なぜ労務は学びにくいのか
吉田さんはまず、労務の勉強はしづらいという実感から話を始めます。なぜ学びにくいのか、どうアプローチすればいいのかという情報自体が世の中に少ないと指摘します。
理由の一つは、労務担当者の活躍が表に出しにくいことです。
例えば優秀な担当者が転職先で未払い賃金や割増賃金の計算誤り、労働時間の集計方法の間違いを見つけて直したとします。これは大きな活躍です。
しかし修正には、経営者に人件費の増加を説明したり、現場に過去の未払いを伝えたりする必要があり、会社の不信感を招くこともあります。それを解決するのは高いスキルが求められます。
ただ、こうした成果を社内報や社外に発信できるかというと、できません。セクハラ・パワハラ事案やプライバシー、ローパフォーマーへの退職勧奨なども、賛否が分かれるため表に書きにくいのです。
労務業界の大谷翔平って誰ですか、みたいな。結構パッと出てこないですよ。
スポーツなら活躍がイメージしやすいですが、労務担当者はロールモデルが見えにくい。ここが学びにくさにつながっていると話します。
グレーゾーンと業界慣行という難しさ
二つ目の難しさは、グレーゾーンが多く、体系化しづらいことです。労働基準法や健康保険法、厚生年金保険法などで決まってはいても、実際は個別具体的な事情が多いといいます。
まず会社によって就業規則が違います。さらに業界によって慣行も異なります。
例えば建設業の民間工事では週6日勤務が当たり前という会社がまだ多い一方、都内でスーツを着て働く業種では週5日・土日祝休みが当たり前です。
週6勤務は6日目が残業になるためNGですが、業界慣行を土台に制度が組まれているため、いきなり変えられない。こうした事情を踏まえて話せるかどうかで、担当者の力量が変わると説明します。
加えて、形式上のルールと実務が乖離しているグレーゾーンもあります。
例えば社会保険では賞与支払届を5日以内に出すルールがありますが、実際には守られていないことが多いと吉田さんは言います。統計はないものの、期限を過ぎても何も言われないケースがあるのが現実だそうです。
社労士さんの場合は7月10日までじゃなくて、大体7月ぐらいまで出していただければ、むしろ7月10日だと混み合ってるので後にしてください、と言われたことはあります。
算定基礎届は本来7月10日までですが、年金事務所からこう言われた経験もあるといいます。税理士が確定申告を早く持って行って断られるようなことは考えられず、労務ならではの特殊性だと話します。
どこにも書いていない情報をどう集めるか
退職勧奨やハラスメント、未払い残業の解決方法は、書籍で綺麗に体系化すると批判の対象になりやすく、詳しく書かれた本が少ないと指摘します。
そのため情報収集は、セミナーや実務の中、活躍している先輩からの教えなど、いわば足で集めていくしかない部分があるといいます。
この難しさを前提に、克服しながら一人前になっていく必要があると整理します。
まず原理原則から学ぶ
吉田さんは、事例をたくさん知っていれば優秀な担当者になれるとは考えていません。どんな分野でも最初に学ぶべきは原理原則だと話します。
数学の公式や国語の読み方のように、まず原理原則から学ぶ必要があるといいます。労務の原理原則は、まず労働基準法の条文をきちんと読むことにあります。
ただ条文を読んだだけでは理解しきれないため、理解を助ける書籍が必要です。吉田さんが第一候補に挙げるのが労働基準法コメンタールです。
ただ吉田さん自身、この本の存在を知ったのは社労士を始めて7年目でした。最初の事務所ではその重要性が共有されておらず、転職先の所長に教わって初めて読んだといいます。
これを読まなきゃいけないんだっていうのに気づいたのが、社労士始めて七年目だったんです。こういう情報が意外と流通してないんですよ。
読んだことがなければ、まず買った方がいいと勧めます。上下巻で高価ですが、令和に入ってリニューアルもされており、一度は読む価値があるとのことです。
他にも、労働基準法の解釈例規や、菅野先生・水町先生の労働法の本を挙げます。辞書のような本なので通読は難しくても、重要な箇所から少しずつ読むことを勧めます。
就業規則を作るなら、石嵜信憲先生の就業規則の法律実務も必読だといいます。必読書についてはあらためて特集回を作る予定とのことです。
実務に出る壁と、現場での鍛え方
