踊場cue初の海外公演を終えて
今回は「踊場cue」史上初となる海外ダンサーを招いた舞台公演を振り返る回です。
2025年5月16日・17日に、国立台北芸術大学に留学するAkaneさんが所属するフォーカスダンスカンパニーが来日し、公演を実施しました。
話が持ち上がったのは公演の約1年前で、メールでのやり取りから始まったといいます。カンパニー唯一の日本人であるAkaneさんが、メンバーを代表して出演しました。
公演を踊り終えたAkaneさんは、その時間をこう振り返ります。
とにかく幸せな時間でした。4年前に台湾に行ってすぐの頃は、みんなに馴染めるかがすごく不安だったんです。
その時に当時の4年生のフォーカスダンスカンパニーの舞台を台湾で見て、いつか私も4年生になった時に、みんなを日本に連れていけたらすごい幸せなことなんだろうなと思っていました。
それが実現して、夢が叶ったみたいな。本当に『Sleepless Utopia』みたいなことが実現できたので、感動しました。
パンチ翔平さんは、大学生が踊るとは思えないレベルの高さにまず驚いたと話します。
とにかくレベルが高くって、本当にびっくりしました。本当にすごいっていう一言。人間すごいみたいな、そんな感想になったんです。
フォーカスダンスカンパニーとは
フォーカスダンスカンパニーは、その年に卒業を迎える学生で構成されるカンパニーです。
Akaneさんによれば、ダンサーは全員が卒業を控えたメンバーで、卒業した先輩や先生が振り付けた作品と、生徒自身が振り付けた作品を踊る構成になっているといいます。
ここでいう「卒業生」はOB・OGではなく、在学最後の年のメンバーを指します。
全員卒業生で成り立っていて、その2つの作品だけ、卒業生である先輩とか私たちの先生が作品を振り付けてくださって踊ります。
あとは卒業生である生徒が振り付けた作品を踊る感じで、ダンサーも全員卒業生で成り立っています。
バレエからコンテンポラリーへ、そしてイギリス留学
Akaneさんは母親がバレエをしていた影響で、2歳頃からバレエに触れてきました。3歳の頃の舞台の記憶も残っているといいます。
転機は小学6年生の頃でした。日本のカンパニー「Noism」のコンテンポラリーダンスを見て、進む道を決めたと話します。
もともとバレエは好きだったんですけど、できると自信を持って言えるほど踊れてないなと自分では思っていて。
小学6年生ぐらいの時に初めてNoismというカンパニーのコンテを見て、もう感動して、絶対これはこっちに行きたい、コンテ絶対踊りたいと思って、そこからどんどんコンテの道に行きました。
高校2年生の途中では、母親の知り合いのバレエ教師の縁でオーディションを受け、イギリスに留学しました。
しかし入学から半年ほどでコロナ禍となり、緊急帰国することになります。正式に留学してからはほとんど学べないまま帰国したといいます。
なぜ台湾の大学を選んだのか
イギリスから帰国した高校3年生の時、Akaneさんは進路の選択を迫られていました。
当時習っていたコンテンポラリーダンスの先生から、台湾の大学とドイツのダンススクールを教えてもらったといいます。ヨーロッパへの憧れは強かったものの、コロナ禍で行けないと判断し、台湾に絞りました。
最終的な決め手は、大学のホームページを見ての直感だったと話します。
学校を4つ教えてもらったんですけど、そのうちの2つに決めて、そのままビデオを撮って送って、もう決めたっていう。
ホームページで決めました。もう直感で。
留学には動画審査があり、バレエ・コンテ・伝統舞踊を踊って送る必要がありました。
伝統舞踊はおそらく中国舞踊が求められていたようですが、Akaneさんは「伝統舞踊とは何か」と考えた末に、ソーラン節を真剣に踊って送ったといいます。それでも審査は通過しました。
伝統舞踊って何なんやろ、みたいになって、ソーラン節を真剣に踊って送りました。そしたら通りました。
(中国舞踊のはずだったと)入ってから気づきました。
審査では動画のほか、英語のTOEICと台湾華語のTOCFLの結果、高校の成績表が求められました。Akaneさんは通信制のN高等学校に所属していたため、成績表の面も問題なかったといいます。
気合いで乗り越えた台湾での学生生活
台湾に行く前、Akaneさんは1年間休学し、その間に中国語を少しだけ勉強してから渡台しました。それでも現地でのコミュニケーションは「気合いで」乗り切ったと振り返ります。
