DXに強い社労士事務所になるまでに何があったのか
吉田さんはこの回で、労務DXでつまずくポイントを主に社労士向けに解説しています。開業3年ほどが経ち、他の士業からもDXに強い社労士事務所だと認知されるようになったと語っています。
具体的には、マネーフォワード ── クラウド会計や給与計算などを提供するSaaSベンダー。バックオフィス業務のデジタル化に使われる。、キングオブタイム ── クラウド型の勤怠管理システム。打刻や労働時間集計をデジタルで行える。、SmartHR ── クラウド型の人事労務ソフト。従業員情報の一元管理や入社手続きの電子化に使われる。といったツールを使って労務顧問サービスを提供している点が知られてきたといいます。
ただし吉田さんは、最初からDXが得意だったわけではないと話します。開業と同時にDXを始めたため、苦労もあったと振り返っています。
まず最初苦労したところはですね、ノウハウがないから苦労したっていうのがあります。
DXに目覚めたきっかけになった一枚の図
DXに目覚めたきっかけは、とあるSaaSベンダーが税理士や社労士を集めて開いていた交流会でした。そこであるコーポレート部門のCFOのプレゼンを見たことが原体験になったといいます。
そのCFOは、SmartHRを社員マスターにして、そこから会計ソフトや給与計算ソフト、経費精算ソフトなどへ従業員情報を流していると説明しました。吉田さんはその図を見て衝撃を受けたと語っています。
それまで吉田さんが知っていた給与計算や手続きは、お客さんからもらった従業員情報を労務管理ソフト、給与計算ソフト、社員マスターへと次々に手入力していく、手入力の連続だったといいます。
一方でDXをすれば、1つのデータベースからAPIでデータを流し込むことで、手作業の転記をほとんどせずに効率的なバックオフィスが作れると知ったのが原体験だと話しています。
この原体験をもとに開業した吉田さんは、DXに洗練されたバックオフィスの状態でお客さんを支援したいと考え、自社もその路線で始めたと語っています。
ノウハウがないときはまず自社を実験台にする
かっこよくやりたいと思っても、開業当初は実際にノウハウがありませんでした。そこで吉田さんが取った方法は、まず自社で使ってみることでした。
SmartHRでは自社のアカウントを作り、最初はスタッフを巻き込めないため、吉田さん自身が招待ボタンを押して吉田さん自身を招待するという一人二役から始めたといいます。
法人の代表者としてテストアカウントの吉田祐一を招待してですね、で、両方一人二役みたいな感じで、自分で入力してみたりして。
自分の生年月日や住所を入力してSmartHRの使い方を学び、その後スタッフにも入力してもらう形で操作を覚えていったと話しています。
キングオブタイムでも同じく、役員である吉田さんは打刻の必要がないものの、あえて打刻していろいろな方法を試し、ノウハウを獲得したといいます。まず自社でやることが重要だと強調しています。
DXが喜ばれる業界と、そうでない業界の違い
いろいろな会社と付き合う中で、DXが受け入れられる場合とそうでない場合があると吉田さんは気づいたといいます。
IT企業の場合、デジタルタイムカードは必須で、Excelで手入力させようものなら「なぜこんなものを入力するのか」という雰囲気になると話します。そうした会社にSmartHRを提案するとものすごく喜ばれるといいます。
一方で、世の中のすべての会社がそうではありません。吉田さんは、DXで具体的に苦労した業種として2つを挙げています。
福祉業界のDXが難しいのはなぜか
1つ目は福祉業界です。介護や保育などさまざまですが、ITリテラシーが高い業界ではないため、チャットツールを入れてほしいとお願いしてもなかなか導入してくれないことがよくあったといいます。
吉田さんは、福祉系の人には優しい人が多く、業界として取り残される人がいてはいけないという考え方が根づいているのではないかと話しています。
社会保障の観点からセーフティネットを支える立場として、効率化のためにデジタルツールについてこられない人を切り捨てるという発想になりにくいのだろう、と吉田さんは解釈しています。
そのため画一的にデジタル勤怠システムを入れようとしても、高齢の人は打てないから紙で、となり、一部に紙の作業工程が残ってしまうと指摘します。
結果として、DX化している意味があまりなくなってしまうため、介護業界や福祉業界はDXが大変だという印象だと語っています。
メールアドレスを持っていない新入社員がいた運送業界
