なぜ建設業の労災保険は「2種類」あるのか
建設業の労務管理でまず出てくるのが労災保険です。吉田さんは、この労災保険が他業種と比べてとても特殊だと説明します。
一般的な業種、たとえばネクタイを締めて出社する会社員や、飲食店・小売店では、労災保険は1つの会社に1つだけです。これを一元適用事業 ── 労災保険と雇用保険をまとめて1つの労働保険として扱う事業。多くの一般業種がこれに当たる。と呼びます。
一方、建設業の労災保険は最大で2種類あります。具体的には、現場の労災と事務所の労災の2つに分かれるのが特徴です。
さらに、この2種類も会社の実態によって分岐します。下請けしかしない場合は現場の労災を持っていないことがあり、事務所がない場合は事務所の労災がないこともあります。
たとえば経理や総務をすべて奥様が担っていて、そこで完結しているようなケースでは、事務所の労災がないこともあると吉田さんは挙げています。こうした複雑さが、他業種にはない建設業の特徴です。
建設現場での作業に対する労災。下請けしかしない場合は持たないこともある
事務所での業務に対する労災。事務所がない場合はないこともある
事故が起きたら「他社の労災」を使う建設現場の特殊性
建設業の労災保険は、事故が起こったときの対処の仕方も他業種と違います。吉田さんは、建設現場そのものの特殊性からこの違いが生まれると説明します。
建設現場が特殊なのは、他の会社が取りまとめている場所で自社の従業員を働かせる点です。具体的には、元請け事業者が取り仕切る現場で自社の職人が働きます。
他業種と比べると違いがはっきりします。コンビニで働く人は、その店を経営する法人の事業所の中で働きます。建設業では、他社が管理している現場で働くことになります。
この仕組みは、建設現場の安全管理の考え方から派生しています。現場全体をまとめる元請けがしっかりしないと安全管理はできないため、安全管理の第一責任は元請けにあるという発想です。
この前提のもとで、建設現場で事故が起こったときは元請け事業者の労災保険を使います。つまり他社の労災保険を使うことになり、ここが大きな特徴です。
立場の弱い下請けで「労災隠し」が起きやすい理由
他社である元請けの労災を使う仕組みは、経営面で難しさを生むと吉田さんは指摘します。元請けと下請けの立場の差が背景にあります。
下請けは元請けから仕事をもらう立場で、はっきりと立場が弱いのが実情です。その中で下請けの職人が怪我をしたと元請けに伝えると、嫌な顔をされるケースも珍しくないそうです。
何うちの建設現場で事故ってんだよみたいな感じで、嫌な顔をされるケースも珍しくないそうです。
トラブルが多い下請けだと見なされると、次の仕事をもらえないこともあり得ます。下請けの業者はそれを恐れているはずだと吉田さんは話します。
その結果として、労災事故が起こったのに隠してしまう、といったことが起こり得ます。ここに労災隠しが生まれやすい構造があります。
治療費を全額事業者が負担すれば民事的な問題は避けられるかもしれません。しかし休業した場合は労働者死傷病報告 ── 労働災害で労働者が死亡または休業したときに、事業者が労働基準監督署へ提出しなければならない報告書。を行政官庁へ出す義務があり、これを隠すと法律違反になります。
吉田さんは、経営上の強い立場・弱い立場があると労災隠しが起こりやすいことは理解しておいたほうがよいと注意を促します。実務では年度更新の申告も分かれていて大変だとも触れています。
一人親方は「請負なのに雇用に近い」——実態が近づくとどうなる
次のテーマは一人親方です。吉田さんは、一人親方の存在が建設現場をとても難しくしていると言います。
難しさの理由は、1つの建設現場の中に請負契約の人と雇用契約の人が混在している点です。吉田さんは、渋谷にオフィスを構える生まれたてのスタートアップでも、雇用の人と業務委託の人が混在していて違いがはっきりしない例に近いと重ねます。
一人親方とは、その名の通り一人で建設業の業務を請け負い、親方のように業務を遂行する人です。吉田さんによれば、ベテランで一人でも自己完結してくれる人が一人親方になっているケースが多いといいます。
問題は、雇用契約のベテランと一人親方で仕事ぶりがほとんど変わらないケースがあることです。すると、請負契約なのに実態は雇用に近い状態が生まれます。
たとえば出退勤時刻が明確に決まっていたり、道具を元請けから貸与されていたり、指揮命令下に置かれて仕事をしていたりします。こうした点があると、請負でも雇用に近いと言えます。
一人親方トラブルが「起きにくい」のに残業代リスクが残る仕組み
実態が雇用に近くても、一人親方のケースは意外とトラブルになりにくいと吉田さんは説明します。労災保険と報酬の面に理由があります。
