2歳からのバレエと「才能よりも環境」
この回のテーマは、野村さん自身の悩みから出発します。2歳4ヶ月になる娘・まるちゃんが生まれ、父親としてどう育てていくか考える中で、すでにプロダンサーとして活躍する藤村さんの娘・トモさんの歩みにヒントを求めました。
娘さんをどのように育てて、ダンサーという生き方とどうリンクさせてきたのか、そのあたりのヒントをいただければ。
藤村さんはまず、自分のやり方はあくまで一つの例だと前置きします。SNSで素晴らしい子育て環境を発信する若いダンサーたちと違い、自分は情報のない時代に自分だけの方針でやってきたと話されました。
それがいいか悪いかは、皆さんご自身のパターンに当てはめてくださいね。
藤村さん自身は幼稚園に勤めていた頃にダンスと出会い、大人になってから始めたコンプレックスがありました。だからこそ、娘には早くから良い環境を与えようと考えたそうです。
2歳2ヶ月の、おむつをしているトモをバレエ教室に連れて行きました。
おむつのままチュチュを履いてレッスンに通い、幼稚園の時にはトウシューズを履かせてもらうほど足首が柔らかかったといいます。バレエ、英語、スイミング、体操と、あらゆる習い事がうまくいったという経験から、藤村さんはある結論にたどり着きます。
歌が音痴だと思っていた娘も、指導者から「いい音楽を聞かせたら絶対歌が上手になる」と言われたそうです。良いものに触れる環境が、子どもの未来を広げると藤村さんは考えています。
一つに絞らせなかった「フリースタイル」の育て方
トモさんは小学生の頃、いろいろなスクールでさまざまなジャンルを学びました。ヒップホップは野村さん、ロックは別の先生と、当時のレジェンドと呼ばれる先生たちからも教わったといいます。
野村さんは、トモさんのダンスがジャンルにとらわれない「ザ・フリースタイル」であることは、幼少期に多様なダンスを吸収した集大成ではないかと指摘します。
トモさんは5年生の頃、一度ヒップホップだけに絞りたいと言ったことがありました。しかし藤村さんは、すぐには一つに決めさせませんでした。
いろんなものをやった中で、もっと大人になった時に、これをしたいっていう風に答えを出したらどうかなみたいな感じで。
洋楽を聴いて育ったため英語が自然に身につき、17歳頃には一人でアメリカにも行ったそうです。トモさんにとってダンスは、自分で選んだものというより、空気のように最初からあるものでした。
本当にもう、空気を吸うようにダンスだったんでね。
自然に触れていた子は、ダンスをどう選ぶのか
野村さんは、この話を自分の家庭に重ねます。仕事についてきてもらい、いろんなダンサーに会い、レッスンにも遊び半分でついてくる。そうなれば、娘にとってもダンスは自然にあるものになるだろうと考えます。
一方で、その環境で育った子が、もしダンス以外のことをやりたいと言った時にどう答えるのか。野村さんはまだ答えが出せず、悩みそうだと率直に話しました。
ダンスじゃないことをやりたいって言われた時に、なんてどう言うんだろうなっていうのをすごい聞いてて。
藤村さんは、今は有名ダンサーの子どもたちが同世代にたくさんいる、もっとすごい環境だと話します。将来コンテストで彼らが一堂に会する時代が来るかもしれないと、二人は語り合いました。
野村さんは、強制するのは難しいとしながらも、自然と楽しんで挑戦したいと思える環境を作っていきたいと結びました。
藤村先生から見た「ダンサー」という生き方
話題は、藤村さんから見たダンサー像に移ります。経験のないところから始め、楽しい・好きという気持ちのまま30年、40年続けてきた藤村さんにとって、ダンサーは尊敬すべき存在です。
ダンサーさんってすごい、もうリスペクトしかないです。ダンサーと呼ばれる位置に行きはるまでの努力ってめちゃくちゃしてはるし、失敗をたくさん経験してても逃げ出さないでやってはるから、ダンサーさんやし。
藤村さんが最も願うのは、ダンサーが職業として生活できる収入を得られることです。二足のわらじ、三足のわらじで頑張るダンサーが多い中で、ダンスだけで自立できる環境ができるといいと話されました。
この思いに野村さんも強く共感します。自身が掲げる「一生ダンサー宣言」の根幹には、自分がダンサーになりきれなかった経験があると明かしました。