もう1つ苦労した業種として、吉田さんは運送業界を挙げています。手伝った経験があり、すごく大変だったと振り返っています。
新入社員の入社連絡を受け、SmartHRで招待メールを出すために本人のメールアドレスを教えてほしいとチャットで尋ねたところ、思わぬ返答があったといいます。
いや、申し訳ないです。新しい新入社員の方はメールアドレスを持っていない人です。
吉田さんは、自分がいかに狭い世界で生きているかがわかったと話します。買い物はAmazonや楽天、店の予約は食べログや一休が当たり前で、メールアドレスは持っているのが当たり前だと思っていたといいます。
しかし世の中はそうではなく、高齢の人はメールアドレスを持っていないため、SmartHRに招待できず、入社手続きが進まないことがあったと語っています。
吉田さんは、運送に限らずおそらく警備業界も同様で、高齢の人が多いとどうしてもDXできない場合があると話しています。
DXに挑戦するなら、どの業界から始めるべきか
これらの経験から吉田さんは、DXに挑戦したい社労士がいきなり介護や運送業界から始めるのはハードルが高いと述べています。
まずは自社でテストしながら、最初はIT業界や若い人が多い業界から始めるのがおすすめだと語っています。
さらに吉田さんは、DX自体がお客さんを選ぶ面があり、当初の作業工程通りに進まないことも珍しくないと指摘します。
そこでプチテクニックとして、費用は作業完成後の後払いではなく、前払いや作業期間ごとの定額でもらう方法を挙げています。お客さんの都合で作業期間が延びても費用を調達しやすいためです。
こうした工夫でお金をもらったほうが、ただ働きにならずに済むと吉田さんは話しています。
労働基準法はDXを前提にしていないという壁
DX関連で苦労した点として、吉田さんは労働基準法がデジタルトランスフォーメーションを前提に作られていないことを挙げています。
そのため、一般的な就業規則のひな型は、デジタル勤怠システムやクラウド型の給与計算ソフトを意識しているとは限らないといいます。
たとえば就業規則に端数処理が細かく決められているケースがありますが、吉田さんはそれをやめたほうがよいと話します。クラウドツールはできることとできないことの限界があり、その幅が狭いためです。
吉田さんは、クラウド型の従来ソフトであるオンプレミス ── 自社設備にソフトを導入して使う従来型の運用形態。クラウド型より細かい設定に対応しやすいとされる。と比べ、クラウドツールは限界値が狭いと説明しています。
その対策として、就業規則で小数点第何位を切り上げるといった細かな規定を置くのではなく、給与計算における端数処理は給与計算ソフトの設定に従うといった書き方にするのがよいと提案します。
こうしておけば、ツールを乗り換えた際に端数処理が不利益だという話も起きにくくなると吉田さんは語ります。クラウドツールは仕様変更もあるため、その都度就業規則を書き換える手間も避けられるといいます。
手当や労働時間の集計はツールから逆算して設計する
もう1つ、吉田さんは手当や労働時間の集計も、デジタル勤怠システムや給与計算ソフトに合わせて作ったほうがよいと述べています。
例として深夜労働の賃金を挙げています。深夜労働は125パーセントを払う必要がありますが、その払い方には2通りあるといいます。
深夜労働手当という形で125パーセントを払うケース
基本給で100パーセントを払い、深夜の割増賃金25パーセント分を別途払うケース
どちらの方法を使うかは、導入予定の給与計算ソフトやデジタル勤怠システムがどちらの表記を得意とするかを逆算したうえで決めるべきだと吉田さんは話します。
そのうえで就業規則や雇用契約書を作っていくと、後で困らないといいます。ここまでを前編とし、後編に続くと吉田さんは締めくくっています。
まとめ
この回は、DXに強い社労士事務所を作った吉田優一さんが、開業当初につまずいたポイントを振り返る前編です。まず自社で試すこと、業界を選ぶこと、ツールから逆算して規程を作ることが繰り返し語られました。
- ノウハウがない段階では、まず自社を実験台にしてツールの使い方を覚えるのが有効
- IT業界は喜ばれる一方、福祉・運送・警備などはDXの難易度が高い
- DXに挑戦するなら、自社テストを経てIT業界や若手中心の会社から始めるのがおすすめ
- 費用は前払いや期間ごとの定額にすると、作業が延びてもただ働きになりにくい
- 就業規則の端数処理や手当は細かく固定せず、給与計算ソフトの設定や仕様から逆算して作る






