ダンスとの出会いは自分から、ブレイキンは嫌々から
Sekishoさんは元々、小学校1年生まで神奈川県に住んでいました。何がきっかけか本人も覚えていないまま、急に「ダンスをやりたい」と母親に言い出したそうです。
最初は施設の中にある小さなダンススクールで、ジャンルもとくにないキッズダンスから始めました。小学校2年生のとき、母親の実家がある大阪へ引っ越します。
母親は「大阪に来たらダンスをやめるのかな」と思っていたそうですが、Sekishoさんは続けると言い出しました。その理由も、本人にはあまり記憶がないと話します。
大阪では、現在GRAFFYのMAGスタジオがある場所にあったダンススタジオに通い始めます。そこではHIPHOPを習っていました。
転機は小学5年生のとき。オスカードリームにできた「SOUL of MOTION」というスタジオで、ブレイクダンサーでMORTAL COMBATのマッハさんと出会います。
きっかけは母親でした。職場でたまたまマッハさんが踊る姿を見て、「かっこいいからブレイクダンスをやってほしい」とSekishoさんに勧めたのです。
ところが本人は、これがすごく嫌だったと振り返ります。
行って動画を見たけど、あんな回れるわけないやんって。
それでも、優しく教えてもらえたことで通い始め、嫌々始めたブレイキンにどっぷりハマっていきました。
12年間の「NEXT GENERATION」
ブレイキンを始めて1年ほど経ったころ、マッハさんの勧めで「MORTAL COMBAT NEXT GENERATION」のオーディションを受けます。ちょうど第一期生の募集が初めて開催されるタイミングでした。
2012年、まだブレイクダンスがほとんどできなかったSekishoさんは、このオーディションに合格し、NEXT GENERATIONに加入します。
ここでの活動は、手取り足取り教わるものではなかったと言います。MORTAL COMBATに来た仕事でショーケースをする機会はあっても、基本は自分たちでどれだけ動くかが問われました。
Sekishoさんにとっては、チームというより「仲間ができる」場だったと振り返ります。リンさん、キヨさん、ヨウさん、サツキさんら5人で仲良くなり、自分たちでショーケースを作り、コンテストに挑戦していました。
MORTAL COMBATがショーを見てアドバイスをくれることもありましたが、自分たちで動く部分が大きかったそうです。ある意味でストリートに近い環境だったと言えます。
この環境は、今振り返ると良かったとSekishoさんは話します。北海道など、いろいろな地方から同世代のB-BOY、B-GIRLが集まっていました。
ブレイクダンスを始めてまだ1年目、何もできない自分にとって衝撃的な環境で、ダンスの理解度がぐっと深まったと言います。当時のクラスでは一番下からのスタートでした。
同期が先にMORTAL COMBATへ 12年間の悔しさ
12年間には悔しい思いが数え切れないほどあった、とSekishoさんは語ります。なかでも記憶に新しいのは、ずっと一緒に活動してきたリンさんとヨウさんが、先にMORTAL COMBATへ加入した瞬間でした。
年数でいえば、Sekishoさんより5年ほど早い加入だったそうです。
さらに、同世代のメンバーがMORTAL COMBATとして大会で優勝した瞬間を生で見たときの気持ちは、複雑なものだったと言います。
一緒に活動したメンバーが優勝した嬉しさもあるけど、自分がなんであそこにいないんやみたいな悔しさもありましたし。
MORTAL COMBATという存在が近くなればなるほど、悔しさは増えたと振り返ります。
パンチショウヘイさんは、ブレイキンのクルーの特殊さに触れます。チームメイトでありながらライバルでもあり、世代感もある。そのなかで同期が先に行ってしまう経験は、他ではなかなかないものだと語ります。
当時まだ10代だったSekishoさんにとって、それは大きな衝撃でした。
いやービビりましたね。本当に。もうダンス辞めようかなと思うぐらいやっぱ悔しくて。
辞めようと思った瞬間は何度もありました。それでも辞めなかった理由を、Sekishoさんはこう話します。