その将来像が、自分のレベル感と、かつ環境として描けなかったっていうところは、結構現実的に考えてしまったところがあったので。
だからこそ、今の事業を通じてこの経済的な問題を解決していきたいと、野村さんは自身の夢を語りました。
人から頼まれる存在になることがキャリアを広げる
野村さんは、藤村さんのキャリア自体が大きなヒントだと指摘します。前編でも語られたように、藤村さんは人からいつも「これをやって」と頼まれ、その連続でここまで来たといいます。
高校3年の進路相談で担任から小学校の先生になるよう勧められ、指定された短大に進み、そこでダンスと出会った。学生時代も1年生ながら訓示を受け、いつも呼び出される存在だったそうです。
責任感だけは強い。昔から。できませんはきっと言わないね。
野村さんは、オーナーやインストラクターの立場から、頼みごとは「やれそうな子」にしかしないものだと返します。
ちゃんとやってくれそうって子に、多分その訓示があるんだと思う。
野村さんは、誰かから何かを頼まれる、信頼される存在になることがキャリアを広げていくと整理します。それは挨拶ができる、いつも明るいといった信頼感の積み重ねから生まれるものだと話しました。
無理難題を越えた先に、人間力が残る
野村さんの言葉に、藤村さんは自分の歩みを重ねます。無理難題を言われても断れず、どうにかしなければと考えているうちに、気づけばクリアして一つ上に上がっている。その繰り返しだったといいます。
もう絶対自分の人生かけて無理と思ったことが3回ぐらいあったけど、それを越えた時にすごい自分になってた。
野村さんは、自分ではどうしようもないことは人間なら必ず出てくると受け止めます。ダンスも、自分で踊っているだけではどうにもならない世界だからです。
藤村さんは、その場その場でチャンスが来た時にタイミングを掴んでやってみること、そしてトライアンドエラーを重ねることが人としての成長につながると話します。
野村さんとのレッスンで、あるステップを何万回もやらされた経験を引き合いに、回数を重ねることの意味を語りました。
人として成長していってる人には近づきたくなるやん。この人の教えを請いたいとか、この人の近くにおりたい。やっぱ人間力を上げる。
話は「人間力」に行き着きました。それはダンスの場でなくてもいいけれど、ダンスの場でならなお嬉しいと藤村さんは付け加えます。
頼まれる
今の自分には無理と思える無理難題を頼まれる
越える
断れず取り組むうち、気づけばクリアしている
成長する
トライアンドエラーの積み重ねで人間力が上がる
近づかれる
成長した人には人が集まり、キャリアが広がる
最後に行き着いた「人間力」と一言宣言
野村さんは、この人間力が身につくのがFANBEATだと締めくくります。藤村さんの軸がベースにあり、娘のトモさんがダンスを高める存在としている。トータルで「人間力育成ダンススクール」だと表現しました。
藤村さんは、スタジオやスクールを運営する人に向けて、先生を大事にしてほしいと呼びかけます。通ってくれる生徒の顔や名前、家族構成まで覚え、ことあるごとに話すことが「ここに来たい」という気持ちにつながると話されました。
番組恒例の一言宣言では、藤村さんが自身の言葉を残します。
生涯現役です。一生涯。で、この生涯現役を年齢ずっと上げて続けます。継続は力なり。一人一人に生きる力を。みんな自分を一番愛してね。
終始くだけた雰囲気で進んだ収録を、藤村さんはリスナーへの感謝で締めくくりました。
支離滅裂な話ばっかりでしたが、お話を聞いてくださった皆様に感謝しております。皆様の人生が豊かになるようにお祈り申し上げます。
まとめ
子どもをプロダンサーに育てた経験から見えてきたのは、才能を決めることよりも、良いものに触れる環境をつくることの大切さでした。そしてその先で語られたのは、頼まれ、越え、成長するという積み重ねが行き着く「人間力」というテーマでした。
- 藤村さんは才能や遺伝ではなく、良い環境と良い経験が子どもの未来を広げると考えている
- 一つのジャンルに早く絞らせず、多様な経験がフリースタイルの感覚を育てた
- 親ができるのは才能を決めることではなく、選択肢を広げる環境をつくること
- 無理難題を頼まれ、越えていく積み重ねがキャリアと人間力を育てる
- ダンサーが経済的にも自立できる環境をつくることが、二人に共通する願い