赤ちゃんレベルではあるけどわかるぐらいで行って、あとはもう気合いで。
舞踊科は、Akaneさんが入った時点で台湾人が100パーセントで、外国人はAkaneさん一人だけでした。初の日本人として、周囲から温かく歓迎されたといいます。
みんな日本のことが好きらしくて、もうすごく温かく歓迎してもらえました。
学生生活はとてもにぎやかで、その様子は舞台の合間や終演後の雰囲気からも伝わってきたと、パンチ翔平さんは話しています。
ダンスと生活が一緒にある台湾の街
パンチ翔平さんは、今回のカンパニーの体の使い方に、大学生とは思えないプロフェッショナルな感覚を受けたといいます。
その背景には、台湾では小学校から舞踊のクラスがあり、長い子は幼い頃から教育を受けているという事情がありました。
Akaneさんは、台湾ではダンスと生活が一体になっていると語ります。
ダンスと生活がもう一緒みたいな。芸術がすごく身近にある街です。
日本だと舞台ってちょっと敷居が高い感じがあるじゃないですか。でも日常的に「見に行こう」みたいな感じで、みんなが気軽に行ける環境だと思いました。
無料で見られる野外公演や、街全体で開催されるダンスフェスティバルもあり、街の人が自由に見に来るといいます。朝には太極拳をする高齢者の姿もあると話します。
フリーで無料で見れるみたいな、野外でもう勝手に踊ってたりとか、街全体でダンスフェスティバルを開催して、街の人が自由に見に来るとかも毎年行われていて。
パンチ翔平さんは、同じアジアでもこれほど違うのかと驚いたと語ります。
日本ではストリートダンスが盛んになっている一方で、公演や舞台に足を運ぶには覚悟がいると感じる人が多く、まだ普及しきれていないと話しました。
舞台は敷居が高く、公演に足を運ぶには覚悟がいると感じる人が多い
無料の野外公演やフェスティバルがあり、日常的に気軽に見に行ける
卒業後の宣言と後輩へのエール
今回の公演はカンパニーメンバーにとって卒業の節目でもあります。Akaneさんの卒業後の予定も話題になりました。
台湾には卒業後も2年間は学生ビザを延長でき、その間は先輩の台湾のカンパニーに所属して踊りながら、日本語教師やヨガなどをして生活していく予定だといいます。日本に帰って踊る機会もつくりたいと話します。
そのカンパニーは台湾・淡水に練習場を構え、台北の大学や台湾各地で踊っているほか、夏にはスペインの芸術祭にも参加するとのことです。
パンチ翔平さんは、今回築いた大阪の在日台湾コミュニティとのつながりを大切にし、ダンスを通じて台湾と日本の交流を続けたいと語りました。Akaneさんもその橋渡し役を引き受けると応じています。
もちろんです。架け橋になります。
番組恒例の「宣言」では、Akaneさんが今後の目標を言い切りました。
今後こうなっていきたいという宣言を一つお願いします。
卒業後は絶対にプロのダンサーになります。そして、また日本に戻ってきます。
最後に、海外でダンスを学ぶことに関心を持つ後輩へのアドバイスを求められると、Akaneさんは覚悟と勇気を持って踏み出してほしいと語りました。
海外留学となると躊躇したり、どうしようと思う面もあると思うんですけど、そこはもう覚悟を決めて勇気を持って行ってもらったら絶対後悔しないと思います。
経済面とかいろいろあるとは思うんですけど、後悔しない選択を、勇気を持ってしてもらえたら嬉しいなと思います。
台湾での4年間を100点満点で振り返ってもらうと、Akaneさんは迷わず答えました。
もう120点です。みんなに、仲間に会えたことがやっぱり一番の財産です。
まとめ
台北芸術大学に留学したAkaneさんの言葉からは、ダンスと生活が地続きになった台湾の文化と、海を越えて実現した公演の背景が見えてきました。挑戦をためらう人への「後悔しない選択を」というエールが印象に残ります。
- 踊場cue初の海外公演として、台湾のフォーカスダンスカンパニーが来日し公演を実施した
- Akaneさんはバレエからコンテへ進み、直感で台北芸術大学を選んで留学した
- 台湾ではダンスと生活が一体で、無料の野外公演やフェスティバルが日常的にある
- 卒業後はプロのダンサーになると宣言し、台湾と日本の架け橋になると語った
- 海外留学を迷う後輩には、覚悟と勇気を持って後悔しない選択をしてほしいと伝えた
