
しかしこの言葉を鵜呑みにしてはいけないと吉田さんは注意します。タイムカードを見せてもらうと、実態が見えてくるからです。
月曜から土曜まで毎日1〜2時間残業しているとすると、平日5日分に加え、6日目の土曜は朝からの勤務が丸ごと法定外労働になります。これを合計すると週14時間ほどの残業になると試算されています。
そうなると、特別条項の発動基準である月45時間も簡単に超えてしまうと吉田さんは指摘します。社長本人の感覚と、労務管理上の数字が食い違っているのです。
さらに厳密に見ると、労働時間に該当しうる時間もあると吉田さんは指摘します。ここで話題は直行直帰へと移ります。
家から現場へ本当に直行している場合、その移動時間は原則として労働時間にカウントしなくてよいと吉田さんは説明します。ただしケースバイケースだと補足しています。
問題は、直行直帰だと言いながら、実際は会社に一度集合してから現場へ行ったり、資材をピックアップしてから現場へ向かったりするケースが多いことです。
直行直帰なんですか?って聞いたら直行直帰ですって言うんです。でもよくよく聞くと、会社に一度集合して、そこから建設現場に行ってますとか、資材をピックアップしてから建設現場に行ってます。
これを真面目にカウントすると、早出として2時間ほど労働時間が増え、実際の残業時間はさらに膨らんでいるケースが多いといいます。長時間労働の末に、うつ病になったり自ら命を絶ったりする方もいる、と吉田さんは深刻な現実にも触れています。
なぜ長時間労働が「問題化しにくい」のか
一方で吉田さんは、自身の肌感覚として、これだけ多くの事業者がやっている割に長時間労働が問題化することはそれほど多くないと話します。
その理由として吉田さんが挙げるのが、週6勤務が業界的にWIN-WINの構造になっているという点です。よく話を聞くと、そう感じるといいます。
仮に週6を週5にすると、単純に考えれば給料が6分の5になります。しかも現場で働く人には、休みが増えても使い道がないと感じる人が多いと吉田さんは見ています。
休み増えたけど、まあ建設現場に出入りしてる人、おそらく40代50代のおじさんみたいな人ですけど、土曜日休みされてもやることねーよみたいな感じ。だったら金くれやみたいな感じの人が多い。
経営者側にもメリットがあります。週6で働いてもらえば工期が短くなるからです。工期短縮は、コストにも顧客満足にも直結します。
工期が短くなる
週5より週6のほうが作業が早く進む
関連コストが下がる
交通整理の警備員などを雇う期間が短くなり費用が安くなる
顧客満足が上がる
納期が早く来るため顧客に満足してもらいやすい
こうして、労働者も経営者もそれぞれにメリットを感じ、みんなで長時間労働したほうがWIN-WINだという構造ができあがっていると吉田さんは整理します。
吉田さんはこの構造を「よくない」と明言しつつ、この構造ができあがっている前提で経営者の話を聞くことが大切だと語ります。
たとえばスーツを着る業種と同じ感覚で、週40時間だと杓子定規に話してしまうと、なかなか話が進まず、経営者も心を開いてくれないといいます。踏み込んだ提案につなげにくくなるのです。
前編のまとめと後編の予告
吉田さんは、まだ話したいことは多いとしつつ、前編のポイントを2つに整理します。建設業が社会保険に加入したのは実は最近であること、そして労働時間管理はいまだ解決できていない問題であることです。
所属する社会保険労務士法人ワンハートでは、こうした相談を幅広く受けていると案内されています。先進的な労務管理をしたい建設業者への支援も可能だとしています。
次週は、引き続き建設業の労務管理について、経営の視点からの話をしていく予定だと予告されています。
まとめ
建設業の労務管理は、社会保険加入が国土交通省のお達しで一気に進んだ経緯や、週6勤務を軸とした長時間労働という特殊性を抱えています。吉田さんは、その業界構造を前提に経営者の話を聞くことが、適正化への第一歩だと語ります。
- 建設業の社会保険加入は法改正ではなく、国土交通省が元請けに加入確認を求めたことで一気に進んだ
- 元請け・下請けの階層構造が、業界全体を短期間で動かす力になった
- 週6勤務が業界のスタンダードで、直行直帰の実態も含めると残業は月45時間を超えやすい
- 週6勤務は工期短縮や収入面で労使双方にメリットがあり、長時間労働が問題化しにくい構造になっている
- 杓子定規に法定労働時間を説くより、この構造を前提に経営者と向き合うことが労務適正化の鍵になる