ここで辞めてもうたら、続けさせてくれた家族とか、いろんな人への気持ちも背負ってるってことを考えると、こんなところで諦めてられへんなって。
「今日からMORTAL COMBAT」と言われるまで
NEXT GENERATIONからMORTAL COMBATへ。その選考基準について、Sekishoさんは「入っておいてあまり分かっていない」と前置きしつつ答えます。
各クラスを上がって自分のレベルが上がっていくと、MORTAL COMBATのメンバーから「一緒にバトルに出ようか」「ショーケースに出ようか」と少しずつ声をかけてもらえるようになったそうです。
そうして仕事やバトルの経験を積み重ねていき、あるとき「今日からMORTAL COMBAT」と告げられました。
明確なテストや、特定の大会で優勝すれば、といった基準ではなかったと言います。日々の取り組み姿勢が最も大きかったのではないか、というのがSekishoさんの見立てです。
パンチショウヘイさんは、別の回で映像分野のゲストと話した「プロになるうえで一番大事なのは覚悟」という内容を引き合いに出します。MORTAL COMBATを背負う覚悟が見られていたのではないか、と重ねました。
そして2024年12月、Sekishoさんは正式にMORTAL COMBATのメンバーとなりました。師匠からは、高校の推薦書に「不器用な人ですけど」と書かれたほどで、天才型ではなかったと自ら振り返ります。
Sekishoが語るブレイキンの魅力、後輩へ伝えたい2つのこと
辞めなかった理由の根っこにあるブレイキンの魅力を問われ、Sekishoさんは「熱い」ことを挙げます。
全ジャンルにいろんな熱さがあると思うんですけど、この舞台でこの技をして、この歓声でどんな気持ちなんやろうっていうのがずっとありましたし。
辞めたいと思った回数が一番多かったのも、絶対に辞めたらあかんと思った回数が多かったのも、この環境にいたからこそだと語ります。熱さゆえに悔しくもなり、頑張ろうとも思えたのです。
Sekishoさんの世代は今、ブレイキンシーンのど真ん中にあります。高校の同級生にはB-BOY Shigekix(本編で「SHIGE-KIX」と語られたB-BOY。Sekishoさんの高校の同級生として紹介されている)がおり、在学中から活躍していました。
ダンスを始めて初めてスタジオに来たとき「一緒に練習してください」と言いに来たISSINさんが、その後BC ONEチャンピオンになった話も出ます。同世代や下の世代が次々と結果を残すなか、負けっぱなしではいたくない、勝っていきたいという気持ちがあると話します。
最後に、後輩へのアドバイスとして、Sekishoさんは2つのことを挙げました。1つ目は「諦めないこと」です。
ダンスいいかなってなるタイミングは絶対どっかで来ると思うんですけど、そこで絶対もう一個諦めない、もう一個上の目標を持ってやりたいっていうのが一個と。
2つ目は、とくにブレイキンに関して「自分の得意を信じ続けること」です。Sekishoさん自身はハンドケというスタイル一本で、それしかできなかったかもしれないと言いつつも、これなら世界でも負けないという気持ちで続けてきました。
パンチショウヘイさんは、このアドバイスがダンスに限らないと受け止めます。自分に自信がなくなるタイミングは人生で必ず来る、だからこそ「自分の得意を信じ抜く」ことは生きるうえで大事だと共感を示しました。
まとめ
嫌々始めたブレイキンで12年間NEXT GENERATIONを走り、同期に先を越される悔しさを重ねながらもレジェンドクルーへ加入したSekishoさん。その言葉は、諦めないことと自分の得意を信じ抜くことの大切さを伝えています。
- ダンスもブレイキンも、始まりは本人の意志と母親の勧めという偶然が重なっていた
- NEXT GENERATIONは手取り足取りではなく、自分で動く力と仲間を得る環境だった
- 同期の先行加入や優勝は大きな悔しさだったが、家族や支えてくれた人への思いが辞めない理由になった
- MORTAL COMBAT加入の決め手は、テストや大会ではなく日々の取り組み姿勢だった
- 後輩へのメッセージは「諦めない」「自分の得意を信じ続ける」の2つ