一人親方は労災保険に特別加入しているため、事故が起こったときも治療費が特別加入 ── 本来労災保険の対象外である一人親方や中小事業主などが、任意で労災保険に加入できる制度。の労災保険から出ます。この点で当事者が困りにくくなっています。
報酬面でも、建設業では一定の報酬が出ているケースが多く、当人同士が合意しているため文句を言う人が少なく、問題になりにくいといいます。
ただし吉田さんは、リスクが内在している点に注意を促します。誰かが実態は雇用だと主張して残業代を請求すれば、訴えられた側は多額の金銭を払わなければならないかもしれません。
協力会社が「一人親方の集団」だと何が起きるのか
最後に吉田さんは、社労士法人として建設業の労務管理を預かるときに出てくるマニアックな論点を挙げます。建設業では請負と雇用が混在した人たちを巻き込んで成果物を作ります。
1つの成果物を作る場合でも、その株式会社の裏には一人親方がいたり、直接雇用の人がいたり、別の事業体である協力会社が業務の一部を担っていたりします。吉田さんは、この協力会社に注目します。
仮に協力会社の人たちが一人親方の集団だった場合、社会保険や雇用関連で厳密には論点が出てくるのではないか、というのが吉田さんの問題提起です。
一人親方の集団に「リーダー格」がいると雇用が疑われる
一人親方と聞くと、ピンでやる一匹狼のように思えるかもしれません。しかし吉田さんは、そうではない人もいると言います。
たとえば10人ほどで行動している一人親方の集団があり、そのうちの一人がリーダー格だったりします。リーダー格の人は職人としての腕だけでなく営業スキルもあり、あちこちと交渉して仕事を取ってくる能力を持っていたりします。
そのリーダーが「あれやれ、これやれ」と他の人に指示を出しているケースがあります。ここで、それは一人親方の集団ではなく、リーダー格が他の人を雇用しているのではないか、という論点が出てきます。
それって一人親方の集団じゃなくて、リーダー格が他の人を雇用してるんじゃないですかっていう論点が出てきます。
雇用と見なされれば、その間で残業代を払っていない、といった話が出てくるかもしれません。「一人親方の集団」に見えても、指示関係があれば雇用が疑われるのがこの論点の核心です。
特別加入の「種類違い」が労基署で問題になるとき
一人親方集団の論点は残業代だけではありません。吉田さんは、労災保険の特別加入の種類にも注意が必要だと指摘します。
特別加入にはいくつかのタイプがあり、一人親方向けの特別加入もあれば、中小企業の経営者向けの特別加入もあります。一人親方だと思って行動している集団は、みんな一人親方向けの特別加入に入っています。
問題になるのは、リーダー格の人が怪我をして労災を申請した場合です。実態として他の人を雇用のように扱っていたなら、特別加入の種類が違うのではないかと申請上問題になることがあります。
吉田さんによれば、保険が下りないという話は聞いたことがないものの、審査時間が変わったり、労基署でひと悶着あったりすることはあるといいます。ここも注意が必要な点です。
5人以上の集団は社会保険の未加入になっていないか
吉田さんは、さらにマニアックな論点として社会保険の強制適用を挙げます。リーダー格が他の一人親方をうまく使って業務をする場合の話です。
一人親方のリーダー格は個人事業主に該当します。個人事業でも建設業で5人以上のスタッフがいれば強制適用事業所 ── 一定の要件を満たすと、事業主の意思にかかわらず社会保険への加入が法律で義務づけられる事業所。になります。
すると、5人以上の一人親方がいる場合、この集団は潜在的に社会保険の未加入なのではないか、という論点が出てきます。吉田さんは、ここまでで大きな問題になったことは今のところないとしつつ、潜在的な論点だと説明します。
具体的に問題になり得るのは、集団の一人が怪我をして障害を負ったときです。本来は使用従属関係にあって社会保険に加入すべきだったのに、加入できていれば障害年金がもらえたはずだ、という形でトラブルになる可能性があります。
吉田さんは、こうした点にまで注意が払えると、建設業の経営者ともしっかり話ができると締めくくります。
まとめ
建設業の労務管理は、労災保険の二重構造から一人親方集団に潜む雇用・社会保険の論点まで、他業種にはない特殊性が積み重なっています。吉田さんは、その前提を理解したうえで経営者と向き合うことが大切だと話しています。
- 建設業の労災保険は現場と事務所で最大2種類に分かれ、実態によって分岐する
- 建設現場の事故では元請けの労災を使うため、立場の弱い下請けで労災隠しが起きやすい
- 一人親方は請負でも実態が雇用に近いと、残業代請求などのリスクが内在する
- 一人親方集団にリーダー格がいると、雇用関係や特別加入の種類違いが問題になり得る
- 5人以上の集団は社会保険の強制適用が潜在的な論点となり、障害年金などでトラブルになる可能性がある