原理原則は、仕事でいえば研修にあたります。次は現場に放り出される段階ですが、ここが労務では特に難しいといいます。
吉田さんは、インターネット黎明期のたとえを持ち出します。接続方法がネット上にしか書かれておらず、接続できないから読めない、という状況です。
労務担当者としての実務を勉強するには労務担当者になるしかないんですけど、労務担当者になるには実務要件が必要である、みたいな。
鶏が先か卵が先かのような構造があるため、まず「難しいものだ」と理解しておいた方がいいと話します。
そのうえで、実務を学べるチャンスがあるなら、条件が多少良くなくても経験を取りに行く選択も、長いキャリアでは必要かもしれないと言います。
実務を学びたい人と学べる場の需要と供給が釣り合っていないため、一時的に労働条件が下がる覚悟が要る場合もある、という現実を知っておくべきだとのことです。
経営者としては良い条件で働いてほしいと思う一方、未経験者に高い給料を払うのは難しいという本音も語ります。良い条件で担当者になれそうなら、それはチャンスなので飛びついた方がいいと勧めます。
現場に出たら、学んだ制度が実務でどう動くかを確かめていきます。例えば1ヶ月単位の変形労働時間制のもとで、飲食店のシフト管理は大変です。
スタッフからシフトを集め、店長が組み、各人に知らせるだけでも大変で、そこに特化したOPLUSのようなシフト管理ツールもあると紹介します。
無断欠勤への対処や、給与計算締め後の労働時間集計など、コメンタールや解釈例規には出てこない実務の難しさに向き合うことで学びが深まる、と話します。
わからないことの調べ方
実務をやれば、必ずわからないことが出てきます。そのときは、先輩に聞く前にまず自分で調べることを勧めます。
多くの人はGoogleやAIに聞きますが、出てきた情報が正しいとは限りません。そこで信頼できる情報で裏取りをします。
裏取りには、労働基準法コメンタールや菅野先生の労働法などの書籍、さらに厚生労働省のサイトのリーフレットやパンフレットが使えるといいます。
それでも解決しなければ、管轄の行政官庁に聞く選択肢があります。労働基準法関係なら労働基準監督署、社会保険なら日本年金機構、事務組合の話なら労働局の事務組合係など、内容によって適切な窓口が変わります。
ただし行政官庁の担当者にも優秀な人とそうでない人がおり、間違った案内をされることもあると注意を促します。聞いた情報も裏取りが必要だといいます。
さらに、横のつながりも大切だと話します。吉田さん自身、社労士同士のグループチャットで「こういう場合どうしていますか」と聞ける関係を作っているそうです。
自分でコミュニティを作るのが難しければ、既存のコミュニティに入れてもらう形でもよく、情報交換の場を持つことが重要だといいます。
顧問弁護士がいれば、過去の裁判例や条文をもとにロジックやリスクを教えてもらえるため、相談先として非常に有効だと話します。吉田さん自身も助けられているそうです。
最新情報の収集にはXが役立つといいます。法改正の大きな情報は厚生労働省のサイトに載りますが、FAQ更新のような細かい情報は拾いにくいためです。
この人の情報発信はすごく価値があるなっていう人を優先的にフォローしていくと、この時代の流れに取り残されるってことがないと思います。
信頼できる発信者を見つけてフォローすることで、最新情報にたどり着きやすくなると勧めます。
まず自分で調べる
GoogleやAIで目星をつける。ただし正しいとは限らない
信頼できる情報で裏取り
コメンタールや労働法の書籍、厚労省のリーフレットで確認する
行政官庁に聞く
労基署や年金機構などに聞く。ただし回答も裏取りが必要
人・専門家に頼る
横のつながりや顧問弁護士に相談し、Xで最新情報も集める
まとめ
労務は活躍が表に出にくく、グレーゾーンや業界慣行も多いため学びにくい分野です。だからこそ、まず原理原則を書籍で押さえ、実務で鍛え、調べるときは複数の信頼できる情報で裏取りする、という順番が大切だと吉田さんは話します。
- 労務担当者の活躍は表に出しにくく、ロールモデルも見えづらいため学びにくい
- 最初に学ぶべきは原理原則で、条文とコメンタールなどの必読書から入る
- 実務を学ぶには経験の場が必要で、条件が多少悪くても経験を取りに行く判断もある
- わからないことは自分で調べ、信頼できる情報や行政官庁の回答も裏取りする
- 横のつながりや顧問弁護士、Xの信頼できる発信者も調べ方の選択肢になる
